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第八章:「景嵐とルシア」
第百十三話:「囁きと影の行方」
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アルテリスに戻ったルシアと景嵐は、閉ざされた謁見の間にて途方に暮れていた。
ヴェルリカとは国交が断絶され、国境は固く閉ざされている。城下に出れば怪しまれ、いかなる口実をもってしても通すなとの通達が出回っていると聞く。
「このままでは……何一つ証を掴めません」
景嵐が苦く言うと、ルシアは静かに首を横に振った。
「まだ、手はございます」
呼び寄せられたのは、彼女の身辺に仕える数名の侍女たちであった。
彼女らはもとよりヴェルリカで、婚姻の折に形式だけ与えられた者たち。出自は農村、学もなく、王宮の女官たちからは蔑まれてきた。だがルシアは彼女らを粗末に扱わず、文字を教え、衣食を整え、共に笑い合った。
「私にとって、あなたたちは立派な侍女であり、友でもあります」
その一言が、彼女らの胸に深く刻まれている。だからこそ、婚姻解消でアルテリスへ戻る時も彼女を慕い、自ら付いて来たのだった。
「姫様、どうぞご命令を……私どもに出来ることならば」
ひとりが膝をつき、言葉を震わせた。
ルシアは彼女らを見回し、力強く頷く。
「どうか、城下へ赴いてください。庶民の間に紛れ、噂を探るのです。きっと、真実の糸口が見つかります」
それは命を危険に晒す行いであった。だが侍女たちは迷わず、深々と頭を垂れる。
「姫様のためなら、喜んで」
こうして数日後、彼女らは土埃にまみれた衣を纏い、戻ってきた。
「姫様……聞きました。染め物師の一人が密かにヴェルリカに呼ばれたと……」
「それだけではありません。見慣れぬ毒の顔料が商人の倉庫から運び出されていた、と」
「神殿の奥では、ファルト殿下の名を囁く者さえ……」
侍女たちは口々に報告し、汗に濡れた額を拭う。
ルシアは彼女らの手を一人ずつ取り、深く頷いた。
「よくぞ……戻ってきてくださいました。その勇気を、必ず無駄にはいたしません」
景嵐は黙して報告を聞き終えると、腰の剣に手を添えた。
「これで、道は見えました。必ず奴を追い詰めます」
侍女たちの囁きは、やがて大きな真実の叫びとなり、ファルトを取り囲む網を編み始めていた。
アルテリスの城下に、二人の風変わりな行商人が姿を現した。ひとりは小柄で目の奥に深い闇を宿す青年――霧影。もうひとりは逞しい体躯と獣のような眼光を持つ壮漢――赤狼である。
彼らは色鮮やかな布や薬草を荷車に積み、商人を装いながらも、実際の目的はただひとつ。烈陽国の若き武神・リンの命を帯び、景嵐の元へと密かに辿り着くことだった。
ヴェルリカの第二王子ファルトは、執拗にアルテリスを監視していた。
表立った外交を許さず、交易は小麦と絹織物の僅かな輸出に制限されている。
だが海に面したアルテリスには多様な船が出入りしており、ヴェルリカのような内陸国家にとっては貴重な交易の窓口であった。ファルトがこの地を虎視眈々と狙うのも必然と言えた。
「……なるほどな。奴が仕掛けてきた陰謀も、すべてはその布石か」
景嵐は侍女たちの報告を思い返しながら、拳を固く握った。
その折、密かに導かれた部屋に霧影と赤狼が通された。
「景嵐殿、お初にお目にかかります」
霧影は深々と頭を下げ、懐から封蝋された手紙を取り出す。
「烈陽国の若君――あなたの弟君より託された書簡にございます」
