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第二章
20. 〈一度目〉の事件 #
しおりを挟む時は遡る。
これは、〈一度目〉の人生での出来事だ——。
私はこの日、弟のグェンダルによって領都の中心地区にある広場へと呼び出されていた。
そこには、神話に登場する水の精霊をイメージして作られた彫像が中央に飾られた噴水が設置されていて、領民たちの憩いの場となっている。噴水のそばでうら若き乙女たちが恋の話に花を咲かせていたり、道ゆく商人が美しい噴水を目の前にひとときの休憩をしていたり、端のベンチで前途ある青年が読書に励んでいたりする。私には一生縁のない、平凡で平穏な時間が流れていた。
そんな光景を私は馬車の中から眺めたのち、御者に声をかけて広場へと降り立った。この当時、私は二十二歳になったばかりであった。
「グェンは、ここで待つようにと言っていたけれど……」
いつもの監禁部屋で、書物庫から密かに持ち出した本を読んでいた私のもとへ一通のメモが届いたのは今朝のこと。発情期が明けて二日経っていた。
無表情の世話係ケニーが「グェンダル様からです」と渡してきたそれには、私が二十二歳になったことを祝う言葉と、遅ればせながら誕生日の祝いをしたいので、噴水広場へ来てほしいという主旨が書いてあった。
正直言って、気乗りはしない。
これまでも、グェンダルが私の誕生日を祝うことはあった。もちろん真っ当に祝われるはずもない。それはすべて、彼の好きなように私を嬲るための口実だ。
ある年では、祝いとして新品の鞭を試してあげると背中を打たれた。
ある年では、縄で手足を縛られ吊るされて、何時間も放置された。
ある年では、毒入りのケーキを食べさせられ、三日三晩痛みに苛まれた。
グェンダルが私に性的虐待を加えるようになると、得体の知れない玩具や媚薬を贈り物だと称して、嬉々として私に試すようになった。
誕生日でなくても、何かと理由をつけて折檻を正当化するのは、なにもグェンダルだけではない。私の家族は皆、そうやって私を『可愛がってあげている』のだと嗤う。
そんな家族からの可愛がりは、どれもが私が暮らす監禁部屋か、屋敷の敷地内のどこかしら——庭外れの物置小屋や地下室など——で行われている。それはグェンダルも例外ではない。屋敷の敷地外への呼び出しなんて、初めてのことだ。私は七歳以降、一人で外へ出たことがないほど、敷地外とは無縁の暮らしを強いられてきた。
だから、今回は折檻ではない。本当に素敵な贈り物が待っている……なんて、微塵も思わない。おそらく趣旨を変えただけだろう。久しぶりの外だとしても、とても楽しむ気にはなれなかった。そう考えられるくらいには、私は馬鹿ではなかった。
だが、それが判ったとして、誘いをどう断るべきかは考えがつかなかった。どうせ誘いを断れば、躾けと称した苛烈な折檻が待っている。
誘いに応じて早めに『祝われ』に行くか、誘いに応じずに今夜遅くに『躾け』られるか——私がとれる選択肢は、どちらかしかない。そして、そのどちらであっても内容は大して変わらない。
考えた末に、私は前者を選んだ。……つらいことなら、早めに終わらせたい。そう思ったのだ。
グェンダルが申しつけていたのか、世話係のケニーに「弟に呼ばれたので噴水広場へ向かいたい」と伝えると、馬車の用意はすでにできていた。なので、私はケニーの手によって用意された外出着を身につけて、馬車に乗ってこの広場にやってきたのだ。
届けられたメモ書きには、ただ広場に来さえすればいいと書かれていた。
私が馬車を降りると、すぐに御者は馬に合図を送り、走り去ってしまう。おそらくそれもグェンダルからの指示によるものだろう。
取り残された私は、ぐるりと広場を見渡していく。
侯爵家の次男が護衛一人つけずに広場に佇む光景は、本来ならば異様なものなのに、滅多に表に出ることのない次男が私であることに気づくような人はいない。馬車も家紋をつけないお忍び用のものだし、外出着も庶民に馴染むものなので、誰も『私』には関心を向けずにいた。
好奇の目に晒されないことを有り難く思いながらも、きょろきょろと辺りを見回していると、男性三人が私へと近づいてきた。
「イリエス様。お迎えにあがりました」
「グェンダル様がお待ちです」
「俺たちについてきてください」
それぞれ言葉を発した男たちに、腕を取られる。
グェンダルが待っていると言うからには、おそらく弟の知人なのだろう。それを装っている不届者の可能性もあるが、私には判別がつかない。それに、不届者だろうが何だろうが、逃げられないと悟っていた。男は三人が三人とも屈強な体つきをしていて、身長も低く痩躯の私ではとてもでないが抗う術を持たなかったからだ。
「……グェンダルはどこに?」
一言だけ問いかけると、彼らは目を細めた。
「ここから少し離れた、俺たちの遊び場にいますよ」
「心配なさらずとも、ちゃんとお連れしますとも」
