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第五章:「魏支国潜入」
第六十二話:「武神の憂慮」
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赤狼に藍峯への伝言を託した後も、リンの心は落ち着かなかった。
報告書を手に取っても、視線は文字の上を彷徨うばかりで、内容は頭に入ってこない。
そんなリンの様子を見て、星華が静かに声をかけた。
「……リン、顔に出ていますよ」
リンははっとして書簡を置いた。
「……お恥ずかしい限りです、星華様。藍峯のことを思うと、どうしても胸が締め付けられてしまうのです」
星華は机の上の報告書を閉じ、リンの隣に腰を下ろす。
「無理もありません。ですが、あなたがここで揺らいでは、この国を支える柱が崩れてしまいます。藍峯殿もそれを望まぬでしょう」
リンは目を伏せ、拳を握りしめた。
「わかっています……。けれど、あの人が魏支国で何を目にしているのかと想像するだけで――」
星華は穏やかに微笑み、リンの拳にそっと手を添えた。
「焦らずとも良いのです。あなたが『もしもの時には自ら赴く』と決めたのでしょう? ならば今は、民のために尽くしつつ、藍峯殿を信じて待てばよいのです」
リンは深く息を吐き、星華の言葉を胸に落とし込むように頷いた。
「……はい、星華様。おっしゃる通りです。藍峯を信じて待ちましょう」
星華はその表情を見つめながら、心の奥で小さく呟いた。
(……藍峯殿。どうか、リンを裏切らぬように)
王宮の窓の外では、夜の帳が静かに下り始めていた。
その闇の向こう、魏支国の禁苑では、すでに新たな影が蠢いていることを――二人はまだ知らなかった。
⸻
雪煙の中、藍峯は死者の群れの近くを進んでいた。
突然、低いうなり声と共に、群れの中から灰色の狼が飛び出す。
「ぐっ……!」藍峯は体をひねるが、死者の腕が絡みつき、自由が奪われる。生者ならこの一撃で命を落とすところだ。
狼の牙が襲いかかる瞬間、藍峯は腰巻きから小さな筒を取り出した。黒鷹派の秘術──火薬を仕込んだ「閃光玉」である。
「くらえ……!」
筒を投げると火花が散り、閃光と爆音が群れを襲う。死者は動揺せず、なおも迫るが、狼は閃光に驚き、後ずさる。藍峯はその隙に体を翻し、凍てつく雪の地面を蹴って逃れる。
しかし群れは完全には退かない。虎の咆哮が山際から響き、死者の群れがざわめく。藍峯は息を整え、手の中で残りの閃光玉を握りしめた。
「……生者なら一瞬で終わっていた……死者と獣の組み合わせとは……!」
雪煙に消え入りそうな群れの動きを目で追いながら、藍峯は禁苑の秘密を暴く決意を胸に刻む。
その頃、魏支国の王都に赤狼たち一行が辿り着いていた。
街は高い城壁と厳重な門で守られ、通行人の動きもどこか慎重で緊張感が漂う。
赤狼は馬上から目を凝らし、仲間たちに声をかけた。
「藍峯、いったいどこへ行ってしまったのか……」
部下の一人が答える。
「王都に入ったのは間違いありません。しかし、姿は見えません。人混みに紛れてしまったようです」
赤狼は唇を噛み、馬をゆっくり進めながら考えた。
「このままでは、藍峯を見失う……まずは彼が行きそうな場所を一つずつ探すしかない」
街中に散る人々の動き、屋台や路地の影。赤狼の目は細かくそれらを追い、かすかな痕跡でも見逃さないようにしていた。
だが、藍峯の行方は完全に不明。赤狼の胸中に焦燥が広がる。
王都の雑踏の中、赤狼は藍峯の行方を案じながら歩いていた。
突然、背後から軽い足音とともに声がかかる。
「おや、誰かを探しているのかい?」
振り向くと、薄汚れた帽子を深くかぶった男が、にやりと笑いながら立っていた。
「……そうだ。灰色の装束の男だ。中くらいの身長で、歩き方に特徴がある」
赤狼は警戒しつつも、藍峯の風体を詳しく説明する。
男は指をこすり合わせ、声を低くして囁くように言った。
「なるほど……それを知りたいのなら、少し手間賃をもらわねばな」
