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第八章:「景嵐とルシア」
第百九話:「凱旋」
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戦乱を終えたヴェルリカの都に、凱旋の行列が帰還した。
勝利の旗が翻り、民衆の歓声が街路を揺らす。その中心に立つのは、血煙の中を駆け抜け、敵将を討ち果たした男――景嵐であった。
その姿は誇り高く、武人としての気迫に満ちていた。兵たちが声を合わせ、彼の名を讃えるたび、都の空気はさらに熱を帯びる。
そんな景嵐の姿を、宮廷の階段から見つめる者がいた。ルシア姫である。
政略結婚という冷たい鎖に縛られ、孤独の中に置かれてきた彼女の胸に、込み上げるものがあった。
「……景嵐!」
思わず声をあげ、裳裾を翻して駆け下りる。周囲の視線も忘れ、ただ彼のもとへと走る。
景嵐はその声を聞き取り、人波を割って進み出ると、膝をついて深く頭を垂れた。
「ルシア様……ただいま戻りました。」
その瞬間、抑えていた感情が決壊し、ルシアは彼の胸に飛び込んだ。涙が頬を伝い、無事を喜ぶ心が全てを溶かす。
民衆は一瞬驚いたが、やがて歓声が二人を包み、都は祝福の渦と化した。
だが――その光景を見て、ただ一人だけ顔を歪める者がいた。
第二王子ファルトである。
兄オルテアを失った後、己こそが皇太子の正統な継承者と信じて疑わなかった彼にとって、民衆の心を掴む景嵐の存在は耐え難いものだった。
ルシアが彼に寄せる信頼もまた、嫉妬の炎に油を注いでいた。
(なぜだ……なぜ民も、姫も、この男を見上げる……?)
ファルトの握る拳は白くなり、爪が食い込む。瞳には怒りと妬心が燃え、やがて彼は密かに決意を固めた。
――このままでは終わらせぬ。
あの男を、必ず陥れる。
勝利の凱旋に沸き立つ都。その祝福の影に、暗き陰謀が芽生えようとしていた。
凱旋の太鼓が鳴り響き、街の広場は民衆の歓声で埋め尽くされていた。
戦地から帰還した将兵たちの中でも、景嵐の姿はひときわ大きな声援を集めた。
「景嵐様!」「烈士よ!」「我らの英雄!」
群衆の叫びが空に轟き、その熱は収まる気配を見せなかった。
その光景を、壇上に立つ第二王子ファルトは歯噛みして見つめていた。
「……たかが異国の姫の護衛ごときが、これほど民の心を掴むとは……。」
嫉妬の炎が瞳に宿る。
やがてファルトは声高に告げた。
「皆の者! この景嵐、戦功は確かにある。だが民心を惑わせ、王位を狙う野心があるとすればどうする! 姫と不義を働き、国を乱す気かもしれぬぞ!」
広場にざわめきが走った。
突如突き付けられた「謀反」の疑い。兵らも民も動揺を隠せない。
しかし、その場に立つルシア姫が一歩前に進み出た。
薄紅の衣を翻し、澄んだ声で叫ぶ。
「不義など、決してございません! 景嵐は戦場で常に身を挺して兵を守り、民を守りました。彼なくしてこの勝利はあり得なかったのです!」
彼女の瞳には恐れはなかった。
孤立を強いられてきた姫が、己のすべてを懸けて景嵐を庇った。
続いて、戦地から共に帰還した兵たちが次々と声を上げる。
「我らは見た! 景嵐殿は常に先陣に立ち、決して私欲で剣を振るわぬ!」
「王子様、この方が謀反を企むなどあり得ぬ!」
「この人こそ真の忠義の士だ!」
熱を帯びた声が幾重にも重なり、群衆のざわめきは次第に力強い賛同の声へと変わっていった。
押し寄せる証言に、ファルトの顔は憎悪と屈辱に歪む。
だが公衆の面前でこれ以上押し通すことはできなかった。
