【完結】十回目の人生でまた貴方を好きになる

秋良

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第一章

06. ディオン・クラヴリー

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 何度も経験してきた『初めての発情期』は、それなりに大変ではあるものの、そう苦労することはなく終わりを迎えた。

 いや、こんな私でも〈一度目〉の人生においては「自分の身にいったい何が起きているんだ?」と戸惑ったし、正真正銘の『初めての発情期』だったから、どう乗り越えていいかわからなかったものだ。

(ふふ……初めて、か。あれは本当に大変だった)

 あのときは、とにかく部屋から出るなと厳令を受け、粗末な毛布一枚に包まりながら、通常時と異なる様子の下肢に恐怖し、一人で泣き続けた五日間であった。毛布もタオルも最低限しかなかったから、ぐしゃぐしゃのドロドロで。体じゅうの水分が吐き出されていくのに摂取する気力も体力もなく、ふらふらでもあった。
 今世のようにケニーが日に一度、私の様子を見に来てはいたが、何か声をかけるでもなく、助言をするでもなく、ただ硬いパンと薄味のスープだけを置いて去っていくのみ。それが、どんなに惨めであったことか。

 初回以降は、本で得た知識や今後起きうるかもしれないによる望まぬ慣れ、そして〈二度目〉以降に訪れた数多の発情期の経験をしながら、さらなる知識を積み重ねてきた。〈一度目〉でひどく苦しんだ『初めての発情期』は、今では取るに足りないものとなってはいるけれど、当時はそれなりに私に影を落としたものだ。
 今では、発情期を一人でどうやり過ごせばいいのか十分に理解している。数え切れぬほどの経験をしてきたのだから、手慣れたものだ。勝手知ったる何とか、というやつだ。

 そんな発情期をやり過ごした翌日、私はふと窓外を見た。
 換気のために、とケニーが少しだけ開けていった窓の外から明るい話し声が聞こえてきて、自然と目が向いてしまったのだが……。

「ああ……しまったな……」

 眼下に広がるのは、美しく手入れがされたデシャルム邸の庭園。
 私の監禁部屋には小さいながらも窓があり、そこから庭園が一望できる。まあ、窓の外には格子がついているし、この高さなので、いくら痩躯の私であってもそこから抜け出すことは叶わないけれど。

 その窓からは、レンガやテラコッタタイルで整えられたエリアがよく見える。だから、庭園でお茶会やパーティーが開催されるともなれば、家族や客人が楽しそうにしている姿が、否が応でも目に入ってしまうのだ。
 この監禁部屋を作った者か、あるいは庭造りを指示を出した者か……あるいはその両者が、相当の性悪であったことは想像に難くない。

 明るい話し声は想像通り、庭園で行われているお茶会から聞こえたものだった。そして私の視線は、その茶会の片隅で微笑む男へと自然と惹き寄せられていた。

「ディオン・クラヴリー……」

 視線の先には、優しい煌めきを湛えた短く整えられた金髪に、ルビーを嵌め込んだかのような赤く美しい双眸を持った青年。均整がとれた体躯は遠目から見ても立派で、所作も洗練されていて文句のつけようがない。
 ティーカップを摘み、隙のない笑みを浮かべながら歓談に興じているのは、クラヴリー公爵家の次男、ディオン・クラヴリーだった。

「……懐かしい」

 ディオンの姿を目にしたのは〈三度目〉の人生以来だろうか。

 彼は——ディオンは、私が〈一度目〉の人生で叶わぬ想いを寄せていた相手だ。

 思い返せば、私が彼を見たときも『今日』だった。
 発情期が終わった翌日の昼下がり——私の発情期など頭の片隅にすらない家人が主催するお茶会の様子を何気なく見下ろして、そこできらきらと微笑む貴公子、ディオン・クラヴリーに釘づけになった。

「相変わらず、美しいな」

 ディオン・クラヴリーは、私の兄レイナルドと同い年にして、彼の学友だ。
 私の二つ年上——つまり、今世ではまだ十六歳のレイナルドは普段、王都にある王立学園に通っている。デシャルムの領地から王都までは馬で一日ほどかかるため、兄は王都のタウンハウスで暮らしているのだけど、月に一度は週末の休みを利用して領地の屋敷へと戻ってくるのだ。
 そして、戻ってくるときには貴族の嗜みと言わんばかりに、学友たちを招いて茶会や宴を開いたり、狩りをしたり、カードゲームに興じたりする。ディオンも、そんなレイナルドの学友のうちの一人であった。

(ああ、やはり……私はまだ、彼のことが好きなのだな……)

 レイナルドや、そのほか数名の貴族令嬢と和やかな時間を過ごしているディオンの姿から、目が離せない。
 アルファの性を持つディオンは、華やかな容姿だけでなく、秀でた頭脳を持っていて、剣技や弓も得意だ。さらには柔和な笑みと所作ゆえに人を惹きつける雰囲気を纏っていて、話をするのも聞くのも上手いため、ああやって自然と人の輪の中心になる——私とは真逆の人物。

