『天翔(あまかけ)る龍』

キユサピ

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第四章: 「破壊の果てに」

第四十八話:「新たなる試練」

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荒れ狂う嵐を抜けた海は、嘘のように静かだった。
大漁を終えたばかりの異国の漁船は、濡れ鼠となった藍峯たちを甲板に横たえ、無言のまま毛布をかけた。
彼らの言葉は聞き取れない。だが粗野な仕草の奥に、命を救おうとする真摯さがあった。

やがて夜明けの光が水平線を染める。
漁船は、見慣れぬ形の塔と白壁の街を望む港へと進んでいた。
帆柱には龍華帝国では見ない色鮮やかな布が翻り、甲板の者たちが祈るように海へ頭を垂れる姿が見える。

藍峯は静かに息を吐いた。
「……ここは龍華帝国ではない。異国の港だ」
その目には、未知の大地に足を踏み入れる覚悟が滲んでいた。

景嵐は濡れた髪を払い、目を細める。
「救われた命だ。だが、ここから先は俺たちの道ではないのかもしれん」
その声にはまだ揺らぎが残る。それでも、後悔と痛みの中で新たな道を見出そうとする意志があった。

港に近づくにつれ、異国の人々のざわめきが響いてくる。
見慣れぬ衣装、見知らぬ言語、異国の香辛料の匂い。
すべてが彼らを異邦人として迎え入れるものであり、同時に試練の始まりを告げるものでもあった。

夜明けとともに、漁船は港へ滑り込んだ。
空はまだ淡い灰色に沈み、波止場には荷を運ぶ人々の掛け声が響いている。聞き慣れぬ言葉ばかりで、藍峯たちには一つとして理解できない。

甲板に降り立った瞬間、港の者たちの視線が突き刺さった。
濡れた衣、異国の顔立ち。数歩近づいてきた者は警戒の色を隠さず、互いに何事かを囁き合う。子どもでさえ石を拾って手に握りしめ、近寄ることを拒んでいた。

その時、漁師の一人――トゥランが前に出た。
「……ワタシ、少し、わかる」
つたない龍華語に藍峯が顔を向ける。
トゥランは両手を広げて港の人々に何事かを叫んだ。敵意を和らげようとする声色だったが、群衆の警戒は簡単には解けない。

「……藍峯、やはり歓迎されてはいないな」景嵐が低く呟く。
「当然だろう。異国の港に、夜明け前から得体の知れぬ者どもが現れたのだ。俺たちが逆の立場でも同じだ」

やがて、トゥランは藍峯たちを港の片隅へ導いた。
「ここ……危ない。役人、すぐ来る。見つかれば……牢だ」
その言葉に一行は緊張を強める。彼らは烈陽の追っ手から逃れるためにここまで来たのだが、異国の法もまた容赦なく牙を剥くのだ。

トゥランは躊躇いがちに続けた。
「倉庫……古い。しばらく、隠れる。ワタシ、手伝う」

案内された先は、港外れの古びた木造倉庫だった。
中は潮と魚の匂いが充満し、床には藁布と木箱が雑然と積まれている。決して安らげる場所ではなかったが、ひとまず身を隠すには十分だった。

藍峯は倉庫の扉を閉めると、仲間たちを振り返った。
「ここからは一歩も気を抜くな。人々の目も、役人の耳も、俺たちを捉えようとしている」

景嵐は港のざわめきを聞きながら、重く息を吐いた。
異国の地の冷たい空気は、烈陽で向けられた憎悪とは別種の孤独を突きつける。
だがその孤独の中に、彼は新しい始まりの予感も感じていた。
「……俺は、試されているのだな」

倉庫の隙間から差し込む朝日が、濡れた衣を淡く照らしていた。

数日の潜伏ののち、藍峯たちはトゥランの導きによって港町の片隅でひっそりと暮らし始めた。
魚の選別や網の修繕を手伝うことで、少しずつ町の人々の警戒も和らいでいった。
言葉はたどたどしいが、身振り手振りとトゥランの助けを借り、最低限のやり取りはできるようになっていった。

