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第二章 魯坊丸と楽しい仲間達
三十六夜 織田家の張良
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〔天文十七年 (一五四八年)夏五月二十四日〕
風の噂で相模の北条-氏康が新造船を造らせているという話が聞こえてきたが、織田家が新造船を造らせていると今川や北条の耳に届いているのだろうな?
いつの時代でも開発競争は続く。
一番である必要はないが、一番を目指さないと二番も取れない。
採算ばかりに目を取られると、足元を掬われる。
必要な投資は、教育と開発費だ。
どちらが欠けても技術革新(イノベーション)は起こらない。
効率化なしに経済発展もあり得ない。
経済の基本など単純であり、いつの時代も変わらない。
今朝、北条で新造船を開発していると聞いた加藤順盛がやってきて、「我らも負けてられません」と宣言して、一刻も早く船の設計図を完成させてくれと願って帰っていった。
フットワークが軽いおっさんだ。
設計図が完成しても、肝心の造船所がまだ完成していない。
四本の脚で船を跨ぐクレーンや、船を乗せるレール付きの台座、手動式の大型排水手押しポンプとか、俺が厄介な注文を出したので造船所を建てるのも苦労していた。
船の設計図は丸投げ中だ。
忙しいので遊び行かせてくれない。
だが、納品で使われた支払書に署名もやっと終りが見えてきた。
もう少しだ、頑張ろう。
そう持っていると、表屋敷の家臣がやってきて廊下で跪いた。
「魯坊丸様。津島の堀田-正貞殿が挨拶に参られました。客間に通して宜しいでしょうか」
「津島の堀田正貞?」
「おそらく、平手-政秀殿の名代でしょう」
「政秀とは、あの政秀か」
「織田家の張良と呼ばれる政秀です」
張良とは、紀元前に漢を建国した劉邦の軍師だ。
張良がいなければ劉邦は天下人になれなかったと言われる知恵者であり、親父は平手政秀を『我が張良』と呼ぶ。
茶道や和歌に通じた文化人であり、織田家の外交を一手に引き受けていた。
信長兄ぃの傅役でもある。
客間に移動すると、堀田正貞が控えていた。
「この度、美濃斉藤家の取次役代に銘じられました堀田-右馬太夫と申します。京に上がられることになった平手政秀に代わって、斉藤家の交渉を引き受けられた魯坊丸様の名代として、交渉に当たることとなりました」
「斉藤家との交渉?」
「はい。権限はすべて某が預かっておりますが、決定はすべて魯坊丸様の命に従えと、豊前守様より命じられました」
「信光叔父上から」
「こちらが豊前守様よりの命令書と平手様から預かってきた約定の覚え書きです。平手様は明日の朝に出発されますので、間違いがあれば、早急に手直しする必要がございます。見聞をお願いします」
俺は二通の書状を受け取った。
信光叔父上の書状は正貞への命令書であり、独自判断を禁じ、斉藤家との交渉を俺の命令に従うように厳しい言葉が陳列していた。
つまり、俺に相談なく決めれば切腹だ。
平手からの約定には、裏書きがびっしりと書かれており、京に上がってからする予定が書かれていた。
公家を仲介役として『桶売り』を寺院と境衆にお願いすると書かれている。
俺はさらっと目を通すと定季に渡した。
定季が目を通すのを待って、知っている事を吐けという感じで問うた。
「定季、朝廷にそんな権力があるのか?」
「権力はございませんが、その権威を侮ることはできません。まず、比叡山延暦寺座主の応胤法親王は伏見宮-貞敦親王の第五王子であり、帝の猶子となっております。また、次期座主の北野天満宮別当の覚恕様は、帝の実子でございます」
「比叡山は朝廷との結び付きが強いのか」
「強うございますな。また、興福寺に関連する寺の大僧正は近衛家から輩出しております」
「興福寺は近衛家か」
