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偏食の吸血鬼は人狼の血を好む・48
しおりを挟むオリエンタル街の名の由来は、公園が中央にあることだと聞いた。確かに、そこには中華風な東屋が池の周りに連なった散歩道があったが、そこを長閑に歩くものはいない。夜が更けると、違法ドラッグを求める客とバイヤーの商店になる。確かに普通の人間は絶対に近づかないだろう。
公園を取り巻くマンション群はくたびれた佇まいで、壁には落書きが目立つ。貧困層の住む区画と聞いていたが、落伍者が行き着いた場所がここだった…という雰囲気だ。以前の俺なら、姿が隠しやすいと考えるような場所だ。
商店やバーもあるが、表通りの美しさはなく、場末の言葉がしっくりくる。道端に意味もなく屯している奴らは、行き過ぎる余所者をジロジロ見た。
キャップを覗き込もうとする奴がいれば、容赦なく睨め下す。そうすれば離れてゆく奴らが大半だ。
(今や、懐かしさを覚えるな)
俺は長くこんな場所を転々としていた。当初は居心地の良ささえ感じていたが、レオニスと暮らしていた短時間の間に自分の世界を作り変えてしまった。今は、だらしなさを取り繕わなければならない。
安ホテルに入り、部屋を取る。あたりはつけていた。地域内では比較的立地のいい場所だ。だが部屋に大したものは残さない方がいいだろう。数枚の着替えと歯ブラシ。それらが入ったカバンはおいて、すぐに街に出る。
エドから聞いていた地理が役に立った。こんなところで迷子になるわけにはいかない。
中華風な軒のバーに入る。それなりに客は入っている。大した酒は出てこないだろうし、食事に至っては全く期待していなかったが、まずは街の雰囲気を楽しむ必要があった。
色と香りをつけただけのアルコール。食事はブースで食っている奴の料理を見て、頼むのを辞めた。カウンターで酒だけを飲む。耳に入ってくる客の会話を聞いていた。見向きもしない奴もいたが、さっそく俺が余所者だと気づいている奴もいる。だが、カウンターに酒を取りに来た時、俺の潰れた目を見て肝を冷やしたか、それ以上噂話をすることはなかった。
バーの扉はひっきりなしに開いたり閉まったり。そこから見知った顔を見つけた。向こうもすぐに俺を見つけた。手を上げ、近づいてくる。
「そうしていると、初めてお前と会った日を思い出す」
「カヌレ」
黒のスキンヘッドは今日ニット帽の中にあった。
「店で暴れて以来だな」
「奴らは?」
「オーナーが追い出した」
俺は鼻を鳴らす。カヌレが同じものをとバーテンに頼む。一緒に俺はもう一杯を頼み、自分の会計につけさせた。
「羽振がいいんだな」
「こんなクソまずい酒ならいくらでも奢ってやる」
俺がカヌレを呼び出したのだ。当然だろう。
カヌレは長く裏と表の中間で生きている。オリエンタル街でバウンサーを見つけ、面接することもあると聞いていた。奴はロックグラスを傾け飲んだが、表情は別段変わらなかった。
だが店の奴も、客も、俺への警戒心はなくなった。カヌレはスカウトとして顔が売れている。おおかたバウンサーの雇い入れだとでも思ったのだろう。
「どのくらいいるんだ」
「わからん。1週間は見る」
「主人は寂しがらないか」
総帥ではなくそう言うのは配慮か。
「だから早く帰らなきゃならん」
カヌレが店内にあった音声の出ていないモニタを指差す。そこにはニュースが流れていた。映っていたのはレオニスだ。セキュリティに囲まれて建物から車に移動しているところだ。
ニュースはセキュリティの壁がまた厚くなったレオニスが未だマフィアの襲撃を恐れているというようなものだ。何か水面下であったのではと憶測するものでしかなかったが。
俺がレオニスのそばにいないだけの話だ。
「あんなことでニュースになるとはな」
繰り返し映るレオニスの厳しくも美しい顔を眺める。毎日見ていたのに、今は妙に遠く感じた。
「わがままを言って出てきたんだろう、不機嫌なようだ」
「どうしても、自分の目で見たい」
目というより、俺は鼻がきく。においを覚えておきたかった。
