【完結】番じゃなくても愛してる

秋良

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13. 番への裏切り



 住まいにしている寄宿舎のエントランスを潜る頃には、立っていることもほとんどできず、俺は室内に入るや否や膝をついた。物騒な物音に、食堂のほうからバタバタと同居人がやってくる。

「何かあった……って、リスト!?」
「わわっ、大丈夫っ?」

 慌ててやってきたのは、二人の同居人。一人はミカで、もう一人はエーリスというオメガにしては背の高い細身の男性だ。二人とも俺とはよく話す相手で、お互い気心が知れている。
 二人に事情を説明しようと思いつつ、なかなか頭が働かない。具合の悪さに耐えるので精いっぱいで、口を開いても浅い呼吸が出るばかりだった。

「アンリさん、リストくんを送ってくれてありがとうございます。リストくん、どこで倒れてました? 危険な目に遭ってたとか……」

 俺に事情を訊かずに、アンリに訊ねてくれたのはミカだ。
 オメガ同士、同居人同士、たとえ俺が番持ちだとしても周期の狂った発情期がやってきたことをミカは瞬時に察してくれた。俺の厄介な体質はミカをはじめとして同居人たちは全員知っている。だから、まれにあるイレギュラーなそれだとわかってくれたのだ。

「私が見つけたのは通り沿いの公園だったが、おそらくその前にも危険な目には遭っていないと思う。顔を青くしてベンチに座っていたのを見かけたから、声をかけてここまで連れてきたんだ」

 ミカとエーリスに俺を預けながら、アンリは答えた。

「リスト、ゆっくり休めよ」

 同居人たちに俺を引き渡して、アンリは殊更優しい声色で気遣う言葉をかけると、そっと離れていく。

「うん……ありがとう……アンリさん……」

 どうにか声を絞り出して、俺は礼を述べた。
 離れた体温に少しだけ物寂しさを感じたのは、きっと発情期が始まったからだ。アンリはアルファで、俺はオメガで……。番がいるから他のアルファに気がいくなんてことはないけど、心身ともに弱っているから優しくされればそれなりに本能が求める部分はあるんだろう。

「ねえ、リストくん」

 アンリと別れたあと、俺はミカとエーリスに肩を借りて、どうにか自室までたどり着いた。俺一人が寝るには十分な小さい寝台に、そのままぐったりと横たわる。体を横たえても目眩は続いていたけれど、ようやく家に帰って来られた安堵から、精神的にはだいぶマシになっていた。

「アンリさん、優しいね」

 ミカがふと呟く。
 エーリスとミカは甲斐甲斐しく、冷たい水を盥に張って持ってきてくれた。濡らした手巾をそっと額にあてがわれる。発情期に入ってしまった火照った体に、冷たさが心地いい。

 具合の悪さは大して変わりがないけれど、ほぅっと息を吐いていると、ミカは少しの逡巡ののちに優しく言葉をかける。

「——そろそろ、前に進んでもいいんじゃない?」

 前に——。
 それが意味するところは、新たな相手を見つけてみては、ということ。

「でも……俺は、ヴィヒトリの番なんだよ……」

 新しい誰かを想うだなんて、そんなこと、できっこない。
 俺はヴィヒトリの番で、ヴィヒトリの番は俺なのだ。たとえヴィヒトリはこの世から去ってしまったとしても……俺のうなじには彼がつけてくれた噛み痕が残っている。そうでなくても、俺はヴィヒトリを愛してる。

 ——愛しているんだ。

「けれど……リスト、言ってたじゃない。番を解消する魔法があるんだって。前は副作用があったものが、ようやく安全なものができたんだって」
「それ、は……」

 アンリに、例の副作用のない番解消の魔法ができたという話を聞いてから少しした頃。俺は同居人たちにその話を聞かせたんだ。夕食はだいたいがみんな一緒に、共有スペースになっている食堂に集まって食べるから、そのときに世間話の一つとして話しをして、俺たちオメガにも選択肢が多少なりとも増えたんだねって笑い合ったのを憶えている。

 今、このシェアハウスで暮らしている中で番がいるのは俺だけ。じつは俺がここに入る、少し前には番を喪った入居者がいたらしい。でも、俺が世話になる頃にはその人はここを卒業していった。
 だからか、俺はまったく気がつかなかったんだけど、アンリが教えてくれた『最新の魔法』ではない一つ前の『副作用が出るかもしれない番解消の魔法』について、どうやら俺はここに入居するときに説明を受けているんじゃないかって話だ。

 俺は……たぶん、あの頃はヴィヒトリを喪ったことで頭も心もいっぱいで。それでもヴィヒトリに胸を張って生きていかなきゃってことに必死で……そのせいなのか、あんまり話を聞けていなかったのかもしれない。あるいは、無意識のうちに『ヴィヒトリから離れる』ことに不安を抱いて、それに類する情報を排除していたのかも。

 言われてみれば、俺たちみたいなオメガに手を差し伸べてくれている騎士団が魔法の話を知らないわけがなかった。騎士団には魔法を使う魔法騎士もいるし、そもそもが塔とは懇意の仲と言っても差し支えないほどには協力関係を結んでいる。
 副作用のない『新しい魔法』はアンリの話ぶりからして、かなり最近のものだから俺が入居した当時はなかったにせよ、その前の魔法はきっと把握していた。そして、きっと俺が望むのならば、いつでもその魔法を受けられる環境や機会を与えてくれたと思う。

