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第三章
63. 森と漆黒と蒼穹
しおりを挟むシモンの言うように、天候はとても良かった。
冷たい青に染まった空はずっと遠くまで晴れ渡り、雲もない。冬になって、雪の降る日が続けばどんよりとした重い灰色の雲が空を覆う。雪が降らなくとも晴れ間は週に一度あるかないかというほどで、今日の天候はここ最近では珍しかった。
しかし晴れてはいるが、やはり冬には違いない。五月のときよりもずっと冷たく、肌を刺す風が吹いていた。そして空の色も違えば、ここから見える森の色も違っている。針葉樹が植えられている東の森は、冬になっても葉を落とすことはない。しかし濃い緑に染まっていた木々たちは、今では灰色がかった緑の上に真っ白で雪化粧をしていた。
その中で、レオンスの目の前を通り過ぎる漆黒の影は、五月のときと同じように美しく煌いている。
今日は以前のときと異なり、シモンは少し長い時間、テネブルの背を跨ぐと言っていた。とはいえ、駆けっぱなしは馬の負担にもなるため、一度休憩を挟むそうだ。
颯爽と馬術場内を駆ける一対の漆黒。
それを、この前と同じように柵外に設けられた休憩場の椅子に座って、眺めていた。
(綺麗だな……)
ファレーズヴェルト要塞の周囲は一面雪景色だ。
なので、要塞の敷地内もあちらこちらで雪が積もっている。その敷地すべての雪を退けることは叶わない。あまりにも膨大な量だからだ。しかし屋外にも作業をする場所はある。厩舎や畜舎、整備班が使っている倉庫の周辺や井戸など。そういった場所と、そこへ向かう導線は毎朝毎夕、班を問わず全兵士が手分けして雪かきをしている。
馬術場内も、冬でも騎馬兵や馬たちが体を動かせるようにと定期的に雪がかかれているので、雪ではなく土の上をテネブルは駆けていた。
ぐるりと場内を何回か駆けたあとは、ゆっくりとした速度で愛馬の足取りを確認するようにシモンは乗馬を楽しんでいるようだった。戦地では馬で駆けることもあるという軍人は、いま何を思って手綱をとっているのだろう。
幾度と駆けて、歩いて……そんな時間が数十分ほど過ぎて、シモンをテネブルから降りてレオンスのほうへとやって来た。
「お疲れ様です。テネブルも、お疲れさま」
厩舎から出るときにすれ違った騎馬班の兵から預かったカゴから大きめの手巾を取り出して、シモンに手渡した。「隊長と使ってほしい」と渡されたカゴには手巾のほかに、温かな飲み物が入った水筒や、テネブル用の乾燥させた牧草が入った袋が入っている。水筒は金属製の筒を木で覆っているものだが、それはさらに柔らかな手巾でぐるぐるに覆ってあった。中の飲み物が少しでも冷めないようにという配慮だろう。
シモンとテネブルが乗馬を楽しんでいる間、レオンスはカゴの中身を確認していて、先ほどの兵士の心遣いに感謝していた。寒さが和らいだ日とはいえ、やはり長い時間、外にいるのは体が冷える。
テネブルを撫でて、彼も満足そうにしたのを見てから、シモンは柵を越えてレオンスのいる休憩場へと戻ってきた。
「乗馬の経験は?」
「残念ながら。というか、庶民で馬に乗れる人なんて、そう多くないですよ。俺はただの商会の事務方でしたから、街中で馬を見ることはあっても、その背に跨って駆けるなんてことは、まずないです」
額や首元の汗をレオンスが手渡した手巾で拭いながら、シモンは訊ねた。馬に乗るというのは、体力を使う。その外套の下も汗が浮かんでいるかもしれない。シモンは少し暑そうに息を吐いて、外套を一枚脱いだ。彼によく似合っている黒と灰色の毛でできた外套だ。
それを脱いでしまった様子をどこか残念に思いながらも、レオンスはシモンの問いに答えていた。
外套を脱げば、さすがに空気は凍えるほどに冷たいはずだ。
レオンスの横には、火が熾されていた。カゴに入っていた火打石を使って、レオンスがつけた焚き火だ。焚き火の用意はすでに休憩場にされていた。馬術場を利用する兵がこうやって使っているのだろう。
シモンは火にあたりながら、レオンスの回答に口を挟むでもなく聞いていた。時折、パチパチと木が爆ぜる音が二人の会話に混じっていく。
「軍の方であれば、みんな乗れるものなんですか?」
シモンと同じようにレオンスも、火にあたりながら問う。
特に興味があったわけではない。なんてことはない雑談だ。
「いや、元より乗れる者を除けば、訓練を受けた者くらいだろうな。それにレオンスの言うとおり、市井に乗馬できる者は少ないから、訓練をしてようやく乗れる者ばかりだ」
「そうでしょうね。そもそも馬自体が高級品です。少し前ならまだしも、今や手に届く人はいかほどか、って感じですよ」
質問をしながらも「さすがに全員は乗れないよな」とは思っていた。
軍人を目指す者は様々だが、庶民の中にも入隊を目指す者はいる。貧しい者も、素質さえあれば歩兵に選ばれることもある。そういう一般的な知識は知っていたので、軍人なら全員馬に乗れる、なんてことがないのはわかってはいた。
なにより、レオンスが言うように馬は今も昔も高級品だ。
馬そのものも高値であるし、その馬を維持する金も必要である。人が乗る馬車もあれば、荷物を運ぶ馬車もあるので、市井の中で馬は見慣れた存在だが、誰もが所持している動物ではない。
「国は……馬も、人も……多くのものを奪っていくよな……」
レオンスは、そっとため息をついた。
馬は高級品だが、今のような大きな戦争が起きる前ならば、馬貸しといった商売もあったし、小さな商会で馬を所持するところも多くはないがあった。ただの農民だって、家族のような存在として荷運び用の馬が一頭か二頭いたりもした。それが戦争が起きるような情勢になっていき、ついに戦が始まり……そして、今ではこういう情勢だ。
帝国内の馬はすべて、軍に接収された。騎馬用だろうが、馬車用だろうが、荷運び用であろうがすべて。つまり、この時世で馬に手が届く者は軍関係者以外にはいないのだ。
帝国は、市民から使えるものは何でも奪っていく。
馬に、家族に、己自身を。
そんな考えを巡らせていたからか、ふと心のうちを呟いてしまったのだ。そして、それが失言であったことにレオンスは一瞬遅れて気がついた。だが、口をついて出た言葉はもう戻すことはできない。
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