赤狼は眉をひそめる。
「手間賃だと?」
男はにやりと笑い、小銭入れをちらつかせる。
「そうさ、金だ。情報には価値がある。だが教えよう――灰色の男なら禁苑に向かった。あそこから生きて戻って来た者はいないと聞く」
赤狼は息を飲む。
「禁苑……」
男は肩をすくめ、さらに小銭を差し出すように手を動かす。
「さあ、ささやかな報酬を払えば、もっと詳しい話もしてやるぞ」
赤狼は金を差し出す。男はそれを手に取り、得意げにうなずく。
「ふむ、ではこれ以上の詳細は金を払った者だけの秘密ということでな」
男は人混みに紛れ、すっと姿を消した。
赤狼は残された金と情報を胸に、藍峯の無事を祈らずにはいられなかった。
赤狼は男の言葉を胸に刻みつつ、人混みをかき分けて進む。
禁苑――生きて帰った者はいないという言葉が、頭の中で重く響く。藍峯の身に、何が起きているのか。
「藍峯、無事でいてくれ……」
つぶやきながら赤狼は街の雑踏を抜け、宿屋に足を運んだ。
宿屋の奥の小さな部屋に腰を下ろし、地図を広げる。魏支国の北部、雪深い山岳地帯にその禁苑はある。道中の険しさ、吹き荒ぶ吹雪、そして死者の群れの噂。赤狼の顔には緊張が走る。
「……あそこまで辿り着くのは容易ではないな」
しかし、藍峯が命を賭して何かを探っていると知れば、じっとしていられるはずもない。
赤狼は決意を固め、旅支度を整え始めた。武器を点検し、路銀を確認する。
「何があっても、藍峯を支える……いや、守らねば」
窓の外では夕陽が山肌を赤く染め、雪煙が揺れる。
その向こうに潜む禁苑の影は、まだ誰も知らない恐怖を孕んでいた――藍峯が直面している死者の群れ、そして獣たち。
赤狼の瞳には決意が宿る。
「必ず、無事で戻らせる……!」
雪深い山の向こう、魏支国北部の禁苑では、夜の闇に紛れて藍峯が再び群れと対峙していた。
死者と獣の混合する群れの中で、冷気と恐怖が体を締め付ける。だが彼の目には揺るぎない覚悟がある。黒鷹派の秘術、閃光玉と火薬の知識が、彼の唯一の武器となる。
その眼差しは、死者の群れを見据え、暗い雪煙の中で閃く――
藍峯の戦いは、まだ終わらない。
報告書を手に取っても、視線は文字の上を彷徨うばかりで、内容は頭に入ってこない。
そんなリンの様子を見て、星華が静かに声をかけた。
「……リン、顔に出ていますよ」
リンははっとして書簡を置いた。
「……お恥ずかしい限りです、星華様。藍峯のことを思うと、どうしても胸が締め付けられてしまうのです」
星華は机の上の報告書を閉じ、リンの隣に腰を下ろす。
「無理もありません。ですが、あなたがここで揺らいでは、この国を支える柱が崩れてしまいます。藍峯殿もそれを望まぬでしょう」
リンは目を伏せ、拳を握りしめた。
「わかっています……。けれど、あの人が魏支国で何を目にしているのかと想像するだけで――」
星華は穏やかに微笑み、リンの拳にそっと手を添えた。
「焦らずとも良いのです。あなたが『もしもの時には自ら赴く』と決めたのでしょう? ならば今は、民のために尽くしつつ、藍峯殿を信じて待てばよいのです」
リンは深く息を吐き、星華の言葉を胸に落とし込むように頷いた。
「……はい、星華様。おっしゃる通りです。藍峯を信じて待ちましょう」
星華はその表情を見つめながら、心の奥で小さく呟いた。
(……藍峯殿。どうか、リンを裏切らぬように)
王宮の窓の外では、夜の帳が静かに下り始めていた。
その闇の向こう、魏支国の禁苑では、すでに新たな影が蠢いていることを――二人はまだ知らなかった。
⸻
雪煙の中、藍峯は死者の群れの近くを進んでいた。
突然、低いうなり声と共に、群れの中から灰色の狼が飛び出す。
「ぐっ……!」藍峯は体をひねるが、死者の腕が絡みつき、自由が奪われる。生者ならこの一撃で命を落とすところだ。
狼の牙が襲いかかる瞬間、藍峯は腰巻きから小さな筒を取り出した。黒鷹派の秘術──火薬を仕込んだ「閃光玉」である。
「くらえ……!」
