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第五章:「魏支国潜入」
第六十二話:「禁苑の実験場」
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藍峯は禁苑の外れに身を潜め、三日間にわたり死者の群れを観察していた。
それらは夜になると姿を現し、村を襲い、そして朝日が昇り始めると、まるで溶けるように姿を消す。
「……やはり、陽の光に弱いのか」
藍峯は胸中で推測を固める。
四日目の昼、昨夜まで死者が徘徊していた荒れ地を慎重に探索していると、突然背後から鋭い声が飛んだ。
「おい、そこの者! 何をしている!」
振り返れば、黒い官服を纏った男が二人、槍を手にこちらを睨みつけていた。明らかに魏支国の役人だ。
一人が藍峯に歩み寄り、訝しげに目を細める。
「この辺りは立ち入りを禁じられた地だ。旅の者か? それとも……よからぬ目的で近づいたか」
藍峯は心を落ち着け、咄嗟に腰の袋から通行手形を取り出す。
「私はただの旅商人だ。北区へ薬草を探しに来た。通行の許しは、ここに」
役人は手形を乱暴にひったくり、じろじろと目を走らせた。もう一人の役人はなおも藍峯を睨みつけ、声を低くする。
「薬草だと? ……ならば、なぜこの禁苑の外れをうろついている」
周囲には乾いた風が吹きすさび、吹雪に削られた岩肌が露わになっている。
藍峯は内心を悟られぬよう、わざと肩を竦めて答えた。
「道を誤ったのだ。夜に吹雪に見舞われ、野宿を余儀なくされた。……ここが禁地とは知らなかった」
役人の目はなお疑わしげに光り、緊迫した沈黙が流れる――。
役人の一人が鼻を鳴らした。
「……夜に吹雪の中を彷徨った、だと? 怪しいものだ」
もう一人が槍の石突で地面を突き、苛立ちを隠さずに言った。
「禁苑に近づく者は、たとえ旅商人であろうと厳罰に処される。ここで斬り捨てられても文句は言えぬぞ」
藍峯は心を冷やしながらも、平然を装い、腰の袋から小さな包みを取り出した。
それは数枚の銀片――路銀の一部だ。
「……私はただの流れ者。国法に背くつもりなど毛頭ない。どうか見逃してはいただけないだろうか」
銀片が役人の掌に滑り込むと、その眼差しがわずかに緩む。
「ふん……命拾いしたな。次は無いぞ」
通行手形を突き返され、藍峯は恭しく頭を下げる。
「感謝いたします」
役人たちは背を向け、雪煙の向こうに消えていった。
――藍峯は息を詰めたまま立ち尽くす。
(やはり、この地には人に知られてはならぬ何かがある……)
彼はあらためて周囲を見渡した。
荒れ果てた大地に、昨夜死者の群れが蠢いていた痕跡――地面には黒ずんだ染みや、不自然に焼けただれた草が残されていた。
藍峯はその場に片膝をつき、指で掬い上げる。
「……これは、ただの腐敗ではない。薬毒……いや、人為的な術か」
吹雪の音が再び強まる中、彼の胸には確信が芽生えていた。
魏支国の禁苑――そこには、ただの噂以上の闇が潜んでいる。
藍峯はそれからまた三日間、吹雪の夜を耐えながら死者の群れを観察し続けた。
その恐ろしい光景にも、次第に目が慣れていく――はずだった。
だが三日目の夜、彼は群れの中に見覚えのある影を見つけ、凍りついた。
「……まさか……」
それは、数日前に「ジェンシェン」と息子の名を叫び、無残にも群れに呑み込まれていった老婆だった。
今、その身体は白い雪にまみれ、虚ろな瞳を空に向けながら、他の死者と同じように列を成して歩いている。
かつての彼女の声も、慈しみも、すべては消え去り、ただの「屍」となっていた。
藍峯は胸の奥が冷たく締め付けられるのを感じた。
「……死者を喰らい、また死者に変える……。これが禁苑の“実験”なのか」
その背筋を這い上がる戦慄は、これまでの戦場で感じたどの恐怖よりも深いものだった。
