偏食の吸血鬼は人狼の血を好む

琥狗ハヤテ

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偏食の吸血鬼は人狼の血を好む・27 (R)

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 何かの音がする。
 電子音だ。
 心地よい微睡なのに…瞼を押し上げる。
「……」
 温かい胸板。頬に触れているそれはゆっくりと息づいている。少し視線を上げると、まばらに生えた顎髭に額が擦れた。
 仰向けで眠るスラッシュ。穏やかな寝顔をしていた。彼の胸を枕に私も眠っていたのだろう。眠りに落ちた記憶はなかったが。
 身じろぎをして半身を起こす。申し訳程度に身体にかかっていたブランケットが肩から滑った。空調は整っていたが、温かい肌から離れたことで、少し肌寒かった。
 ラグと尻がくっついていて、バリ…と小さい音がする。こびりついた体液をそのままにしたのだ。このラグはもうダメだ、使えない。
 いつの間にか電子音は聞こえなくなっていた。
 モバイルだ。どこかで鳴っていた。
 立ちあがろうとする。目が覚めて来ると、あらゆるところがゴワゴワしていることに気づく。
(ああ、ひどいな…これ…、このまま眠るなんて…)
 顔が熱くなるのがわかった。昨夜の性交を思い出したからだ。
 スラッシュと何度も性交した。
 彼に求められ、私も求めた。
 スラッシュは獣じゃないと言ったが私からすれば初めての体験で、どっぷりと欲に溺れた行為に恥ずかしさが込み上げてくる。
(シャワーが浴びたい…)
 まだ眠っているスラッシュを起こさないように立ちあがろうとした。
「…どこに行く」
 掠れた低い声に、ハッとして振り返る。
 スラッシュの隻眼が開き、私を見ていた。
「シャワーに…体…ゴワゴワしているから…」
 何とか動揺しないように、言う。
「……」
 スラッシュの掌が私の頬に触れる。温かいそれが優しく撫でてくる。それだけで情事を思い出しそうになり、より頬が熱くなる。穏やかに私を見ていた赤い瞳が、また瞼に隠れる。そして頬にあった手も、億劫なのかラグの上に落ちた。そしてまたゆっくりとまどろみ始める。
 私はそっとシャワールームに向かった。
 熱めの湯を出すと、湯気ですぐ満たされる。肌にシャワーを流すと、ベタベタのままだった腹や尻や太ももからも、痕跡が消えてゆく。
 痛みも、気だるさもない。
 キスの跡も、噛み跡も。
 まるで昨夜全てが夢だったように。あるのは記憶だけだ。
(キスマークのひとつでも残ればいいんだが…)
 物理的な余韻を残せない自分の身体を少し憎らしく思う。石鹸で綺麗に洗い流せば、一昨日と何ひとつ変わらない。
 髪からもシャンプーを洗い流し、ひと心地をついていると、不意に背後でガラス戸が開いた。
 乱れた髪のまだ少し眠そうなスラッシュが、何の断りもなく裸で入ってくる。
「――…」
 何か言うべきだったんだろうが、あまりにも自然にやって来たものだから、ただ硬直していた。
 スラッシュは私を少し押しやってシャワーの下に立つ。首を伸ばして頭から浴び、心地良さそうに呻いた。暫く身体を擦り流していて、私を何度も穿った雄も自ら洗う。目のやり場に困り途中から壁と対話していた私だが、ふと彼の片手が私の腰に触れ、引き寄せられた。
「もう、全部洗ったのか?」
 言いながら、シャワーの下に私も引き入れる。
「あ? ああ…私はもう…」
「そうか」
「スラッシュもゆっくり、温まるといい…その、疲れただろうし」
「疲れちゃいねえよ。発情も終わったからな、すっきりした」
「す…」
 眼帯のない彼がじっと私を見下ろしている。それは以前と変わらない。変わらないはずなのに…赤い瞳や、声音に今までとは違う何かが混ざっている。
 それが私の心臓を高鳴らせる。
「お前も、跡は何ひとつ残らねえな」
 スラッシュが指の背で、私の胸を撫でた。彼の身体にも、何ひとつ痕跡はない。私は愉悦で彼にしがみついた。幾度も背や腕を強く掴んだし、引っ掻いたのに。
「……だから、愚問だとは思うが」
「え?」
「身体が…痛いとか、辛いとかもねえな?」
「あ、ああ、大丈夫だ」
「そうか、ならいい」
 彼の眉間がほんの少し開く。
 胸をなぞっていた指が顎まで登ってくると、摘まれる。
 ほんの少し持ち上げられると、湯に濡れたままの唇が重ねられた。
 優しく、薄い唇が私の唇を喰む。
 シャワーの音に混じって、チュッ、チュとリップ音がした。
 うっとりするような心地の良い感触で、身をすり寄せ預けてしまいそうになる。
 だが、スラッシュの唇はすぐに離れていった。
「ゆっくり温まってこい。朝飯を作って来る」
 彼は言い踵を返すと、先にガラス戸から出ていった。磨りガラス越しに、タオルを腰に巻いて部屋を出てゆく姿を見送る。
 これ以上シャワーで温まる必要がないくらい、私の身体は火照っていた。


