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26. ありふれた幸福
その日は、見事なまでの晴天だった。
真っ青な空がどこまでも続いていて、時折そよ風が頬を撫でる。
その空にぽっかりと一つ浮かぶ白い雲を見上げて、俺は目を細めた。
「今日も見てくれているんだね、ヴィヒトリ」
自然について出た言葉に、隣に寄り添う長身の男——アンリが小さく身じろいだのを感じた。いつもは悠々と構えていて、落ち着いた雰囲気の人なのに、今日のアンリと言ったらそれはもう、ガチガチになっている。緊張しているんだろう。
(まあ、わからないでもないんだけどさ)
珍しいアンリの様子に苦笑しながら、それにしても、と俺は声をかけた。
「やっぱり、それ、改まりすぎじゃない? 普段着でよかったのに」
それ、と言ったのはアンリの格好だ。
ノーベントのジャケットに、ドレスシャツ。袖には白蝶貝のカフスが品良く収まっていて、足元もピカピカに磨き上げられたプレーントゥの革靴。胸元のアスコットタイが華やかさを添え、彼の整った美貌をいっそう引き出している。もはや、きらきらしくて、目がちかちかと眩しいくらい。
要は、今日のアンリはものすごくフォーマルな格好をしているのだ。ここは教会の敷地内になる墓地だから、冠婚葬祭の要の場所なのも相まって、ある意味では非常に絵になる姿ではあるのだけれど。
それでも、普段は少し癖のある髪をそのままにしているのに、今日はきれいに撫でつけているんだから、なんというか……あまりにも張り切った様子に、ドキドキするやら、おかしいやらで、朝から何度も笑ってしまった。
「いや。リストの番殿に会うのだから、変な格好はできない」
そのセリフも、今日何度も聞いていて、そのたびに「アンリさんって意外にも頑固だなぁ」と感心する。するとアンリは「いやいや、そうは言ってもだな……」と重要性を説くのだから、やっぱり頑固だなぁって笑った。
俺としては、いつも通りの、それこそ魔導師の証でもある紺色のローブに、適当なシャツとパンツでいいと思うんだけど、アンリは頑なに譲らなかった。
ローブに関しては「私が何をしているか知れたほうが安心だろうか」と天秤にかけていたようだけれど。それでも、最後は今のフォーマルな服装に落ち着いたようで、まあアンリがしたいならそのほうがいいかと、俺も強くは言わなかった。
(こーいうところが、好きになった理由なんだろうな)
白百合の花束を持ったアンリは、俺から見ても息を呑むほどに美しい。
ガチガチに緊張しているところは笑っちゃうけれど、そういうところも好ましいなと思う。
ヴィヒトリが眠る墓に着いたところで、アンリの緊張は一気に高まったようだった。俺は声をかけることもなく、その様子を静かに眺めていた。
アンリは石に刻まれたヴィヒトリ・ヒルトネンという名前をじっと見つめる。それから、ゆっくりと深呼吸をしたあとに、抱えていた花束を捧げた。一連のそれで、アンリはようやく緊張が緩んできたようだった。
「ヴィヒトリ。今日は二人で来たよ」
俺は、捧げられた花束の前に、三つのグラスとお気に入りのお皿を並べる。
グラスはいつもここに来るときに持ってくるペアグラスと、それとは違うデザインの、きれいな細工がされたものを一つ。お皿は、そのデザインの違うグラスと同じ工房が作っているもので、どちらも最近、アンリと相談して買ったものだ。
その間に持参したワインボトルを開けてくれたアンリが、三つのグラスへ中身を注いだ。その横で俺は、お皿に少し端っこが焦げたクッキーと、ふんわりとバターの香りがする丸パンを並べる。
ワインはいつものワインとは違う、アンリがよく好んで飲む銘柄。クッキーは俺とアンリが二人で作った、少しだけ不恰好な手作り品。そして丸パンは今朝、シニリントゥで焼かれたばかりのものだ。
どの品も、ヴィヒトリと、俺と、アンリさんのことを考えて選んだ、心づくしのものばかり。
「この人がアンリさん。紹介させてね」
優しい気持ちになりながらヴィヒトリに語りかけると、アンリが一歩だけ、すっと前に出る。
「ヴィヒトリ殿、リストとの時間を邪魔してすまない。だが、挨拶させていただけて光栄だ。アンリ・レピストという」
