『天翔(あまかけ)る龍』

キユサピ

文字の大きさ
129 / 146
第九章:「衰退と再生の章」

第百二十八話:「カイリ奪還」

しおりを挟む
「力で民を縛り、象徴を操る……それを支配と呼ぶなら、我らはその鎖を断つ」
リンの声は低く、だが一つ一つの言葉が剣のように鋭かった。

将校はしばし沈黙し、やがて笑った。
「……面白い。ならば見せてもらおう。武神の力とやらを」

その合図と同時に、城門前に並んでいた兵が一斉に槍を突き出し、陣を固めた。
槍の穂先が夕陽を受けて光り、リンと景嵐を取り囲む。

だが二人の表情に一片の揺らぎもない。
景嵐は唇の端をわずかに吊り上げ、戦場に立つとき特有の冷たい覇気を放った。
「久方ぶりに骨のある相手に会えそうだな」

リンは剣を抜き、蒼い刃を煌めかせる。
「……ならば確かめよう。正義なき力が、どれほど脆いかを」

烈陽の二人の武神と、ドレイヴァの軍勢。
緊張は限界に達し、刹那、戦火がはじけ飛ぼうとしていた。
リンと景嵐が並び立ち、風に翻る外套をはためかせて進み出ると、ドレイヴァ軍の前列に並んだ槍兵たちはその一歩にすらたじろいだ。

ただの二人に見える。
だが――その双眸に宿る光を直視した瞬間、兵士たちの背筋は氷柱を突き立てられたかのように凍りついた。

「……な、何だ、この気配は……」
震える声が列の中から漏れる。

景嵐の鋭い眼差しが、まるで全軍を射抜くかのように一瞥をくれる。
その瞬間、槍を握る兵の腕が痙攣し、鉄の槍先がかちゃりと地面を打つ。連鎖するように何人もの兵の槍が震え落ち、戦列はみるみる乱れた。

さらにリンが静かに歩み出ると、周囲の空気が重圧に変わった。
眼差しだけで人の心を見透かし、魂を縛り上げるかのような存在感。
武を極め、武神の理を知る者が放つ“覇気”は、言葉もなく兵たちの心を叩き折っていった。

「ひ、ひぃっ……!」
馬に跨った騎兵のひとりが恐怖に駆られて手綱を引く。だが馬は逆に荒れ狂い、前足を蹴り上げて暴れ出した。
鋼鉄の蹄音が響き、次々と騎馬たちは怯えて暴走し始める。
兵士たちは抑えきれず、隊列は瞬く間に混乱に陥った。

二人はただ、そこに立っているだけだった。
声を荒げるでもなく、武を振るうでもなく。
だが、その存在そのものが軍を崩壊させていく。

「……これが、武神の気配……!」
怯えに満ちた呻きが兵の間から洩れ、ドレイヴァ軍はもはや戦意を保てず、砂塵の中でじりじりと後退を始めた。
混乱の渦に呑まれたドレイヴァ軍だったが、その只中で甲冑をきらめかせた大将が馬上から吠えた。

「怯むな!敵はたった二人だ!進め――進めぇぇッ!」

その声は戦場を震わせ、兵たちの耳に鋭く突き刺さる。
将の威厳に押され、一瞬だけ乱れた陣に秩序が戻るかに見えた。
兵らは必死に槍を構え直し、足を前へと踏み出そうとする。

だが、震える膝は止まらない。
槍を持つ腕は汗で滑り、何度握り直しても力が入らない。
前に出ようとした馬は耳を伏せ、白目を剥き、地面を蹴り荒れ狂った。

「ぐ、動け……動けぇ!」
兵の叫びは自らに言い聞かせる声でしかなかった。

大将の号令に反して、兵たちの本能は明確に告げていた。
――あの二人は、人の手で抗う存在ではない。

リンと景嵐は静かにその様子を見据えていた。
刀を抜くこともなく、ただ立つだけで軍勢の心を砕き続けていた。

大将の声が野に響き渡る。
「進め!恐れるな!たった二人の――」

その叫びをかき消すように、彼の乗る軍馬が突然、前脚を高く振り上げた。
耳は伏せ、口から白い泡を噴き、目は狂気に染まったように大きく見開かれている。
荒れ狂う竜巻の前に晒されたかのように、馬の全身が震えていた。

