【完結】十回目の人生でまた貴方を好きになる

秋良

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第三章

32. マオリルと王子

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 トレヴァー団長がその場を辞したところで、リュシオン殿下は「さて……」と話を切り出した。

「イルを呼んだ理由は二つある」
「二つ、ですか……?」

 どんなことを言われても、努めて冷静でいなければ。
 私は腹に力を入れつつ、その真意を探ろうと、じっと言葉を待った。

「そう。まず一つは、きみの無事を確認するため。きみは知らないだろうけれど、イリエスは少し前に病死した、という話があってね」
「病死……」
「きみの生家であるデシャルム家が言うことには、イリエスは嫁ぎ先のパラウィットで病に伏し、闘病の甲斐なく逝去した、と。葬儀もすでに嫁ぎ先で行われて、すでに故人である——それがデシャルム家が表向きに公表している内容だ」

 殿下は、先に何か含みがあるような視線を私に向けた。まるで「おかしいよね?」とでも言いたげに。
 まあ、そりゃそうだろう。当のイリエス・デシャルム——あるいはイリエス・ジード——は今この瞬間、リュシオン殿下の目の前で生きたまま存在しているのだから。病死した人間が生きていれば、おかしい以外の何ものでもない。

 だからと言って、殿下に伝えられる言葉を私は持ち合わせていない。
 私がすでに亡き者となっていることも、それがどういう理由からくるものなのかも、私は知らない。あいつらのことだから大方、「嫁ぎ先で出奔した」なんて体裁が悪いから病死にしたのだろうけど。

 どうせ隣国でのことだ。アルノルクの貴族であるデシャルム家としては、それで何ら問題ない。出奔したのなら「とんだ息子だ」と後ろ指をさされるだろうけど、病死となれば周りから「ご愁傷様でしたね」と言われてお終いだ。

 では、なぜリュシオン殿下は病死したイリエス・デシャルムの無事を確認しようとしたのか。含みを持たせた視線は、私の生死に関しての不可思議さを唱えているだけでもなさそうだった。それは、つまり——。

「……殿下は、私の生家にと考えておられるのですね?」
「ふふ。イルは賢いね。その賢さを正しく認められたのなら、あの家ももう少し違った形で繁栄しただろうに」

 相変わらず、リュシオン殿下は優美な笑みを湛えている。その笑みは、出来の良い生徒を前にした教師のようにも見えた。
 このあと私が紡ぐ言葉をもう想定できているのだろう。おそらく私がどんな言葉を述べても殿下は驚かない。そんな余裕が垣間見えていた。

「では、もう一つの理由が、それに関わるのでしょうね」
「察しが良くて助かるよ。つくづくデシャルム家は惜しいことをしたねぇ」

 詳しい話を聞くしかない——いや、むしろ話すしかないみたいだ、と私はそっとため息をついた。そのため息には不安と諦めとは別に、ほんの少しの期待がのっていることに、私自身気づいていなかった。

 私は近くに煩雑に置かれていた簡易椅子を二つ取って、一つを殿下に、もう一つを私のそばへと設置する。長い話になるかもしれないと思ったのだ。
 リュシオン殿下は「ありがとう」と礼を述べてから、洗練された美しい所作で腰かける。近衛騎士たちが椅子に座ることはないので、彼らは殿下の背後に並んで立った。その様子を見てから、私も椅子に座った。

「もう一つの理由について、お聞かせいただいても?」
「もちろん。そのために来たのだからね。ああでも、それを伝える前に、もう一人呼んでいいかな。彼がいないと始まらないんだ」

 それに、きみを一番に心配しているのは彼だから——。

 殿下がそう言い終わってすぐ、彼の背後にあった厚手の垂れ布が揺れた。それは天幕内をいくつかの区画に区切るための仕切り布で、その先には何があったか……そんなことを考える間もなく、布をめくって姿を現した人物に、私は目を溢れ落ちそうなほどに大きく見開いた。

「…………ディオン様……」

 ランタンの灯りしかない薄暗い天幕の中でも煌めく金の髪。すっと通った鼻梁と形の良い唇。男性美のすべてを詰め合わせたといった容貌。その男が持つ、真紅の瞳に指先の動き一つまで絡めとられる。その目には獲物を射抜くような鋭さを備えながらも、私を見つめる眼差しは優しさに満ちていた。

「イリエス……本当に、生きて……無事で良かった……!」

 ディオンは、椅子に座ったまま固まる私に駆け寄り、がばっと抱きつく。
 これほどまでに強く抱き締められているのかわからなくて……どうしていいか、思考が追いつかない。

 あまりにも突然だったために頭の中は真っ白で、私はディオンを避けることも、押し付けられる厚い胸板を突き放すこともできずにいた。ただ、逞しい腕の中でぎゅうぎゅうと締め上げられながら、体を硬くするのが精いっぱいだった。

「………………」
「ディオン。そろそろ離してあげたらどうかな? 彼、そのままだと座ったまま気を失ってしまいそうだから」
「え? ——ああ、イリエス、すまない。嬉しくて、つい……」 

 むしろ、気を失えたらどんなにいいか。
 気を失って、何もなかったことにできれば、どんなに……。

 名残惜しむように離れた腕に安堵と淋しさを覚えながら、私は改めてディオンとリュシオン殿下へと向き合った。
 残念ながら、頭は真っ白ながらも気は保っている。なので、もはやこれは諦めだ。心を殺して向き合うしかない。

「……ディオン様、ご無沙汰しております」
「ああ、本当に……。どれだけ言葉を尽くしても足りないほどに、心配していたんだ……。きみが無事でいてくれればと、ずっと願っていた」
「すまないね、イル。騙し討ちのような真似をして」
「いえ……」

