【完結】十回目の人生でまた貴方を好きになる

秋良

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第二章

23. 逃れるために

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「こんな時間に珍しいね、ケニー」

 入室の許可を待たずに扉を開いて顔を見せたのは、案の定、私の世話係であるケニーだった。彼はお仕着せではなく、ラフな格好をしていた。
 本来ならばもう彼の就業時間を過ぎているし、私も発情期中でもなければ具合を悪くして寝込んでいるわけでもないので彼を呼び出すことはしない。特に変わったことがなければ、ケニーの仕事は私の部屋に夕食を運び、風呂の準備をしたら終わりなのだ。夕食の器を下げに来る明朝まで、余程のことがない限り、彼は姿を現さない。

 そのケニーがこんな時間にどうして? と頭を捻っていると、これまた珍しく、彼は申し訳なさそうに僅かに眉を下げて——いや、ほとんど仏頂面と違いはなかったけれど——おずおずと口を開く。

「夜分遅くにすみません、イリエス様。こちらに忘れ物をしてしまったようで……懐中時計がありませんでしたか?」
「懐中時計? ……ああ、もしかしてこれかな」

 私は書物机の引き出しから、少しだけくすんでいる懐中時計を取り出し、ケニーへ見せてみる。
 装飾品の類いの真価は詳しくない。けれど、その懐中時計は使い込まれてはいるが大切にされていることが私にでもわかる良いものだった。

 なぜそんなものが引き出しに入っていたかというと、私がディオンとの茶会ののち、自室に帰ってきたときに見つけたからだ。そろそろ風が冷たくなる時間だからと、彼の膝枕から揺り起こされたあとだった。

 あの茶会では、庭園にケニーもともにいた。けれど、第三王子の護衛に戻るディオンをエントランスで二人で見送ってから、ケニーは他の仕事があると言って私のそばを離れていったので、自室に戻ってきたときは私のみだった。
 それから陽が落ちてしばらくして私の夕食——相変わらず硬いパンと薄いスープだが、今世ではごく稀にケニーが一品を添えてくれることがある——を持ってくるまでの間に、私がその懐中時計を見つけたのだ。

 ケニーか他の使用人の忘れ物だと思ったため、布巾で磨いてから、ひとまず引き出しへとしまっておいたのだけれど、どうやら当たりだったらしい。
 明朝、持ち主に心当たりがないかケニーに聞いてみるつもりだったが、思いがけず早く解決したようだ。

「それです。ありがとうございます、イリエス様」
「いいや。むしろ、そのままにしておいたほうが良かったね。失くしたら大変だと思って、引き出しへ入れてしまっていたんだ」

 持ち主が判明してよかった、と時計をケニーへと手渡す。
 いつも無表情のケニーだが、時計を手に取ったときは少しばかりほっとしたような顔をしたように見えた。

(大切にしているのだな。何か思い入れがあるのだろうか……)

 珍しい表情のケニーを見た私は、にわかに興味が湧いて、彼にその懐中時計について訊ねたくなった。
 今世では、ケニーとの関係はまずまず良好だ。友人とは言えないまでも、ケニーが忙しくなれけば、私の雑談にも付き合ってくれるくらいには関係は改善されている。少なくとも、過去のケニーと私のように最低限の言葉をただの情報として交換するだけの関係ではない。

 すぐに部屋を辞そうとしたケニーを引き留めて、書物机の椅子へと座らせ、私は懐中時計について訊ねた。きちんとした格好をしていないからと躊躇うケニーに「私相手に格好も何もないだろう」と言い聞かせれば、彼は渋々ながらも私の提案にのってくれた。
〈十回目〉の朝を迎えたときは、彼とこのくらい言葉を交わせるとは思っていなかった。彼とこうした関係が得られただけで、多少は今世で試行錯誤をした甲斐があったのかもしれない。もし〈十一回目〉があるとして、またケニーに諦めずに話しかけてみよう。

「いい時計だね」
「……ありがとうございます」
「随分と大切にしてしているようだけれど、見つかってよかったね」
「ええ、まあ、そうですね——」

 促すように目線を送れば、ケニーはぽつぽつと話し始めた。
 聞くところによれば、真鍮製の懐中時計はデシャルムの屋敷へ来る際に貰った贈り物だという。

 使用人たちは立場によっては時刻を確認しなければいけない仕事に就いているから、ケニーが時計を持っていても不思議はない。思い返してみれば、たしか私の部屋の掃除をしたり、食事を持ってきたりしたときに、その時計を確認しているケニーの姿を見かけたことがある。
 もしかしたら今夜もどこかで失くしたことに気づいてはいたが、色々と思い返したところでようやく私の自室に置いてきてしまったのではと思い当たったのかもしれない。あるいは、ちょうどゼンマイを巻こうとして、手元に時計がないことに気づいたのかもしれない。

「そうか。それは、ケニーにとって宝物なのだね」

 ところどころ小さな傷ができていて、色も随分とくすんではいるけれど、いい時計だ。継母の耳や指を飾る派手な宝飾品よりも、私はその素朴な時計のほうが好きだと思った。
 そんなことを伝えれば、ケニーは恐縮したように肩を幾分縮こませた。

