『天翔(あまかけ)る龍』

キユサピ

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第四章: 「破壊の果てに」

第五十話:「異国にて学ぶ」

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ルカス邸に身を寄せた藍峯たちは、石造りの二階の客間で新生活を始めた。牢の湿り気とは比べものにならぬ清潔さに、赤狼は落ち着かぬ様子で部屋をうろつく。
「……どうにも、居心地が悪ぃな」

ルカスは穏やかに告げた。
「ここで暮らす以上、まずは言葉を学んでもらわねばなるまい。港での務めも、意思疎通ができねば果たせぬ」

言語学習は、若い漁師トゥランと屋敷付きの書記官が担当した。だが、学びの速度は三者三様だった。

藍峯は黒鷹派での経験を活かし、暗殺や諜報の際に磨いた特殊な暗記法や発音訓練を応用する。筆を取り、音を確かめながら書き写すと、短期間で意思疎通に支障のないレベルに達した。

景嵐もまた、幼少より武術に励み、地頭(じあたま)の良さから学習能力に秀でていた。反復される音や文法をすぐに頭に入れ、短い会話なら問題なく成立させられるようになった。その様子を見たルカスも、書記官も、思わず目を丸くするほどだった。

一方、赤狼たちは海賊時代の経験から、様々な国の言語を耳にしたことがあったため、断片的な理解は早い。しかし、理屈や文法にまで踏み込むと途端に混乱し、「んな難しいもん、覚えられるか!」と不満を漏らす。それでも、日常会話や取引の場では意外なほど通じる場面もあり、妙な実用性を発揮していた。

やがて学びは単なる言語習得にとどまらず、アルテリス国の習慣や商習慣、貨幣の数え方、礼儀作法にまで広がる。藍峯は書物を読み込み、景嵐は実際に声に出して確かめ、赤狼は場数を踏むことで少しずつ慣れていった。

廊下の陰で二人の使用人が小声で話している。
「伯爵様、あの者たちをかばっておられますが……外部の目もあるゆえ、油断はできませんね」

景嵐は足を止め、声の主を確認できぬまま耳をすませた。言葉のすべては理解できなくとも、伯爵の庇護が永久に続くわけではないことは察せられた。
「……俺たちを快く思わぬ者がいる。気を抜けぬな」と、景嵐は藍峯にだけ告げた。

その夜、ルカスは書斎で二人に語る。
「君たちが学ぶのは言葉だけではない。港を治め、民や商人と向き合うため、この国の考え方や仕組みを理解してもらわねばならん。やがて民の前に立つこともあるだろう」

藍峯は沈黙し、景嵐は眉をひそめる。新たな務めの重さが、彼らの背にのしかかるのを感じた。

――そして迎えた祭りの当日。港の警護を任されていた景嵐たちだったが、実際に配置についてみれば、すでに兵の数は十分で、彼らが割り込む余地はほとんどなかった。

「お前たちほどの手練れを港に置くのは惜しい」
警護長はそう言って、景嵐たちを城の警備に回した。

城内の高窓からは、祭りの喧騒が広がる広場や通りを見渡せる。笛や太鼓の音、屋台の呼び声が潮風に乗って届き、景嵐は警戒の目を緩めず眺めていた。

「港は人が多すぎる。ここから見ていれば安全だな」藍峯が低く呟く。

そのとき、城内の一角で使用人の慌ただしい声が走った。

「姫様……お姿が見えません!」
「城門のどこにも……!」

兵たちは顔を見合わせ、警護長は険しい声で命じた。
「総出で姫様を探せ! 城外の祭りへ向かわれたに違いない!」

景嵐と藍峯も命を受け、すぐに城門を駆け下りて人混みに紛れた。

お転婆な姫が、誰にも告げず城を抜け出したのだ。城の警護隊は総出で姫を捜索する。状況は緊迫し、城内外の警護が一気に緊張感を帯びる。
祭りの広場。
お転婆な姫は人混みに紛れ、露店を覗き込んでいた。だがその姿を、酔いに任せた男たちが見咎める。

「おい嬢ちゃん、どこから来た?」
「ちょっと遊んでいこうじゃねえか」

姫は振りほどこうとするが、狭い路地へ引き込まれそうになる。恐怖に顔をこわばらせたその瞬間――

「離れろ」

鋭い声と共に、景嵐が現れた。
男の腕をひねり上げ、もう一人を蹴り倒す。身のこなしは鋭く、わずかな間に暴漢たちは地に転がって呻いていた。

姫は息を荒げつつも目を見開き、助けられた安堵に笑みを浮かべる。
「あなた……強いのね」

その場に駆けつけた兵士たちが姫を守り、景嵐に深々と頭を下げた。

後日、警護長の前で姫ははっきりと告げる。
「私は彼に守られました。これからも、そばにいてほしい」

こうして景嵐は、姫の護衛役に正式に任じられることとなる。

景嵐が正式に姫の護衛に任じられた日、城内は一種のざわめきに包まれていた。
「異国の者が……姫様の護衛に?」
「腕は立つらしいが……」
半ば驚き、半ば訝しむ声が廊下や広間に広がる。だが姫自身は人目も気にせず、笑顔で景嵐を迎えた。

景嵐が姫の護衛に任じられてから、日々の務めは一変した。

「景嵐! 今日は市場へ行くわ!」
振り返る暇もなく、姫は裾をひらめかせて走り出す。

「姫様、お待ちを!」
景嵐はため息をつきながらも追いかける。城の庭を抜け、使用人や兵士を困惑させながら、市場へと駆け出していく姫の背は、まるで風そのものだった。

赤狼は遠巻きにその光景を眺め、笑いを堪えきれない。
「ははっ! おい景嵐、お前も苦労してんな!」

一方、藍峯は窓辺からその様子を見て、眉をひそめる。
「……護衛とは、ただ剣を振るうことではない。さりとて振り回される相手を守るというのもまた、試練か」

景嵐は人混みで姫を見失いそうになりながらも、鋭い観察眼で危険を察知し、さりげなく距離を取って守り続ける。その真面目な姿に、姫はふと振り返って笑った。
「あなたって、真面目よね。だから楽しい。これからは、ずっと私のそばにいてくれるのね!」
その無邪気な言葉に、景嵐はわずかに眉を寄せる。

「はい、任務として。」

だが姫はその素っ気なさを気にも留めず、むしろ楽しげに笑った。
「ふふっ、やっぱり頼もしいわ。じゃあ、次の祭りの夜は城を抜けて一緒に行きましょうね」

「……何を言っているんですか!」
景嵐の低い声をよそに、姫は踊るように部屋を駆け出していった。

それからの日々、景嵐の務めは単なる護衛ではなく「姫をどう抑えるか」へと変わっていった。
城の回廊で庭に降りようとする姫を制し、書庫で本を積み上げて窓から出ようとする姫を止め、時には侍女たちの悲鳴を背に廊下を駆け抜ける姫を追いかける。

「……姫様、なぜ、そのように危ないことをされるのか!」
「だって、外の世界が見たいのですもの!」

その瞳は真っ直ぐで、景嵐の冷静な言葉をものともしなかった。

しかし、彼女の無邪気さの奥には、確かに小さな「憧れ」が芽生えていた。
勇ましく暴漢を退け、自分を庇い、誰よりも毅然として立つこの男――。
まだ「恋」という言葉を知らぬ少女の心は、それをただの好奇心として片付けきれずに揺れていた。
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