「……よかろう。今はその言葉を信じてやる。」
吐き捨てるように言い、ファルトは袖を翻して壇を去った。
人々の胸に残ったのは――英雄景嵐への揺るぎない信頼と、ファルトの嫉妬深き影。
ルシアは胸を撫で下ろし、景嵐へ静かに微笑んだ。
「貴方の忠義は、誰よりも知っています。」
景嵐は深く頭を垂れ、ただ一言だけ応えた。
「……必ず、この命にかけて姫をお守りいたします。」
歓声と拍手が再び広場を包む。
だが遠く、去りゆくファルトの背は、なおも虎視眈々と獲物を狙う獣のように揺れていた。
それから数日後のこと、ヴェルリカ国王アルデリオス三世が倒れたとの報は、瞬く間に宮廷を震撼させた。
豪奢な大広間に運び込まれた王の姿は青ざめ、呼吸は浅く、誰もが最悪の事態を覚悟した。
医師たちの必死の処置により、国王の命は寸でのところで繋がった。だが原因が判明した瞬間、場はざわめきに包まれる。
「これは……アルテリス湾に棲む魚の肝から精製される毒……。ヴェルリカには存在しないものです」
老医師の言葉が空気を凍りつかせた。
その時、声高に叫ぶ者がいた。
「皆の者、聞け! この毒は国外より持ち込まれたものだ! すなわち、アルテリスと密かに通じる者が宮廷内にいるということ!」
一歩前へ進み出たのは、やはりファルトであった。
「怪しいのは誰か? アルテリスに繋がりを持ち得るのは……ルシア姫に他ならぬ! しかもその側に常に寄り添う異国の若造、景嵐! この者らが王の命を狙ったのだ!」
景嵐の手が思わず剣にかかる。しかしその腕をルシアが必死に掴む。
「待ってください、景嵐様。剣で疑いは晴らせません」
しかしファルトは容赦なく畳みかける。
「そなたの忠義とやら、ここで示してみせよ! 潔白を証明できぬならば、この場で捕らえよ!」
その時、戦場で共に戦った兵士たちが進み出た。
「殿下、景嵐殿は我らと共に血を流した! 国王陛下のために命を賭したお方を、謀反人呼ばわりするなどあり得ぬ!」
「我らが証言いたす! 景嵐殿はこの国を救った英雄だ!」
兵たちの声に押されるように、ルシアも毅然と顔を上げる。
「国王陛下の御前に誓います。景嵐様も、私も決して陛下に仇なすことはありません。どうか真実をお見極めください」
勝利の旗が翻り、民衆の歓声が街路を揺らす。その中心に立つのは、血煙の中を駆け抜け、敵将を討ち果たした男――景嵐であった。
その姿は誇り高く、武人としての気迫に満ちていた。兵たちが声を合わせ、彼の名を讃えるたび、都の空気はさらに熱を帯びる。
そんな景嵐の姿を、宮廷の階段から見つめる者がいた。ルシア姫である。
政略結婚という冷たい鎖に縛られ、孤独の中に置かれてきた彼女の胸に、込み上げるものがあった。
「……景嵐!」
思わず声をあげ、裳裾を翻して駆け下りる。周囲の視線も忘れ、ただ彼のもとへと走る。
景嵐はその声を聞き取り、人波を割って進み出ると、膝をついて深く頭を垂れた。
「ルシア様……ただいま戻りました。」
その瞬間、抑えていた感情が決壊し、ルシアは彼の胸に飛び込んだ。涙が頬を伝い、無事を喜ぶ心が全てを溶かす。
民衆は一瞬驚いたが、やがて歓声が二人を包み、都は祝福の渦と化した。
だが――その光景を見て、ただ一人だけ顔を歪める者がいた。
第二王子ファルトである。
兄オルテアを失った後、己こそが皇太子の正統な継承者と信じて疑わなかった彼にとって、民衆の心を掴む景嵐の存在は耐え難いものだった。
ルシアが彼に寄せる信頼もまた、嫉妬の炎に油を注いでいた。
(なぜだ……なぜ民も、姫も、この男を見上げる……?)
