【完結】番じゃなくても愛してる

秋良

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24. 愛の気配と匂い *



 番解消の魔法を施術されて、一ヶ月が経ち、春の匂いが一段と増した、とある日。俺は塔からそれほど離れていないアンリの住まいにやってきていた。

 アンリの家は、小さな一軒家だ。といっても家族で住むには手狭で、陽当たりだって悪い。そもそも塔は街の中心地からも離れていて、住宅街をさらに進んで、常緑樹も増えてくるあたりにあるから、その塔の近くに住むとなるとどうしても木々に囲まれてしまう。だからどうしたって、翳りやすい場所に建っているのだ。
 なお、家の中はというと……残念ながら、魔導師や研究者のイメージから勝手に想像される、いかにも雑然とした雰囲気……ではなく、整理整頓されていた。

「いや、生活感がないって言ったほうが正しいか」

 アンリと恋人になってから、この家には何度か訪れたことがある。
 炊事場と水回りのほかに、居間にしている部屋が一つと、寝室が一つ。でもどちらの部屋も置いてある家具は最小限で、荷物どころか魔導師が大量に読むであろう本ですらも数冊棚に置いてあるだけ。

 まあ、生活感の無さはそれはそれで、魔導師っぽいのかもしれないけどね。

「もー。相変わらず、塔が生活の拠点になってるんでしょー」
「ううむ……面目ない。これでも最近は少しずつ、こちらに帰ってくるようにはしているんだがな」

 困ったように眉を寄せたアンリを肘で小突いて「これでー?」とつっこんだ。

「まぁいいや。アンリさんが困ってないようなら。調理器具は一通り揃ってるし、オーブンに保冷庫もあるから俺としても不足はないわけだし」
「すまないな。とはいえ、きみを不安にさせるのなら考えねば……」

 思ったが以上に真剣に謝るアンリに、俺は両手を左右に振った。別に非難しているわけじゃないのだ。

「不安ってほどじゃないよ。仕事ばっかりだと心配にはなるけどさ。んー、でもなぁ、魔導師さんとしては、この家よりは塔のほうが快適かー」

 なら、塔に籠っちゃうのも頷けると言えば、アンリは少し悩んだ様子を見せてから口を開く。

「……ここからは、近いうちに引っ越そうとは思っているんだ」
「へ? そうなの?」

 近いうちに話をするつもりだったのだと、彼は言った。

「今回は間に合わなかったが、きみとともに何日籠っても快適で、あたたかな家に引っ越したいんだ。ここは陽の当たりも悪いし、きみが過ごすのには、些か不便もあるだろう」

 買ってきた食材たちをキッチンの作業台に広げながら話すアンリに、俺はしばし手を止めた。ほとんど帰らない家だから家には大した食材がないというから、アンリの家に来る前に、先ほど二人で買い込んできた物だ。

「……色々、考えてくれてたんだね」
「そりゃあ考えるとも」

 広げた食材はそのほとんどが、そのまま食べられるようなものばかりだ。パンにチーズ、胡桃。果物も多く買って、あとは野菜とお肉は少しずつ。

「リストはどんな家がいい?」
「んー? そうだなぁ……アンリさんを待つのなら、やっぱり明るい家がいいかな。この家がダメってわけじゃないけど、さすがに生活感はもう少し欲しいかも? 人が生きている気配がしていたほうが、俺は好きだな」

 生家は兄弟姉妹も多かったし、成人して学校を卒業してすぐにヴィヒトリと結婚して小さな家で暮らしてた。その後、彼を喪ってからはシェアハウスへ身を寄せたのもあって、一人で暮らすってことをしたことがない。
 ヴィヒトリと暮らしていたときは、それこそ一人で彼の帰りを待っていたときもあるけれど、家には自分以外の気配を感じられたから寂しくなかった。