 でも俺は——……。
 俺は、副作用の有無とは関係なしに、番を解消する魔法を自分が受けたくて、みんなへ話をしたわけじゃないんだ。
 ただ、同じオメガとして『番』というものに翻弄される可能性がある仲間に良い報せを届けたかっただけ。俺とは違って、いつかは卒業していくだろう仲間に、自分や未来の可能性を広げてもらいたかっただけ。

 決して、俺自身が「番の解消しようかな」なんて悩んでいたわけでも、考えていたわけでも、まして頭をよぎったわけでもない。それは断じて言える。そのはずなのに……。

「ヴィヒトリさんも、責めないと思うよ」

 優しいミカの声に、言葉に、どうしてこんなに胸が潰されそうなんだろう。

「……でも……。でもさ、ミカ……」

 だって、もしヴィヒトリ以外を好きになってしまったら。
 そんなことになってしまったら——ヴィヒトリへの裏切りじゃないか。

 俺は、ヴィヒトリのことを忘れたくない。
 今はまだ、思い出せる。

 あまり感情の起伏があるタイプではなかったけれど、怒った顔も拗ねた顔も、笑った顔も。俺を見る眼差しが優しかったことも、唇の温度や厚い胸板と広い背中も。ぎゅっと抱き締めてくれた逞しい腕とその強さも、耳元で囁く直球な愛の言葉と甘い響きも。——俺はまだ、全部憶えている。
 心の中には今でもヴィヒトリがいて、少しの隙間もなく彼との思い出と彼への想いで満ちている。だから、そんなヴィヒトリでいっぱいの心の中に、別の誰かを入れたりなんかしたら、ヴィヒトリが本当に消えてしまうんじゃないかって不安で仕方がなかったりもする。いつか忘れてしまうんじゃないかって、不安でどうしようもなかったりする。

 だから、ミカからアンリのことを言われて、心が揺れているのは嘘だ。嘘に違いない。落ち着かない気持ちになっているのは、ヴィヒトリに会いたくて会いたくて、仕方がないからであって、アンリに会いたいからじゃない。

「ヴィヒトリに、会いたい……」

 もし彼に会えたのなら、こんなに苦しい気持ちにならない。
 誰かを想う気持ちはヴィヒトリに向ければいいだけだから。

 俺が彼に想いを向けて、それと同じ分だけ——いや、それ以上に彼からは想いを向けられていたから。こんなにずっと……ずっとずっと、満たされないことなんてなかった。

「ごめんね。具合が悪いときにあれこれ言っちゃって。リストくんを困らせたいわけじゃないんだ。ただ……ううん、いいや。何でもない。——僕たち、あっちいるから何かあったら言ってね。また夜に様子を見に来るよ。あのね、リストくん。僕はいつでもリストくんの味方だからね……?」

 ——だから、考えてみても、いいんじゃないかな。

 そんな言葉を残されたように感じたのは、俺の気のせいだろうか。
 慈しむような表情で、ミカとエーリスは俺の部屋を去っていった。

 二人の去った部屋は、やけに静かに感じた。
 しんとした部屋で、寝台に横たわりながらも頭の中ではぐるぐると思いが巡る。

 はじめに巡るのは、ヴィヒトリのこと。
 いつだって俺の心には彼がいるけれど、発情期が始まるといっそう彼が恋しくなる。番を求めたくなるのは本能的にも当たり前のことだし、なにより俺は伴侶のヴィヒトリを愛してる。

 ずっと、そんな日々が続くんだと思っていた。ヴィヒトリは亡くなってしまったから、もうこの世にはいないけれど、俺はそれでも生きていかなきゃいけない。後を追ったりなんかしたら、ヴィヒトリには会えないこともわかってる。
 だから、どんなに寂しくても哀しくても、おれはヴィヒトリへの愛だけを胸に生きていくって……そう思っていた。

 でも、ここ最近。ほんの少し……本当にほんの少しだけ、俺の心の隙間に、ヴィヒトリではない人物が顔を覗かせる。
 俺はそれに無視をして、何食わぬ顔で毎日を過ごすのに、どんなに無視をしても何日かすれば、またふらっと心の中にやってくる。

 だって、彼は——アンリは俺が働くパン屋・シニリントゥの常連客だから。プライベートで彼のことを忘れていても、数日おきに来店してくれる彼を見てしまえば、その存在感が大きくなってしまうのは当然のことで……。

 他にも、常連客はたくさんいるのにね。
 俺と親しく言葉を交わすお客さんは、アンリだけじゃないのにさ。

 特別優しくしてくれる、って思ってしまう自分の心を少しずつ無視できなくなってきていることくらい、俺自身が一番気がついている。
 毎日顔を合わせるわけじゃないけれど、たくさん店に来てくれて、たくさん親しくしてくれて、なにより俺の命の恩人で……。そんなアンリのことを、今さら『知らない相手』になんかできない。——だからこそ、余計に苦しい。

 こんなの……ヴィヒトリへ、なんて説明すればいい?

 俺が彼に誓った気持ちはどうなる?
 番になるって、そういうことじゃないのか?

 アンリのことを考えると、優しくて柔らかな気持ちになれるのと同時に、心は痛くて、張り裂けそうになる。

「……俺は、やなヤツだよね……ヴィヒトリ……」

 頭痛と目眩が止まないのは、副作用のせいか。それとも自己嫌悪のせいか。
 俺にはなんだか、よくわからなくなってきていた。


 ◇◇◇
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