113 / 146
第八章:「景嵐とルシア」
第百十二話:「逃れぬ誓い」
しおりを挟む
王の怒声が轟いた玉座の間をあとにしたルシアと景嵐は、しばし無言のまま廊下を歩いた。
国王の言葉は鋭く、冷たく、姫の胸を深く刺していた。
「疫病神め」――その言葉が耳にこびりつき、足取りは重くなる。
やがて人目のない回廊に差しかかった時、景嵐が足を止め、低く囁いた。
「……姫様。このままでは危うい。王の御心は疑いに覆われております。いずれ我らは宮廷の重荷とされ、ヴェルリカの口実にすらされましょう」
ルシアは黙って彼を見上げた。
景嵐の瞳は真剣で、戦場に立つ時と同じ覚悟が宿っている。
「……もしも、この国を離れ、烈陽国に亡命すれば……。あそこは夫婦武神が治める国。正義を尊び、理を守る国です。姫様と私が行けば、必ずや匿ってくださるでしょう」
その言葉に、ルシアの瞳が大きく揺れた。
一瞬、その提案に心が傾きかける。けれどすぐに首を振った。
「それはなりません、景嵐様」
彼女の声は静かだが、凛と張り詰めていた。
「父上の不安を解き、潔白を証明しないままでは……私たちだけが安らぎを得ることなど許されません。もし逃げれば、父上はますます疑いを強め、国は混乱し、ヴェルリカの思うつぼとなりましょう」
「……しかし、姫様がこのままここに留まれば――」
景嵐の言葉を、ルシアはそっと遮る。
「大丈夫です。私は逃げません。たとえ誰に疎まれようとも、真実を証し立てます。それが、この国の姫に生まれた私の務めです」
その表情には涙が滲んでいた。だが、決して崩れはしなかった。
景嵐は沈黙し、やがて深く頭を垂れる。
「……承知しました。ならば私も、この命を懸けて姫様の御心に従いましょう」
二人の影は月灯りの差す石畳に寄り添い、細く、しかし確かに結ばれていた。
ルシアと景嵐は、誰もいない書庫の片隅に身を寄せていた。
古びた蝋燭の灯りが揺れ、積み上げられた巻物が影を落とす。
「……姫様。先日、国王陛下に盛られた毒のことですが」
景嵐が声を潜める。
「アルテリスではすでに禁じられている染料に含まれる毒。それをヴルリカ宮廷に持ち込める者が誰なのか……突き止めねばなりません」
ルシアは静かに頷いた。
「確かに……その毒の存在を知るには、アルテリスの風習に通じていなければなりません」
ふと、景嵐の脳裏に戦場で聞いた兵士たちの噂がよぎる。
――第二王子ファルトの側近に、王宮の衣服を管理する者がいる。その仕立て屋が出す染め物師は、セリオアの出身だと。
「……染め物師」
景嵐の瞳が鋭く光った。
ルシアは小さく息を呑む。
「セリオア……アルテリスの沿岸の町ですね。確かに、そこなら禁じられた染料を扱っていた過去があってもおかしくはありません」
「ええ。あの毒を知り、手に入れられる者は限られている。あの染め物師を追えば……必ず真実に辿り着くはずです」
二人は視線を交わした。
そこに迷いはなかった。
ルシアは裳裾を握りしめ、震える心を抑え込むように言う。
「……参りましょう、景嵐様。父上に潔白を示すために」
景嵐は深く頭を垂れ、剣に手を添える。
「御身を必ずお守りいたします。たとえヴェルリカが我らを敵に回そうとも」
夜風が書庫の窓を叩いた。
二人の決意は密かに交わされ、闇の中で動き始めた――染め物師の影を追うために。
王宮に広がる冷たい視線を避けるように、ルシアと景嵐はひっそりと動いていた。
だが、姫と護衛が表立って調べれば、すぐにファルトやその取り巻きの目に留まる。
「……景嵐様。私たちの力だけでは限界があります」
ルシアは小声で言い、傍らに控える侍女たちを振り返った。
幼い頃から仕えてきた者はおらず、皆ヴェルリカの侍女である。だが、彼女たちは異国の姫を慕い、決して見捨てようとはしなかった。
「姫様のためなら、私どもも働きます」
年若い侍女が、震えながらもきっぱりと頭を下げる。
その姿に、ルシアの胸が温かくなった。
「ありがとう……。では、城下の仕立て屋に出入りする染め物師を探してください。セリオアの言葉を話す者がいるはずです」
数日後――。
夜、薄暗い部屋に集まった侍女たちは、街で得た情報を口々に告げた。
「港近くの染物工房に、確かにセリオア出身の者が働いているそうです」
「ですが……その者は最近姿を見せていないと。噂では、王宮の誰かに呼び出されてから行方が分からなくなったとか」
「呼び出された……?」
景嵐の表情が険しくなる。
「それは誰に?」と問いただすと、侍女は震えながらも答えた。
「……第二王子ファルト様の側近と、町の者たちは言っておりました」
ルシアは唇を噛んだ。
「やはり……」
景嵐は静かに頷き、剣の柄に手を添える。
「証拠を掴ませぬために、口を封じられた可能性が高い。ですが、工房やその周囲にはまだ痕跡が残っているかもしれません」
ルシアは迷いなく言った。
「では、夜明けと共に城下へ参りましょう。染め物師の影を、必ず見つけ出さねばなりません」
こうして姫と景嵐、そして数名の忠実な侍女たちは、ひそやかな探索の一歩を踏み出す。
城下町の闇に潜む陰謀の糸口を掴むために――。
国王の言葉は鋭く、冷たく、姫の胸を深く刺していた。
「疫病神め」――その言葉が耳にこびりつき、足取りは重くなる。