それが、決して良い場所でないことは想像がつく。
しかし、腕をがっしりと掴まれて、男たちに左右と背後を囲まれた私に逃げる道はない。彼らの言われるがままに足を動かし、広場をあとにした。
+ + +
連れてこられたのは、路地裏にある古びた酒場。
いや、正確に言うならばおそらく元酒場だ。カウンターも数人がけのテーブルも古びていて、壊れたものはそのまま。カウンター内に設えられた棚には酒瓶が幾つか並んではいるものの、決して多くはない。その様子から、すでに営業を取り止めてから久しい酒場であることを推測した。そして、この場所が先ほど一人の男が口にしていた決して良くない『遊び場』であることも。
まあ推測したところで、何の役にも立たないのだけれど。
「兄上、お待ちしてました」
屈強な三人の男は正しくグェンダルの使いであったらしい。元酒場であり、遊び場だといえそこで私を出迎えたのは異母弟のグェンダルだった。
十九歳になるグェンダルはカウンターの上に座り、悠然と足を組んでいる。侯爵家の者とは思えぬ粗忽な態度に眉を顰めそうになった。態度はさておき、見た目だけならば男ぶりの良い青年だ。中身はクズだが。
そんな彼の周りを幾人かの男が囲んでいた。
昨年学園を卒業した彼のかつての学友なのか、それとも別の友人なのか。あるいは、その両方か。……貴族の子息だとしたら、随分とガラの悪い者ばかりではある。
「お誕生日おめでとうございます、イリエス兄上」
「ああ……ありがとう」
言葉だけなら、なんてことはない心温まる兄弟の会話。
けれど、その言葉を額面通りに信じるほど、私は弟に家族としての普通の愛情を抱けていない。まあ当然だろう。七歳からずっと、彼らに甚振られ続けている毎日なのだから。
「発情期も明けたと聞いたので、今日はお祝いをしようと思いまして。けれど、いつも屋敷の中だけでは兄上もそろそろ飽きたでしょう? なので、こちらに招待しました」
私は、痩躯で最低限の手入れしかされていずとも、顔立ちだけならば褒めそやされるのだが、それは弟も同じだ。半分だけとはいえ同じ血を引き、さらに相応には美しい容姿を持つオデットの子供であるグェンダルは、私とは系統は違えど整った容姿をしている。
そのグェンダルが口元に緩やかな笑みを浮かべて兄を見つめる姿は、愛らしい小鳥の羽を楽しげに捥ぐ、肉食獣のようであった。
「それでね。ここにいるやつらも、兄上の誕生日を祝いたいそうなのです」
「そう……。それで、その者たちは?」
「酷いなぁ。うちの領の騎士たちですよ。兄上は騎士団とはあまり面識はなかったでしょうけど、我が領を護ってくれているんですから、ちゃーんと憶えてくださいね」
笑みを浮かべる姿に、全身が粟立つ。
グェンダルが騎士であるという男たちを使って良からぬことをしようとしていることは、愚鈍な私でも察することができた。
「兄上はいい歳なのに、外のことをほとんど知らないでしょう?」
「それは、まあ……そうだね」
外の世界を知らないのは、私が自ら好んでしているわけではなく、お前らが私を屋敷に閉じ込めているからなのだけど。だが、そんなことを喚いたところで拳が飛んでくるだろうから、迂闊なことは言えない。
私は震える手をぎゅっと握り締め、先ほどから絡みつく気色の悪い数多の視線を、吐き気を堪えながら受け止めていた。
「だから、僕がいろいろ教えてあげるのも良いかと思いましてね。手始めにまずは、この遊び場へ招待したんです。ここなら僕や僕の友人と、いろいろと楽しいことをして遊べますから。兄上、嬉しいでしょう?」
要は、グェンダルはこう言いたいのだろう。
私のためを思ってこの場を用意したので、好きに甚振らせろ、と。
「さあ……僕からのお祝い、存分に受け取ってくださいね」
あっ、と思ったときには、私は大勢の男に取り囲まれ、床へと組み敷かれていた。悲鳴を上げる隙すらなかった。
それからは、体じゅうを蹂躙され、好きなように男根やよくわからない玩具を代わる代わる上へ下へと咥えさせられ、奥まで穿たれて、さんざん嬲られたのは言うまでもない。
思い出したくもない悍ましい経験だけれど、あえて良かったことを挙げるのならば、避妊薬を投与してもらえたことだろうか。
まあ、何が良くて何が悪いかなんて、グェンダルに連れられて屋敷に帰らされた頃には、考える気力すらなかったけれど。
◇◇◇
(2024.7.14後書き)
いつもお読みいただき、ありがとうござきます。
お気に入り登録、♡、しおりなど、大変励みになっております。感想も嬉しくて舞い上がっています。
じつは本作、手元で完結しないうちに投稿を始めていて投稿しつつ執筆を進めていたのですが、ようやく手元で完結しました。
なので、作品詳細に記載していた予定文字数と話数を変更しました。
イリエスが不幸続きでめちゃくちゃになっていますが、引き続きあたたかく見守ってくださると嬉しいです。
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