「でもさ、この家も嫌いじゃない。アンリさんの気配がうっすらとだけどしてるし、匂いだって……落ち着くよ」

 さっきバツが悪そうにしていたから、アンリがこの家にいる時間は本当に少ないんだろう。塔の一室に籠って研究に明け暮れ、同僚や部下の研究にも手を差し伸べる。だから、この家はアンリの気配も匂いも薄い。
 以前、仕事について聞いたとき、アンリが魔導師の仕事が好きなことはよく伝わってきた。だから、俺と付き合う前からはもちろん今であっても、家に帰ることも忘れて——忘れてというよりは面倒なだけかもしれないけど——塔で仕事に邁進しているのは十分にわかる。

 生活感の無い家は、気配も匂いもわずかだけれど、それでもアンリを感じられるから悪くはない。特に、今の俺なら、なおのこと。
 そう——アンリの家に来たのは、今日明日にでも発情期を迎える予定だからだ。

「アンリさんとなら、きっとどこでも楽しいね」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」

 引っ越し先も気に入ってもらえるところを探す、と言ってアンリは笑う。
 生活感の無い家も、こうして二人で言葉を重ねているうちに、家に流れる空気もゆるゆると柔らかさを帯びてくる。

「ね。そろそろかもしれない」

 すべての食材を置くべき場所へとしまった頃、俺は熱っぽい視線とともにアンリを誘った。気恥ずかしさはあったけれど、俺のことを考えてくれていると話すアンリのことが愛おしくて。その言葉は、さほど気負わずに言えたと思う。

「では、体を清めたら寝室へ行こうか」

 そっと差し出された手は熱くて、重ねた俺の手も熱かった。

 それから俺たちは、それぞれ風呂に入った。
 もう恋人なのだから、一緒に入るって選択肢もなくはなかったけれどさ。でも、なんというか一番はじめをそれらしく過ごしたい気がしたんだよね。

 それはアンリも同じだったのか、それとも俺の気持ちを汲んでくれたのか……どういう理由かはわからないけれど、最初は俺が、そのあとはアンリが代わる代わる浴室へ向かう。
 そうして体をきれいにしてから、俺はアンリを寝室で待っていた。

(なんか……変な感じ)

 寝室に備えられている寝台は、背の高いアンリでも悠々と体を横たえることができる大きなサイズだった。
 この家には何度か来たことはあっても、じつは寝室に足を踏み入れるのは初めて。恋人であっても、つい先日まで俺はアンリ以外との——ヴィヒトリとの番のままでいたから、アンリと体を重ねるどころかキス一つしたことがなかったから。

 そのアンリと、発情期を過ごそうとしている。
 魔法をうけた日からひと月もあったから、情を交わそうと思えばできはした。俺の仕事はいつも通りで、休みだっていつも通り。アンリも、ある意味ではいつも通りに仕事を忙しくしていた。

 時間を作ろうと思えば作れた俺たちが、それでもこのタイミングを待ったのは、やっぱりお互いに——特に俺が、後戻りができない理由を多少は探したかったからだと思う。

 寝間着を着て、寝台に潜りながら待っているのはヴィヒトリではない。それがすごく、不思議な気分。
 もっともヴィヒトリとは、入浴をともにすることのほうが多かったから、そこは少し違うけれどさ。

(あんまり比べるのは良くないってわかってるけど……でも……)

 もちろん、アンリに対して「ヴィヒトリはこうだった」と行動の一つ一つを比べるような発言は流石にしない。さすがに絶対踏み越えちゃいけないところは弁えられていると思う。
 けれど、アンリは俺がヴィヒトリの話をしても怒らないんだよね。

 それどころか「そのあとはどうだった?」「続きを聞かせて」と穏やかな笑みを浮かべて話の続きを促してくれる。だから、俺もついつい、思い出を聞いてもらえるのが嬉しくて話をしてしまう。
 俺はアンリの優しさに、寛大さに、甘えているんだ。

 だからこそ、今日はアンリのことをたくさん想いたい。
 彼は、俺にとって、すごく大切な人だから。

「待たせたな」

 いろんな想いを巡らせていると、ようやくアンリがやってくる。
 彼もまた、寝間着に薄いガウンを羽織っていて、髪はまだうっすら濡れていた。

「風邪ひいちゃうよ?」

 こっちに来て、と催促すると、彼は寝台に腰かける。大きなタオルを手に取って、アンリの背後へ回った。闇色の髪の水分を丁寧に拭っていく。
 寝室にはランタンの灯りが一つ。魔導具ではない火の灯りが壁や寝具をゆらゆらと照らして、夜の雰囲気を作り出していた。