筒を投げると火花が散り、閃光と爆音が群れを襲う。死者は動揺せず、なおも迫るが、狼は閃光に驚き、後ずさる。藍峯はその隙に体を翻し、凍てつく雪の地面を蹴って逃れる。
しかし群れは完全には退かない。虎の咆哮が山際から響き、死者の群れがざわめく。藍峯は息を整え、手の中で残りの閃光玉を握りしめた。
「……生者なら一瞬で終わっていた……死者と獣の組み合わせとは……!」
雪煙に消え入りそうな群れの動きを目で追いながら、藍峯は禁苑の秘密を暴く決意を胸に刻む。
その頃、魏支国の王都に赤狼たち一行が辿り着いていた。
街は高い城壁と厳重な門で守られ、通行人の動きもどこか慎重で緊張感が漂う。
赤狼は馬上から目を凝らし、仲間たちに声をかけた。
「藍峯、いったいどこへ行ってしまったのか……」
部下の一人が答える。
「王都に入ったのは間違いありません。しかし、姿は見えません。人混みに紛れてしまったようです」
赤狼は唇を噛み、馬をゆっくり進めながら考えた。
「このままでは、藍峯を見失う……まずは彼が行きそうな場所を一つずつ探すしかない」
街中に散る人々の動き、屋台や路地の影。赤狼の目は細かくそれらを追い、かすかな痕跡でも見逃さないようにしていた。
だが、藍峯の行方は完全に不明。赤狼の胸中に焦燥が広がる。
王都の雑踏の中、赤狼は藍峯の行方を案じながら歩いていた。
突然、背後から軽い足音とともに声がかかる。
「おや、誰かを探しているのかい?」
振り向くと、薄汚れた帽子を深くかぶった男が、にやりと笑いながら立っていた。
「……そうだ。灰色の装束の男だ。中くらいの身長で、歩き方に特徴がある」
赤狼は警戒しつつも、藍峯の風体を詳しく説明する。
男は指をこすり合わせ、声を低くして囁くように言った。
「なるほど……それを知りたいのなら、少し手間賃をもらわねばな」
赤狼は眉をひそめる。
「手間賃だと?」
男はにやりと笑い、小銭入れをちらつかせる。
「そうさ、金だ。情報には価値がある。だが教えよう――灰色の男なら禁苑に向かった。あそこから生きて戻って来た者はいないと聞く」
赤狼は息を飲む。
「禁苑……」
男は肩をすくめ、さらに小銭を差し出すように手を動かす。
「さあ、ささやかな報酬を払えば、もっと詳しい話もしてやるぞ」
赤狼は金を差し出す。男はそれを手に取り、得意げにうなずく。
「ふむ、ではこれ以上の詳細は金を払った者だけの秘密ということでな」
男は人混みに紛れ、すっと姿を消した。
赤狼は残された金と情報を胸に、藍峯の無事を祈らずにはいられなかった。
赤狼は男の言葉を胸に刻みつつ、人混みをかき分けて進む。
禁苑――生きて帰った者はいないという言葉が、頭の中で重く響く。藍峯の身に、何が起きているのか。
「藍峯、無事でいてくれ……」
つぶやきながら赤狼は街の雑踏を抜け、宿屋に足を運んだ。
宿屋の奥の小さな部屋に腰を下ろし、地図を広げる。魏支国の北部、雪深い山岳地帯にその禁苑はある。道中の険しさ、吹き荒ぶ吹雪、そして死者の群れの噂。赤狼の顔には緊張が走る。
「……あそこまで辿り着くのは容易ではないな」
しかし、藍峯が命を賭して何かを探っていると知れば、じっとしていられるはずもない。
赤狼は決意を固め、旅支度を整え始めた。武器を点検し、路銀を確認する。
「何があっても、藍峯を支える……いや、守らねば」
窓の外では夕陽が山肌を赤く染め、雪煙が揺れる。
その向こうに潜む禁苑の影は、まだ誰も知らない恐怖を孕んでいた――藍峯が直面している死者の群れ、そして獣たち。
赤狼の瞳には決意が宿る。
「必ず、無事で戻らせる……!」
雪深い山の向こう、魏支国北部の禁苑では、夜の闇に紛れて藍峯が再び群れと対峙していた。
死者と獣の混合する群れの中で、冷気と恐怖が体を締め付ける。だが彼の目には揺るぎない覚悟がある。黒鷹派の秘術、閃光玉と火薬の知識が、彼の唯一の武器となる。
その眼差しは、死者の群れを見据え、暗い雪煙の中で閃く――
藍峯の戦いは、まだ終わらない。
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