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第五章:「魏支国潜入」
第六十一話:「禁苑の魔物」
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雪深い北区へ向かう道は、想像以上に過酷だった。山肌を縫うように続く細い山道に、年中吹き荒れる吹雪が白い幕を張り、視界を遮る。乾いた風が頬を刺すたび、藍峯は上着の襟をぎゅっと立てて身を守った。
道沿いの小さな村に差し掛かると、藍峯は家々の隙間から覗く弱々しい人影に気づく。雪に覆われた屋根の下、体を丸めて震える子どもや老人たち。すぐに懐から薬草袋を取り出し、手渡して歩く。薬草の香りに気づいた者たちは、かすかに顔を上げ、感謝の目を藍峯に向けた。
その中の一人、白髪の老人が藍峯に小さく声をかけた。
「若者よ、禁苑に近づくにつれ……夜な夜な死者の群れが村を襲う、という噂が立っておる……」
藍峯は一瞬、眉をひそめた。老人の言葉には迷信めいた響きがあったが、山深く吹雪が絶えない土地柄、村人たちの恐怖は決して虚構ではないと感じられた。
「死者の群れ……ですか」
藍峯は低くつぶやき、袋の薬草をもう一度握り直す。
「ここから先、何が待ち構えているか、用心せねばならぬな」
老人はさらに小声で続ける。
「禁苑には、人ならぬ魔物が住むという噂も……だが、誰も確かめた者はいない……」
吹雪の音が周囲の声を飲み込み、藍峯の心には静かな緊張が走った。暗く険しい道が続く先、禁苑の恐ろしい姿を思い描きながらも、彼は足を止めず、慎重に山道を進む。
夜を越え、藍峯は凍てつく山道をさらに進む。吹雪は一層強まり、視界は白一色に閉ざされる。雪に覆われた岩肌を踏みしめるたび、靴底が氷に滑る音が響く。
途中、雪の中で倒れかけている旅人を見つける。青ざめた顔に雪が張り付き、息は荒い。藍峯はすぐに自分のマントを広げ、旅人を包む。懐から薬草を取り出し、煎じて作った簡易の湯を差し出すと、旅人はかろうじて頷き、暖を取った。
「ここ北区は、日照も少なく、乾燥と吹雪のせいで病が広がりやすい……」
旅人は弱々しい声で言う。
「禁苑の方から夜になると……死人が動き、村を襲うという噂が……」
藍峯はうなずく。噂めいた言葉ではあるが、実際に夜に村の見回りをする者たちが減っていることは確かだ。人々の恐怖は、何かの予兆を告げているのかもしれない。
「お前も、無理をするな……」
藍峯は湯を飲ませながら、静かに告げる。
「禁苑の近くは、俺自身も慎重に進むつもりだ」
旅人はかすかに笑みを見せ、藍峯に背を向けて雪道を去っていく。
吹雪の中、藍峯は再び歩を進める。北区の山深い地形は、容易に外部から人を受け入れない。道を曲がるたびに、遠くで狼の遠吠えが響き、木々の間を黒い影が滑るように通る。
「禁苑……そこには、一体何が待つのか」
藍峯は低くつぶやき、肩に背負った籠を確かめた。魏支国での調査は、ここからが本番だった。
彼の視線の先、吹雪の向こうに山の稜線がうっすらと見える。そこが、噂に聞く禁苑の入り口に違いなかった。
雪と闇の中、藍峯は慎重に足を踏み出す。人ならぬ何かの存在を、心の奥で確かめながら。
吹雪が幾重にも重なる中、藍峯は禁苑の入り口にたどり着く。木々は枯れ、枝は折れ曲がり、風が通るたびに不気味な音を立てる。雪に覆われた土の色は黒ずみ、まるで生気を失った大地のようだ。
藍峯は肩に籠をかけ、周囲を慎重に観察する。目には見えぬが、感覚が何か異様な気配を捉える。風のざわめきの中に、低く呻くような声が混ざる――人の声ではない。
「……ここが禁苑か」
藍峯は静かに息を整え、足音を抑えながら歩を進める。雪の上に小さな足跡が点々と残っている。人間のものではない形だ。獣か、それとも――
ふと、藍峯の背後で雪がかさりと崩れる音。振り返るが、視界に映るのは揺れる木々の影だけ。しかし、低い唸り声が風に混ざって聞こえる。人ならぬ何かの存在――噂に聞く「魔物」の気配だ。
「まずは状況を把握する……焦るな」