そう言って、アンリは胸に手を当てて頭を下げた。貴族社会では当たり前になっている、伝統的な挨拶の仕草は美しく、様になっている。
ヴィヒトリに敬意を払って、彼がきちんとこの場にいることを疑問を持たずに受け入れて、真摯に言葉を交わしてくれるアンリの姿勢に胸いっぱいになる。
ごく客観的に——事実だけを見るのなら——ヴィヒトリはとうの昔に亡くなっているし、ここに眠るのは彼の亡骸でしかない。だから、墓石に向かってヴィヒトリに挨拶をして話をするだなんて馬鹿げた話だ。
でも、俺はここに来るとヴィヒトリとより近くで話ができるって思っているし、彼の言葉が聞こえるような気がしてる。……もちろん、本当に声が聞こえるわけじゃないし、幻聴だって聞こえないけれどね。
ただ、そう思って、信じて、この場を訪れる俺のことをアンリは大切にしてくれている。それがわかって、すごく嬉しかった。
「これさ、俺たちが焼いたクッキーだよ。ちょっと焦げてるけど許してね」
味は保証するよって言えば、隣のアンリが少しだけ、ばつが悪そうに眉を寄せた。
別にクッキーが焦げてしまったのは、アンリと二人でクッキーを焼いていた途中で通り雨が降ってきて、外に干していたシーツを二人で慌てて取り込みに行ったからであって、アンリのせいではないのに。
たぶん、完璧に作れなかったのが悔しかったんだと思う。
クッキーも上手に作れないやつに俺の番を任せられるかーって、ヴィヒトリに言われるんじゃないかって思ってすらいそう。そんなにあれもこれも完璧にできちゃったら、それこそヴィヒトリが嫉妬するって、俺は思うんだけどね。
「あと、パンは俺の働き先のやつ。エイラさんとご主人が張り切って作ってくれてさー、すっごく美味しいから食べてみて」
クッキーのことは早々に話題を切り上げて、次はその横の丸パン。こっちはもちろん、プロのご主人が作ったものだから素晴らしい出来なのは言うまでもない。
過去、ヴィヒトリにパンを持っていたことはあるんだけれど、そんなに回数は多くない。というか、シニリントゥで働き始めて最初のうちくらい。
なんというか……ちょっとした後ろめたさみたいのがあったんだよね。俺はお前がいないところで楽しくやっているんだって、主張しているみたいで。
シニリントゥで働き始めたのは、一人でもちゃんと生きていくため。
なのに、シニリントゥで働く俺をヴィヒトリに晒け出すのに、ちょっぴり抵抗を感じることがあったのは、もしかしたら知らずに知らずのうちに、シニリントゥがアンリとの心を縮める思い出の場所になっていったからかもしれない。
「アンリさんも、俺も、ここのパンは気に入ってるからさ。ヴィヒトリも好きになってくれたら嬉しいな」
それから、ワインの話はアンリがしてくれた。
どういう味がして美味しいかとか、もし生きていたら良い飲み友だちになっていただろうかとか、でもそのとき俺に会っていたら、今とは違う未来にはなっていたかもしれないな、とか。
アンリがヴィヒトリに語りかけてくれるのを聞いて、俺はなんだか不思議な気持ちになっていた。
もしヴィヒトリが生きていたら、この街近くの塔に移ってきた魔導師のアンリと、街を守る騎士のヴィヒトリが出逢うことはあっただろう。性格は違うけれど、良き友になっていた可能性だってある。二人とも、人のために働くことを生き甲斐にしているような、素晴らしい人だから。
でも、俺がアンリを想うことはなかった。そもそもシニリントゥで働くことすらなかったかもしれないから、アンリは俺とは友人の伴侶として出会っていたかもしれない。そうだとしたら、真面目なアンリのことだから、アンリが俺に心を傾けたこともなかっただろう。
すべては、ありもしない話だ。
けれど、もしかしたらの話は俺の心をあたたかくさせた。
アンリはヴィヒトリのことも、俺と同じくらい大切にしてくれている。そのことがどうしようもなく幸せだった。
「ねえ、ヴィヒトリ。そっちに行くのは……たぶん、かなりあとになると思う。ごめんね。でも……ちゃんと待っていてくれるって、俺、わかってる。それまで寂しいなんて思わせないように、これからもたくさん会いに来るから、嫉妬はほどほどにね。それから……再会したときに、たくさん話をさせてほしい。——俺がヴィヒトリに出会って、ヴィヒトリが遠くへ行っちゃったあとにはアンリさんに出会って……二人を愛することができて、俺がどのくらい幸せだったかってことを」