「リスト……」

 はしっ、と手首を掴んだ、しなやかな手が熱い。でも、掴まれている俺の腕も相当に熱くなってきている。ゆっくりと始まった触れ合いが発情期を促して、いよいよ体も本格的に昂ってきた。
 近づく美貌にうっとりとしながら目蓋を閉じたのと同時に、唇が重なる。しっとりとした感触をしばし楽しんだのち、薄く開いた唇の上下を割って、熱い舌が侵入してきた。

「ん……ふ、ぅ」

 そのまま寝台へとゆっくり押し倒されて、寝間着の前のボタンをぷちぷちと外される。これまでキスは何度かしてきたけれど、普段は服の下に隠している素肌を晒け出すのは初めてで、初心な年頃の少女みたいに馬鹿みたいに緊張した。
 その緊張が伝わったのか、アンリは「大丈夫」と耳元で囁く。

 口づけも抱擁も、最後まではしなくても性的な匂いを含むスキンシップはしてきたから、俺がもう『番』という縛りを手放し、肉体的には誰とでも行為に及べることは実証済みだ。それでも怖い気持ちがあるんだろうとアンリは思ったみたいで……。やりすぎだよって笑っちゃうくらい、彼は俺を労わり尽くしてくれる。

「怖くないよ。大丈夫」

 寝間着をすべて脱がされたとき、俺はアンリの頬へ手を伸ばした。触れた場所から優しさが滲む。
 これは、俺がきちんと言葉にしないといけないもの。俺がアンリを受け入れたいんだって伝えないと、正しく心が伝わらない。想いを分かち合えない。

 だから、いっそう明るく見えるように笑顔を作って微笑んで、たまらない気持ちになってキスをねだる。

 ——好きだよ。大切だよ。

 誰かの代わりじゃなく、アンリのことが大切で愛おしい。

「アンリさん、遠慮しないで。ちゃんと、アンリさんのことが好きだから。だからお願い。俺のこと……隅々まで、あなたのものしてよ」

 俺の気持ちに体が応えてくれたのか、内からアンリへの想いとともに、一気に劣情が高まった。他性を誘うオメガのフェロモンがぶわっと噴き出す。
 瞬間、アンリからも想いの丈が溢れた。俺の発情に促されて、アルファのフェロモンが寝室いっぱいに広がる。

 アンリの放つ、控えめながらに柔らかく銀木犀のような上品な香りに、俺の少し甘いスイカズラに似た香りが混じる。自分たちの香りに浮かされていると、アンリもまた香りに背を押されるようにして、俺の肌を弄り始めた。

 鎖骨のラインを指先で撫で、横腹を吸いつくように堪能する。薄い腹を指の背で優しく撫でたと思ったら、その指先が上へと上がってきて、胸の淡い突起へとかかった。

「あっ……」

 指の腹で撫でられただけなのに、自分でも驚くほどの甘い声が漏れた。それが自分の劣情をさらに煽る。アンリも気を良くしたのか、胸を丹念に愛撫し始めた。
 指で摘み、捏ね、くりくりと押し潰す。片方をそうされているうちに、もう一つの突起を口に含まれた。

「あっ、ぁあ……んっ」
「リスト……可愛いな……」
「ん、そんな、ことな……あっ」

 発情期を迎えた体は敏感さを増し、胸を弄られただけでも肌が熱くなる。抑えきれないほどの欲望が育って、腰が揺れた。その動きに合わせて、勃ち上がりつつある俺の性器も揺れ動く。

「感じてくれているんだな。嬉しいよ」

 アンリは吐息混じりに呟いて、再び乳首を舌先で捏ねる。もちろん、もう片方も指先は疎かにされない。アンリから与えられる快感は、頭の中てっぺんからつま先まで駆け巡った。

「んん、はあっ」

 数年ぶりの性的快感に、俺の体は抗う間もなく、ぐずぐすに溶けていった。

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