『天翔(あまかけ)る龍』

キユサピ

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第四章: 「破壊の果てに」

第四十九話:「閉ざされた航路」

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港へ辿り着いた一行を待っていたのは、静まり返った波止場だった。
海は月明かりに照らされ、漁網も帆布もすべて岸に畳まれている。
赤狼が舌打ちし、藍峯に振り向いた。

「……船が、一艘もねえ」

商船の桟橋も、漁船の並ぶ岸壁も、人影すらなく、ただ潮風が吹き抜けているばかり。
景嵐が周囲を見回し、訝しげに眉を寄せた。
「どういうことだ。これほどの港で、船影ひとつないとは……」

答えたのは、後ろから追いついた通訳役の若い漁師、トゥランだった。
彼は息を整え、つたない言葉で説明する。

「……この地では……冬の始まり、月の巡り……“静海の祭り”がある。
その間は……海に出るのは禁じられている。
神の怒りを買う、と……皆、信じている」

藍峯は短く息を吐き、険しい顔をした。
「つまり――しばらく船は出ぬということか」

赤狼が拳を固める。
「ここで足止めか……!」

一行の間に緊張が走った。
牢を脱したばかりで長く留まれば、追手に捕らえられるのは時間の問題。
それでも海へ出る術は、今は閉ざされている。

藍峯は沈黙し、やがて静かに言った。
「……ならば、嵐が過ぎるのを待つしかあるまい。だが――ただ待つだけでは済まんだろう」

月明かりの港に立ち尽くす一行の胸に、再び重い試練の影が落ちていた。

静海の祭を控え、街は活気と慌ただしさに包まれていた。露店の準備、街道沿いの装飾、香辛料や布地の荷の積み下ろし——地元民だけでなく、周辺国からの観光客も押し寄せ、港町の通りは人であふれている。

藍峯一行の存在は、こうした混雑の中で自然に隠れられる反面、警戒の目も一層厳しくなっていた。役人たちは祭の混雑を口実に、港や街角に監視を配置し、出航の動きを阻むかのように見張っている。

「人が多すぎる……この混雑では船に乗るタイミングを計るのも一苦労だな」藍峯は低く呟き、甲板や港を見渡す。

景嵐は黙ってその背中を見つめ、潮風と祭囃子の音が混ざる港の空気を肌で感じた。街の喧騒の中で、二人は無言のまま、これからの行動を慎重に思案する――警戒は緩められないが、隠れる機会もまた巡ってくるはずだった。

静海の祭を控え、港町は華やかな喧騒に包まれていた。
屋台の呼び声と楽師の笛の音が入り混じり、観光に訪れた周辺国の人々が入り乱れる。だがその賑わいの裏には、緊張も確かに息づいていた。役人たちは人混みの陰に潜み、不穏な動きを見逃すまいと監視の目を光らせていた。

そんな中、広場の一角で声が荒れた。周辺国から来た武装の客が、商人の荷を踏みつけ、金を脅し取ろうとしていた。商人が必死に抵抗すれば、男は抜き放った短剣で脅し、祭の賑わいを一瞬にして凍りつかせる。

その場に居合わせた景嵐の目が細く光る。
「……やめろ」

低い声が喧騒を裂き、次の瞬間、男の腕を景嵐が掴み上げていた。短剣が宙を舞い、制圧された男は地に押さえつけられる。周囲から驚きと安堵の声が広がり、商人は地に崩れて涙を流した。

だが、同時に鋭い視線がその光景を射抜く。
「……今の男、ただ者ではないな」
祭を警護していた役人の一人が、景嵐の振る舞いを注視していた。圧倒的な動きと力――それはただの流れ者にはありえない。

「目立ちすぎたな……」藍峯が小声で吐き捨てる。
景嵐は黙って手を離し、深く息をついた。守りたかっただけの一瞬が、逆に彼らの影を浮かび上がらせたのだった。


祭の喧騒の中、景嵐が制圧した一件を遠くから見つめていたのは、港町の有力な貴族、ルカス・アルデン伯爵だった。彼は静かに歩を進め、すぐに役人の側へ声をかける。

「……あの者たちを、今ここで拘束するのはやめてくれ」
ルカスの言葉には威厳と理性が宿り、役人たちは一瞬たじろぐ。祭の人混みの中で力を誇示する景嵐の姿を、彼は冷静に分析していた。

「……なるほど、侯爵様。お言葉に従います」
役人は渋々、景嵐たちを解放する。景嵐は警戒心を解かず、藍峯と視線を交わすが、状況は安全になった。

後日、ルカスは自らの邸宅に景嵐たちを招いた。
「この港は周辺国との交易が盛んだ。だが同時に、治安を保つには知恵がいる。お前たちのような者の助力が必要だ」
ルカスは言葉を選びつつ、景嵐と藍峯の力量を見極めていた。

藍峯は無言で景嵐の肩に軽く触れる。景嵐もまた、少し警戒しつつ頷いた。
ルカスは龍華帝国との行き来も多く、互いに意思疎通は容易だ。こうして、二人は自然に指南役としての立場を与えられることとなった。

「まずは港町の警護の整備からだ。君たちの経験を活かしてほしい」
ルカスの言葉に、藍峯は短く頷き、景嵐も静かに覚悟を決めた。

ルカスは屋敷の書斎に案内し、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。壁には異国の地図や交易路の資料が並び、机の上には港町や周辺国の商業記録が積まれている。

「君たちには、ただ力を貸してほしいわけではない」ルカスは静かに言葉を選ぶ。「この港町は活気に満ちているが、同時に周辺国の横暴も増している。外部からの圧力に対応するには、戦力だけでなく知恵も必要だ」

藍峯は軽く息を吐き、景嵐を見やる。景嵐も警戒しつつも、ルカスの目に潜む冷静さと理性を読み取った。

「君たちは、ここでの警護だけでなく、交易や住民との関係の調整にも関わることになる。力だけではなく、判断と指導力も試されるだろう」ルカスは机の資料を指さす。「必要であれば、この屋敷を拠点にして構わない。私の目が届く範囲で自由に動いてほしい」

景嵐は短く頷き、藍峯も無言で確認する。二人は異国の土地で、新たな任務と責任を負うことになる。

ルカスの声には、慎重さと期待が混じっていた。「この街に平穏をもたらすのも、君たちの手にかかっている。まずは港町の警備を整えることから始めてくれ」

その言葉に、景嵐は胸の奥で小さな覚悟を固めた。外の世界に翻弄されながらも、ここでの生活はただの生存ではなく、己を磨く試練の場でもある――そう実感した瞬間だった。
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