『天翔(あまかけ)る龍』

キユサピ

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第三章:「運命の交差」

第四十三話:「武神の重み」

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夜明け。
戦場を渡る風は血の匂いを運び、なお重く淀んでいた。

景嵐はひとり立ち尽くしていた。
これまで「強さこそが正義」「破壊こそが真理」と信じ、刃を振るうことに迷いはなかった。
だが――夫婦武神が放ったただ一度の威圧、その言葉と気迫の前に、自分の刃は止められた。

「……なぜだ」
胸奥に湧く疑念は苛立ちを呼び、しかし刃を抜く力は沸き上がらない。

星華の語った「武神の起源」。
かつて破壊を司った武神の暴走を、創世の武神が止めたという歴史。
その物語の断片が、景嵐の心を離れなかった。

武神とは、ただ力を誇示する者ではない。
国を築き、人を守る礎となる存在。
その重さを、景嵐は生まれて初めて意識した。

「俺は……武神なのか」
呟きは風に消える。
武神の名を口にした瞬間、その肩に圧し掛かるものは刃より重く、屍よりもなお沈む。

これまで景嵐は、己を「烈陽最強の剣」として誇った。
だがもし「武神」とは破壊と同時に均衡を担う者だとすれば――。

景嵐は拳を握りしめた。
「強さだけでは足りぬ、というのか……」

夜が完全に明ける。
薄紅に染まる空の下で、景嵐は初めて「破壊の武神」としての己の立場の意味に足を踏み入れていた。

朝靄に包まれた森の中で、景嵐は足を止めた。
胸中にはいまだ消えぬざわめきが渦を巻いている。

夫婦武神の眼差しに、自らの刃が思い留められた。
その事実は景嵐にとって屈辱であり、同時に理解を超えた驚愕でもあった。

「俺は……何をしている」
問いは自らに向けられていた。

これまで景嵐は信じて疑わなかった。
拳を振るい、剣を取り、立ち向かう者をなぎ倒す――それこそが武の誉れであり、自分が存在する理由だと。
敗者の屍を積み上げてこそ、最強を示す道だと。

だが「破壊の武神」という名が己に課す責務を意識したとき、心は軋みを上げた。
破壊はただの誇示ではなく、均衡と表裏を成す存在だと。
その重みを突きつけられた瞬間、景嵐の信念は揺らぎ始めていた。

「……俺は否定しない。強さこそが正義だ。それを曲げてなるものか」
強く吐き捨てる。
だが同時に胸奥には、じわじわと沁みる感情があった。

――リン。

いつも自分を追い、しかしどこか遠ざける弟の姿。
剣を振るう理由を己とは異なる形で見出し、他者のために立ち続ける弟。
その姿は、景嵐にとって卑屈にも似た感情を呼び起こす。

「なぜだ……」
唇を噛み、目を閉じる。
己の血を分けた弟に、憎悪でも憐憫でもない、理解しがたい嫉妬が芽生えている。

武の誉れを信じる自分。
誰かを守る剣を掲げる弟。

相反する二つの道。
だが景嵐の胸に、初めて「揺らぎ」という名の影が落ちていた。

景嵐は夫婦武神の前で言葉を失ったまま、夜の森を歩いていた。
己の刃が揺らいだ事実が、胸の奥を焼き続けている。
「……俺は、なぜ止まった」
怒りでも後悔でもない。答えのない問いが何度も脳裏を巡る。

やがて足は、無意識にリンの居場所を求めていた。
枝を裂き、落葉を踏みしめる。
弟の影を追わずにはいられなかった。
否、確かめずにはいられなかったのだ。

月明かりに照らされた小道に辿り着くと、そこにリンが立っていた。
星光を背に、その姿は静かな炎のように揺るぎない。

景嵐は荒い息を整えることなく、弟に歩み寄り、吐き捨てるように声を放った。
「……リン」
一歩、また一歩。足取りは迷いを拒絶していた。
「お前の武とは何だ?! 俺を拒み、守財武をも斬らぬその剣……何を支えに振るっている!」

問いは怒号となり、夜気を震わせた。


リンは一歩も退かず、兄の怒号を受け止めた。
その瞳には恐れも怯みもなく、ただ澄んだ光が宿っている。

「……私の武は、守るためにある」
声は低く、しかし揺るぎない。

「国を守る。人を守る。己のためではなく、誰かのために剣を抜く。
それが私に課された武の道だ」

景嵐の胸を冷たい衝撃が貫く。
守る――その一言が、己の全てを否定する響きを持っていた。

リンは続ける。
「景嵐、お前は斬ることが誉れだと言う。だが、私は違う。
剣を振るう先に血と屍しかないなら、武に意味などない」

その言葉が落ちた瞬間、景嵐の全身に熱が逆流した。
血が沸き立ち、逆巻く奔流が内から肉を裂くように駆け巡る。
己で己を消し去りたい――そんな衝動が胸を押し潰す。

月下、二人の間には剣より鋭い沈黙が流れた。

景嵐は震える拳を握りしめ、激しく息を吐いた。
己を否定する言葉がなお耳に残り、焼けつくような焦燥が胸を突き上げる。

「……守る武だと?」
その声は怒号でも冷笑でもなく、抑え込んだ激情の震えを帯びていた。

次の瞬間、景嵐は一歩前へと踏み込み、地を震わせるように叫んだ。
「弟よ! ならばその守る武とやら、俺に示してみせろ!」

リンは微かに瞼を伏せ、やがて顔を上げる。
「……望むなら、受けよう」
その声音は静かでありながら、決意に満ちていた。

二人の視線が絡み合う。
ひとりは破壊を信じ、ひとりは守護を抱く。
血を分けた兄弟が、ついに「武」の意味を賭して相まみえようとしていた。

月光は二人の影を長く伸ばし、静まり返った夜の森がその瞬間を見届けていた。

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