『天翔(あまかけ)る龍』

キユサピ

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第四章: 「破壊の果てに」

第四十七話:「破壊神海を渡る」

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夜の海に、藍峯たちの小型船は静かに波を裂いて進む。景嵐の鎖は外され、自由を得た体が船の甲板で微かに揺れる。だが、その瞳にはまだ破壊の武神としての鋭さが残っており、藍峯の胸にはひときわ強い不安が込み上げていた。

「……頼む、何事も起こすな……」藍峯は低くつぶやく。赤狼たち元海賊の護衛も、普段の荒くれた戦場では頼もしいが、夜の海と嵐には慣れていない。船が揺れるたび、視界の端で景嵐の身体が無意識に動くのを見て、藍峯の胸は締めつけられた。

波が甲板に叩きつけ、夜風が鋭く頬を刺す。景嵐は黙ったまま、目を閉じて息を整えている。だが藍峯には、刃を振るった過去の姿や、戦場で無数の命を押し切った姿が脳裏に浮かぶ。荒天の中で、もし景嵐の衝動が突発的に現れたら――そう考えると、胸の奥が冷たく震える。

「赤狼、海が荒れてきた。船が沈まぬよう、気を抜くな」藍峯は護衛たちに声をかける。彼らは応じて甲板を踏みしめるが、藍峯の目は船と景嵐、そして夜の暗闇すべてを警戒して離さない。

景嵐は沈黙を守り、ただ海と月を見据えている。だが藍峯には分かる――景嵐の心はまだ揺れ動き、荒波の中で何が起こるか予測できない。信じて待つしかない。
その不安が、護送の責任を一層重くしている。藍峯は深く息を吸い込み、夜の波を睨みつつ、静かに覚悟を固めるのだった。

夜の甲板。波の音と帆を揺らす風だけが響いていた。
景嵐は手すりに凭(もた)れ、黒い海を見下ろしていた。月明かりの下、その横顔は険しくもどこか弱々しい。

背後から藍峯が静かに歩み寄り、並んで立つ。しばし言葉を交わさず、海のうねりを見ていた。

「……俺には、無二の親友がいた」
藍峯が低く呟いた。

景嵐は目を動かす。「……親友?」

「ああ。風牙という。どんな時でも背中を預けられる、ただ一人の男だった」
藍峯の声にはわずかに震えが混じる。「だが……戦場で失った。俺の半身をもぎ取られたようだった」

その名を聞いた瞬間、景嵐の胸に鋭い痛みが走った。


荒れ狂う海を離れ、漁船の甲板に崩れ落ちた時、二人は互いに短く目を合わせた。
荒い息の合間に、景嵐が口を開く。

「……お前、風牙を……知っているのか?」

藍峯は静かに頷いた。「ああ。俺にとっては無二の親友だった」

景嵐の喉が詰まり、言葉が滲む。
「……俺が……あいつを殺してしまった。守ることが……出来なかった」

その声に、藍峯の瞳が激しく揺れた。次の瞬間、彼は低く叱咤するように叫んだ。
「ふざけるな! あいつはお前を守って死んだんだ! 勝手に自分の罪にするな!」

景嵐は顔を伏せたまま、拳を震わせる。
「……だが……俺の刃の前で散った。それが事実だ」

藍峯は強い眼差しで彼を射抜いた。
「事実はひとつだ。――風牙はお前を守って死んだ。それ以上でも、それ以下でもない」

その言葉は荒波の轟きよりも鋭く、景嵐の胸を貫いた。罪悪感と誇り、二つの真実が交錯し、彼の中で新たな重みとなって沈んでいく。

景嵐は深く目を伏せ、濡れた髪を払いながら呟いた。
「……あいつなら、確かにそう言うかもしれないな」

藍峯はただ黙して海を見つめた。胸に蘇るのは親友の笑顔。
景嵐もまた、守護者の姿を思い浮かべながら、孤独ではない痛みを初めて感じていた。

しかし、その静けさを裂くように突風が甲板を叩いた。空は急速に黒雲に覆われ、稲光が海を照らす。

「嵐だ!」赤狼の叫びと同時に、船体が大きく軋み、波が甲板を飲み込む。
藍峯と景嵐は必死に踏みとどまり、船員たちが帆を下ろし舵を取る。だが、怒涛の波は容赦なく船を叩きつけた。

遠くで雷鳴が轟いた。
次の瞬間、夜空を引き裂く稲光が海を白く染め、漁船の木板が不気味に光った。
風が唸りを上げ、波が船腹を打ち付ける。水飛沫は刃のように肌を叩き、視界はすぐに暗転と閃光に呑まれた。

「帆を下ろせ!」赤狼の叫びが吹き飛ばされそうな風に呑まれる。
船員たちは濡れた縄を握りしめ、必死に帆を畳もうとするが、突風がそれを引き裂くように暴れ狂った。
甲板の上はもはや戦場だった。船は悲鳴を上げる獣のように軋み、ひとつ波を越えるごとに大地を失ったかのように大きく傾く。

景嵐は欄干に手を突き、海の闇を見据えた。波頭が牙を剥いて迫り、船を呑み込もうとしている。
かつて幾千の戦場を駆けた彼ですら、この自然の猛威には刃を振るうこともできなかった。
藍峯は隣で荒波に耐えながら、低く息を吐く。


「……このままでは沈むぞ」

次の瞬間、巨浪が甲板を襲い、赤狼たちもろとも船を洗い流した。
冷たい海水が胸まで達し、視界は泡と闇に閉ざされる。
必死に踏みとどまる仲間たちの叫びが、風と波に引き裂かれながら遠ざかっていく。

雷鳴が轟き、船の帆柱が折れて海に叩きつけられた。
木片が弾丸のように飛び交い、船体は限界を告げるかのように震えた。
誰もが覚悟した――沈没は避けられない。

船が傾き、木材が悲鳴を上げる。もはや沈没は避けられぬ――その刹那。

「……見ろ! 灯だ!」
暗闇に大きな影が浮かび上がる。異国の巨大な漁船が、嵐を切り裂きながら接近していた。

投げられた縄と網にしがみつき、藍峯も景嵐も仲間たちも次々と引き上げられる。
荒れ狂う海を離れ、漁船の甲板に崩れ落ちた時、二人は互いに短く目を合わせた。

藍峯は呟く。「……風牙。お前が導いてくれたのかもしれんな」
景嵐は濡れた髪を払い、深く目を伏せた。胸に蘇るのは、守護者の笑顔。
その痛みは消えない。
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