「また、摂津の石山御坊の宗主である証如様は九条-尚経様の猶子であります。しかも青蓮院で帝の弟君であられる尊鎮法親王を師として得度しております」
「得度とは、何だ」
「仏界に入る為の儀式であり、得度を行った師は親同然とお考えください」
「それぞれの頂点が朝廷と深い関わりを持っているのか」
「大殿は酒をすべて献上するとお決めになりましたが、平手様は献金の額が少々過ぎていると考えておられました。酒の販路を見返りと考えられたようですな」
一升百文を売価と公言しており、見かけで五千貫文の献上となる。
さらに、山科言継は五千貫文分の酒を周辺の武将や商人に売る予定であり、儲けの半分を親父が受ける事になっているが、それも献金として朝廷に差し出すつもりだ。
俺から親父に請求する額は四千貫文だが、俺に三千貫文を貸して出しているので、残り一千貫文の負担でしかない。
親父は朝廷に一千貫文を献金した感覚なのだが、見かけの額は一万貫文となる。
これだけの献金をしながら見返りを求めていない。
政秀曰く、その謙虚さに公家が不安がるそうだ。
政秀は向こうを安心させる為の口実を探しており、信光叔父上の相談は渡りに船だったらしい。
俺の知らない所でそういう話が進んでいた。
政秀は三宗派の他に、法華衆と禅宗を加えていた。
つまり、比叡山の延暦寺、大和の興福寺、摂津の石山御坊、京の法華衆十五ヵ寺、禅宗の各寺などに大きく分類して六つであった。
もしも俺が堺衆との交渉を成功させた場合は、公家の口添えのみで留め、失敗した場合は、毎年のように朝廷に手間費として献金を行うという事項が増えていた。
政秀の案では、各宗派に十斗樽三百個(大桶十樽、酒蔵一ツ分)を割り当てとしている。
価格は酒一升当たり六十文で寺に卸し、織田家は売り上げの内の六文を朝廷へ献金として毎年納める。
十斗樽(180リットル) × 三百個 = 五万四千リットル。
五万四千リットル ÷ 1.8リットル = 三万万本
(三万万本 × 60文 = 1,800貫文)
各宗派で六箇所 × 三万万本 × 献金分6文 = 百八万文 (一千八十貫文)
朝廷へ毎年一千貫文の献金を保証する案である。
これを聞けば、財政難の朝廷は諸手を挙げて喜ぶだろう。
献金を集める為に全国を回っている山科言継が味方になるのは間違いないらしい。
各宗派に五万四千リットル、そんな一気に買わせる気か?
一瞬、俺は無茶だと考えたが、裏書きの続きに根拠も書かれていた。
各宗派の負担は1800貫文だが、十二ヵ月に分割し、末寺十五ヶ所程度に分割すると、末寺の月々の負担は十貫文となる。
買った酒を七十文で売れば、一升当たり十文の儲けだ。
つまり、年三百貫文の儲けが出る。
末寺に負担を押し付けて、本社は上納金だけをせしめると唆すのか。
これなら納得するかも。
小さな寺でも月々十貫文分の酒を売るのは大きな負担ではないだろう。
土蔵を持っていない寺などが喜んで参戦するかもしれない。
酒の取り合いとなり、配分する寺の数が増えれば、一寺当たりの負担は小さくなる。
そう説得すれば、問題なくまとまると書かれていた。
「流石、張良殿が考える策は違いますな」
「まったくだ。俺には思い付かない」
「経験の差でございましょう」
大きく変更された点は輸送だ。
輸送はすべて堺商人を通じて行う。
三百石船なら四十五トンの積載量があり、十斗樽(百八十リットル)で二百五十樽が一度に運べ、最低二艘も用意すれば、ノルマが達成となる。
難破などのリスク管理の面で言えば、十艘や二十艘に分散して運ぶのが普通だ。
一方、馬で陸路を運べば、馬が百二十五頭、世話役と護衛を会わせた三百人以上を雇うことになり、馬の礼金に一頭二百文、人件費は平均で一人当り五十文と十日となる。
百二十五頭 × 二百文 = 二十五貫文
三百人 × 五十文 × 十日 = 百五十貫文
その他、貸し手の家への謝礼やお土産、食事代と宿代、飼い葉代などが加わる。
加えて、熱田から安濃津への船代と倉代が必要となる。
