『天翔(あまかけ)る龍』

キユサピ

文字の大きさ
74 / 146
第五章:「魏支国潜入」

第七十三話:「死者兵士」

しおりを挟む
 翠弦が雪を押しのけると、下から古びた木の板が現れた。
 彼が慎重に板を外すと、湿った冷気とともに腐臭が立ちのぼる。
 暗い地下室が口を開けていた。

 灯火をかざすと、そこには整然と並ぶ影があった。
 鎧をまとい、武器を抱えた兵士たち——だがその肌は土気色で、瞳は閉ざされている。

「……死者兵士」
 リンが息を呑む。

 藍峯が壁際の装置を指差した。
「符と術具……やはり。夜になると奴らは活動を開始し、夜明けとともにここに戻り休眠する仕組みだ」

 決死隊は息を潜め、部屋の中央を横切る。
 眠る死者兵士の列は、ひとつの咳払いすら命を賭ける緊張を強いた。

 翠弦が周囲を探り、奥に通じる狭い通路を示した。
「抜け道があります。ただし……夜明けが近づけば奴らが戻ってくる。急ぐべきです」

 天翔が青龍刀を握り、静かに頷く。
「一歩でも遅れれば、ここは奴らの巣窟と化す。進め」

 黒鷹派の霧影と余崇が前を、潤騎が後方を固める。
 藍峯は最後尾で装置を一瞥し、低く呟いた。
「もしこの技術が完成すれば……昼夜問わず動く兵が生まれる。そうなれば戦は終わることがない」

 リンは振り返り、短く言った。
「だからこそ、ここで止める」

 死者兵士の眠る部屋を抜け、冷気の吹きすさぶ外へと出る。
 背後では、鎧に霜を纏った兵士たちが、ただ静かに次の夜を待ち続けていた。

決死隊の一人が声を潜める。
「……今のうちに火薬を仕掛けて潰すのはどうだ? ここを破れば奴らも永遠に眠ったまま……」

しかし翠弦が素早く制した。
「待て。見ろ」

彼は入口の岩肌に指を這わせ、小さな刻印と金属片を示した。
「爆薬を用いれば、この封鎖機構が作動する。岩盤を崩すどころか、逆に格納庫を開放する仕掛けだ」

隊士たちが息を呑む。
「つまり……壊そうとすれば、死者兵士を目覚めさせる……」

天翔が低く頷いた。
「魏支の者ども、用意周到だな。我らが焦り、破壊を選べば、それこそ敵の思う壺だ」

雪解け水が岩を滴り落ちる音だけが響く。決死隊は息を殺し、格納庫を背にさらに奥を目指した。
 

決死隊は慎重に奥へ進んだ。
吹雪の残滓(ざんし)に濡れた岩壁を探り、氷の隙間を確かめる。誰もが禁苑の入口を求め、目を凝らした。

だが──幾度も巡っても、ただ冷たい岩と雪があるばかり。
翠弦が深く首を振る。
「……道は、ここにはない」

兵たちの表情に落胆が走った。藍峯が無言で足元の雪を蹴り払い、天翔が短く告げる。
「引くぞ。ここで足止めを食うのは危険だ」

振り返れば、闇に沈む格納庫の木枠が不気味に佇んでいる。
いつ再び開くかも知れぬ死者兵士の巣。
誰もがその場を長く留まることを避け、決死隊は静かにそこを後にした。


藍峯は険しい表情のまま、岩壁をじっと見据えた。
「……おかしい。前に調べたとき、この先に禁苑へ通じる口があったはずだ」

天翔が眉を寄せる。
「だが今は……ただの岩壁だな」

岩肌を叩いても、音は鈍く、隙間はない。雪に埋もれたのではなく、何者かが意図的に塞いだのは明らかだった。

「封鎖された……魏支国が気づいて対策を打ったのか」
藍峯の声には苛立ちと悔しさが滲む。

翠弦が周囲を警戒しながら低く告げた。
「いずれにせよ、この道はもう使えません。別の入口を探すしか」

重苦しい空気の中、決死隊は格納庫を後にし、再び山道へと歩を戻した。

 黒鷹派の数名が散開し、雪と氷に覆われた地形の歪みを調べ始める。
 霧影はしゃがみ込み、氷を慎重に払い落とした。その下には僅かな凹みがあり、そこから冷気が漏れ出している。