藍峯は籠の中の薬草や食料を確かめ、足跡を追いながら禁苑の深部へ慎重に進む。吹雪のせいで視界は数メートル先までしか届かない。しかし、黒い影が風に混じってちらちらと視界に入る。
雪の中にうっすらと見える岩の裂け目。そこに、低い唸り声とともに、目に見えぬ圧力が漂う。藍峯は覚悟を決め、深呼吸して前へ進む。
「……禁苑の中へ、進む」
吹雪と不気味な気配が交錯する中、藍峯は魔物の存在を確かめながら、一歩一歩、禁苑の核心へと足を踏み入れる。
最初は村人かと思ったが、その姿はぎこちなく、歩き方に意思が感じられない。目は虚ろで、表情は凍りついているかのようだ。
「……人か?」藍峯は息を呑む。
雪の間を進むその群れは、まるで死者が歩いているかのように、一定の間隔で整然と行進していた。風に乗る雪の音が彼らの足音と重なり、異様な静寂を作り出す。
藍峯は足を止め、息をひそめて観察する。群れは人の姿をしているが、そこに意志はない。ただ前へ、前へと歩くだけ。死者の行進――禁苑にまつわる噂は決して誇張ではないことを、藍峯は直感する。
「……人ならざる者たち……」
籠の中の薬草や道具を手に取りつつ、藍峯は慎重に距離を保ち、死者の群れをかいくぐるように前へ進む。夜の吹雪に混ざるその群れの姿は、まるでこの禁苑そのものが生きているかのように、彼の胸に異様な重圧を与える。
藍峯が辺りを見守る中、群れの中に老婆が近づいていった。顔には恐怖と哀しみが入り混じり、震える声で息子の名を呼ぶ。
「ジェンシェン、やっぱりジェンシェンだ!何をやってるんだ!早く帰ろう!」
老婆が必死に「ジェンシェン!」と呼びかける声は、吹雪にかき消されることなく夜気を裂いた。
その瞬間、群れをなしていた死者たちの首が、一斉にぎぎぎ、と音を立てて老婆の方へと向いた。
「……っ!」
次の刹那、彼らは飢えた獣のように飛び掛かり、老婆の細い身体を容赦なく引き裂き始めた。
藍峯の胃が反射的にひっくり返る。喉奥から熱いものが込み上げ、思わずえづいた。
血の匂い。
そして――死んだはずの者が、生者を貪る光景。
藍峯は理解した。
これはただの噂でも、ただの疫病でもない。
この禁苑には、人の理を超えた「何か」が潜んでいる。
そして、その「何か」が、魏支国の暗き秘密に直結しているのだと――。
道沿いの小さな村に差し掛かると、藍峯は家々の隙間から覗く弱々しい人影に気づく。雪に覆われた屋根の下、体を丸めて震える子どもや老人たち。すぐに懐から薬草袋を取り出し、手渡して歩く。薬草の香りに気づいた者たちは、かすかに顔を上げ、感謝の目を藍峯に向けた。
その中の一人、白髪の老人が藍峯に小さく声をかけた。
「若者よ、禁苑に近づくにつれ……夜な夜な死者の群れが村を襲う、という噂が立っておる……」
藍峯は一瞬、眉をひそめた。老人の言葉には迷信めいた響きがあったが、山深く吹雪が絶えない土地柄、村人たちの恐怖は決して虚構ではないと感じられた。
「死者の群れ……ですか」
藍峯は低くつぶやき、袋の薬草をもう一度握り直す。
「ここから先、何が待ち構えているか、用心せねばならぬな」
老人はさらに小声で続ける。
「禁苑には、人ならぬ魔物が住むという噂も……だが、誰も確かめた者はいない……」
吹雪の音が周囲の声を飲み込み、藍峯の心には静かな緊張が走った。暗く険しい道が続く先、禁苑の恐ろしい姿を思い描きながらも、彼は足を止めず、慎重に山道を進む。
夜を越え、藍峯は凍てつく山道をさらに進む。吹雪は一層強まり、視界は白一色に閉ざされる。雪に覆われた岩肌を踏みしめるたび、靴底が氷に滑る音が響く。
途中、雪の中で倒れかけている旅人を見つける。青ざめた顔に雪が張り付き、息は荒い。藍峯はすぐに自分のマントを広げ、旅人を包む。懐から薬草を取り出し、煎じて作った簡易の湯を差し出すと、旅人はかろうじて頷き、暖を取った。
「ここ北区は、日照も少なく、乾燥と吹雪のせいで病が広がりやすい……」
旅人は弱々しい声で言う。
「禁苑の方から夜になると……死人が動き、村を襲うという噂が……」