心を満たす想いを、一つ一つ、こぼさないようにしながら言葉にした。
隣に立つアンリに、そっと近づいて、腕に手を回した。はっとするアンリがなんだか愛おしい。
すると、アンリは「ヴィヒトリ殿」と、真摯な声色で投げかけた。
「リストのことを想わせてくれて感謝する。そしてどうか、あなたにはこれからもリストのことを守っていってほしい。私も精いっぱい、彼を大切にしていくと約束しよう。だが、リストを幸せにできるのは、私だけの力では足りないだろうから……あなたの力を貸してほしい」
深々と頭を下げるアンリ。
——ね、いい人でしょう、ヴィヒトリ。
俺は心の中で、ヴィヒトリに言った。
すると、ぶわっと強い風が一瞬吹いて、白百合が揺れる。さらに、端っこの焦げたクッキーが一枚、風に乗って転がった。
「……よし、行こっか」
「そちらの荷物は私が持とう」
三人でクッキーとパンをつまみながら、ワインを飲んだ。ワインの味がなんたるかは、俺にはあまりわからないけれど。でも、今までで一番美味しいような気がした。
空になったワイングラスとお皿を片づけて、白い百合だけはそのままに、そっと墓石を指で撫でる。
「また来るよ、ヴィヒトリ。そうだなぁ……今度は、もう少しクッキーがうまく焼けてるかも。ね、アンリさん」
「……善処しよう」
「ふふっ。期待してて」
じゃあね、と手を振って、俺はアンリと二人、優しい風の吹く丘をあとにする。
アルファとオメガに許された『番』という揺るぎようのない関係じゃなくても。
伴侶という公的なつながりで結ばれていなくても。
俺は、ヴィヒトリとアンリ、それぞれを精いっぱいに愛している。愛していく。
なんてことのない、色褪せない日常を積み重ねていくために。
この命の灯火が尽きるとき、頑張って生きられたんだと胸を張れるように。
ヴィヒトリ。アンリさん。
どうかずっとそばで、最期のその瞬間まで見守っていて。
幸せになろうね。ずっとずっと、この先も。一緒に。
ふと空を見上げると、来たときと同じように、白い雲が青い空に浮かんでいた。
End.
・--・--・--・--・
(2024.10.21 後書き)
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
書きながら投稿していたのもあって、休日更新がなかなか進みが悪かったのですが、なんとか完結です。
少しでも楽しんでいただけたのであれば、♡での評価やご感想などいただけますと、泣いて喜びます。咽び泣きます。
本作についてですが、精神的寝取り寝取られ?浮気ネタ?なんていうんですかね、こういうの。端的に言えば死別ネタなのかなと思いつつ…なにか言い方があったら教えてください(笑)
リストはある意味では二人の男を同時に愛しているので、誠実な子ではないのかもしれないし、性格もチャラいというかふわふわ明るいテキトーな子なので(根はいい子ですよ)、受け入れられにくい受け君かもかなぁとは思っているのですが、個人的には気に入ってます。
そして、オメガバースはやっぱ番ネタだろう!ということでの番ネタだったんですが、解消ネタなので王道でもなく…。いつかは王道ど直球なオメガバースも書きたいですね。
それでは、またどこかでお会いできることを願って。
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感想ありがとうございます♡
一気読み、嬉しいです✨リストはきっとヴィヒトリとアンリと末長く、仲良く、幸せに暮らしていくはすです☺️
感想ありがとうございます♡
秋の投稿ということで、読み始めは秋の雰囲気がするといいかなぁと思って書いていたので、伝わっていたようでしたら書き手冥利につきます🍂✨
亡きヴィヒトリは空で何を想いながらリストを見守っているのか…。三人の行く末はきちんと彼ららしいハッピーエンドとなる予定ですので、引き続きあたたかく見守ってくださいませ!
感想ありがとうございます♡
さて、どうなるのか…。続きも楽しんでいただけたら嬉しいです!