 髪も乾かしてからリビングに戻ると、ラグは丸められてリビング脇に置かれていた。散らばっていた服はソファの背もたれにかけてあり、モバイルはローテーブルに乗っていた。
 スラッシュはキッチンで鍋を覗き込んでいる。木べらを回しながら。けれど服装はブーツを履いて厚手のスエットに上はハイネックのセーターを着ていた。まるでどこかに出かける服装だ。
「スラッシュ、どこかに行くのか?」
 てっきりここにいるものだと思っていたから、慌てて聞く。聞いておきたいことが山ほどある。
 鍋から顔を上げたスラッシュが私を見て、顎で示す。壁にあるモニタには無音だったが街の様子が映されていた。
「雪で交通がダメになってるんだってよ。あっちもこっちも閉鎖だ。ステラの主要な出入り口も、一晩降り続けた雪に閉ざされているらしい……セキュリティの方から手を貸してくれと連絡があった。人狼の手でも借りたいそうだ」
 暫く真っ白な雪に埋もれた街並みをモニタで見ていた。
 私がスラッシュに夢中になっている間に。
 慌ててモバイルを見る。何件も電話がかかり、メールも来ていた。大半は会合のキャンセルや、伺いの連絡だった。セキュリティからもメールは来ていて、雪に埋もれたステラの状況説明や、スラッシュを貸して欲しいという件名もあった。ほったらかしてしまったことに罪悪感を覚える。皆、連絡が取れず困っているだろうに。
「まいったな、まず皆に連絡を…」
 皿に温かいスープを注ぎながら、スラッシュが背後で言う。
「いいから先に飯を食っちまえ。雪はお前でもどうにもならんだろ」
 そう言って、ダイニングに用意された朝食の前に腰を押される。彼はさっさと席に着いてパンをちぎり食べ始めた。ほんの少し急いでるように見えた。
「お前は何故呼ばれたんだ?」
「除雪だ。除雪車を出すゲートが雪で埋もれてるらしい」
「なら、私も…」
「お前は肉体労働にゃ呼ばれてないだろうが。ここで方々の差配してりゃいい」
 いいから早く食えと、私の皿を木のスプーンで叩く。モバイルが気になりながらも食事を始めた。かぼちゃと豆の温かいスープ。ほこほことしてとろけそうだ。ブロッコリーの芯が柔らかく煮つまっていて美味しい。が、味わって食べている時でもない。
 一足先に食事を終えたスラッシュは私を待たずに立ち上がる。皿はそのままにソファにかかっていた厚手の防寒コートを着て手袋を手に持ち「皿の片付けは頼む」と私に言った。
「待て、スラッシュ…」
 私は行ってしまおうとする彼に駆け寄る。
 スラッシュは振り返り、首を傾げた。
「何だ。早く行かねえとリリィに尻を蹴り上げられる」
 私は玄関脇にあるクロゼットを開き、高い棚から黒のニット帽子を取った。
「きっと恐ろしく寒い。耳が痛くなるから」
 手を伸ばして彼の頭に深く被せて、耳まで覆う。
「気をつけて。屋根からの落雪もあるだろうから…後、セキュリティの皆も頼む。私も後でセキュリティルームには顔を出す。連絡はどこにいてもいつでもできるようにしててくれ。困ったことがあったら連絡を。それと…」
 言い募っていると、スラッシュはフッと笑った。
 そして手袋をした手で、私の頬を軽く叩く。
「レオニス」
「え?」
「こういう時はな、キスひとつで送り出すもんだ。覚えとけ」
 そう言うと、そのまま踵を返して玄関扉から出ていった。
 大柄な背中が扉に遮られ見えなくなるまで、私はそれを見ていた。
「キス…、…してもよかったのか…」
 私は、ひとつ学びを得た。

 千年を生きても、知らないことは山ほどある。





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