景嵐がそれを受け取ると、赤狼が低い声で言葉を継ぐ。
「表立っては通れぬ道ゆえ、我らは行商人を装いました。だが、いつまでもこうした手立てに頼るわけにはいかぬ。ファルトの目は鋭く、牙は深く入り込んでいる」
景嵐は手紙を胸に収め、静かに頷いた。
「わかっている。だが、いずれ真実を暴き、この不条理を終わらせる。そのためにこそ――お前たちの来訪は力となる」
窓の外では、夕刻の鐘が鳴り響いていた。
それは、迫りくる嵐の予兆を告げる音のようにも思えた。
景嵐が封を切った手紙には、烈陽国の若き武神――弟リンの筆が走っていた。
『兄上の身に災いが迫っていること、藍峯より逐一報を受けております。
ヴェルリカ第二王子ファルトなる者は、執拗にアルテリスを狙い、姫上をも貶めんと策を巡らせています。
私はただ指を咥えて見ているつもりもなく我が腹心の霧影と赤狼を彼らは行商人を装って入国させました。
その眼と刃をもって、必ずやファルトの暗躍を封じ込められあよ。』
一字一句に込められた気迫が、景嵐の胸に響いた。
藍峯――烈陽国の隠密頭。彼の網の目のような情報網が、遠くアルテリスにまで伸びていることを景嵐は改めて悟る。
「……弟よ。」
景嵐は静かに目を閉じ、短く呟いた。
「そなたの支え、確かに受け取った。」
霧影は言葉少なに一礼し、赤狼は腕を組んで低く笑った。
「殿、我らはただ命令を遂行するのみ。ファルトがどれほどの狐でも、牙を折ってみせましょうぞ。」
景嵐はルシアに視線を向けた。
姫は細い指で手紙を撫でながら、静かに言った。
「リン殿下は、兄上のためにここまで……。景嵐様、私たちはもう一人ではありませんね。」
彼女の言葉に、景嵐は深く頷く。
「その通りだ。弟と藍峯、そしてお前を信じる民と侍女たち――すべての力を合わせ、必ずファルトの陰謀を暴く。」
その夜、密やかな誓いが交わされた。
闇の中で動き出した霧影と赤狼。彼らの任務はただの護衛ではない――ヴェルリカの王子ファルトを、暗闇ごと封じ込めることにあった。
ヴェルリカとは国交が断絶され、国境は固く閉ざされている。城下に出れば怪しまれ、いかなる口実をもってしても通すなとの通達が出回っていると聞く。
「このままでは……何一つ証を掴めません」
景嵐が苦く言うと、ルシアは静かに首を横に振った。
「まだ、手はございます」
呼び寄せられたのは、彼女の身辺に仕える数名の侍女たちであった。
彼女らはもとよりヴェルリカで、婚姻の折に形式だけ与えられた者たち。出自は農村、学もなく、王宮の女官たちからは蔑まれてきた。だがルシアは彼女らを粗末に扱わず、文字を教え、衣食を整え、共に笑い合った。
「私にとって、あなたたちは立派な侍女であり、友でもあります」
その一言が、彼女らの胸に深く刻まれている。だからこそ、婚姻解消でアルテリスへ戻る時も彼女を慕い、自ら付いて来たのだった。
「姫様、どうぞご命令を……私どもに出来ることならば」
ひとりが膝をつき、言葉を震わせた。
ルシアは彼女らを見回し、力強く頷く。
「どうか、城下へ赴いてください。庶民の間に紛れ、噂を探るのです。きっと、真実の糸口が見つかります」
それは命を危険に晒す行いであった。だが侍女たちは迷わず、深々と頭を垂れる。
「姫様のためなら、喜んで」
こうして数日後、彼女らは土埃にまみれた衣を纏い、戻ってきた。
「姫様……聞きました。染め物師の一人が密かにヴェルリカに呼ばれたと……」
「それだけではありません。見慣れぬ毒の顔料が商人の倉庫から運び出されていた、と」
「神殿の奥では、ファルト殿下の名を囁く者さえ……」
