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23. 子どもの夢
しおりを挟む「私はね。マティアスくんが、私のことを覚えていなくてもいいと思っていたんです」
陽が落ちてきたのか、徐々に茜色の光が中庭に差し込む。
夕陽色に染まるアルテュールの顔は、ひどく優しい。
「マティアスくんが話されたように、あのときのあなたは、いろんなことが起きたのでしょう? お母様が亡くなって……それから、しばらくしてお父様も亡くなられたんですよね。あまり憶えていないということは、それだけつらい体験をしたということです」
アルテュールの言うように、あの頃のマティアスはつらい日々を過ごしていた。
病弱の母に、騎士として多忙な父。まだまだ甘えたい年頃だけれど、甘えられる先はなかった。母に負担はかけたくなかったし、父の代わりに自分が力になってやりたいという使命感を持っていた。父は忙しい仕事の合間を縫って、母にもマティアスにも優しく接してくれたし、精一杯の愛情をかけてくれた。でも……そんな父には、手間のかかる子だと思われたくなかったので、どこかで我慢をしていた。
父のことも母のことも大好きだったからこそ、心ゆくまで甘えられないのは少し寂しかった。
近所のお兄さん——アーティお兄ちゃんが時折遊んでくれるから、そのときは寂しい思いは薄れていたけれど、やり場のない悲しみに対してどう向き合えばいいかわからなかった。
記憶が曖昧なのは、無意識のうちに自分のことを守っているからだと、騎士になってから言われたことがある。過酷な任務のあとに一時的に記憶がぼやける騎士がいるので、そういうことは不思議ではないのだとも。
面倒を見てくれた父の友人にも同じようなことを言われた。そして、無理に思い出す必要がないとも。
そういうこともあってマティアスは、母も父も優しかったことと、自分をたくさんの愛情で育ててくれたことを憶えていられればよかった。それに、優しいお兄さんを慕っていたということだけ覚えていれば、特に過去を憂いすぎることなく暮らしてこれたのだ。
「だからね。私はそんな時期のことを、無理に思い出してほしいとは思いません」
アルテュールは、はっきりと述べた。
「あの夜に話を聞いて……マティアスくんが『お兄さん』のことを憶えてくださっているだけで、私は十分だったのですよ」
「アルテュール様は——アーティお兄ちゃんは、昔も今も優しいですね」
本当に、彼は優しい。そしてそれは、ずっと変わらなかった。
もし自分がアルテュールの立場なら「自分があのときの子どもだ」と、正体を明かしてしまっていると思う。ずっと心の中で大切にしていた相手が目の前に現れたら、きっと我慢できない。
「それに……憶えてくださっていなくても、よかったのです。マティアスくんが私のことを憶えていても、いなくても、あなたにはずっとお会いしたいと思っていましたから」
「本当ですか?」
「ええ、本当です」
視線を合わせるようにして、アルテュールは少しだけ身を屈める。
優しい春の声が、マティアスを包み込む。
「占星術師になって、また故郷のオルティアースに帰ることが私の夢だったんです。立派な占星術師になって、故郷に戻って、またマティアスくんと仲良くなれたらいいなと思って、こちらへやってきました」
そういえば、アーティお兄ちゃんの夢は立派な占星術師になることだった。
彼の父親も占星術師で、当時のマティアスは詳しくなかったけれど、オルティアースよりもウェザンダリアのほうが占星術の研究が盛んなのだ。だから彼の地へ渡り、多くのことを学んだのだろう。
「父の星読みでは、こちらに来ればマティアスくんに会えるとは出ていました。とはいえ、あの夜に出会えることも、迎えの騎士がマティアスくんだとも読めなかったので驚きました」
そして、とても幸運でした。
アルテュールは、ふわりと笑う。
「……もう僕のことは、忘れてしまったのかと思っていました」
「憶えていますよ。今も昔も、ずっと。ずーっと」
本当に? と、子供の自分が顔を出す。
「でも、アルテュール様がこちらにいらしてから、もう二ヶ月です……」
ついそんなことを呟いてしまうほど。
相棒のルーセルにはあんなことを言っていたけれど、マティアスはアルテュールに会いたかった。
遠目でその姿を見るだけではなく、近くで目を見て、言葉を交わしたかった。それが何であってもよくて……。それこそ、仕事でも構わなかったのだけれど、残念なことにこの二ヶ月の間、マティアスに与えられた任務で学術師団との絡みはなかった。
だから、余計に気になっていた。
お兄さんに似た雰囲気を持つ、アルテュールという美しい占星術師のことが。
……まあ、実際には同一人物だったのだけれど。
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