吹雪に覆われた北の禁苑――。
藍峯は死者の群れの異様な行進を目にし、その恐怖を胸に刻んだ。
「……この地で何が行われているのか。必ず突き止めねば」
彼は決意を固めると、闇に紛れて禁苑のさらに奥――実験場と噂される方角へと足を進めた。
一方その頃、龍華帝国。
疫病の勢いが落ち着きつつあるとはいえ、民の暮らしは未だ不安に揺れていた。
政庁では王と重臣たちが集まり、各地の報告を整理している。
その場に立つリンと星華の姿もあった。
「南部では新たな発症は見られぬとのことです」
「西の村々も井戸を清めてから落ち着きを取り戻しているようです」
安堵の報告が続く中、星華は手元の帳面を閉じ、ふとリンへ視線を送った。
「けれど……根はまだ絶たれてはいません」
リンも頷く。
「ええ。病の影に魏支国の関わりがあるなら、いつ再び襲ってくるか分からない」
二人の胸には、国境の向こうに向かった藍峯の姿がよぎっていた。
藍峯が魏支国へ旅立ってから幾日かが過ぎた。
市井では隔離所や井戸の整備が進み、疫病の勢いもようやく落ち着きを見せていた。
だが、王宮にいるリンの胸は晴れなかった。
政庁で報告を受けていても、星華と共に王の前で進言していても――ふとした瞬間に藍峯の姿が脳裏をよぎる。
「……藍峯、大丈夫だろうか」
その声に応えるように、廊の影から赤狼が現れた。
「ご心配か」
リンは振り返り、迷いを押し殺すように言葉を続けた。
「赤狼、頼みがある。藍峯の様子を見に行ってほしい。……もし、あと一週間戻らぬようであれば、私自ら魏支国へ赴くと伝えてくれ」
赤狼はしばし黙し、やがて深く頭を垂れた。
「承知しました。あの方もまた、武神に仕える覚悟を持つ者。……ですが、どうかご自身を危険に晒されませぬよう」
リンは静かに頷いた。
「分かっている。だが、仲間を見捨てるわけにはいかない」
赤狼の足音が回廊に消えていく。
残されたリンは、星華のいる方へと歩を進めながら、胸の奥に募る不安を振り払うように拳を握り締めた。
それらは夜になると姿を現し、村を襲い、そして朝日が昇り始めると、まるで溶けるように姿を消す。
「……やはり、陽の光に弱いのか」
藍峯は胸中で推測を固める。
四日目の昼、昨夜まで死者が徘徊していた荒れ地を慎重に探索していると、突然背後から鋭い声が飛んだ。
「おい、そこの者! 何をしている!」
振り返れば、黒い官服を纏った男が二人、槍を手にこちらを睨みつけていた。明らかに魏支国の役人だ。
一人が藍峯に歩み寄り、訝しげに目を細める。
「この辺りは立ち入りを禁じられた地だ。旅の者か? それとも……よからぬ目的で近づいたか」
藍峯は心を落ち着け、咄嗟に腰の袋から通行手形を取り出す。
「私はただの旅商人だ。北区へ薬草を探しに来た。通行の許しは、ここに」
役人は手形を乱暴にひったくり、じろじろと目を走らせた。もう一人の役人はなおも藍峯を睨みつけ、声を低くする。
「薬草だと? ……ならば、なぜこの禁苑の外れをうろついている」
周囲には乾いた風が吹きすさび、吹雪に削られた岩肌が露わになっている。
藍峯は内心を悟られぬよう、わざと肩を竦めて答えた。
「道を誤ったのだ。夜に吹雪に見舞われ、野宿を余儀なくされた。……ここが禁地とは知らなかった」
役人の目はなお疑わしげに光り、緊迫した沈黙が流れる――。
役人の一人が鼻を鳴らした。
「……夜に吹雪の中を彷徨った、だと? 怪しいものだ」
もう一人が槍の石突で地面を突き、苛立ちを隠さずに言った。
「禁苑に近づく者は、たとえ旅商人であろうと厳罰に処される。ここで斬り捨てられても文句は言えぬぞ」
藍峯は心を冷やしながらも、平然を装い、腰の袋から小さな包みを取り出した。
それは数枚の銀片――路銀の一部だ。
「……私はただの流れ者。国法に背くつもりなど毛頭ない。どうか見逃してはいただけないだろうか」
