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第八章:「景嵐とルシア」
第百七話:「ルシア姫を守る騎士」
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ルシア姫はセリノアの誇り高き姫でありながら、政略の名の下にヴェルリカに嫁いできた。
だが、国境をめぐる争いでアルテリスとヴェルリカは幾度となく剣を交えてきた歴史がある。民衆にとっては、ルシアは「敵国の象徴」であり、「不幸を呼ぶ異国の女」と烙印を押されていた。
神殿の帰り道、誰かが怒声をあげる。
「異国の姫など信じられるものか!」
「アルテリスの女狐め!」
次の瞬間、石が飛んだ。
景嵐は即座に前へ出る。飛来する石を素手で掴み、握り込んだ瞬間に粉砕する。乾いた破裂音が響き、砕けた破片が砂のように散った。
「……くだらん」
吐き捨てるような声に、人々は一瞬ひるむ。
「俺の前で石を投げるならば、まずはこの拳を砕いてみろ」
続く礫も次々と砕かれていく。民衆の手から落ちた石は、もはやただの小石でしかなかった。
ルシア姫はその背中を見つめ、胸の奥で熱いものが込み上げていた。
景嵐の掌で石が粉と化した瞬間、場の空気が張りつめた。
ルシア姫の前に立つ彼の眼は、烈陽で数多の敵を屠ったときと同じ、氷のような光を放っていた。
次の瞬間、景嵐の身体から重い闘気が迸った。
空気が震え、大地が低く唸る。
「……まだ投げるか?」
言葉と同時に、押し寄せる闘気の奔流に人々の膝が勝手に折れた。
立っていられる者は一人もいない。石を握っていた手から力が抜け、乾いた音を立てて足元に落ちた。
「この方は俺が護る。異国の姫であろうと、この国に嫁いだ以上はヴェルリカの民だ。それを侮ることはこの国の王子を侮ることと同じだ」
景嵐の声は荒々しいが、揺るぎない響きを持っていた。
誰も返すことができず、ただ土に額をすりつけるようにして沈黙するしかなかった。
ルシア姫は、その背中に人知れず涙を零した。
――この人がいてくれる限り、私は一人ではない。
ルシア姫がヴェルリカに嫁いでからというもの、彼女の周囲に注がれる視線はいつも冷ややかだった。
祝福の言葉の裏に潜む嘲笑、食卓に並んで座る妃や王族の婦人たちの囁き、官僚たちの形ばかりの礼。
街に出れば「異国の姫」と陰口を叩かれ、宮廷に戻れば「政略の駒」と扱われる。
――居場所など、どこにも無い。
それでも、姫は毅然と微笑みを崩さなかった。だが景嵐には、その細い指が時折膝の上で震えていることが見えていた。
ただ一人、オルテア皇太子だけは違った。
彼は婚姻に至るまでの経緯をよく理解しており、姫が祖国のために犠牲となったことを知っていた。
「無理をしなくていい。君はこの宮廷で、ありのままでいてほしい」
そう言って寄り添う姿は、政治の駆け引きに塗れた宮廷の中で、わずかな安らぎを与えていた。
景嵐は一歩退いた位置から、その光景を何度も見てきた。
無骨な彼に言葉をかける資格など無い。だが、ルシア姫がその笑顔を支えにしていることを、誰よりも近くで感じていた。
だからこそ――彼女を侮辱する石が宙を飛んだ瞬間、景嵐の拳は迷わずそれを砕いたのだ。
それは主君の命令ではなく、護衛としての職務を超えた、己の意思だった。
ヴェルリカ国は資源を巡って隣国との緊張を高めていた。国策は明確――領土拡大のための戦争。
そのためには、皇太子オルテア自らが戦線に立つことも避けられなかった。
加えて、アルテリスからも多くの兵が供出されることが決まり、ルシア姫の胸をひそませる日々が続いた。
彼女は宮殿の回廊の影で、誰にも気づかれぬよう小さく祈りを捧げていた。
そして旅立ちの日。
甲冑に身を固めたオルテアが、出陣を前に景嵐の前へと歩み出る。
