【完結】心を失くした男娼は旅する従弟の夢を見る

秋良

文字の大きさ
4 / 21

04. 彼方の眩しさ

しおりを挟む


(ジェロッド……会いたいよ)

 会えないとは言ったが、会いたい気持ちはずっとある。
 顔を合わせるわけにはいかなくとも、彼に気づかれないところから、どこからかそっと覗き見て、今の姿を見てみたい。横顔や後ろ姿だけでもいい。きっと子供の頃から大柄だったから、今は立派な青年になっているに違いない。その姿を一目でいいから見てみたい。

 けれど、エルナがそれを叶えるのは難しいだろう。
 エルナ自身が「会えない」と思っているのはもとより、彼がどこにいるかエルナは知らないのだ。ジェロッドがエルナの住んでいた村に来ることはあっても、エルナは彼が住んでいる場所へ行ったことはなかった。名前も場所も、村から近いのか遠いのかすら知らなかった。
 それに今のジェロッドが子供の頃に住んでいた場所にまだ住んでいるかもわからない。そもそもエルナは自分が住んでいた村だってあやふやだ。
 だから、会おうと思っても、どうしたらいいかわからない。

 エルナの両親ならジェロッドの居場所を知っているかもしれない。けれど、自分を売った両親とは娼館に売られてから一度も連絡をとっていない。今後も彼らから連絡が来ることはないだろうし、エルナから連絡をすることもないだろう。彼らとは完全に縁が切れている。

「エルナさんは、娼館ここから出たいって思わないんですか?」

 シャイルが不意に訊ねた。しかしそれは至極当然の質問だった。
 エルナは彼の前で一度も「娼館を出たい」と言ったことがない。そのうえ、諦めばかりを含んだ発言を先ほどのようにぽろぽろと零すのだから、シャイルとしては単純な疑問が湧いたのだろう。

(ここから出たい、か……)

 娼館に売られて、はじめのうちはそういうことも考えた気がする。あれはエルナの『はじめて』を売る前までだろうか。それとも『はじめて』を売ったあとも考えていただろうか……。
 今となっては思い出せないけれど、売られたばかりの頃は「ここを出たい。ジェロッドに会いたい」と思っていた気がする。

(あの気持ちは、どこへ行っちゃったのかな)

 ジェロッドに会いたいという気持ちをどうすることもできないから、エルナは彼との思い出を夢に見るのかもしれない。絶対に叶わぬ夢を延々と、繰り返し見ることで、「早く諦めろ」と夢が語りかけてきているのかもしれない。

 ——もし今、ジェロッドが住んでいる場所がわかったら、そこへ訪れるだろうか。

 そう考えて、エルナはそっと自嘲した。
 住んでいる場所がわかったとして、エルナは男娼だ。彼の姿を遠目に見られるだけで……と思ってはいるが、いざそれができるとなると、きっと足が竦んでしまう。

 ——ジェロッドには、今の自分を見られたくない。

 スープを一口飲み込んでから、エルナは困ったように笑った。

「出たい、かぁ……。昔はそう思ったときもあった気がするんだけど、もう今は思えなくなってしまったのかな」
「そう、なんですか……。でも、ここを出ていかないとして、エルナさんは今のお仕事をやめたら、どうするつもりなんです? 男娼だって、いつかはやめるときが来るでしょう?」
「お客がとれなくなったら、裏方に回してもらうつもりなんだ。支配人にもそう伝えてる」

 そう、エルナは男娼をやめても、この娼館に残るつもりでいる。
 男娼を続けられる年齢ではなくなるか、あるいは客がとれなくなったとしても、エルナは娼館ここを出るつもりがなかった。出るつもりがないというか、出ていったとしてどうしていいかわからないというか……そんな感じだ。

 若くして——あるいは幼くして——娼館にやってきた男娼や娼婦は、いつか娼館を出ることを夢見ている。それはおそらく、両親や家族にもう一度会うためだったり、仲の良かった友人と会うためだったり、思い慕う相手と添い遂げるためだったり、真っ当な商売を新たに始めて生きていくためであったり。
 どんなことにせよ、彼らには「やりたいこと」があるのだ。