銀片が役人の掌に滑り込むと、その眼差しがわずかに緩む。
「ふん……命拾いしたな。次は無いぞ」
通行手形を突き返され、藍峯は恭しく頭を下げる。
「感謝いたします」
役人たちは背を向け、雪煙の向こうに消えていった。
――藍峯は息を詰めたまま立ち尽くす。
(やはり、この地には人に知られてはならぬ何かがある……)
彼はあらためて周囲を見渡した。
荒れ果てた大地に、昨夜死者の群れが蠢いていた痕跡――地面には黒ずんだ染みや、不自然に焼けただれた草が残されていた。
藍峯はその場に片膝をつき、指で掬い上げる。
「……これは、ただの腐敗ではない。薬毒……いや、人為的な術か」
吹雪の音が再び強まる中、彼の胸には確信が芽生えていた。
魏支国の禁苑――そこには、ただの噂以上の闇が潜んでいる。
藍峯はそれからまた三日間、吹雪の夜を耐えながら死者の群れを観察し続けた。
その恐ろしい光景にも、次第に目が慣れていく――はずだった。
だが三日目の夜、彼は群れの中に見覚えのある影を見つけ、凍りついた。
「……まさか……」
それは、数日前に「ジェンシェン」と息子の名を叫び、無残にも群れに呑み込まれていった老婆だった。
今、その身体は白い雪にまみれ、虚ろな瞳を空に向けながら、他の死者と同じように列を成して歩いている。
かつての彼女の声も、慈しみも、すべては消え去り、ただの「屍」となっていた。
藍峯は胸の奥が冷たく締め付けられるのを感じた。
「……死者を喰らい、また死者に変える……。これが禁苑の“実験”なのか」
その背筋を這い上がる戦慄は、これまでの戦場で感じたどの恐怖よりも深いものだった。
吹雪に覆われた北の禁苑――。
藍峯は死者の群れの異様な行進を目にし、その恐怖を胸に刻んだ。
「……この地で何が行われているのか。必ず突き止めねば」
彼は決意を固めると、闇に紛れて禁苑のさらに奥――実験場と噂される方角へと足を進めた。
一方その頃、龍華帝国。
疫病の勢いが落ち着きつつあるとはいえ、民の暮らしは未だ不安に揺れていた。
政庁では王と重臣たちが集まり、各地の報告を整理している。
その場に立つリンと星華の姿もあった。
「南部では新たな発症は見られぬとのことです」
「西の村々も井戸を清めてから落ち着きを取り戻しているようです」
安堵の報告が続く中、星華は手元の帳面を閉じ、ふとリンへ視線を送った。
「けれど……根はまだ絶たれてはいません」
リンも頷く。
「ええ。病の影に魏支国の関わりがあるなら、いつ再び襲ってくるか分からない」
二人の胸には、国境の向こうに向かった藍峯の姿がよぎっていた。
藍峯が魏支国へ旅立ってから幾日かが過ぎた。
市井では隔離所や井戸の整備が進み、疫病の勢いもようやく落ち着きを見せていた。
だが、王宮にいるリンの胸は晴れなかった。
政庁で報告を受けていても、星華と共に王の前で進言していても――ふとした瞬間に藍峯の姿が脳裏をよぎる。
「……藍峯、大丈夫だろうか」
その声に応えるように、廊の影から赤狼が現れた。
「ご心配か」
リンは振り返り、迷いを押し殺すように言葉を続けた。
「赤狼、頼みがある。藍峯の様子を見に行ってほしい。……もし、あと一週間戻らぬようであれば、私自ら魏支国へ赴くと伝えてくれ」
赤狼はしばし黙し、やがて深く頭を垂れた。
「承知しました。あの方もまた、武神に仕える覚悟を持つ者。……ですが、どうかご自身を危険に晒されませぬよう」
リンは静かに頷いた。
「分かっている。だが、仲間を見捨てるわけにはいかない」
赤狼の足音が回廊に消えていく。
残されたリンは、星華のいる方へと歩を進めながら、胸の奥に募る不安を振り払うように拳を握り締めた。
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