偏食の吸血鬼は人狼の血を好む

琥狗ハヤテ

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偏食の吸血鬼は人狼の血を好む・60

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 瞼が重い。
 瞬きをしているのか、ただ瞼が震えているだけかわからない。異常に狭い視界に焦燥感が募る。
 未だに身体は鉛のように重い。体内に何か異質なものが流れ込んでいる。それが俺を酩酊させている。息さえ苦しい。器官が総動員して異物を排出しようと争っている。だが同時に肉体を守るために心臓の鼓動は酷くゆっくりだった。
「……」
 金属の音。何とか動かした足と手に鎖がかけられていた。その音に気づいた何者かが近づいてくる。足音というより振動がする。俺は床に倒れていることを悟る。
「すげぇ、人狼ってのはここまでしても動けんのか」
 水の中にいるようなくぐもった声が、聞こえる。手足が冷たい。身体を駆け巡る異質な液体に冷やされている。
 おそらく、ドラッグ。
 それを常に流し込まれている。注射で打たれたくらいならすぐに分解されてしまうが、ずっと身体に入れられ続ければ、代謝は追いつかなくなる。……俺の体がドラッグに馴染んで、無効化できるまでは時間がかかる。
 目覚めたのは、適応が少し進んだ証拠だろう。
 低下した思考力で、何とか周囲を把握しようと目を動かした。
 自分の腕と足が見える。左腕は血で汚れていた。
 そうだ、奴らに手首から切り落とされ承認キーを奪われた。手はすでについているようだったが、治りが遅い…指先は白んで血の巡りが悪そうだった。
 靴は脱がされ、足の甲にも点滴の針が入っている。着ていたジャケットはない。シャツにスエットだけ。
 暗く感じるのは俺の目のせいかもしれない。コンクリートがむき出しの壁と床。窓はない。粗末な椅子と机があり、数人の気配がする。腐った血の匂いがした。
「人なら致死量のオーバードーズでも目覚めんのか、こいつマジでバケモノなんだな」
 肩を踏まれた。
 やはりあの警察の計画は罠だった。
 目当ては俺か。俺を囮にしてレオニスを誘き寄せる魂胆か。クソみたいなマフィアが考えることはいつだって自分のねじ曲がったプライドの主張。そのために密輸品を犠牲にしてまで。ただひとり、レオニスに有効な「餌」である俺を捕えるために。
 鉄が軋む音がした。扉が開く音だ。
 硬い革靴の音。
 視界にそれが入る。磨かれた尖った革靴だ。
「すばらしい…」
 声はアレッシのものだった。顔は起こせず見上げることはまだできなかった。
「デミが言ったことは正しかったわけだ。いくら不死身でも強いドラッグを入れ続ければ…無効化できると」
 高揚した声。肩を蹴飛ばされ、横倒しだった身体が上を向く。ようやく視界にアレッシの顔が入った。憤りに吐き気を覚える。
 肉体の順応は進んできている。指先に熱を感じ始めた。
 だが俺は隙をつくためにまだ朦朧としている風を装う。抗ってこの段階で拷問でも受けると厄介だ。さすがにあっちもこっちもと再生は追いつかなくなる。
「何故自分がと思ってるんだろうな、ガードの人狼。マフィアはレオニスを目の敵にしているんじゃなかったのかと。まぁ、それも間違いではないし、奴からお前を奪い取れたのは心底心地いいが…」
 下衆野郎め。
 剥きそうになる歯を何とか押し留める。
 アレッシが部下に運ばせた椅子に座る。でっぷりとした腹が揺れるのさえ、今は腹立たしい。
「俺が欲しかったのはお前だ、ガード。そりゃあもう喉から手が出るほどにな。…お前は自分の価値をわかっちゃいない。この世で最期の人狼だぞ? あの吸血鬼共よりも更に希少性がある!」
 俺は反抗的な目を向けた。やはり、俺の素性はばれていた。どこからとも思ったが、今それを頓着ている場合でもない。
 肉体の順応は進んでいるが、より確実な力が欲しい。アレッシの肉にたるんだ首を、一撃で噛み砕けるほどの。
 気分がいいのかアレッシは笑った。
「災害前、昔からマフィアが人狼を飼い慣らしていたのは知っているな? 恐怖の象徴として、歴代の名だたるボスは躍起になって人狼を手に入れていた。著名なドンは1人で数人の人狼を抱えたりもした」
 まさか、そんなお飾りにするために俺を攫ったと言うのか? 馬鹿馬鹿しい。人狼は自分のために生きる。そして唯一愛を託した者のために尽くす。昔は知らない、マフィアと友好を築いた人狼もいたかも知れない。
 だが俺は違う。
 俺はすでにレオニスのもの。
 他の誰にも従いはしない。
 アレッシが首を振る。
「その顔、自分は屈しないとでも言いたげだな。お前はもはやあの吸血鬼に骨抜きにされているんだろう? 従順にあの男に付き従う姿を見れば、誰にだってわかる! ……誰も今更お前を自分に従わせようなど思わんよ」


 ………!?
 ……どういう、ことだ?

