『天翔(あまかけ)る龍』

キユサピ

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第四章: 「破壊の果てに」

第五十三話:「姫の覚悟」

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城内の廊下は、祭りの喧騒から離れ、静謐な空気が漂っていた。ルシア姫は自室に閉じこもり、厚い扉の向こうで深く息をつく。外の世界の華やかさとは裏腹に、胸の内は複雑で揺れ動く。

「……わたくし、どうすれば……」

窓の外、遠くに光る屋台の灯りも、今は心を落ち着けるどころか焦燥を煽るだけだった。姫の視線は自然と、側に立つ景嵐の姿を思い浮かべる。護衛として忠実に、だが確かな存在感で。

景嵐は廊下の外から静かに姫の部屋を見守る。忠義の心で、決して入り込むことなく、ただ気配を伝えるために扉のそばに立つ。だが、その胸の奥には、姫に対する自覚しきれぬ想いが芽吹き始めていた。

やがて扉がノックされ、低い声が聞こえた。
「ルシア姫様……国王陛下より、今夜の婚約の件について、お話があると伺っております」
侍女の声に、姫は小さく息を吐く。覚悟を決める時が来たのだ。

その夜、玉座の間。アルテリス国王の厳かな顔が、姫を迎える。景嵐も、忠義のまま背筋を伸ばして控える。

「ルシア、婚約の儀、一切の異議を認めぬ。」
国王の声は重く、しかしどこか娘を案じる色も混じる。

姫は深く頭を下げ、落ち着いた声で答える。
「はい、父上。わたくしは……アルテリスとオルテアの和平のため、婚約を受け入れる覚悟を決めました」

その言葉に、廷臣たちは一瞬息を呑む。だが姫は続ける。
「ただし、一つお願いがございます。婚約後も、景嵐様には護衛として、わたくしのそばに立っていただきたいのです」

国王の目が鋭く光る。
「……景嵐か。忠義の者だと認めているが、お前に景嵐への気持ちがある以上国益に支障をきたす事はないのか?」

景嵐は微かに目を伏せ、しかし声を慎重に整える。
「国王陛下、私は忠義のまま姫様を護衛いたします。姫様への想いは忠義のみ、決して越えてはなりません」

国王は一瞬考え込み、やがて重く息をついた。
「……なるほど。姫の心は尊重する。しかし、これで国の婚姻の意義に反する事あれば容赦はしない」

姫は顔を上げ、力強く言い切る。
「父上、国のための婚約は守ります。ただし、景嵐様は私の護衛として、これからも近くにおいてください。それが、私の心の安定にもつながります」

玉座の間に沈黙が訪れる。国王はしばらく姫の目を見据えた後、ゆっくりと頷いた。
「……よかろう。条件は受け入れよう。だが、姫よ、心を惑わせることなかれ」

ルシア姫は小さく微笑み、胸の内の安堵と決意をかみしめた。

姫は安堵の微笑を浮かべ、ゆっくりと深く頭を下げた。
「ありがとうございます、父上」

国王は厳しい視線を二人に残しつつ、玉座の間を後にする。その背中に、姫は静かに心の決意を新たにする。

やがて城内は婚約の儀式の準備に取りかかる。夜空にかかる祭りの灯りが、広間の窓越しに差し込み、華やかな雰囲気を演出する。侍女や廷臣たちが慌ただしく動く中、景嵐は姫のそばで一歩後ろに付き、忠義の目を光らせる。

やがて祭壇の前に立つ姫と、オルテア太子を先頭とする使節団が整列する。国王の威厳に満ちた声が、玉座の間に響き渡った。
「本日ここに、アルテリス国とヴェルリカ国の平和を願い、両国の婚約を宣言する」

玉座の間に静寂が訪れる。ルシア姫は胸を張り、目をしっかりと前に向ける。心の奥には景嵐の姿が浮かぶが、表情には微笑を浮かべ、決意を隠さない。

使節団の声に続き、国王は力強く言葉を紡ぐ。
「ルシア、オルテア、両者は今、婚約の儀を行うものとす。平和と繁栄を願い、これを宣言する」

景嵐はその横で、護衛としての任務を改めて胸に刻む。忠義の先に芽生えつつある複雑な想いを抑え込みつつ、姫の安全を守る決意を固める。

ルシア姫は婚約の儀式の中で、表向きは凛として立つ。しかし心の内では、景嵐に対する密かな思いを抱きつつ、新たな責務と覚悟を受け入れる。祭りの灯りの下、二人の間には、目に見えぬ絆と、まだ言葉にしない感情が静かに流れていた。

こうして、ルシア姫の婚約は正式に取り交わされる。景嵐は護衛としての忠義を全うしながらも、彼女の心に触れるたびに、自らの中で揺れ動く感情を抑え込む夜が始まった。


婚約の儀が終わり、城内は祝宴と喧騒に包まれていた。ルシア姫は父王の隣に座し、ヴェルリカ国の使節とともに盃を交わす。景嵐はその後ろに控え、護衛として片時も視線を逸らさなかった。

(……これが、姫様の選ばれた道か)
胸の奥が重く痛んだが、顔には出さぬ。護衛は己を殺し、忠義に徹するものだ。

その夜更け、交代の休息を取るため兵舎に戻った景嵐は、一通の小さな巻物を受け取った。届けたのは見知らぬ少年で、渡すとすぐに人混みに消えていった。巻物の外見はただの市井の書物に過ぎなかったが、解けば見覚えのある筆跡が走っていた。

『我らはアルテリスを発つ。
行き先を告げることはできぬ。
だが、汝もまた己の務めを果たせ。
再び道が交わる時まで―― 藍峯』

景嵐の拳が自然と強く握られる。
「……藍峯殿……」

胸の奥で湧き上がる感情は、ただの忠義や義務ではなかった。
同じ異郷に生きる者として、共に誓いを立てた仲間として――景嵐は藍峯の言葉を胸に刻んだ。

胸の奥で幾度も繰り返す。
――己は姫の護衛として残る。
――藍峯は仲間と共に別の道を行く。

それが、今のそれぞれの役目。

景嵐は静かに巻物を燃やし、灰が夜風に散るのを見届けた。
「……必ず、また会おう」

低く呟き、剣の柄に手を置いた。
姫を守るという務めと、再会への誓いを胸に。

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