藍峯はうなずく。噂めいた言葉ではあるが、実際に夜に村の見回りをする者たちが減っていることは確かだ。人々の恐怖は、何かの予兆を告げているのかもしれない。
「お前も、無理をするな……」
藍峯は湯を飲ませながら、静かに告げる。
「禁苑の近くは、俺自身も慎重に進むつもりだ」
旅人はかすかに笑みを見せ、藍峯に背を向けて雪道を去っていく。
吹雪の中、藍峯は再び歩を進める。北区の山深い地形は、容易に外部から人を受け入れない。道を曲がるたびに、遠くで狼の遠吠えが響き、木々の間を黒い影が滑るように通る。
「禁苑……そこには、一体何が待つのか」
藍峯は低くつぶやき、肩に背負った籠を確かめた。魏支国での調査は、ここからが本番だった。
彼の視線の先、吹雪の向こうに山の稜線がうっすらと見える。そこが、噂に聞く禁苑の入り口に違いなかった。
雪と闇の中、藍峯は慎重に足を踏み出す。人ならぬ何かの存在を、心の奥で確かめながら。
吹雪が幾重にも重なる中、藍峯は禁苑の入り口にたどり着く。木々は枯れ、枝は折れ曲がり、風が通るたびに不気味な音を立てる。雪に覆われた土の色は黒ずみ、まるで生気を失った大地のようだ。
藍峯は肩に籠をかけ、周囲を慎重に観察する。目には見えぬが、感覚が何か異様な気配を捉える。風のざわめきの中に、低く呻くような声が混ざる――人の声ではない。
「……ここが禁苑か」
藍峯は静かに息を整え、足音を抑えながら歩を進める。雪の上に小さな足跡が点々と残っている。人間のものではない形だ。獣か、それとも――
ふと、藍峯の背後で雪がかさりと崩れる音。振り返るが、視界に映るのは揺れる木々の影だけ。しかし、低い唸り声が風に混ざって聞こえる。人ならぬ何かの存在――噂に聞く「魔物」の気配だ。
「まずは状況を把握する……焦るな」
藍峯は籠の中の薬草や食料を確かめ、足跡を追いながら禁苑の深部へ慎重に進む。吹雪のせいで視界は数メートル先までしか届かない。しかし、黒い影が風に混じってちらちらと視界に入る。
雪の中にうっすらと見える岩の裂け目。そこに、低い唸り声とともに、目に見えぬ圧力が漂う。藍峯は覚悟を決め、深呼吸して前へ進む。
「……禁苑の中へ、進む」
吹雪と不気味な気配が交錯する中、藍峯は魔物の存在を確かめながら、一歩一歩、禁苑の核心へと足を踏み入れる。
最初は村人かと思ったが、その姿はぎこちなく、歩き方に意思が感じられない。目は虚ろで、表情は凍りついているかのようだ。
「……人か?」藍峯は息を呑む。
雪の間を進むその群れは、まるで死者が歩いているかのように、一定の間隔で整然と行進していた。風に乗る雪の音が彼らの足音と重なり、異様な静寂を作り出す。
藍峯は足を止め、息をひそめて観察する。群れは人の姿をしているが、そこに意志はない。ただ前へ、前へと歩くだけ。死者の行進――禁苑にまつわる噂は決して誇張ではないことを、藍峯は直感する。
「……人ならざる者たち……」
籠の中の薬草や道具を手に取りつつ、藍峯は慎重に距離を保ち、死者の群れをかいくぐるように前へ進む。夜の吹雪に混ざるその群れの姿は、まるでこの禁苑そのものが生きているかのように、彼の胸に異様な重圧を与える。
藍峯が辺りを見守る中、群れの中に老婆が近づいていった。顔には恐怖と哀しみが入り混じり、震える声で息子の名を呼ぶ。
「ジェンシェン、やっぱりジェンシェンだ!何をやってるんだ!早く帰ろう!」
老婆が必死に「ジェンシェン!」と呼びかける声は、吹雪にかき消されることなく夜気を裂いた。
その瞬間、群れをなしていた死者たちの首が、一斉にぎぎぎ、と音を立てて老婆の方へと向いた。
「……っ!」
次の刹那、彼らは飢えた獣のように飛び掛かり、老婆の細い身体を容赦なく引き裂き始めた。
藍峯の胃が反射的にひっくり返る。喉奥から熱いものが込み上げ、思わずえづいた。
血の匂い。
そして――死んだはずの者が、生者を貪る光景。
藍峯は理解した。
これはただの噂でも、ただの疫病でもない。
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