「デミは神出鬼没だ、1週間で会えるかわからんぞ」
「そのときは日を伸ばすしかない」
「主人が怒るな」
俺は首を振った。しょうがない。
俺だってレオニスから離れたいわけじゃない。こんなひどいにおいしかしない場所より、金木犀の香りがする奴のそばにいたい。
だが、レオニスのためだ。
ヴァンピールの殺し屋、デミ。
あの写真だけではわからない。実物を見ればわかることもある。話せればよりいい。もちろんレオニスのガードとバレずにできれば1番だ。
だがそれは難しいだろう。
最初で最後だ。
その時、チャンスがあれば。デミを始末してしまうことまで考えていた。
「俺はお前の主人はよく知らんが」
カヌレが言う。
「よく尽くしてるな。よほど主人がいいのか」
俺は何も言わなかった。
「しかしスラッシュ」
「何だ」
「身体は大事にしろよ」
何の話かと思ったが。ああそうか、こいつはレオニスと俺の出会いを見ていたのかもしれない。予想をすることはあったのだろう。…つまり、俺が人間でレオニスの「餌」として生きているという事を。吸血鬼に誘惑され、血を吸われながら駒のように利用されていると危惧しているのだ。
カヌレは俺が人狼とは知らない。
レオニスのことも、ただの吸血鬼の筆頭だとしか知らない。
アイツがどれほど街の平和を望み、民衆を思っているかも。
俺がそんな奴に惚れ、命を捧げたことも。
それを言ったらどんな顔をするだろう。
俺は笑った。
「心配してくれてるのか?」
「店の奴らは無口で不気味なお前を避けていたが、俺は物静かなお前が嫌いじゃなかった。仕事もさぼらないし、作る飯も美味かったしな」
「……ロールキャベツか。1人でいっぺんに食っちまって、他の奴らにどやされてたろ」
「ああ、あれは絶品だった」
カヌレが膝を叩いて思い出したように目を閉じる。
だがふと目を開くと、
「次の大きな取引が2日後に動くと客から聞いた」
そう何でもないふうに言う。
「デミは人が多い公園には行かないと聞く。馴染みの売人がいるはずだ。そいつはマフィアがしっかりついてる奴だから羽振がいいはずだ。店持ちか、いい身なりをしてる可能性がある」
俺は頷き、グラスを空にして立ち上がった。懐を探りチップを指に挟んだが、カヌレは首を振った。
「ロールキャベツ、いつか差し入れしてくれ」
そう言って。
そっちの方が面倒だったが。
カヌレの気遣いと受け取っておいた。
俺はカヌレと別れて店を出た。
ホテルに帰れば、薄い壁の隣からは女の喘ぎが聞こえていた。コートを脱ぎ、安っぽいベッドに放る。窓際のスプリングが軋むソファに腰を下ろし、レオニスに電話をする。
かなり夜が更けていたが、約束だ。
「ニグレド」
数回のコールでレオニスが出た。
「ああ」
「何事もないか?」
「まだ1日も経ってないぞ」
「そうだが」
「まずい酒を飲んで、ホテルに帰ってきたばかりだ。今日はもう寝る」
「そうか」
壁向こうの盛り上がった喘ぎが煩わしい。静かにできないもんか。耳がいいのも困りもんだ。
「お前をニュースで見た」
「世間は私の動向がお気に入りだからな。昼間の番組では私のファッションまで指摘するくらいさ」
「いつも白のスーツばかりなのにか」
レオニスが少し笑う。
「いつも白のスーツだと思ってるのはお前だけだよ、ニグレド」
違ったのか? もちろんネクタイやシャツは違うとわかるが。帰ってからよく見ようと考える。
「もう寝てたか?」
「寝ようとしていた」
ベッドの中で、俺の電話を待っていたのかもしれない。
「だだっ広いベッドだと恋しいだろ」
「……」
レオニスは答えず、すこし鼻を鳴らした。
「お前の部屋のベッドにいるから、いつもほどは広くない」
今度は俺が黙り込んだ。
今すぐペントハウスに帰りたくなる。
「冗談だ」
笑い声と共に、レオニスが言う。
薄暗い部屋の中で眉を顰めた。
「質が悪い」
「そうか?」
「そうさ」
不貞腐れて言うとレオニスは笑った後……
「お前が恋しいのは、確かだ」
そう艶やかに言った。
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