【完結】燃えゆく大地を高潔な君と~オメガの兵士は上官アルファと共に往く~

秋良

文字の大きさ
64 / 110
第三章

63. 森と漆黒と蒼穹

しおりを挟む


 シモンの言うように、天候はとても良かった。
 冷たい青に染まった空はずっと遠くまで晴れ渡り、雲もない。冬になって、雪の降る日が続けばどんよりとした重い灰色の雲が空を覆う。雪が降らなくとも晴れ間は週に一度あるかないかというほどで、今日の天候はここ最近では珍しかった。

 しかし晴れてはいるが、やはり冬には違いない。五月のときよりもずっと冷たく、肌を刺す風が吹いていた。そして空の色も違えば、ここから見える森の色も違っている。針葉樹が植えられている東の森は、冬になっても葉を落とすことはない。しかし濃い緑に染まっていた木々たちは、今では灰色がかった緑の上に真っ白で雪化粧をしていた。

 その中で、レオンスの目の前を通り過ぎる漆黒の影は、五月のときと同じように美しく煌いている。

 今日は以前のときと異なり、シモンは少し長い時間、テネブルの背を跨ぐと言っていた。とはいえ、駆けっぱなしは馬の負担にもなるため、一度休憩を挟むそうだ。

 颯爽と馬術場内を駆ける一対の漆黒。
 それを、この前と同じように柵外に設けられた休憩場の椅子に座って、眺めていた。

(綺麗だな……)

 ファレーズヴェルト要塞の周囲は一面雪景色だ。
 なので、要塞の敷地内もあちらこちらで雪が積もっている。その敷地すべての雪を退けることは叶わない。あまりにも膨大な量だからだ。しかし屋外にも作業をする場所はある。厩舎や畜舎、整備班が使っている倉庫の周辺や井戸など。そういった場所と、そこへ向かう導線は毎朝毎夕、班を問わず全兵士が手分けして雪かきをしている。
 馬術場内も、冬でも騎馬兵や馬たちが体を動かせるようにと定期的に雪がかかれているので、雪ではなく土の上をテネブルは駆けていた。

 ぐるりと場内を何回か駆けたあとは、ゆっくりとした速度で愛馬の足取りを確認するようにシモンは乗馬を楽しんでいるようだった。戦地では馬で駆けることもあるという軍人は、いま何を思って手綱をとっているのだろう。
 幾度と駆けて、歩いて……そんな時間が数十分ほど過ぎて、シモンをテネブルから降りてレオンスのほうへとやって来た。

「お疲れ様です。テネブルも、お疲れさま」

 厩舎から出るときにすれ違った騎馬班の兵から預かったカゴから大きめの手巾を取り出して、シモンに手渡した。「隊長と使ってほしい」と渡されたカゴには手巾のほかに、温かな飲み物が入った水筒や、テネブル用の乾燥させた牧草が入った袋が入っている。水筒は金属製の筒を木で覆っているものだが、それはさらに柔らかな手巾でぐるぐるに覆ってあった。中の飲み物が少しでも冷めないようにという配慮だろう。
 シモンとテネブルが乗馬を楽しんでいる間、レオンスはカゴの中身を確認していて、先ほどの兵士の心遣いに感謝していた。寒さが和らいだ日とはいえ、やはり長い時間、外にいるのは体が冷える。
 テネブルを撫でて、彼も満足そうにしたのを見てから、シモンは柵を越えてレオンスのいる休憩場へと戻ってきた。

「乗馬の経験は?」
「残念ながら。というか、庶民で馬に乗れる人なんて、そう多くないですよ。俺はただの商会の事務方でしたから、街中で馬を見ることはあっても、その背に跨って駆けるなんてことは、まずないです」

 額や首元の汗をレオンスが手渡した手巾で拭いながら、シモンは訊ねた。馬に乗るというのは、体力を使う。その外套の下も汗が浮かんでいるかもしれない。シモンは少し暑そうに息を吐いて、外套を一枚脱いだ。彼によく似合っている黒と灰色の毛でできた外套だ。
 それを脱いでしまった様子をどこか残念に思いながらも、レオンスはシモンの問いに答えていた。