「……ここだ。人工的な通風口がある」
 霧影の声に、隊の空気が緊張で張り詰めた。

 霧影が見つけた通風口は、雪に覆われてほとんど隠れていた。だが氷を削るごとに、内側から冷気が強く吹き出し、確かに地下の広がりへと通じていることを示していた。

「自然の風じゃない……地下に空洞があるな」
 翠弦が低く呟く。

 藍峯も身を屈め、手で空気の流れを確かめた。
「これは古い構造物の通気だろう。禁苑本体に繋がっている可能性が高い」

 リンは剣の柄に手を添え、決死隊全員を見渡した。
「……ここが新しい入口への手がかりになる。だが通風口を広げるには音も立つ。敵に気づかれる危険もあるぞ」

 天翔が前に出て、冷静に言い放つ。
「危険を恐れては前に進めん。今は進むしかない」

 黒鷹派の兵が無言で頷き、氷を割り、雪をかき出す作業を始めた。
 やがて、通風口の下に狭い石の階段が現れる。苔むした岩と鉄の枠がその周囲を囲み、かつて人の手によって作られたものだと一目でわかる構造だった。

 霧影がその闇の奥を覗き込み、囁く。
「ここからなら、禁苑の内部に潜入できるはずだ……」

 決死隊の胸に緊張と期待が入り混じる。
 封鎖された旧入口に代わり、新たな道が見え始めていた。

 黒鷹派の探索が続く中、翠弦の横で霧影がふと足を止めた。
 雪に覆われた岩壁に掌をかざし、耳を澄ませる。わずかに冷気の流れが違っていた。

「……ここだな。風が逃げている」

 霧影は低く告げ、雪を払う。すると岩肌の裂け目から、細い通風口が姿を現した。大人の拳ほどの隙間しかなく、通常の兵では到底通れない。

 リンが目を細める。
「これでは兵を通すのは不可能だな」

 霧影は一歩前に出て、薄く笑った。
「俺なら通れる。骨を外せば、肉体を細く折り畳める。……中を確かめてきましょう」

 天翔が眉をひそめる。
「危険だぞ。中に罠があったら——」

「承知の上です。俺の役目でしょう」

 霧影はそう言うと、肩の関節を外すように身をひねり、細い裂け目へと身体を押し込んでいく。骨がわずかに軋む音がしたが、苦悶の色はなく、彼は蛇のようにするりと通風口の奥へ消えた。

 内部は闇に包まれ、湿った空気と薬品の匂いが漂っていた。狭い通路は迷路のように曲がりくねり、霧影は関節を外したまま、体をねじりながら静かに進む。
 やがて、かすかな光と機械音が漏れてくる。霧影は岩の隙間から覗き込み、内部の様子を確かめた。

 そこには鉄格子のような通路があり、奥では奇妙な装置が低く唸りを上げている。管の中を緑色の液体が流れ、時折、人の影らしきものが動いているのが見えた。
「……研究施設か。禁苑に繋がっているのは間違いないな」

 霧影は長居はせず、慎重に通路を引き返す。再び外へ姿を現すと、兵たちは固唾を呑んで待っていた。

 霧影は軽く息を吐き、報告する。
「通風口の先は研究施設の内部だ。兵を通すには狭すぎるが、侵入は可能。あそこからなら、禁苑の心臓部へ繋がるはずだ」

 藍峯が頷き、地面に印をつける。
「つまり、この通風口こそ突破口か……」

 リンは雪を払いつつ剣の柄に手を添えた。
「ならば決死隊を分ける必要がある。潜入する少数と、外で待機し援護する者とに」

 天翔が低く言う。
「どちらも命懸けになるな」

 白い吐息が吹雪の中に溶けていく。決死隊の二十名は互いに視線を交わし、それぞれの覚悟を確かめ合った。
 通風口は小さく、だが確かな突破口であった。彼らはそこから、禁苑の核心へと挑もうとしていた。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

月弥総合病院

僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

大和型戦艦、異世界に転移する。

焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。 ※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...