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最終章
103. ささやかな場所
しおりを挟むシモンが目覚めて、ひと月半が経った九月。
レオンスは半月ほど前に退院したシモンと共に、小さな家に来ていた。こじんまりとしたキッチンにダイニングとリビング、それから部屋が二つほど。外には小さいながらも庭と、厩舎がある家だ。
領都から少し離れた郊外に、シモンは家を買った。
長らく軍人として勤めてきたシモンは帝都の宿舎を住処としていたのだが、帝国軍無き今、新たな家を得る必要があったのだ。軍人としてそれなりの地位を築き、多くの武功を上げていたシモンには小さな家を買うだけの資産があった。
民を手厚く保護すると公布していた皇国は、個人の資産を過度に巻き上げることはしなかった。それは元帝国軍の兵に対しても同様で——ただし一部の上層幹部は資産の一部を接収され、旧帝国民への義援金や復興資金にあてられたらしいが——シモンの資産はほとんど残っており、使うことができた。
シモンが購入したこの家にどうしてレオンスがいるかというと、レオンスもここでシモンと共に暮らすのだ。
「あー、シモンさん。それ、俺が持ちますから」
「いや、私が運ぼう。そもそもこんな重いもの、君じゃ持てないだろう」
「そうかな? いよっ、と…………うぅっ、重っ!」
「ほら、見ろ。私に任せて、君はあっちの箱を整理しておいてくれ」
レオンスは今、シモンと二人で引っ越しの荷物を片付けている。
運び込んだ荷物はそれほど多くはないが、それでも新たな生活を始めるうえで必要なものを買い揃えて、部屋のあちこちに箱に積まれていた。レオンスが運ぼうとしたのは、調理道具や食器類がいっぱいに詰まった箱だ。一つ一つはそう重くはないのに、二人分が詰まっているとそれなりの重量となって、レオンスが持ち上げるのは大変だった。
持ち上げたはいいものの転んでしまっては、元も子もないのはわかる。箱の中には、割れ物も詰まっているのだ。
結局は、レオンスが危なっかしい手つきで持ち上げたところをシモンが支えて、あっという間に箱を奪っていったので、レオンスは言われたとおりに大人しく別の箱へと手をつけた。
レオンスが荷物を持とうとしたのは、シモンのことを気遣ってのことだ。
シモンが目を覚まして、しばらくして身体の機能回復の訓練が始まったのだが、特に怪我の酷かった右脚はまだ前と同じように動かすには至らない状態だ。歩いたり、軽く走ったりすることはできるが、全速力で走ることは難しく、強く踏ん張ると痛みが走るらしい。
それゆえに、レオンスはシモンの足の負担にならないように、積極的に荷物を運んだり、重い荷物を運ぼうとするのだが、ことごとくシモンに拒否されるのだ。
「君はアルファ並みに世話焼きだな。さすが長男といったところか。そこまで心配しなくていいと、いつも言ってるだろう?」
「うー……そうは言いますけど、俺はシモンさんの足が心配なんですよ。あまり負担をかけると痛むんじゃないですか? 今日だって朝から一日動きっぱなしだし」
「何度も言うが、このくらいどうということはない。日常生活に支障はないとクロードも言っていただろう」
朝も早くから荷物を運びこんでいて、疲れが出ていないかと心配だった。
けれど、半年も眠っていたとは思えないほど、シモンは体力気力に満ちていた。レオンスのほうが早くも疲れが見えているほどで、「君のほうこそ休んだらどうだ?」とシモンに笑われる始末だ。
レオンスの心配とは裏腹に、事実、シモンの調子は良いようで、目覚めた翌日からは落ちた体力と筋力を戻すのだと、訓練が始まる前から自主的に運動を始めて医者に怒られたほどだった。
「それにだ……敬語も、止めていいんだぞ? 私はもう上官ではないんだからな」
「あー……はい、じゃなくて、うん。でも癖だから、なかなか抜けなくて。しばらくは慣れるのに、どうしたって時間はかかるよ」
「まあ、それはそうか。でも恋人なんだ、自然体の君でいてほしい」
「……努力する」
シモンの言うように、今の二人の関係は上官と部下ではなく、知人でもなく、『恋人』だ。
発情期明け、約半月ぶりに見舞いに訪れたレオンスを待ち受けていたシモンと、想いを通じ合わせて晴れて恋人という関係になった。そうなったのはいいのだが、そこが病室であることも忘れて、言葉を交わし、抱き着いてしまったことは今でもレオンスは失敗だったと思っている。
しかしあのときは、周囲を気にかける余裕がなかったのだ。いつの間にか病室にやってきて、その様子を見ていたクロードには「公開告白とは、レオンスもやるなぁ」と、今でも揶揄われる。
そういう苦い思い出ではあるのだが、目の前の男と心を通わせていることはレオンスを日々、満たしていた。