 エルナは何もない。
 自分を売った両親を恨む気持ちがない代わりに、再会したいという気持ちもない。暮らしていた村に友人は一人もいなかったし、エルナにまた会いたいと思ってくれている人もいない。真っ当な商売をして成功したいという欲もないし、そもそも生きて何かを成し遂げたいという気持ちがこれっぽっちも湧かない。心がずっと止まっている。

 唯一、ジェロッドに会いたいという気持ちが夢となって現れるが……穢れた体では、やっぱり会いたくない。会えない。
 だから、エルナが娼館を出てやりたいことなど、何一つとしてないのだ。

「え、でも……」
「ふふふ、娼館に留まるなんて、おかしいでしょ。僕もそう思う。でも僕に行きたいところなんてないから。それに、そう多くはないけれど、そういう人もいるんだよ。ほら、下男のミスカさん。あの人も元はここの男娼だったんだ」
「ああ、そういえばそんな話を聞いたことがあります」

 話題に挙げたミスカは、娼館で下男をしている三十代後半の男性だ。
 彼は十五年ほど前に男娼を辞めて、下男として娼館で働いている。そのときエルナは男娼になって間もない頃で、ミスカはエルナのことをよく気にかけてくれた。彼と特別仲が良いわけではないが、何か困ったことがあれば手を差し伸べてくれるような優しい先輩だ。
 ミスカが下男として働いている様子を見て、いつかはエルナも彼のように働くのだろうな、とぼんやりと思っていた。

「でも、その……エルナさんはお綺麗なので、ここを辞めても、どなたか貰い手がいらっしゃるのでは? 年季だってとっくに明けてますよね?」
「うーん? まあ、そうかもね。でも支配人がまだ体を売れっていうなら、そんなもんなのかなって」
「身請け話は一度も?」
「どうだろう? そういう話があったかは聞いてないなぁ」

 シャイルの言うように、おそらくエルナの年季はとっくに払い終わっているはずだ。いや、年季なんてものがあるかエルナはあまり知らないのだが。

 娼館で春をひさぐ者は、何かしら理由があってその身に落ちた者ばかりだ。
 借金のかたに売られた者、金欲しさに親や親戚に売られた者、みなしごや食うに困って自らその身を売っている者……だが、いずれの者も大抵は年季が明けることを夢見ている。あるいは身請けされることを。

 年季が明ければ、晴れて自由の身となる。そうなれば僅かに貯めた資金で新たな仕事に就くも良し、想い人と添い遂げるも良し。
 身請けならば時と場合、それから相手にもよるが、運が良ければそれなりに裕福な者の愛妾にはなれる。娼館にいるときとやることは大して変わらないかもしれないが、贅沢な暮らしができる可能性がある。
 皆それぞれ、やりたい何かがあるのだ。そのために体を売るという苦しい日々にも耐え抜いている。

(どうしたら、そんなに強くいられるんだろう)

 やりたいことが何もない、夢も希望も抱いていないエルナからすれば、年季が明けたり、身請け話に一喜一憂したりする男娼たちが眩しく見えた。

 以前、エルナが二十三歳になったあたりで、「客が取れなくなったらどうする?」と支配人に問われたことがある。けれどエルナはその問いに答えられなかった。年季が明けたとしても、男娼をしなくていいと言われても、エルナにやりたいことなんて無かったからだ。
 親に売られて男娼となってから、エルナの心にはぽっかりと穴が空いてしまって、どう生きていいのかわからなくなってしまった。実の親に売られたということも、見ず知らずの男に抱かれるということも、僅か十二歳だった少年の心を凍らせるのには十分だった。

 問いに答えられなかったエルナに、支配人は「先が決まっていないなら裏方で働けばいい」と道を示してくれた。
 支配人は躾に厳しい人ではあったが、行き場のない男娼を追い出すほど非道な人間ではなかった。エルナが日々を薄らぼんやりと生きていることも彼はお見通しだ。だから情けをかけてくれたのだろう。娼館という商いをしているのに、意外にも情のある人物だ。