その目に迷いは無い。だが、ほんの一瞬だけ振り返り、ルシア姫を見つめた。
「……景嵐」
「はっ」
短く応じる景嵐に、オルテアは低く、しかし確かな声音で言い残した。
「姫を頼む」
言葉はそれだけだった。だがそこに込められた信頼と願いは、重く景嵐の胸に響いた。
「承知しました」
景嵐は深く頭を垂れ、拳を胸に当てた。
その姿に、ルシア姫の瞳がわずかに潤む。
オルテアはそれ以上は言わず、騎馬へと乗り、戦場へ向かって走り去っていった。
残された宮廷の静寂の中で、ルシア姫の護りを託された景嵐は、己の役目の重さをかみしめていた。
国内は戦への熱に沸き立ち、宮廷も民も浮き足立っていた。
だが、異国から嫁いだルシアの胸には、常に一抹の不安が宿っていた。
その日、彼女は人目を避け、景嵐と共にヴェルリカの外れにある墓地公園を訪れていた。
そこはかつて国を支えた軍人や、先代の王侯貴族たちが眠る静かな場所。
そして何より――オルテアが誰よりも尊敬していた祖父の墓もそこにあった。
ルシアは膝を折り、白い指を組んで祈りを捧げる。
「セリノアの民が無事でありますように……どうか、オルテア様が必ずご無事で……」
その声は震えていたが、切実で澄んでいた。
だが、次の瞬間――。
ゴリッ……と低い音が響き、祖父の墓石に一本の亀裂が走った。
「……っ!」
ルシアは息を呑み、蒼ざめた顔で後ずさった。
「な……なぜ……!? これは、不吉な……」
彼女はオロオロと視線を彷徨わせ、崩れ落ちそうに身体を震わせる。
すかさず景嵐がその肩を支えた。
「姫、お心を乱されませぬよう」
強い掌の温もりに、ルシアの震えは少しずつ鎮まっていった。
彼女は涙ぐみながら景嵐を見上げる。
「で、でも……これは、戦の……何かの……兆しでは……」
景嵐は静かに首を振った。
「たとえ兆しであろうとも、守るべきものは変わりませぬ。
オルテア殿に託されたお言葉――『姫を頼む』。
この命にかえても、必ずお守りいたします。」
その揺るぎない言葉に、ルシアの瞳に再び光が宿り始める。
だが墓石の亀裂は、彼女の胸に重く影を落とし続けていた。
だが、国境をめぐる争いでアルテリスとヴェルリカは幾度となく剣を交えてきた歴史がある。民衆にとっては、ルシアは「敵国の象徴」であり、「不幸を呼ぶ異国の女」と烙印を押されていた。
神殿の帰り道、誰かが怒声をあげる。
「異国の姫など信じられるものか!」
「アルテリスの女狐め!」
次の瞬間、石が飛んだ。
景嵐は即座に前へ出る。飛来する石を素手で掴み、握り込んだ瞬間に粉砕する。乾いた破裂音が響き、砕けた破片が砂のように散った。
「……くだらん」
吐き捨てるような声に、人々は一瞬ひるむ。
「俺の前で石を投げるならば、まずはこの拳を砕いてみろ」
続く礫も次々と砕かれていく。民衆の手から落ちた石は、もはやただの小石でしかなかった。
ルシア姫はその背中を見つめ、胸の奥で熱いものが込み上げていた。
景嵐の掌で石が粉と化した瞬間、場の空気が張りつめた。
ルシア姫の前に立つ彼の眼は、烈陽で数多の敵を屠ったときと同じ、氷のような光を放っていた。
次の瞬間、景嵐の身体から重い闘気が迸った。
空気が震え、大地が低く唸る。
「……まだ投げるか?」
言葉と同時に、押し寄せる闘気の奔流に人々の膝が勝手に折れた。
立っていられる者は一人もいない。石を握っていた手から力が抜け、乾いた音を立てて足元に落ちた。
「この方は俺が護る。異国の姫であろうと、この国に嫁いだ以上はヴェルリカの民だ。それを侮ることはこの国の王子を侮ることと同じだ」
景嵐の声は荒々しいが、揺るぎない響きを持っていた。
誰も返すことができず、ただ土に額をすりつけるようにして沈黙するしかなかった。
ルシア姫は、その背中に人知れず涙を零した。
――この人がいてくれる限り、私は一人ではない。
ルシア姫がヴェルリカに嫁いでからというもの、彼女の周囲に注がれる視線はいつも冷ややかだった。