やがて人目のない回廊に差しかかった時、景嵐が足を止め、低く囁いた。
「……姫様。このままでは危うい。王の御心は疑いに覆われております。いずれ我らは宮廷の重荷とされ、ヴェルリカの口実にすらされましょう」
ルシアは黙って彼を見上げた。
景嵐の瞳は真剣で、戦場に立つ時と同じ覚悟が宿っている。
「……もしも、この国を離れ、烈陽国に亡命すれば……。あそこは夫婦武神が治める国。正義を尊び、理を守る国です。姫様と私が行けば、必ずや匿ってくださるでしょう」
その言葉に、ルシアの瞳が大きく揺れた。
一瞬、その提案に心が傾きかける。けれどすぐに首を振った。
「それはなりません、景嵐様」
彼女の声は静かだが、凛と張り詰めていた。
「父上の不安を解き、潔白を証明しないままでは……私たちだけが安らぎを得ることなど許されません。もし逃げれば、父上はますます疑いを強め、国は混乱し、ヴェルリカの思うつぼとなりましょう」
「……しかし、姫様がこのままここに留まれば――」
景嵐の言葉を、ルシアはそっと遮る。
「大丈夫です。私は逃げません。たとえ誰に疎まれようとも、真実を証し立てます。それが、この国の姫に生まれた私の務めです」
その表情には涙が滲んでいた。だが、決して崩れはしなかった。
景嵐は沈黙し、やがて深く頭を垂れる。
「……承知しました。ならば私も、この命を懸けて姫様の御心に従いましょう」
二人の影は月灯りの差す石畳に寄り添い、細く、しかし確かに結ばれていた。
ルシアと景嵐は、誰もいない書庫の片隅に身を寄せていた。
古びた蝋燭の灯りが揺れ、積み上げられた巻物が影を落とす。
「……姫様。先日、国王陛下に盛られた毒のことですが」
景嵐が声を潜める。
「アルテリスではすでに禁じられている染料に含まれる毒。それをヴルリカ宮廷に持ち込める者が誰なのか……突き止めねばなりません」
ルシアは静かに頷いた。
「確かに……その毒の存在を知るには、アルテリスの風習に通じていなければなりません」
ふと、景嵐の脳裏に戦場で聞いた兵士たちの噂がよぎる。
――第二王子ファルトの側近に、王宮の衣服を管理する者がいる。その仕立て屋が出す染め物師は、セリオアの出身だと。
「……染め物師」
景嵐の瞳が鋭く光った。
ルシアは小さく息を呑む。
「セリオア……アルテリスの沿岸の町ですね。確かに、そこなら禁じられた染料を扱っていた過去があってもおかしくはありません」
「ええ。あの毒を知り、手に入れられる者は限られている。あの染め物師を追えば……必ず真実に辿り着くはずです」
二人は視線を交わした。
そこに迷いはなかった。
ルシアは裳裾を握りしめ、震える心を抑え込むように言う。
「……参りましょう、景嵐様。父上に潔白を示すために」
景嵐は深く頭を垂れ、剣に手を添える。
「御身を必ずお守りいたします。たとえヴェルリカが我らを敵に回そうとも」
夜風が書庫の窓を叩いた。
二人の決意は密かに交わされ、闇の中で動き始めた――染め物師の影を追うために。
王宮に広がる冷たい視線を避けるように、ルシアと景嵐はひっそりと動いていた。
だが、姫と護衛が表立って調べれば、すぐにファルトやその取り巻きの目に留まる。
「……景嵐様。私たちの力だけでは限界があります」
ルシアは小声で言い、傍らに控える侍女たちを振り返った。
幼い頃から仕えてきた者はおらず、皆ヴェルリカの侍女である。だが、彼女たちは異国の姫を慕い、決して見捨てようとはしなかった。
「姫様のためなら、私どもも働きます」
年若い侍女が、震えながらもきっぱりと頭を下げる。
その姿に、ルシアの胸が温かくなった。
「ありがとう……。では、城下の仕立て屋に出入りする染め物師を探してください。セリオアの言葉を話す者がいるはずです」
数日後――。
夜、薄暗い部屋に集まった侍女たちは、街で得た情報を口々に告げた。
「港近くの染物工房に、確かにセリオア出身の者が働いているそうです」
「ですが……その者は最近姿を見せていないと。噂では、王宮の誰かに呼び出されてから行方が分からなくなったとか」
「呼び出された……?」
景嵐の表情が険しくなる。
「それは誰に?」と問いただすと、侍女は震えながらも答えた。
「……第二王子ファルト様の側近と、町の者たちは言っておりました」
ルシアは唇を噛んだ。
「やはり……」
景嵐は静かに頷き、剣の柄に手を添える。
「証拠を掴ませぬために、口を封じられた可能性が高い。ですが、工房やその周囲にはまだ痕跡が残っているかもしれません」
ルシアは迷いなく言った。
「では、夜明けと共に城下へ参りましょう。染め物師の影を、必ず見つけ出さねばなりません」
こうして姫と景嵐、そして数名の忠実な侍女たちは、ひそやかな探索の一歩を踏み出す。
城下町の闇に潜む陰謀の糸口を掴むために――。
10
あなたにおすすめの小説
ドマゾネスの掟 ~ドMな褐色少女は僕に責められたがっている~
桂
ファンタジー
探検家の主人公は伝説の部族ドマゾネスを探すために密林の奥へ進むが道に迷ってしまう。
そんな彼をドマゾネスの少女カリナが発見してドマゾネスの村に連れていく。
そして、目覚めた彼はドマゾネスたちから歓迎され、子種を求められるのだった。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる