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第七章:「帝国の影」
第九十五話:「帝威と民の声」
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玲霞を伴い、リンはひそやかに龍華帝国の都を後にした。
まだ朝もやが街並みを包み込む時刻、裏道を選び、馬車ではなく徒歩に近い身軽な旅支度で南の港町を目指す。玲霞は不安を隠せぬ表情で振り返るが、リンは静かに首を横に振るだけだった。
「大丈夫です。烈陽国まで行けば安全が確保できます」
「でも……帝国は、このままで?」
玲霞の問いに、リンは短く息を吐く。
――龍華帝国は広すぎた。
九つを数える支配領域を抱え、その繁栄は一見すると磐石に思える。しかし、各地の豪族や領主は帝都からの干渉を疎ましく感じ始め、密かに独立の旗を掲げようとする動きが芽吹いていた。
帝都で救出劇が繰り広げられていたまさに同じ頃、北方の辺境では「徴税を拒む農村」が現れ、西方の大商人たちは「帝都を通さぬ交易路」を模索していた。
ひとつの巨木が大きく枝葉を広げるほど、根元は揺らぎやすくなる――まさに龍華帝国の現状だった。
やがて、二人は南方の港へ辿り着く。
港には大小の船が並び、潮の香りとともに漁師たちの荒くれ言葉が飛び交っている。烈陽国へ渡るには、ここから海を越えねばならない。
玲霞は波間を見つめ、胸に手を当てた。
「この海を越えたら……もう戻れないのですね」
「戻る必要はないさ玲霞殿の居場所は、私が作る」
リンの声は低くも確かだった。
出航の鐘が鳴る。
帆が大きく膨らみ、船はゆっくりと港を離れていく。
その背後で、帝都の高い城壁が遠ざかっていった。
――龍華帝国の運命は、波間に揺れる小舟のように、不安定さを増していく。
そのただ中で、リンと玲霞の旅路は新たな国――烈陽国へと続いていた。
烈陽国の港に降り立った瞬間、玲霞は眩しさに目を細めた。
空はどこまでも澄み渡り、黄金の太陽が照りつける。白壁と朱塗りの屋根を持つ建物が並び、鮮やかな布を掲げた市場では笑い声が絶えない。龍華帝国の重苦しい空気とは対照的に、烈陽国には活気と解放感が満ちていた。
港に待ち受けていた武官たちは、リンを見るとすぐに姿勢を正し、深く頭を下げた。
「烈陽国は、武神リン殿を歓迎いたします。そして、その伴侶となられるお方も」
玲霞は思わず顔を赤らめ、慌てて首を振った。
「ち、伴侶などでは……」
しかし武官は微笑んだまま、あえて否定しなかった。
二人は城へと案内される。
烈陽国の王城は海風を取り込むように造られ、広間には陽光が差し込み、金と紅を基調とした装飾が映えていた。その奥、双つの座が並ぶ玉座に、夫婦武神が揃って座していた。
天翔は黒曜石のような瞳を持ち、堂々とした体躯に鍛え抜かれた筋肉を纏う。
星華は白銀の髪を結い上げ、柔和な笑みの奥に鋭い眼光を宿していた。二人は立ち上がると、まるで嵐と陽光が同時に迫るような圧を放ちながら歩み寄る。
「遠き海を越え、よくぞ来られたな、龍華の若き武神よ」
天翔の声は雷鳴のごとく響き、広間の柱を震わせた。
星華は玲霞に目を向け、柔らかく手を取った。
「その身に宿る強さと恐れを、私には分かります。ですが心配は要りません。ここは烈陽国、あなたは守られる」
玲霞は胸が熱くなり、言葉を詰まらせながらも深く頭を下げた。
リンは二人を真っ直ぐに見据え、力強く応じる。
「私はこの国で、共に新たな道を拓くつもりです」