「そう大袈裟なものではありません。美しい石も装飾もない、安物の懐中時計ですよ。奥様のイヤリングや指輪のほうが遥かに価値のあるものです」
「宝飾品としての価値は私にはわからないけれど、私はそうは思わないな。こんな時間にわざわざ取りに来たのだから、思い入れがあるんだろう?」
「それは……時間がわからないと、明日の業務に支障が出ますから」

 それだけではないように見えるのだけれど、という思いをこめてケニーを見つめる。すると、やはり珍しく彼は「はぁ」と小さく息をついて、さらに言葉を紡いでくれた。面倒というよりは、どう話したものか悩んでいるような様子だった。
 幾許かの間ののちに、ケニーはその思い入れについて話し始めた。

「……妹に貰ったものなのです」
「妹さん?」

 そういえば、ケニーの家族については聞いたことがなかった。
 三男だというのは知っていたが、妹がいるということは、我が家と似たような兄弟構成なのかもしれない。

「はい。うちの家が落ちぶれた子爵家であることは、イリエス様もご存知ですよね」
「え、っと……まあ。たしかケニーは、ラルエット子爵の三男だったかな?」
「おっしゃるとおりです。長兄は家の立て直しのために父と奔走していますが、二番目の兄は私と同様に他家へ奉公に出ています。何かと入り用ですから」

 跡目とならない貴族の次男三男が騎士になったり、文官になったり、自分より高位貴族や王族のもとで侍従や侍女になるのはよくある話だ。我が家も侯爵家だからか、貴族出身の者をこうして雇っている。
 奉公によって得た給金は、場合によってはケニーのように生家へと入れられる。これもまた、よくある話である。

「そうだったんだね。それで……妹さんも奉公に?」

 次男も三男も奉公に出ていて、その三男が自分の家を「落ちぶれている」と言うのだから、ラルエット子爵家の経済状況はおそらくそんなに芳しくはない。となれば、話題にあがった妹も、どこかの侍女になっていそうだが。

「いえ。妹は他国へと嫁ぎました。あまり器量が良いわけではなく要領も良くない妹でしたが、それでもめとりたいと言ってくださる方がいましたので」
「他国へ……?」
「はい。爵位のない方でしたが大店おおだなのご主人で、結納金をたくさんいただけました。そういう妹の献身もあって、我が家はなんとか食い繋いでいられるのです」

 なるほど。他国へ嫁ぐ、か——。

「では、その時計は妹さんとの、思い出の品なのだね」
「はい」

 ケニーは手元の懐中時計を大切そうに見つめていた。
 この数十分の会話で、ケニーのことをよく知れたような気がして、心に小さな風が吹く。いつも読み取りにくい彼の表情も、よくよく見れば随分と変化があることに気がついた。

「もう何年も会っていないのだろう? 寂しいね」
「そうですね。離れた国ではないのですが、私はこちらでお世話になっておりますし、妹も今では立派に大店の女将として立ち回っているので、なかなか……。ですが、妹の手紙には『幸せだ』と書いてありました」
「そう。それなら、妹さんはよかった、のかな」
「はい。気軽な再会は難しいと諦めもついています。その分、この時計を大切にしようと思っています」

 そうしてケニーは、懐中時計のゼンマイを巻いてみせた。どんなに傷がついていようとも、それは彼にとっての宝物。明日も明後日もずっと、彼とともに歩んでくれるだろう。

「イリエス様、見つけてくださってありがとうございました。明日の朝、またいつもと同じ時間にまいります」
「ああ。話に付き合ってくれてありがとう。おやすみ」

 もう遅いので夜更かしはほどほどに、と私を寝台へと押しやってから、ケニーは「おやすみなさい」と言って、私の部屋から去っていった。

 ケニーの背中を見送りながら、私は頭を巡らせる。

 ランタンの消えた暗い室内。
 ここは、不要なオメガを閉じ込める牢獄だ。
 この牢獄に、私は何度も何度も戻ってきている。戻ってきてしまっている。
 死ぬたびに戻ってきて、ひどい夢のような現実を無為に過ごしている。

 だから、もうずっと終わらせたいと願っていた。
 せめて、つらい時間を減らせないものかと悩んでもいた。

 そこに一筋の光が差し込んだような気分だった。
 この悪夢はもしかしたら、ようやく終わりを迎えられるのではないか。
 そう——ここから出て……家族のいない、誰も知らない場所へ行こう。
 少なくとも、ディオンのいない場所へ行こう。
 そうすれば、もう彼の顔を見なくて済む。二度と会わずにいられる。
 言葉を交わすことも、手紙を綴ることもなくなる。
 叶わぬ想いに心焦がれ、いつか来る決定的な失恋に怯えることもない。

 ——なんだ、簡単なことじゃないか。

 後日。
 相談があると何とか時間を作ってもらって、私は父へとある提案をした。はじめは不機嫌そうにしていた父も、私の話を聞くと珍しく機嫌を変えて、それこそ嬉しそうな様子で、私の提案を前向きに検討してくれた。

 そして、しばらくして。
 私、イリエス・デシャルムは隣国の貴族のもとへ嫁ぐことが決まった。
 あと半月で十九歳になろうという、初春の日のことだった。


 ◇◇◇
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