 なぜディオンが、という疑問を抱くのはおそらく無粋なのだろう。
 ディオンがこの場に現れるということは、リュシオン殿下と彼は、ほとんど同じ情報を持っているに違いない。どちらが主体かはわからないが——普通に考えれば主従関係から言ってリュシオン殿下側だろうけど——殿下が話していた『一つめの理由』の真意をディオンもまた有している。ゆえに、ここにいる。

「……ディオン様も、デシャルム家に対して何かお考えがあるのですね?」

 その問いに、ディオンは神妙な面持ちで頷いた。

「そうだね……。俺はずっと、デシャルム家の中でイリエスが窮屈な思いを……いや、もっと直截ちょくせつに言えば、きみが家族から過度な躾や暴力——虐待を受けているのではないかと疑っていたんだ」

 淡々と、しかし傷ましそうな表情を浮かべてディオンは言葉を続ける。

「きっかけは、とある不思議な日記なのだけれど……まあ、それはひとまず置いておくとして、じつは俺はイリエスに出会う前から、デシャルム家やきみのことを調べていたんだよ」
「それは——……」

 驚いた。
 今世でディオンに最初に出会ったのは、クラヴリー公爵家からのお誘いで私も含めての交流を望まれたときだ。窓から庭を眺めていた際に目が合ったかもしれないが、直接言葉を交わして顔を合わせたのは、あの来訪の日が初のはずだ。

 なのに、あのときにはもう、虐待を疑っていたというのか。

「それでは……初めてお会いしたときにはすでに、虐待をお疑いに?」
「そう言うことになるね。イリエスが苦しんでいる可能性に気づきながらも、すぐに手を差し伸べられなかった……。本当にすまない……きみに、どう謝ればいいか……」
「いえ……どうか頭を上げてください」

 苦しそうに頭を下げるディオンに声をかけながらも、内心で激しく狼狽えていた。

 ディオンが、あの時点で私の状況に気づいていた? 手を差し伸べたかった?
 そんなことが起こり得るのだろうか。

 正直言って、こんな展開はこれまでにも経験がない。
 なおも頭を下げ続けるディオンに、私はただただ、言葉を失っていた。

「それじゃあ、それについては私から話そうか」

 混乱の中にいる私と、申し訳なさからか言葉を詰まらせてしまったディオンに代わって、にこり、と微笑みながら口を開いたのはリュシオン殿下だ。

「我がアルノルク王国も多分に漏れず、何十年も昔は、第二の性による差別意識があったのはイルも知っているね?」

 殿下の問いに、私は戸惑いながらも頷く。
 今でこそ『アルファ重視やオメガ軽視という考えは前時代的な考えである』というのが世間の主流になってはいるが、昔はデシャルム家のようにアルファを至高と崇め、持て囃すのは常識であった。まあ何度も述べているように、デシャルム家は今なお、その古臭い考えで生きているのだが。

「しかし、その考えはもう古い。いや、古さや新しさではなく、性別や生まれによって差別されることなど本来あってはならないことだ。特にここ十数年ほどで、王家はその意識を強く持つようになった。貧富の差や雇用問題、王侯貴族と平民の身分の扱い等、まだまだ課題は山積みだが、少なくとも王家としては『アルノルクを差別のない平穏な国にしよう』という主義でいるし、事実そういう動きを始めている。——ここまではいいかな?」
「はい。ひとまずは」

 どうやら、我が故郷の王家は随分とご立派な思想をお持ちらしい。いや、王権国家であるアルノルクの王家がその考えとなれば、それはもはや国政か。
 私がアルノルクにいたときは、家の外のことはほとんどわからないままだったからか、故郷での世の流れは正直言ってほとんど知らない。九度の過去を含めても、私の世界は極端に狭かったのだと、今さらながら思い知らされる。

「私がここを訪れたのはね、この街や領地を視察に来たからなんだ。マオリルの街は、イルにとって比較的住みやすい場所ではないかな?」
「……ええ。そうですね」

 それは、殿下のおっしゃるとおりだった。
 差別意識の根絶がパラウィットで広まり始めているというのは、団長たちが話しているのを耳にしたことがある。この国も、私の夫であったジード伯爵のようなアルファ至上主義者はまだ一部ながら存在している状態ではあるけれど、少しずつ変化があるという話だった。

 特にここ、マオリル周辺では第二の性差別がまったくないと言っても、過言ではない。

 めぼしい観光地も珍しい特産品もない代わりに、オメガや身分の低い者に対する職への雇用が積極的で、門戸を開いている場所が多く、懐の深さがある。つまり、今まで社会的弱者と見られていた者にとって、マオリルは非常に住みやすい街なのだ。
 だからこその、この地での定置型劇場が劇団リベルテの悲願でもある。

「この地の成功例を参考にしながら、このような場所をアルノルクにもパラウィットにも増やしたい。それが今の両国の悲願なんだ。だからね、イル——アルファ至上主義なんてかびの生えた考えは、アルノルクうちでも徹底的に排除したいんだよ。それも、頭の固い人間にはお灸も据える形でね」

 言っていること、わかるよね? と、リュシオン殿下は言外にものを言った。




・ーー・ーー・ーー・ーー・

(2024.7.21 後書き)
いつもお読みいただきありがとうございます♡
お気に入り、♡、感想もありがとうございます。すべて励みになっています。

平日は21時頃に1話ずつ更新予定です。
少しずつ物語が動いてきましたかね…?話数的にも全63話予定なので、折り返しです。
引き続き、お付き合いいただけると嬉しいです。
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