広間に集った者たちが一斉に歓声を上げ、烈陽国に新たな風が吹き込んだ瞬間だった。
広間奥の大扉が閉じられると、先ほどの華やかな空気は一転、厳粛な会議の場に変わった。
夫婦武神のほか、烈陽国の重臣たちが円卓に並び、中央には大陸全図を描いた絹布が広げられる。
天翔が地図上の龍華帝国を指差す。
「我らの偵察によれば、龍華帝国ではすでに地方の有力豪族が兵を蓄え、密かに『自立』を口にしている。かつての強大な圧力は薄れ、中央の権威が揺らいでいる」
玲霞は息を呑み、思わず口を開いた。
「……では、帝国は分裂に向かっているのですか?」
星華が頷きつつ、静かに答える。
「必ずしも即座ではありません。しかし腐敗した旧来の勢力と、新たに台頭する豪族の対立は深まる一方。そこに異国の勢力が介入すれば、混乱は加速するでしょう」
リンは地図を睨み、拳を握った。
「龍華はまだ強大です。だが、支配はもはや武力だけでは保てない。私はそれを身をもって知った。玲霞を救い出したときに」
重臣の一人が慎重に言葉を選ぶように口を挟む。
「烈陽国は龍華の影響を受けつつも、独自の道を歩んできました。しかし今後、龍華が乱れれば、我らの選択が問われましょう。武神殿──あなたはどう考えられますか?」
リンは一呼吸置き、はっきりと言った。
「龍華を滅ぼすつもりはないです。ただ、支配の形を変えるべきだと考えている。人々が声を上げ、国がそれを受け止めねば、帝国は自壊するでしょう」
その言葉に夫婦武神は目を細め、互いに一瞬視線を交わす。
やがて天翔が笑みを浮かべた。
「リンよ、そなたは力に溺れぬ。だが理想を語るには敵が多すぎるぞ」
星華は玲霞の肩に手を置き、柔らかに続ける。
「それでも進む覚悟があるのなら……烈陽国は耳を傾けましょう。あなたと、あなたを支える者の声に」
玲霞は強く頷き、リンの横顔を見つめた。
会議の空気は静かだが、その奥に確かな波が生まれていた。
まだ朝もやが街並みを包み込む時刻、裏道を選び、馬車ではなく徒歩に近い身軽な旅支度で南の港町を目指す。玲霞は不安を隠せぬ表情で振り返るが、リンは静かに首を横に振るだけだった。
「大丈夫です。烈陽国まで行けば安全が確保できます」
「でも……帝国は、このままで?」
玲霞の問いに、リンは短く息を吐く。
――龍華帝国は広すぎた。
九つを数える支配領域を抱え、その繁栄は一見すると磐石に思える。しかし、各地の豪族や領主は帝都からの干渉を疎ましく感じ始め、密かに独立の旗を掲げようとする動きが芽吹いていた。
帝都で救出劇が繰り広げられていたまさに同じ頃、北方の辺境では「徴税を拒む農村」が現れ、西方の大商人たちは「帝都を通さぬ交易路」を模索していた。
ひとつの巨木が大きく枝葉を広げるほど、根元は揺らぎやすくなる――まさに龍華帝国の現状だった。
やがて、二人は南方の港へ辿り着く。
港には大小の船が並び、潮の香りとともに漁師たちの荒くれ言葉が飛び交っている。烈陽国へ渡るには、ここから海を越えねばならない。
玲霞は波間を見つめ、胸に手を当てた。
「この海を越えたら……もう戻れないのですね」
「戻る必要はないさ玲霞殿の居場所は、私が作る」
リンの声は低くも確かだった。
出航の鐘が鳴る。
帆が大きく膨らみ、船はゆっくりと港を離れていく。
その背後で、帝都の高い城壁が遠ざかっていった。
――龍華帝国の運命は、波間に揺れる小舟のように、不安定さを増していく。
そのただ中で、リンと玲霞の旅路は新たな国――烈陽国へと続いていた。