 まさか…コイツは……


「俺が欲しいのは、お前の『種』だ」
「!」
 アレッシの欲深い目が光る。
 馬鹿な。人狼の受胎・出産は吸血鬼同様、恐ろしく低確率だ。
 だがコイツは。
 俺から搾取するつもりか。
 その低確率を引き当てるまで。
 どこぞかの哀れな女の体に、俺の「種」を埋め込んで。
「育てるのであれば、己に従順な人狼がいいからな…古臭い吸血鬼の手垢がついたお前自身には興味がない。だが、俺はどうしても人狼が欲しい……我がファミリーの守護者として! だから、お前からその原料を奪うことにしたわけだ」
 アレッシの足が俺の下腹を踏みつける。
「ひとつお前が喜ぶ話をしてやろう。レオニスがお前を探して今、空を飛び回ってるぞ。醜悪な蝙蝠の翼でな……我々にとっては今、奴の面を汚すことはさほど優先事項じゃないが、デミは大喜びしているだろうな…奴をライフルで撃ち落とし、市民に無様な姿を晒してやれば、人間達もどんな化け物に自分達が支配されているか気づくだろうに」
 体内に怒りの炎が燃え上がる。
 愚弄。
 度し難い愚行。
 強欲の名の下に、全てを辱めるこの男。


 許されない。


 俺は体の中で眠っていた力が急激に膨らむのを感じた。
 お前は…
 お前達は軽んじ過ぎた。
 我らは長く、強靭な爪や牙を隠してきただけに過ぎない。他でもない、疲弊した人間を怯えさせないために。か弱い存在をいたぶるような矮小さは、俺達にはない。 
 情もあれば、愛もある。
 それを知る者には礼節も払う。

 だが。
 それを知らない者には――
 俺は、冷酷非道な怪物になる。


 数百年ぶりに力を解放する。
 自分の肉体から骨の形状が変わるバキバキという鈍い音が響き、繋がっていた点滴の管が弾け飛ぶ。鎖も歪みひしゃげた。シャツもスエットも裂き、その下の皮をも自らの爪で引き裂く。
 皮を脱ぎ去り現すのは、黒い剛毛の生えた獣の姿。太い爪と、子供の胴ほどもある四肢で床を踏む。身体を振ると、狭苦しかった皮は剥げ切り、息のし易い長いマズルがあった。1度、2度と喉の奥で唸り、牙の噛み合わせを確かめた。
 アレッシも部下達も、あまりの唐突な状況に強張っていた。だが、慌てて腰から銃を抜くのがわかった。発砲するが、それは厚い毛皮と硬い皮膚に弾かれ、床に落ちる。
 俺の目的はひとつ。
 前脚を振るうと、銃を構えていた人間が数人吹き飛んだ。爪が肉を削ぎ、血が壁に飛び散る。薄暗かった室内の唯一の電灯も千切れ、火花を散らして闇に飲まれる。それでも俺の目はよく見えた。
 悲鳴を上げ一目散に逃げていたアレッシの無様な肥満の体に鼻先を伸ばし、怒りを込めて噛みついた。
 口の中に、生暖かい血と脂肪の味がし、嫌悪に頭を振ると口内で骨が折れる感触がした。地面に叩きつけた時には、すでにアレッシは息をしていなかった。
 脆い。
 ほんの数分前までイキリ散らしていた人間。
 強欲を満たせると過信していた愚かな奴。
 それでも俺に一抹の罪悪感はあった。
 己の力は無双だ。
 解放されれば、蹂躙のみ。
 強さは虚しい。
 鉄の扉を牙でこじ開け、狭い通路に身体を捩じ込む。側壁を破壊し、木端を飛び散らせながら通路を抜けると、そこは見知らぬ建物の中だった。ブティックのような作りで、室内の絨毯は柔らかかったが、俺が地を蹴るたびに深く抉れる。調度品など構わず薙ぎ倒す。部屋にいた男たちの悲鳴を後ろに聞きながら、眼前にあった大きな窓に突進する。
 ガラスが砕け、毛皮がひやりとした大気に触れた。
 メテオラの大通りだとすぐにわかった。
 道を歩いていた一般人達がまろび、悲鳴をあげながら這うように後退り逃げてゆく。車道を走っていた車が急ブレーキにスピンし、衝突しあった。
 俺はそれを飛び越えて、大通りを走り抜ける。口と鼻から荒い息を吐いても苦しくない。躍動する獣の筋肉も、アスファルトを蹴る爪も、風を感じる尾の先まで…
 これが本当の俺だ。
 鼻先を上げ、レオニスのにおいを追う。
 藍色になりかけた空に、その翼を探す。
「!」
 僅かな夕日に真っ白の翼膜を煌めかせ、旋回するそれを見つけた。十字路で方向転換をし、それを追った。
 不意に錐揉みしたり、時に弾かれたように煽られるその姿は、銃撃されているのだとわかった。
 俺は、更に速度を上げながら鼻を動かした。
 腐敗した血の臭い。
 デミ……
 俺の忌むべき獲物。

 ――逃しはしない。





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