『天翔(あまかけ)る龍』

キユサピ

文字の大きさ
64 / 146
第五章:「魏支国潜入」

第六十三話:「禁苑の昼」

しおりを挟む
雪煙が薄れ、北の山々に朝日が差し始めた。藍峯は周囲を見渡し、慎重に一歩を踏み出す。死者の群れは太陽に弱く、夜のうちに潜んでいた場所へ戻ったことを確認していた。

「この時間なら……行ける」

腰の閃光玉や小型の火薬筒を再度点検し、藍峯は足音を抑えつつ禁苑実験場の方角へ進む。雪に覆われた小道を抜け、薄く霧の立ち込める森を行く。北風が乾いた木々の葉を揺らし、静寂の中に獣の低いうなりが混じる。

やがて視界に、人為的な建物群が現れる。木と石で築かれた塀に囲まれ、細い通路や見張り台が点在する。昼間でも警備は厳重だが、死者や獣が姿を見せない隙をつき、藍峯は身を低くして塀の影を伝う。

「中に何があるのか……この目で確かめる」

壁際に設けられた小さな通用口を見つけ、藍峯は施錠を観察する。黒鷹派の技術を応用し、簡易な火薬と道具で静かに錠を解除。扉を開けると、薄暗い通路が続き、実験場内部へと通じていた。

息をひそめて進むと、室内には奇妙な機材や薬品、遠くで何かがうごめく音が聞こえる。窓から差し込む光に照らされた器具は、氷の結晶のように冷たく輝き、異様な雰囲気を漂わせていた。

「……これは……想像以上だ」

藍峯は目を凝らし、実験場の奥へ進む決意を固める。死者と獣の群れの真相、そして魏支国が隠す秘密――すべてをこの目で確かめるために。



一方、魏支国の王都を抜けた赤狼たちは、雪に閉ざされた北の山道を越え、ついに禁苑の入口にたどり着いた。昼間の光が差すとはいえ、山深い土地の冷気と乾燥は容赦なく、肌を刺す。

門前に立つと、異様な静けさが辺りを支配していた。重厚な鉄格子の門扉には錆が残り、赤狼は周囲を警戒しながら仲間に目配せする。

「ここが……禁苑か」低く、緊張を含んだ声。

「間違いない。藍峯殿はこの中にいる可能性が高い」同行者の声が続く。

情報屋からの言葉が頭をよぎる――
――「あの男なら禁苑に向かったぞ。あそこから生きて帰ってきた者はいない」

赤狼は歯を噛みしめ、藍峯の無事を案じる。山奥の施設で、一体何が行われているのか。

赤狼は慎重に扉の隙間から内部を覗き、陰鬱で冷たい空気が漂う禁苑を確認する。

「くれぐれも油断するな。藍峯殿の安否を最優先に行動する」赤狼の指示に、一行は静かに門をくぐり足を踏み入れた。

雪煙をくぐり抜け、目にしたのは昼の光とは異なる、陰鬱で冷たい実験場の光景。昼でも、夜の死者の群れを思わせる不穏さが漂っていた。

赤狼は息を整え、藍峯の足跡を探しながら慎重に探索を開始する。

禁苑の奥にある建物の一室に忍び込むと、棚には薬瓶や薬草、奇妙な器具が並び、机には記録用の帳面が広げられている。蒸留器からは薬液の蒸気が立ち昇り、室内の空気を湿らせる。

赤狼が足音を殺して近づくと、鋭い声が背後から響いた。
「誰だ!」

反射的に振り向くと、白衣を着た研究者風の男が飛び出してきた。灰と煤にまみれた衣服、怒りと驚きが混じる目。

「ここに入る権利があると思うのか!」男は声を張り、手元の薬瓶を盾のように構えた。

赤狼は目配せしつつ低く返す。
「静かにしろ。我々は争いを望んでいない」

しかし男は止まらず、怒声を上げ続ける。
「何者だ! 禁苑に足を踏み入れるなど命知らずめ!」

赤狼は仲間と身を低く構え、一瞬の隙を狙う。

その時、薄暗い通路の奥から藍峯が姿を現した。異変に気づき、実験場に足を踏み入れたのだ。見慣れた顔ぶれ――赤狼一行――が研究員に取り囲まれ、一触即発の状況にあった。

藍峯は一瞬驚くも、冷静さを取り戻す。腰の筒を手に取り、黒鷹派の秘術──煙幕玉を床に転がした。

瞬間、白い煙が部屋を覆い、視界を遮る。研究員たちは手探りで探すが、赤狼たちはすでに煙の向こうへ消えていた。

藍峯は壁際からそっと声をかける。
「ここから先は任せろ。無理に突っ込むな」

煙が薄れる頃には、赤狼一行は安全な位置まで退避していた。

白煙の中、赤狼は息を整え、藍峯に目をやった。


白煙が薄れ、赤狼一行の姿が視界に入った。藍峯は部屋の片隅から静かに歩み寄る。

「お前たち……ここで何をしている。リン様のお側に仕えるよう申し伝えたはずだぞ?」

赤狼は息を整えながらうなずく。
「藍峯殿。リン様が心配している。――もし、一週間戻らぬようなら、リン様自らが直接魏支国に向かう、と伝言を預かっております」

藍峯は短く息を吐き、軽く肩をすくめる。
「なるほど……そういうことか。赤狼、無闇に突っ込んで良い場所ではないぞ。次からは、まず情報を確かめてから行動することだ」

赤狼は頭をかき、仲間たちも息を整える。
「承知しました、藍峯殿。以後は慎重に行動いたします」

藍峯は視線を部屋の奥に向け、調査済みの機材や記録を一瞥する。
「よし、ならばこれで情報は揃った。リン様に報告するためにも、早く撤退するぞ」

赤狼たちは合図を受け、慎重に実験場を後にした。
禁苑の実験場からの脱出に成功した藍峯は、赤狼一行と合流すると、短く状況を確認した。赤狼たちは静かに頷き、互いに息を整えながら雪煙に紛れて施設の外へと進む。

「足音を立てるな、警備に気付かれるな」藍峯が低く声をかける。
赤狼たちはその指示に従い、馬や荷物を慎重に進めながら、雪に覆われた山道を抜けていった。昼間の光が差し込み、死者や獣の影は見えないものの、警備員の巡回や遠くの見張り台に神経を尖らせる。

無事脱出に成功した藍峯と赤狼一行は王都を目指した。

王都までの道中、藍峯は市井で調達した薬草を袋に分け、国境越えに備える。赤狼は周囲を警戒しつつ、馬の歩を整え、市場で適当な食材を調達して進む。

「ここから先は慎重に……」藍峯は言葉少なに告げ、一行は互いに間隔を保ちつつ、山間の森を抜ける。北風が乾いた雪煙を舞わせ、冷気が肌を刺す。赤狼は手綱を握りしめ、藍峯の後に続く。

王都が近づくにつれ、街の喧騒が遠くから聞こえてくる。だが、彼らは目立つことなく、人の目を避けながら目的地へ進む。藍峯は薬草の袋を再確認し、魏支国の国境を越える準備を整える。

「この準備が整えば、警備の目も欺けるはずだ」藍峯が静かに呟くと、赤狼は短く頷き、一行は街の中へと足を踏み出した。
王都を抜け、北の国境を目指す道中、一行の緊張は途切れない。だが、互いに背中を預け合うことで、確かな信頼と覚悟が流れていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

月弥総合病院

僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

大和型戦艦、異世界に転移する。

焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。 ※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...