 今世、彼のことを目にしないつもりでいたのに。
 久方振りに見る彼の姿に、どうしようもなく心が揺れ動く。今すぐ視線を外してしまいたいのに、私は窓辺に立ち、庭園の片隅で笑う貴公子を食い入るようにして見続けていた。

 ……叶わぬ恋に、いまだ想いを寄せるなんて、なんて滑稽なのだろう。

(今世では、今日だけだ……。今日だけにとどめよう)

 もう目にしてしまったものは仕方がない。
 ディオンのことをもう二度と見ることはしまいと、かつての自分が自身に誓った約束を破ってしまった。ならばいっそ、今——この瞬間だけは、心の求めるがままに彼の姿を堪能してしまおうと、諦めることにした。こんな欲がまだ自分の中に存在していたことに驚いてはいるけれど、心の騒めきはどうしようもない。

 だって……何十年ぶりかに目にした彼は、思い出の中の姿よりも遥かに格好良く、美しく、魅力的だったのだ。目を離しがたかった。

 私が〈三度目〉の人生を最後に、こんなにも恋い慕う相手には会わないどころか、目にしないように努めてきたのは理由がある。

 なぜなら——〈一度目〉から〈三度目〉までの人生において、私はディオンに最終的に冷たくされてきたからだ。
 いや、正確に言えば、ある一時いっときまでは私を気にかけてくれて、懇意にしてくれ、大切な友のように接してくれた。そのひとときは本当に心が沸き立ったし、つらい日々の中での唯一の癒しでもあった。

 それなのに、最後の最後で冷たい瞳を向けられて、彼との関係は呆気なく断たれたのだ。
 まるで私のことなど最初から知らないかのように、冷酷に、無慈悲に、彼は私のもとを去る。それが私は、たまらなく堪え難かった。まるで子どもじみた理由だけれど、好意を向ける相手から冷たくされるのがつらかったのだ。

 でも、頭では理解している。
 本来であれば、美しく洗練された貴公子であるディオンが愚かな私を一顧だにしないのも仕方がないことくらい、わかっているつもりだ。それでも心はいまだ、じくじくと膿んでいる。

 私は、卑しいオメガだ。
 不特定多数の男に股を開いて悦がる不埒な獣。
 不埒で、下賤で、矮小な存在。

 を知ったときのディオンの顔を、私は今でも憶えている。

 ——あんな目を、もう二度と向けられたくない。

「ディオン様にお会いしなければいいだけだ……大丈夫……大丈夫……」

 に見たときよりも若いディオンを眼下に収めながら、私は遥かに遠い過去を思い出していた。それは〈一度目〉のの記憶。
 ディオンは、兄のレイナルドと学友だったためか、〈一度目〉の人生で彼は何度かデシャルムの屋敷を訪れていた。それを運悪く、私が見てしまったことで、私の運命の歯車は狂い出した。

(彼のことなど、知らなければよかった)

 知らなければ、恋い慕う心すら生まれなかったのに。

 それでも、ディオンが屋敷に招かれているだけならば、まだ良かったのだ。監禁部屋に籠り、家族と使用人以外への目通りを許可されていない私が彼と直接会いまみえることなど、本来であれば万が一にもなかったのだから。私だって、格子のついた小さな窓から、その姿を見ているだけで十分だった。
 私があの日、いつものように人目を盗んで屋敷一階の奥にある書物庫へ向かいさえしなければ、彼は私にとってお伽話に登場する王子様でしかなかったのに……。

(彼にとっての私が、みすぼらしい村人で終われたら、どんなに良かったことか……。こうして悔いたところで、仕方がないのだけれど……)

〈一度目〉の人生においても、私はケニーや他の使用人、家族の目を盗んで書物庫へ行っていた。私へ施される教育は最低限で、話し相手もいなかったため、知識と広い世界に、私は飢えていたのだ。
 オメガという判定を受けるまでは、私もごく普通に屋敷で暮らしていた。だから、書物庫の場所も道のりも覚えている。そして使用人がいつ頃に休憩をとり、どこで仕事をしているのかも、幼い時分の私は少しばかり知っていた。

 自分で言うのは如何なものかとは思うが、私は聡い子だったのだ。
 書物庫に置いてある本を黙々と読むことを好み、物静かに思考して、再び本へと意識を向ける子供。剣や弓の腕はなかったが、知力に関しては年齢以上に思慮深い子だった。まあだからこそ、優秀だと思っていた次男がまさかオメガだったことに父が落胆し、激昂したわけだけれど。

 ともかく、だ。
 あの日——ディオンを初めて目にしてから半年ほどが過ぎたあの日も、私は監禁部屋を抜け出し、人目を盗んで書物庫へ向かっていた。そして偶然、屋敷内を歩いていたディオンと遭遇してしまったのだ。

 私の知る限りでは、その日、その時間に、そこを歩いている者など一人もいないはずだった。いつものように、こそっと書物庫へ忍び込み、前回拝借していた本を戻して、新たな本を得るだけだと思っていた。
 それなのに、なぜかあのとき私はディオンに出会でくわしたのだ。


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