何気ない会話が楽しいし、ちょっとしたやりとりも嬉しい。
つい二ヶ月ほど前までは、シモンとは言葉を交わすことも、視線を交わすこともなかったのだから。
「んーっ……。くそ、さすがに俺じゃ背が足りないか。全然届かないな……えーっと、椅子……椅子……」
「どれ、貸してみろ。……これでどうだ?」
レオンスは腕をめいっぱいに伸ばして、壁にとある物を飾りたかった。しかし飾りたい場所へは手を伸ばしただけでは届かず、仕方なしに椅子を台にして飾ろうと思ったところで、それをひょいっとシモンに取り上げられた。そして代わりに壁に掛けてくれた。
壁に掛けられたのは、レオンスが最愛の弟からもらった手作りの掛け時計だ。
引っ越し祝いだそうで、弟曰く「恋人と新たな時を刻めるように」だそうだ。時計には、森林と小さな葉っぱをモチーフにした装飾がついている。シモンとレオンスを彷彿とさせるそれは、見ているだけで心が癒される。また、二人の関係を歓迎してくれている弟の思いやりをも感じることができた。
弟がモテる理由の一端を見たようで、なんとも気恥ずかしい気持ちにはなった。しかし、三十歳を過ぎて——すでにシモンと出会ってから一年半が過ぎたので三十一歳になったが——ようやく家を出る兄を心から祝ってくれていることに感謝して、その贈り物はいつでも見ることができるリビングの壁に掛けたかったのだ。
「……いい家ですよね」
「そうだな。私たちにちょうどいい、あたたかな家だ」
今日明日使う必要があるようなものと、リビングや寝室がひとまず使える程度には荷物を出して整理をしたのち、二人はダイニングに置いた二人掛けの食卓でお茶を飲んで、一息ついた。朝食をとってからすぐに引っ越し作業をしていたのに、あっという間に夕暮れだ。
荷物のすべてを今日中に片付けるのは難しいだろう。二人暮らしとはいえ、それぞれ違うところで暮らしていた大人が一つ屋根の下で暮らすのだ。帝都では宿舎暮らし、そうでないときは戦地を駆けていたシモンが運び入れた荷物はそう多くはなかったが、元は商会の事務方として働き、帝都で暮らしの基盤を築いていたレオンスはそれなりの荷物があった。
つい昨日まで暮らしていたレオンスの実家は、この小さな家からは馬車であれば二時間もかからない。
けれど、持ってこられる荷物はなるべくこちらへ持ってきた。たくさんの思い出が詰まった品々は、母や弟、妹たちが寂しくないようにと置いてきたものもあるが、日頃よく使うものや、レオンス自身が家族を思い出すための宝物は、この家に大切に運んできた。
ここで、ずっと生きていく。
だから、レオンスを形作るものを持ってきたのだ。
「足は大丈夫? 痛んだりしてる?」
「問題ない。ああ、それよりレオンス、ちょっとこっちに来てくれないか」
「……?」
二人で椅子に腰かけて、他愛のない会話をする。
今日はよく動いたから足の負担はないだろうかと問えば、シモンは穏やかな笑みを浮かべた。それから、不意に窓へと視線を向けたかと思うと、おもむろに立ち上がってレオンスを手招いた。
いったい何だろうと首を傾げながらも、レオンスは窓辺に立つシモンの横に並んだ。
「この家に決めたのは、この景色もあったからなんだ。これを、君に見せたくて」
「…………すごい。きれい」
窓からは、遠くに広がる丘が見えた。
丘は夕陽に照らされて、遠くまで赤く燃えるようだ。
「もう少し足の調子が戻ったら、またテネブルに乗りたいと思ってるんだ。あの丘を駆ける私とテネブルのことを、レオンスに見ていてもらいたい」
「また、馬に……?」
「ああ。クロードに訊ねたら、訓練を重ね、無茶をしなければ乗馬も夢ではないだろうと。私のことをよく知るテネブル限定ではあるがな」
テネブルは今、クロードが面倒を見ている。
シモンの愛馬であった彼だが、目覚めぬ主人を待つ間、一時は皇国に接収されていた。しかしシモン以外には懐かない彼に皇国側も困り果てたのだろう。どうしたものかと悩んでいたところを、クロードが声をかけて譲り受けたのだという。クロードに対してもテネブルは決して懐いているわけではないが、主人の状況を彼はうっすらと察していたのだろう。主人以外を乗せさせはしなかったが、クロードと共にシモンの帰りを待っていた。
家が片づいたら、テネブルを迎えに行くのだとシモンは語る。
ああ、だからこの家には小さな厩舎があったのだなと妙な納得をして、レオンスは笑った。
「また見れるなんて、嬉しい。楽しみにしてる」
もう一つの約束を覚えてくれていたことと、いずれ叶えてくれるだろうことに胸は幸せに満ちた。
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