「な、何をしている!進めっ!」
必死に手綱を引く大将。
だが馬は首を振り、前へ進むどころか後ずさりを繰り返し、ついには地面に腰を落とす。
甲冑の重みに耐えきれず、馬の体が大きく傾いた瞬間、大将は無惨に振り落とされた。

「ぐっ……!」
鎧の音を立てて土に叩きつけられる。
必死に立ち上がろうとするが、膝はまるで他人のもののように言うことをきかない。
地に突いた手も震え、剣を握ることすらままならなかった。

兵たちは息を呑んだ。
勇ましく彼らを叱咤していた大将が、いまや土に這いつくばり立つことすら叶わぬ姿をさらしている。

その前に立つのは――無言のまま、ただ静かに見下ろすリンと景嵐。
二人の眼差しが放つ圧倒的な威、ただそれだけで大将も兵も心を砕かれていた。
土に這いつくばり、震える手で必死に剣を探る大将。
だが、その刃に触れる前に、景嵐が無言のまま一歩、静かに前へ踏み出した。

その瞬間、兵たちの間を冷たい風が駆け抜けたかのように、全身の血が凍りついた。
槍を持つ手は力を失い、刃先は土に突き刺さる。
騎馬たちは嘶きながら後ろへ跳ね、押し合いへし合いして隊列はたちまち乱れた。

「ひ、退け……退けぇっ!」
誰が最初に叫んだのかもわからない。
ただ次の瞬間には、兵の群れ全体が津波のように背を返し、我先にと逃げ散っていた。

残されたのは、地に伏して立つことすらままならぬ大将ただ一人。
その肩越しに、リンと景嵐の影が長く伸びる。

二人は声を発することなく、ただ一瞥を与えたのみであった。
だが、それは万の矛槍よりも重く、烈火の如き一撃よりも恐ろしかった。

大将の瞳は虚ろに揺れ、かすかな呻きを最後に意識を手放した。
その場には、もはや誰一人としてドレイヴァ兵の姿は残っていなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

【短編集】こども病院の日常

moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。 18歳以下の子供が通う病院、 診療科はたくさんあります。 内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc… ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。 恋愛要素などは一切ありません。 密着病院24時!的な感じです。 人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。 ※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。 歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

うちの幼馴染がデレすぎてて俺の理性はもう限界。でも毎日が最高に甘いからもうどうでもいいや

静内燕
恋愛
相沢悠太の日常は、規格外の美少女である幼馴染、白石葵によって完全に支配されている。 朝のモーニングコール(ベッドへのダイブ付き)から始まり、登校中の腕組み、そして「あーん」が義務付けられた手作り弁当。誰もが羨むラブラブっぷりだが、悠太はこれを「家族愛」だと頑なに誤解(無視)している。 「ゆーたは私の運命の相手なんだもん!」と、葵のデレデレは今日も過剰の一途。周囲の冷やかしや、葵を狙う男子生徒のプレッシャーが高まる中、悠太の**「幼馴染フィルター」**はついに限界を迎える。 この溺愛っぷり、いつまで「家族」で通せるのか? 甘すぎる日常が、悠太の鈍感な理性を溶かし尽くす――最初からクライマックスの、超高濃度イチャイチャ・ラブコメ、開幕!

氷河期世代のおじさん異世界に降り立つ!

本条蒼依
ファンタジー
 氷河期世代の大野将臣(おおのまさおみ)は昭和から令和の時代を細々と生きていた。しかし、工場でいつも一人残業を頑張っていたがとうとう過労死でこの世を去る。  死んだ大野将臣は、真っ白な空間を彷徨い神様と会い、その神様の世界に誘われ色々なチート能力を貰い異世界に降り立つ。  大野将臣は異世界シンアースで将臣の将の字を取りショウと名乗る。そして、その能力の錬金術を使い今度の人生は組織や権力者の言いなりにならず、ある時は権力者に立ち向かい、又ある時は闇ギルド五竜(ウーロン)に立ち向かい、そして、神様が護衛としてつけてくれたホムンクルスを最強の戦士に成長させ、昭和の堅物オジサンが自分の人生を楽しむ物語。

至れり尽くせり!僕専用メイドの全員が溺愛してくる件

こうたろ
青春
普通の大学生・佐藤健太は目覚めると、自宅が豪華な洋館に変わり10人の美人メイドたちに「お目覚めですか、ご主人様?」と一斉に迎えられる。いつの間にか彼らの“専属主人”になっていた健太は戸惑う間もなく、朝から晩までメイドたちの超至れり尽くせりな奉仕を受け始める。

処理中です...