『天翔(あまかけ)る龍』

キユサピ

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第五章:「魏支国潜入」

第六十三話:「禁苑の昼」

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雪煙が薄れ、北の山々に朝日が差し始めた。藍峯は周囲を見渡し、慎重に一歩を踏み出す。死者の群れは太陽に弱く、夜のうちに潜んでいた場所へ戻ったことを確認していた。

「この時間なら……行ける」

腰の閃光玉や小型の火薬筒を再度点検し、藍峯は足音を抑えつつ禁苑実験場の方角へ進む。雪に覆われた小道を抜け、薄く霧の立ち込める森を行く。北風が乾いた木々の葉を揺らし、静寂の中に獣の低いうなりが混じる。

やがて視界に、人為的な建物群が現れる。木と石で築かれた塀に囲まれ、細い通路や見張り台が点在する。昼間でも警備は厳重だが、死者や獣が姿を見せない隙をつき、藍峯は身を低くして塀の影を伝う。

「中に何があるのか……この目で確かめる」

壁際に設けられた小さな通用口を見つけ、藍峯は施錠を観察する。黒鷹派の技術を応用し、簡易な火薬と道具で静かに錠を解除。扉を開けると、薄暗い通路が続き、実験場内部へと通じていた。

息をひそめて進むと、室内には奇妙な機材や薬品、遠くで何かがうごめく音が聞こえる。窓から差し込む光に照らされた器具は、氷の結晶のように冷たく輝き、異様な雰囲気を漂わせていた。

「……これは……想像以上だ」

藍峯は目を凝らし、実験場の奥へ進む決意を固める。死者と獣の群れの真相、そして魏支国が隠す秘密――すべてをこの目で確かめるために。



一方、魏支国の王都を抜けた赤狼たちは、雪に閉ざされた北の山道を越え、ついに禁苑の入口にたどり着いた。昼間の光が差すとはいえ、山深い土地の冷気と乾燥は容赦なく、肌を刺す。

門前に立つと、異様な静けさが辺りを支配していた。重厚な鉄格子の門扉には錆が残り、赤狼は周囲を警戒しながら仲間に目配せする。

「ここが……禁苑か」低く、緊張を含んだ声。

「間違いない。藍峯殿はこの中にいる可能性が高い」同行者の声が続く。

情報屋からの言葉が頭をよぎる――
――「あの男なら禁苑に向かったぞ。あそこから生きて帰ってきた者はいない」

赤狼は歯を噛みしめ、藍峯の無事を案じる。山奥の施設で、一体何が行われているのか。

赤狼は慎重に扉の隙間から内部を覗き、陰鬱で冷たい空気が漂う禁苑を確認する。

「くれぐれも油断するな。藍峯殿の安否を最優先に行動する」赤狼の指示に、一行は静かに門をくぐり足を踏み入れた。

雪煙をくぐり抜け、目にしたのは昼の光とは異なる、陰鬱で冷たい実験場の光景。昼でも、夜の死者の群れを思わせる不穏さが漂っていた。

赤狼は息を整え、藍峯の足跡を探しながら慎重に探索を開始する。

禁苑の奥にある建物の一室に忍び込むと、棚には薬瓶や薬草、奇妙な器具が並び、机には記録用の帳面が広げられている。蒸留器からは薬液の蒸気が立ち昇り、室内の空気を湿らせる。

赤狼が足音を殺して近づくと、鋭い声が背後から響いた。
「誰だ!」

反射的に振り向くと、白衣を着た研究者風の男が飛び出してきた。灰と煤にまみれた衣服、怒りと驚きが混じる目。

「ここに入る権利があると思うのか!」男は声を張り、手元の薬瓶を盾のように構えた。

赤狼は目配せしつつ低く返す。
「静かにしろ。我々は争いを望んでいない」

しかし男は止まらず、怒声を上げ続ける。
「何者だ! 禁苑に足を踏み入れるなど命知らずめ!」

赤狼は仲間と身を低く構え、一瞬の隙を狙う。

その時、薄暗い通路の奥から藍峯が姿を現した。異変に気づき、実験場に足を踏み入れたのだ。見慣れた顔ぶれ――赤狼一行――が研究員に取り囲まれ、一触即発の状況にあった。

藍峯は一瞬驚くも、冷静さを取り戻す。腰の筒を手に取り、黒鷹派の秘術──煙幕玉を床に転がした。

瞬間、白い煙が部屋を覆い、視界を遮る。研究員たちは手探りで探すが、赤狼たちはすでに煙の向こうへ消えていた。

藍峯は壁際からそっと声をかける。
「ここから先は任せろ。無理に突っ込むな」

煙が薄れる頃には、赤狼一行は安全な位置まで退避していた。

白煙の中、赤狼は息を整え、藍峯に目をやった。


白煙が薄れ、赤狼一行の姿が視界に入った。藍峯は部屋の片隅から静かに歩み寄る。

「お前たち……ここで何をしている。リン様のお側に仕えるよう申し伝えたはずだぞ?」

赤狼は息を整えながらうなずく。
「藍峯殿。リン様が心配している。――もし、一週間戻らぬようなら、リン様自らが直接魏支国に向かう、と伝言を預かっております」

藍峯は短く息を吐き、軽く肩をすくめる。
「なるほど……そういうことか。赤狼、無闇に突っ込んで良い場所ではないぞ。次からは、まず情報を確かめてから行動することだ」

赤狼は頭をかき、仲間たちも息を整える。
「承知しました、藍峯殿。以後は慎重に行動いたします」

藍峯は視線を部屋の奥に向け、調査済みの機材や記録を一瞥する。
「よし、ならばこれで情報は揃った。リン様に報告するためにも、早く撤退するぞ」

赤狼たちは合図を受け、慎重に実験場を後にした。
禁苑の実験場からの脱出に成功した藍峯は、赤狼一行と合流すると、短く状況を確認した。赤狼たちは静かに頷き、互いに息を整えながら雪煙に紛れて施設の外へと進む。

「足音を立てるな、警備に気付かれるな」藍峯が低く声をかける。
赤狼たちはその指示に従い、馬や荷物を慎重に進めながら、雪に覆われた山道を抜けていった。昼間の光が差し込み、死者や獣の影は見えないものの、警備員の巡回や遠くの見張り台に神経を尖らせる。

無事脱出に成功した藍峯と赤狼一行は王都を目指した。

王都までの道中、藍峯は市井で調達した薬草を袋に分け、国境越えに備える。赤狼は周囲を警戒しつつ、馬の歩を整え、市場で適当な食材を調達して進む。

「ここから先は慎重に……」藍峯は言葉少なに告げ、一行は互いに間隔を保ちつつ、山間の森を抜ける。北風が乾いた雪煙を舞わせ、冷気が肌を刺す。赤狼は手綱を握りしめ、藍峯の後に続く。

王都が近づくにつれ、街の喧騒が遠くから聞こえてくる。だが、彼らは目立つことなく、人の目を避けながら目的地へ進む。藍峯は薬草の袋を再確認し、魏支国の国境を越える準備を整える。

「この準備が整えば、警備の目も欺けるはずだ」藍峯が静かに呟くと、赤狼は短く頷き、一行は街の中へと足を踏み出した。
王都を抜け、北の国境を目指す道中、一行の緊張は途切れない。だが、互いに背中を預け合うことで、確かな信頼と覚悟が流れていた。
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