『天翔(あまかけ)る龍』

キユサピ

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第三章:「運命の交差」

第四十五話:「己を知る夜」

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夜の森に残るのは、刃の軋む音も、息遣いも止んだ静寂だけだった。
景嵐は深く息をつき、汗と血に濡れた衣を揺らしながら、立ち尽くしていた。
試合は終わった。勝ちも負けも、優劣もない。ただ、己の全てを込め、弟の武を肌で感じた――その余韻だけが胸に残っていた。

ふと、視界の端に倒れた木の枝に触れた泥の匂いが鼻を打つ。
その瞬間、景嵐の胸に、初めて、漠然とした申し訳なさが押し寄せる。
「……俺は……何をしてきたのだろう」
声に出すでもなく、ただ心の中でつぶやく。
これまで、力こそ正義だと信じ、振るう刃に迷いはなかった。
だが今、己の腕に握られた刃が、虚しく冷たく感じる。

思い返す。戦場で斬り伏せた者たち――敵も味方も関係なく、刃を交え、力で押し切った数々の命。
その全てが、今の自分には尊さを持って胸に迫る。
「……すまない……」
初めて、己の胸から自然に漏れた言葉だった。謝る相手は、もういない。
ただ、己自身の罪と暴力に対して、静かに詫びるしかなかった。

景嵐は刀を抱きしめ、夜空を見上げる。
満月の光が森を銀色に染め、静寂の中に自分一人だけが取り残されているように感じる。
この静けさの中で、初めて、己の破壊の道がもたらした重みと、初めて向き合った。

「……俺は……守るということを知らなかった」
その胸に、初めて、後悔と詫びの念が入り交じる。
破壊の武神としての誇りを否定はしない。だが、今、この瞬間、己の刃がもたらした結果に、ただ静かに、申し訳なさを感じる――それが、新たな景嵐の始まりだった。

森の端、月光が差し込む小道の一角で、リンはじっと立っていた。
景嵐との試合を振り返り、胸の奥に静かな喜びが広がる。

「……景嵐、やっぱり変わったな」
破壊の武神として突き進むだけだった景嵐が、ただ己の武を磨き、相手の武と真摯に向き合った姿。
殺意も怒りもなく、純粋に武を極めようとするその瞳に、リンは胸を打たれた。

剣と剣の交錯を思い返す。火花を散らさぬ鋼の音、互いに技を映し合う瞬間、息遣いさえも武の呼吸となっていた。
あの時、景嵐の目には怒りも憎しみもなく、ただ研ぎ澄まされた精神だけが宿っていた。
リンは心から、景嵐の成長を実感した。

だが、その喜びと同時に、胸に重くよぎる思いもあった。
黄震――かつて景嵐に命を奪われた兄弟子のことだ。
彼の死によって、リンは自らを鍛え、兄を止める決意を固めるに至ったのだ。

「……黄震が、今日という日をくれたのかもしれない」
リンは小さく拳を握り、月光に照らされる森の中で心を沈めた。
黄震の死が、自分の成長を促し、景嵐との試合を導いた――そんな気持ちが静かに胸に広がった。

「強さは正義に違いない。でも、弱き者を守るからこその強さなんだ……」
その言葉は、戦いの中で改めて心に刻まれた真理であり、黄震への想いと重なってリンの胸を満たした。

森は静かに息を潜め、月光の下で、二人の戦いがもたらしたものを見守っているかのようだった。




その頃、夜の森の少し離れた場所に、夫婦武神の姿があった。
二人は並んで立ち、月光に照らされる木々の間から、静かに試合の余波を見守っていた。

「景嵐の成長が、ようやくこうして形になったか……」
妻武神星華の声は低く、しかし穏やかな喜びを帯びていた。彼女の目には、試合の中で見せた弟との交錯の一瞬一瞬が、すべて映し出されているかのようだった。

夫の武神天翔もまた、腕を組み、眉を寄せながら静かに頷く。
「確かに。だが同時に、己の過去と向き合うきっかけにもなったはずだ。破壊の武神としての己を超え、初めて人としての後悔と、責任を知る瞬間……」

二人は互いに目を合わせ、ほのかに微笑む。
「これでようやく、次の段階へ進める……」
「ええ、景嵐も、そしてリンも……」

森に漂う静寂の中で、夫婦武神はただ二人の成長を見守り、必要以上には干渉しない。
だがその背後には、国の未来を左右しかねない重大な視線と、導くべき道への確固たる覚悟があった。

月光に映える二人の影。静かに息を合わせるその姿は、戦場での圧倒的な武威とは異なる、穏やかで確かな力を示していた。

「さて……次はどう導くか」
夫婦武神は同時に小さく頷き、森の奥へと歩みを進める。
景嵐とリン――互いの武を知り、己の弱さと向き合った二人のそばへ、未来への目印として光を差すために。

少し時間を戻そう。森の中で景嵐とリンが剣を交えていたあの瞬間、森の外では藍峯たちが静かに戦況を見守っていた。

薄明かりの丘の上。藍峯は険しい表情で戦場の遠景を見つめていた。
「景嵐とリンか……やはり一騎打ちは避けられなかったか」
彼の手には武器は握られていない。ただ目に映る兄弟の動きを冷静に分析している。

その横には数名の仲間が控え、互いに息を潜めつつ、戦況に応じて援護や防衛を考えている。
「無駄に割って入るわけにはいかん。今は二人の武を見届ける時だ」
藍峯の判断は冷静で、必要以上の介入を避け、戦場を俯瞰する立場に徹していた。

森の中から響く剣戟の音が微かに届く。藍峯はその音に耳を傾ける。
「……あの音が消えた時、何が起こったか分かるだろう」
仲間たちも静かに頷き、誰一人として声を発さない。戦いの行方は、あくまで兄弟二人の問題であり、外野は見守るしかない。

藍峯は景嵐の姿を見つめ、思わず息を呑む。
戦場では常に破壊を振りまき、力こそすべてと信じて疑わなかった男が、今、殺意を手放し、ただ純粋に「武」を交わしている。

「……景嵐……お前が、こんな戦い方をするとは……」
驚きと同時に胸の奥を熱くする感動が藍峯を包む。

風牙――あの友を戦場で失った日、藍峯は長く悲嘆に沈んだ。
仲間を守れず、ただ無惨に散る命を見届けるしかなかった自分の無力。
その痛みは今も消えぬまま胸に残っている。

だが、景嵐の変化は、その痛みに小さな光を投げかけていた。
「もし風牙が生きていたら……きっと今のお前を誇っただろうな」
藍峯はそう胸の内で呟きながら、兄弟の試合を見届ける眼差しをさらに強めた。

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