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02. 幸せで残酷な夢
しおりを挟むその日、エルナは倦怠感と共に目を覚ました。
昨夜、エルナの最奥まで大きく猛った性器を穿ち、その性器を舌で舐め取らせて始末をさせた男との激しい交合が響いているのか、腰が怠くて重い。
エルナは、男娼としてはもう若くない。なにせ今年で二十八だ。
三十歳を過ぎても男娼として働いた者は、今まで一人としていないと聞いている。つまり、エルナは男娼として、すでに薹が立っていると言ってもいい年齢であった。それゆえに、些か度の越えた行為を求められると体に響くことも増えた。
「エルナさん、おはようございます。体調はいかがですか? 今日のお客さんは二人だそうですよ」
おはよう、と朝の挨拶をかけるのはエルナの世話係をはじめてそろそろ二年半が経つ男娼見習いの少年だ。挨拶だけ聞けば爽やかな朝かと錯覚しそうになるが、彼が来たということは昼の十二時を過ぎた証であった。
エルナは男娼として働いているため、明け方頃に眠りにつく。起きるのは昼を回った頃だ。
世話係の彼は、空が白んでくる頃にようやく最後の客が帰ったら、エルナの体を清めて、寝間着を着させ、エルナの部屋へと送ってくれる。そして翌朝——実際には昼だが——に、顔を拭くために水を張った盥と手巾を持って、エルナを起こしにやってくるのだ。
少年——名をシャイルという——が声をかける前にエルナは目が覚めていたが、ぼんやりと天井を眺めたままだった。そんなエルナのもとへやってきたシャイルは、優しい手つきで背を起こしてくれる。
エルナはいまだ寝ぼけ眼のまま、かけられた挨拶にも答えずに、ぼーっと寝台に腰かけていた。シャイルが窓のカーテンを開くと、冬がまだ混じったような薄柔らかな陽射しがエルナの部屋へと差し込んだ。
エルナは、よほどのことがない限り、世話係の挨拶にはきちっと言葉を返す。「おはよう」の言葉には「おはよう」を。「今日の客は何人だ」という連絡には「そう」と。
だが今日はそのどちらもなく、シャイルはよほどのことがあったのだなと察して、寝台脇の小さな袖机に盥を置きながら、声をかけた。
「また、いつもの夢を?」
彼はそう言いながら「顔色が悪いです」と言葉を付け足して、湯で温かくなった手巾をエルナに手渡した。暑い季節ならば盥に張られるのは水だが、今はまだ春先だ。冷たい風も吹く日がある今の時期、こうして湯を持ってくる気遣いができるシャイルはエルナには勿体ないほど、細やかなところまで気が利く、優しい世話係だった。
温かい手巾で顔を拭って、エルナはようやく頭を働かせ始めた。
「ぁ…………うん、心配かけてごめんね」
「いえ。お顔を拭いたら、お食事にしましょう。今日はトマトのスープと炒った卵、それとパンをお持ちしました」
「ありがとう」
シャイルから手渡された手巾で顔を拭っているうちに、長い髪は梳かされる。これもいつもの流れ。
娼館にそれなりの年数勤めていて、稼ぎ頭の一人でもあるエルナには、身の回りの世話をしてくれる男娼見習いが世話係としてついている。商品の価値を落とさぬように、食事を運んだり、仕事前後の湯浴みを手伝ったり、よく眠れるようにと配慮されるのだ。髪はもちろん、爪の先まで手入れされるのだが、これももう慣れた習慣だ。
(……はぁ、気が重いな)
つい心の中でため息をついてしまう。それもこれも、先ほどシャイルが訊ねてきた『いつもの夢』のせいだ。
時折見る夢は、とうの昔に凍てついてしまったエルナの心にさらに暗い影を落とす。
その夢にはいつも、幼い頃のエルナと、四歳年下の従弟ジェロッドが出てきた。
幸せで、それでいて残酷な夢——。
ジェロッドは、エルナの父親の弟の実子だ。
定職にも就かずにふらふらしているエルナの父親と血が繋がっているとは思えないほど、ジェロッドの父——エルナから見れば叔父——は働き者でしっかりした人物だった。