 その支配人から身請け話を聞いたことはない。
 彼は、ある程度の情はあれど商売には厳しい人なので、もしエルナに身請け話があって、それが利になるならば、すぐにエルナを渡しているだろう。そうならずにこの年齢まで来ているということは、身請け話がないか、利にならない話しか来ていないかだ。あるいは、身請けさせずに娼館で働いてほしいのかもしれない。

 シャイルや他の男娼、下男たちはエルナを「綺麗だ」という。けれど実際のところは、エルナは男娼としても、たいした価値はないのかもしれない。エルナはそう思っている。

「恩を返す、みたいなことですか?」
「あー…………まあ、そんな感じかな」

 シャイルにはそう返事はしたが、別に恩を返すつもりでもない。

(恩を返すか。まあ、それでもいいや。僕がやりたいことなんて、なにもないもの)

 エルナは、やりたいことも、やれることも無い。
 日々を言われるがままに生きているだけ。死なないから生きているに過ぎない。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

いい加減観念して結婚してください

彩根梨愛
BL
平凡なオメガが成り行きで決まった婚約解消予定のアルファに結婚を迫られる話 元々ショートショートでしたが、続編を書きましたので短編になりました。 2025/05/05時点でBL18位ありがとうございます。 作者自身驚いていますが、お楽しみ頂き光栄です。

愛する公爵と番になりましたが、大切な人がいるようなので身を引きます

まんまる
BL
メルン伯爵家の次男ナーシュは、10歳の時Ωだと分かる。 するとすぐに18歳のタザキル公爵家の嫡男アランから求婚があり、あっという間に婚約が整う。 初めて会った時からお互い惹かれ合っていると思っていた。 しかしアランにはナーシュが知らない愛する人がいて、それを知ったナーシュはアランに離婚を申し出る。 でもナーシュがアランの愛人だと思っていたのは⋯。 執着系α×天然Ω 年の差夫夫のすれ違い(?)からのハッピーエンドのお話です。 Rシーンは※付けます

閉ざされた森の秘宝

はちのす
BL
街外れにある<閉ざされた森>に住むアルベールが拾ったのは、今にも息絶えそうな瘦せこけた子供だった。 保護することになった子供に、残酷な世を生きる手立てを教え込むうちに「師匠」として慕われることになるが、その慕情の形は次第に執着に変わっていく──

前世が教師だった少年は辺境で愛される

結衣可
BL
雪深い帝国北端の地で、傷つき行き倒れていた少年ミカを拾ったのは、寡黙な辺境伯ダリウスだった。妻を亡くし、幼い息子リアムと静かに暮らしていた彼は、ミカの知識と優しさに驚きつつも、次第にその穏やかな笑顔に心を癒されていく。 ミカは実は異世界からの転生者。前世の記憶を抱え、この世界でどう生きるべきか迷っていたが、リアムの教育係として過ごすうちに、“誰かに必要とされる”温もりを思い出していく。 雪の館で共に過ごす日々は、やがてお互いにとってかけがえのない時間となり、新しい日々へと続いていく――。

かわいい王子の残像

芽吹鹿
BL
 王子の家庭教師を務めるアリア・マキュベリー男爵の思い出語り。天使のようにかわいい幼い王子が成長するにつれて立派な男になっていく。その育成に10年間を尽くして貢献した家庭教師が、最終的に主に押し倒されちゃう話。

完結|好きから一番遠いはずだった

七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。 しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。 なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。 …はずだった。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

君さえ笑ってくれれば最高

大根
BL
ダリオ・ジュレの悩みは1つ。「氷の貴公子」の異名を持つ婚約者、ロベルト・トンプソンがただ1度も笑顔を見せてくれないことだ。感情が顔に出やすいダリオとは対照的な彼の態度に不安を覚えたダリオは、どうにかロベルトの笑顔を引き出そうと毎週様々な作戦を仕掛けるが。 (クーデレ?溺愛美形攻め × 顔に出やすい素直平凡受け) 異世界BLです。

処理中です...