ファルトの握る拳は白くなり、爪が食い込む。瞳には怒りと妬心が燃え、やがて彼は密かに決意を固めた。
――このままでは終わらせぬ。
あの男を、必ず陥れる。
勝利の凱旋に沸き立つ都。その祝福の影に、暗き陰謀が芽生えようとしていた。
凱旋の太鼓が鳴り響き、街の広場は民衆の歓声で埋め尽くされていた。
戦地から帰還した将兵たちの中でも、景嵐の姿はひときわ大きな声援を集めた。
「景嵐様!」「烈士よ!」「我らの英雄!」
群衆の叫びが空に轟き、その熱は収まる気配を見せなかった。
その光景を、壇上に立つ第二王子ファルトは歯噛みして見つめていた。
「……たかが異国の姫の護衛ごときが、これほど民の心を掴むとは……。」
嫉妬の炎が瞳に宿る。
やがてファルトは声高に告げた。
「皆の者! この景嵐、戦功は確かにある。だが民心を惑わせ、王位を狙う野心があるとすればどうする! 姫と不義を働き、国を乱す気かもしれぬぞ!」
広場にざわめきが走った。
突如突き付けられた「謀反」の疑い。兵らも民も動揺を隠せない。
しかし、その場に立つルシア姫が一歩前に進み出た。
薄紅の衣を翻し、澄んだ声で叫ぶ。
「不義など、決してございません! 景嵐は戦場で常に身を挺して兵を守り、民を守りました。彼なくしてこの勝利はあり得なかったのです!」
彼女の瞳には恐れはなかった。
孤立を強いられてきた姫が、己のすべてを懸けて景嵐を庇った。
続いて、戦地から共に帰還した兵たちが次々と声を上げる。
「我らは見た! 景嵐殿は常に先陣に立ち、決して私欲で剣を振るわぬ!」
「王子様、この方が謀反を企むなどあり得ぬ!」
「この人こそ真の忠義の士だ!」
熱を帯びた声が幾重にも重なり、群衆のざわめきは次第に力強い賛同の声へと変わっていった。
押し寄せる証言に、ファルトの顔は憎悪と屈辱に歪む。
だが公衆の面前でこれ以上押し通すことはできなかった。
「……よかろう。今はその言葉を信じてやる。」
吐き捨てるように言い、ファルトは袖を翻して壇を去った。
人々の胸に残ったのは――英雄景嵐への揺るぎない信頼と、ファルトの嫉妬深き影。
ルシアは胸を撫で下ろし、景嵐へ静かに微笑んだ。
「貴方の忠義は、誰よりも知っています。」
景嵐は深く頭を垂れ、ただ一言だけ応えた。
「……必ず、この命にかけて姫をお守りいたします。」
歓声と拍手が再び広場を包む。
だが遠く、去りゆくファルトの背は、なおも虎視眈々と獲物を狙う獣のように揺れていた。
それから数日後のこと、ヴェルリカ国王アルデリオス三世が倒れたとの報は、瞬く間に宮廷を震撼させた。
豪奢な大広間に運び込まれた王の姿は青ざめ、呼吸は浅く、誰もが最悪の事態を覚悟した。
医師たちの必死の処置により、国王の命は寸でのところで繋がった。だが原因が判明した瞬間、場はざわめきに包まれる。
「これは……アルテリス湾に棲む魚の肝から精製される毒……。ヴェルリカには存在しないものです」
老医師の言葉が空気を凍りつかせた。
その時、声高に叫ぶ者がいた。
「皆の者、聞け! この毒は国外より持ち込まれたものだ! すなわち、アルテリスと密かに通じる者が宮廷内にいるということ!」
一歩前へ進み出たのは、やはりファルトであった。
「怪しいのは誰か? アルテリスに繋がりを持ち得るのは……ルシア姫に他ならぬ! しかもその側に常に寄り添う異国の若造、景嵐! この者らが王の命を狙ったのだ!」
景嵐の手が思わず剣にかかる。しかしその腕をルシアが必死に掴む。
「待ってください、景嵐様。剣で疑いは晴らせません」
しかしファルトは容赦なく畳みかける。
「そなたの忠義とやら、ここで示してみせよ! 潔白を証明できぬならば、この場で捕らえよ!」
その時、戦場で共に戦った兵士たちが進み出た。
「殿下、景嵐殿は我らと共に血を流した! 国王陛下のために命を賭したお方を、謀反人呼ばわりするなどあり得ぬ!」
「我らが証言いたす! 景嵐殿はこの国を救った英雄だ!」
兵たちの声に押されるように、ルシアも毅然と顔を上げる。
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