烈陽国の港に降り立った瞬間、玲霞は眩しさに目を細めた。
空はどこまでも澄み渡り、黄金の太陽が照りつける。白壁と朱塗りの屋根を持つ建物が並び、鮮やかな布を掲げた市場では笑い声が絶えない。龍華帝国の重苦しい空気とは対照的に、烈陽国には活気と解放感が満ちていた。
港に待ち受けていた武官たちは、リンを見るとすぐに姿勢を正し、深く頭を下げた。
「烈陽国は、武神リン殿を歓迎いたします。そして、その伴侶となられるお方も」
玲霞は思わず顔を赤らめ、慌てて首を振った。
「ち、伴侶などでは……」
しかし武官は微笑んだまま、あえて否定しなかった。
二人は城へと案内される。
烈陽国の王城は海風を取り込むように造られ、広間には陽光が差し込み、金と紅を基調とした装飾が映えていた。その奥、双つの座が並ぶ玉座に、夫婦武神が揃って座していた。
天翔は黒曜石のような瞳を持ち、堂々とした体躯に鍛え抜かれた筋肉を纏う。
星華は白銀の髪を結い上げ、柔和な笑みの奥に鋭い眼光を宿していた。二人は立ち上がると、まるで嵐と陽光が同時に迫るような圧を放ちながら歩み寄る。
「遠き海を越え、よくぞ来られたな、龍華の若き武神よ」
天翔の声は雷鳴のごとく響き、広間の柱を震わせた。
星華は玲霞に目を向け、柔らかく手を取った。
「その身に宿る強さと恐れを、私には分かります。ですが心配は要りません。ここは烈陽国、あなたは守られる」
玲霞は胸が熱くなり、言葉を詰まらせながらも深く頭を下げた。
リンは二人を真っ直ぐに見据え、力強く応じる。
「私はこの国で、共に新たな道を拓くつもりです」
広間に集った者たちが一斉に歓声を上げ、烈陽国に新たな風が吹き込んだ瞬間だった。
広間奥の大扉が閉じられると、先ほどの華やかな空気は一転、厳粛な会議の場に変わった。
夫婦武神のほか、烈陽国の重臣たちが円卓に並び、中央には大陸全図を描いた絹布が広げられる。
天翔が地図上の龍華帝国を指差す。
「我らの偵察によれば、龍華帝国ではすでに地方の有力豪族が兵を蓄え、密かに『自立』を口にしている。かつての強大な圧力は薄れ、中央の権威が揺らいでいる」
玲霞は息を呑み、思わず口を開いた。
「……では、帝国は分裂に向かっているのですか?」
星華が頷きつつ、静かに答える。
「必ずしも即座ではありません。しかし腐敗した旧来の勢力と、新たに台頭する豪族の対立は深まる一方。そこに異国の勢力が介入すれば、混乱は加速するでしょう」
リンは地図を睨み、拳を握った。
「龍華はまだ強大です。だが、支配はもはや武力だけでは保てない。私はそれを身をもって知った。玲霞を救い出したときに」
重臣の一人が慎重に言葉を選ぶように口を挟む。
「烈陽国は龍華の影響を受けつつも、独自の道を歩んできました。しかし今後、龍華が乱れれば、我らの選択が問われましょう。武神殿──あなたはどう考えられますか?」
リンは一呼吸置き、はっきりと言った。
「龍華を滅ぼすつもりはないです。ただ、支配の形を変えるべきだと考えている。人々が声を上げ、国がそれを受け止めねば、帝国は自壊するでしょう」
その言葉に夫婦武神は目を細め、互いに一瞬視線を交わす。
やがて天翔が笑みを浮かべた。
「リンよ、そなたは力に溺れぬ。だが理想を語るには敵が多すぎるぞ」
星華は玲霞の肩に手を置き、柔らかに続ける。
「それでも進む覚悟があるのなら……烈陽国は耳を傾けましょう。あなたと、あなたを支える者の声に」
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