叔父の家族は、エルナが住んでいた村ではない別の町に住んでいた。だが、幼子を養わなければいけないのに仕事もせずに遊んで暮らしている兄夫妻を心配して、叔父は年に数度、エルナ一家の様子を見に来てくれていた。エルナの父親はろくでなしだったが母親も負けず劣らずだったので、もしかしたら叔父は兄や兄嫁のことではなく、幼いエルナのことを心配して来てくれていたのかもしれない。
そんな叔父がエルナの家族のもとを訪れるときに連れてくるのが、従弟のジェロッドだった。
(ジェロッド、どうしてるかな……)
従弟のジェロッドが来ることをエルナはいつも楽しみにしていた。
両親はろくに働かなかったが、なぜかエルナを養ってはいられた。食事もほとんどが質素ではあったが食べられていたので飢えることはなかったし、小さいながらも住む家もあった。近くの川で水浴びもできたし、冬になれば薪で湯も沸かせた。
ただし、その金をどうやって調達していたのか訊ねたことはない。最終的に実の子供を娼館に売ったのだから、人には言えない方法だったのだろうと今は思う。
そういう暮らしをしていたので、特段貧しくはないものの、やはり普通の人から見れば歪な……怪しげな家庭に見えていたのは想像に難くない。
それゆえに、村にはエルナ以外にも子供はいたが、エルナはその輪に混ぜてもらえなかった。エルナはいつも一人ぼっちだった。話しかけても逃げられて、隠れられて、遠巻きにされた。だからエルナは、ジェロッドという遊び相手が来てくれるのが楽しみで仕方がなかった。
ジェロッドは四つも年下にもかかわらず、エルナと身長や体格があまり変わらない子供だった。エルナは年齢のわりには小柄で痩躯であったし、反対にジェロッドは同じ年の子たちよりも体が大きかった。
茶色の髪に、薄水色の瞳はエルナとは似ていなかったけれど、二人が並ぶとさして年の離れてない兄弟のように見えた。そのくらい仲が良かった。
(あの頃が一番楽しくて、幸せだったな)
夢に見るのは、幼いエルナとジェロッドが村の片隅で遊ぶ場面。あるいは森を散策する場面。そのほかにも家の近くや村の周辺で、エルナとジェロッドは遊んだ。
夢の中の時系列はいつもめちゃくちゃだ。だけど最後にはいつも同じ場面で終わる夢。「村の近くを流れる川で魚がいるかな?」なんてはしゃいで、それから二人で大人になったら何になりたいかを話す夢。
『大きくなったら、一緒に旅をしような!』
そう言ったのはジェロッドで、エルナもそれに「うん!」と頷いた。
けれど、次の瞬間にはいつだって夢が覚めてしまうのだ。
目が覚めればエルナはいつでも娼館の裏手にある自分の部屋の寝台の上で、見上げれば見慣れた天井があって、自分は男娼であるという事実を突きつけられるだけ。旅をするなんて夢は、もう叶えられないのだと突きつけられるだけ。
だから、幸せで——残酷な夢。
「あまり食が進みませんか?」
「あ、っと……ごめん。お行儀が悪かったね」
匙で料理をつつくだけで、なかなか口へと運ばないエルナにシャイルが気遣わしげに声をかける。
ジェロッドとの思い出を夢に見た日は、いつも食欲がない。幸せはもう手に入らないものだと言われているようで、息をするのも億劫になってしまうのだ。
それでもエルナは息を止めない。だから生きている。生きているので、男娼であることも変わらない。
シャイルに謝って、エルナはようやくスープを口に運んだ。
食欲は相変わらずないのだが、昨日の客との行為はエルナの体力をかなり奪っていった。エルナの場合は、やや痩せ気味の体が嗜虐心を掻き立てられるそうなので、多少食事を抜くことは構わない。
だが、あまり痩せすぎると商品価値に影響があるので支配人にお小言を言われてしまう。せめて消費した分は補給しないといけないのだ。
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