祝福の言葉の裏に潜む嘲笑、食卓に並んで座る妃や王族の婦人たちの囁き、官僚たちの形ばかりの礼。
街に出れば「異国の姫」と陰口を叩かれ、宮廷に戻れば「政略の駒」と扱われる。
――居場所など、どこにも無い。
それでも、姫は毅然と微笑みを崩さなかった。だが景嵐には、その細い指が時折膝の上で震えていることが見えていた。
ただ一人、オルテア皇太子だけは違った。
彼は婚姻に至るまでの経緯をよく理解しており、姫が祖国のために犠牲となったことを知っていた。
「無理をしなくていい。君はこの宮廷で、ありのままでいてほしい」
そう言って寄り添う姿は、政治の駆け引きに塗れた宮廷の中で、わずかな安らぎを与えていた。
景嵐は一歩退いた位置から、その光景を何度も見てきた。
無骨な彼に言葉をかける資格など無い。だが、ルシア姫がその笑顔を支えにしていることを、誰よりも近くで感じていた。
だからこそ――彼女を侮辱する石が宙を飛んだ瞬間、景嵐の拳は迷わずそれを砕いたのだ。
それは主君の命令ではなく、護衛としての職務を超えた、己の意思だった。
ヴェルリカ国は資源を巡って隣国との緊張を高めていた。国策は明確――領土拡大のための戦争。
そのためには、皇太子オルテア自らが戦線に立つことも避けられなかった。
加えて、アルテリスからも多くの兵が供出されることが決まり、ルシア姫の胸をひそませる日々が続いた。
彼女は宮殿の回廊の影で、誰にも気づかれぬよう小さく祈りを捧げていた。
そして旅立ちの日。
甲冑に身を固めたオルテアが、出陣を前に景嵐の前へと歩み出る。
その目に迷いは無い。だが、ほんの一瞬だけ振り返り、ルシア姫を見つめた。
「……景嵐」
「はっ」
短く応じる景嵐に、オルテアは低く、しかし確かな声音で言い残した。
「姫を頼む」
言葉はそれだけだった。だがそこに込められた信頼と願いは、重く景嵐の胸に響いた。
「承知しました」
景嵐は深く頭を垂れ、拳を胸に当てた。
その姿に、ルシア姫の瞳がわずかに潤む。
オルテアはそれ以上は言わず、騎馬へと乗り、戦場へ向かって走り去っていった。
残された宮廷の静寂の中で、ルシア姫の護りを託された景嵐は、己の役目の重さをかみしめていた。
国内は戦への熱に沸き立ち、宮廷も民も浮き足立っていた。
だが、異国から嫁いだルシアの胸には、常に一抹の不安が宿っていた。
その日、彼女は人目を避け、景嵐と共にヴェルリカの外れにある墓地公園を訪れていた。
そこはかつて国を支えた軍人や、先代の王侯貴族たちが眠る静かな場所。
そして何より――オルテアが誰よりも尊敬していた祖父の墓もそこにあった。
ルシアは膝を折り、白い指を組んで祈りを捧げる。
「セリノアの民が無事でありますように……どうか、オルテア様が必ずご無事で……」
その声は震えていたが、切実で澄んでいた。
だが、次の瞬間――。
ゴリッ……と低い音が響き、祖父の墓石に一本の亀裂が走った。
「……っ!」
ルシアは息を呑み、蒼ざめた顔で後ずさった。
「な……なぜ……!? これは、不吉な……」
彼女はオロオロと視線を彷徨わせ、崩れ落ちそうに身体を震わせる。
すかさず景嵐がその肩を支えた。
「姫、お心を乱されませぬよう」
強い掌の温もりに、ルシアの震えは少しずつ鎮まっていった。
彼女は涙ぐみながら景嵐を見上げる。
「で、でも……これは、戦の……何かの……兆しでは……」
景嵐は静かに首を振った。
「たとえ兆しであろうとも、守るべきものは変わりませぬ。
オルテア殿に託されたお言葉――『姫を頼む』。
この命にかえても、必ずお守りいたします。」
その揺るぎない言葉に、ルシアの瞳に再び光が宿り始める。
だが墓石の亀裂は、彼女の胸に重く影を落とし続けていた。
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