 外套を脱げば、さすがに空気は凍えるほどに冷たいはずだ。
 レオンスの横には、火が熾されていた。カゴに入っていた火打石を使って、レオンスがつけた焚き火だ。焚き火の用意はすでに休憩場にされていた。馬術場を利用する兵がこうやって使っているのだろう。
 シモンは火にあたりながら、レオンスの回答に口を挟むでもなく聞いていた。時折、パチパチと木が爆ぜる音が二人の会話に混じっていく。

「軍の方であれば、みんな乗れるものなんですか?」

 シモンと同じようにレオンスも、火にあたりながら問う。
 特に興味があったわけではない。なんてことはない雑談だ。

「いや、元より乗れる者を除けば、訓練を受けた者くらいだろうな。それにレオンスの言うとおり、市井に乗馬できる者は少ないから、訓練をしてようやく乗れる者ばかりだ」
「そうでしょうね。そもそも馬自体が高級品です。少し前ならまだしも、今や手に届く人はいかほどか、って感じですよ」

 質問をしながらも「さすがに全員は乗れないよな」とは思っていた。
 軍人を目指す者は様々だが、庶民の中にも入隊を目指す者はいる。貧しい者も、素質さえあれば歩兵に選ばれることもある。そういう一般的な知識は知っていたので、軍人なら全員馬に乗れる、なんてことがないのはわかってはいた。

 なにより、レオンスが言うように馬は今も昔も高級品だ。
 馬そのものも高値であるし、その馬を維持する金も必要である。人が乗る馬車もあれば、荷物を運ぶ馬車もあるので、市井の中で馬は見慣れた存在だが、誰もが所持している動物ではない。

「国は……馬も、人も……多くのものを奪っていくよな……」

 レオンスは、そっとため息をついた。
 馬は高級品だが、今のような大きな戦争が起きる前ならば、馬貸しといった商売もあったし、小さな商会で馬を所持するところも多くはないがあった。ただの農民だって、家族のような存在として荷運び用の馬が一頭か二頭いたりもした。それが戦争が起きるような情勢になっていき、ついに戦が始まり……そして、今ではこういう情勢だ。
 帝国内の馬はすべて、軍に接収された。騎馬用だろうが、馬車用だろうが、荷運び用であろうがすべて。つまり、この時世で馬に手が届く者は軍関係者以外にはいないのだ。

 帝国は、市民から使えるものは何でも奪っていく。
 馬に、家族に、己自身を。

 そんな考えを巡らせていたからか、ふと心のうちを呟いてしまったのだ。そして、それが失言であったことにレオンスは一瞬遅れて気がついた。だが、口をついて出た言葉はもう戻すことはできない。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

【完結済】極上アルファを嵌めた俺の話

降魔 鬼灯
BL
 ピアニスト志望の悠理は子供の頃、仲の良かったアルファの東郷司にコンクールで敗北した。  両親を早くに亡くしその借金の返済が迫っている悠理にとって未成年最後のこのコンクールの賞金を得る事がラストチャンスだった。  しかし、司に敗北した悠理ははオメガ専用の娼館にいくより他なくなってしまう。  コンサート入賞者を招いたパーティーで司に想い人がいることを知った悠理は地味な自分がオメガだとバレていない事を利用して司を嵌めて慰謝料を奪おうと計画するが……。  

【本編完結】あれで付き合ってないの? ~ 幼馴染以上恋人未満 ~

一ノ瀬麻紀
BL
産まれた時から一緒の二人は、距離感バグった幼馴染。 そんな『幼馴染以上恋人未満』の二人が、周りから「え? あれでまだ付き合ってないの?」と言われつつ、見守られているお話。 オメガバースですが、Rなし全年齢BLとなっています。 (ほんのりRの番外編は『麻紀の色々置き場』に載せてあります) 番外編やスピンオフも公開していますので、楽しんでいただけると嬉しいです。 11/15 より、「太陽の話」(スピンオフ2)を公開しました。完結済。 表紙と挿絵は、トリュフさん(@trufflechocolat)

【完結】選ばれない僕の生きる道

谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。 選ばれない僕が幸せを選ぶ話。 ※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです ※設定は独自のものです ※Rシーンを追加した加筆修正版をムーンライトノベルズに掲載しています。

処理中です...