「……ここでは戦もなく、人々はただ海と生きている」
景嵐は市場のざわめきを見渡し、心に小さな安堵を覚えた。血に塗れた烈陽での日々とはあまりに異なり、武神としての自分が場違いにさえ思えた。

しかし、その平穏は長く続かなかった。

ある朝、港に重苦しい足音が響いた。異国の甲冑をまとった役人たちが現れ、町を縫うように巡回し始めたのだ。
「異国の者が潜んでいる」との噂が広まり、藍峯たちの存在はすでに町の目と耳に届いていた。

「……来たか」藍峯は低く呟く。
トゥランも青ざめた顔で囁いた。
「ワタシ、隠す。けど……役人、強い。すぐに……見つかる」

その言葉の通り、倉庫を囲むように兵の影が差し込む。
扉を叩く重い音が響き、威嚇する声が飛んだ。

「異国人、出てこい!」

赤狼たちが思わず刃に手をかける。しかし藍峯は制した。
「ここで抗えば、町ごと敵に回す。俺たちに選択肢はない」

扉が開かれる。役人の目は冷ややかで、容赦なき力がそこにあった。
景嵐は視線を返しながら、深く息を吸い込む。抵抗はしなかった。かつてなら剣を抜いて切り伏せていたはずの相手の前で、ただ静かに両手を差し出した。

こうして一行は拘束され、異国の牢へと連れられる。
港のざわめきの中で、トゥランの叫びだけが彼らを追った。
「悪い……助けられない! でも……信じる!」

鉄の枷が音を立てるたび、景嵐の胸にはかすかな悔恨と、それでもなお続く道の気配が重く広がっていった。

牢に入れられた当初、藍峯たちは過酷な扱いを受けた。
粗末な食事、鎖に繋がれたままの夜、看守たちの嘲りと罵声。
異国の者というだけで、罪人よりも下に見られていた。

赤狼は奥歯を噛みしめ、仲間の海賊上がりたちと目を交わす。
「……船を奪われた時から覚悟はできてる。だが、このまま犬死には御免だ」
その言葉に子分たちの瞳が光を宿した。

ある日、看守が鎖を引きずりながら景嵐を引き立てた。
「こいつは武人だと? なら見せてみろ、異国の犬め」
棒で背を殴りつけるその光景に、赤狼の堪忍袋が切れた。

「今だ!」
短く叫ぶと同時に、彼は隠し持っていた金属片で鎖を叩き切る。
仲間たちも一斉に動き、看守の腕を捻じり倒し、武器を奪った。
蜂起は瞬く間に牢獄全体へと波及し、怒号と鉄の音が交錯する。

「藍峯! 抜け道はどこだ!」
赤狼の声に、藍峯は冷静に応じた。
「まずは港を目指す。ここで長居はできん!」

景嵐もまた鎖を外され、立ち上がる。
かつてなら武神の力で牢など容易く破れただろう。
だが今は、仲間たちと共に戦うことが必要だった。

牢を破ったものの、赤狼は仲間に鋭く命じた。
「殺すな。血を流せば余計に追われる。眠らせるだけでいい」

その言葉に従い、海賊上がりたちは熟練の手際で看守たちを押さえ込み、縄で縛り上げていった。
呻き声こそ響くが、血は一滴も流れない。

景嵐はその様子を見て、静かに息を吐いた。
「……お前たち、ただの荒くれ者ではないな」
赤狼は肩をすくめる。
「生き延びるためなら、流す血は少ないほうがいい。それだけだ」

重苦しい空気の牢を抜け出すと、夜風が頬を撫でた。
誰も命を奪わずにここを出られた――その事実が、一行の足をさらに速める。

港はすぐそこにあった。
自由か、それとも新たな試練か。
その答えを知るのは、次の瞬間だった。
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