侍女たちは口々に報告し、汗に濡れた額を拭う。
ルシアは彼女らの手を一人ずつ取り、深く頷いた。
「よくぞ……戻ってきてくださいました。その勇気を、必ず無駄にはいたしません」
景嵐は黙して報告を聞き終えると、腰の剣に手を添えた。
「これで、道は見えました。必ず奴を追い詰めます」
侍女たちの囁きは、やがて大きな真実の叫びとなり、ファルトを取り囲む網を編み始めていた。
アルテリスの城下に、二人の風変わりな行商人が姿を現した。ひとりは小柄で目の奥に深い闇を宿す青年――霧影。もうひとりは逞しい体躯と獣のような眼光を持つ壮漢――赤狼である。
彼らは色鮮やかな布や薬草を荷車に積み、商人を装いながらも、実際の目的はただひとつ。烈陽国の若き武神・リンの命を帯び、景嵐の元へと密かに辿り着くことだった。
ヴェルリカの第二王子ファルトは、執拗にアルテリスを監視していた。
表立った外交を許さず、交易は小麦と絹織物の僅かな輸出に制限されている。
だが海に面したアルテリスには多様な船が出入りしており、ヴェルリカのような内陸国家にとっては貴重な交易の窓口であった。ファルトがこの地を虎視眈々と狙うのも必然と言えた。
「……なるほどな。奴が仕掛けてきた陰謀も、すべてはその布石か」
景嵐は侍女たちの報告を思い返しながら、拳を固く握った。
その折、密かに導かれた部屋に霧影と赤狼が通された。
「景嵐殿、お初にお目にかかります」
霧影は深々と頭を下げ、懐から封蝋された手紙を取り出す。
「烈陽国の若君――あなたの弟君より託された書簡にございます」
景嵐がそれを受け取ると、赤狼が低い声で言葉を継ぐ。
「表立っては通れぬ道ゆえ、我らは行商人を装いました。だが、いつまでもこうした手立てに頼るわけにはいかぬ。ファルトの目は鋭く、牙は深く入り込んでいる」
景嵐は手紙を胸に収め、静かに頷いた。
「わかっている。だが、いずれ真実を暴き、この不条理を終わらせる。そのためにこそ――お前たちの来訪は力となる」
窓の外では、夕刻の鐘が鳴り響いていた。
それは、迫りくる嵐の予兆を告げる音のようにも思えた。
景嵐が封を切った手紙には、烈陽国の若き武神――弟リンの筆が走っていた。
『兄上の身に災いが迫っていること、藍峯より逐一報を受けております。
ヴェルリカ第二王子ファルトなる者は、執拗にアルテリスを狙い、姫上をも貶めんと策を巡らせています。
私はただ指を咥えて見ているつもりもなく我が腹心の霧影と赤狼を彼らは行商人を装って入国させました。
その眼と刃をもって、必ずやファルトの暗躍を封じ込められあよ。』
一字一句に込められた気迫が、景嵐の胸に響いた。
藍峯――烈陽国の隠密頭。彼の網の目のような情報網が、遠くアルテリスにまで伸びていることを景嵐は改めて悟る。
「……弟よ。」
景嵐は静かに目を閉じ、短く呟いた。
「そなたの支え、確かに受け取った。」
霧影は言葉少なに一礼し、赤狼は腕を組んで低く笑った。
「殿、我らはただ命令を遂行するのみ。ファルトがどれほどの狐でも、牙を折ってみせましょうぞ。」
景嵐はルシアに視線を向けた。
姫は細い指で手紙を撫でながら、静かに言った。
「リン殿下は、兄上のためにここまで……。景嵐様、私たちはもう一人ではありませんね。」
彼女の言葉に、景嵐は深く頷く。
「その通りだ。弟と藍峯、そしてお前を信じる民と侍女たち――すべての力を合わせ、必ずファルトの陰謀を暴く。」
その夜、密やかな誓いが交わされた。
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