一方、熱田から堺まで五日の航海であり、船員は多くとも二十人のみだ。
そこから京や大和に運ぶ川船である。
川船は三十石で十分の一になるが、それでも二十五個が一度に運べる。
それらを合わせても舟賃が五十貫文を越えることはないので、堺の商人は百貫文以上も丸儲けだ。
しかし、平手が荷の補填を堺衆に丸投げしたので、難破とかで十斗樽を一つ失う毎に三貫文を支払うことになる。
もし五十樽を積んだ船を失ったなら百五十貫文の損失となり、儲けが吹っ飛ぶ。
普通、船が嵐などで座礁した場合の損失は、荷の責任は持ち主の責任となり、織田家の損失となるが、この約定ではすべて堺商人の責任となると示されていた。
この損失補償は堺商人にとって痛手となりかねない。
堺商人が約定を拒絶した場合は、京・大和・摂津の商人で福原に新たな交易湊を開き、福原商人として保障させると書かれている。
福原とは平清盛が遷都したことがある神戸付近の旧都だ。
堺と目と鼻の先に朝廷公認の交易湊が生まれるなど悪夢だろう。
完全に退路を塞いでいる。
「えげつない」
「献金分を差し引くと、こちらも余裕がございません。妥当ではないですか」
「堺まで輸送をこちらでみるつもりだったが、献金分を引くと難しいな」
「事故が起こらなければ、堺の商人は大儲けです」
「そうだな」
一升の売り値を最低九十文として、熱田三十文、堺三十文、僧三十文で割っているが、堺三十文には交渉の手間賃を踏んでいたが、手間賃が消えたので、運賃が一升当り三十文(3,600円)だ。
宅配 (2kg以下1,060円)と比較にならないほど高い。
しかし、馬借を使うと馬代や護衛代などが掛かって一升当り30文で済まないが、船を使えばコストは十分の一以下と大幅に安くなる。
しかも京や奈良には淀川と木津川を利用できる。
普通に考えると、大儲けだ。
但し、盗賊や政情は予想できないから、不確定要素のリスクをすべて堺商人に持たせたのか。
「彼らの腕を信じましょう」
「定季も人が悪いな」
「魯坊丸様の優しさに漬け込んで悪巧みをした罰です。次から魯坊丸様の優しい折衷案を断ると、どんな報復があるのかと冷や汗を掻く事になるでしょう。ふふふ」
定季が楽しそうに、静かに笑った。
実際、毎年のように難破船はでるが、その数はそう多くはない。
そこで大損することはほとんどないと思う。
天災より怖いのは人災だ。
争いはどこでもあり、寺の内部でも抗争がある。
敵対勢力の力を削ぐ為に輸送を邪魔立てする輩は出てくる。
堺衆は輸送の安全の為に様々な輩と交渉して、輸送の安全を堺衆で確保することとなった。
最初の案なら、堺までは織田家が見て、堺から先を堺衆は面倒を見る予定だった。
もしかすると高く付いたかも知れない。
定季が優しいと言うのも無理はない。
俺が出した案は三者一両得の折衷案だったからな。
平和ボケした優しい折衷案だった。
魚屋が付け上がって高飛車な態度に出た。
だが、緩んだ顔に朝廷からの呼び出しが掛かり、織田家にマウント(優位な姿勢)を取られる。
堺衆から騙された。
そんな感じに見えるかも知れない。
堺衆が憐れに思う。
張良は敵に回さないようにしよう。
さて、毎年一千貫文の負担は大きい。
材料費、手間賃、工具代、忍びなどを雇って警備させている人件費、防備の為に総堀を建設している建設費、それら維持する維持費と経費は大きい。
「一千貫文も献金をすると儲けが無くなるな」
「良いではございませんか。特選酒だけでも十分に儲かります。他の酒を売った儲けで、造船の開発費、各城に納める保管用の蒸留酒の立て替えと、農地や河川の開発費の立て替えも可能でしょう」
「俺の小遣いが残らん」
「あははは、確かに残りませんな」
定季が抑えていた笑いを解放して大声で笑った。
最上級の『特選酒』は一升百文だ。
納価は、一切のディスカントを受け付けずに高値で売り付ける。
酒の生産量を減らす事になったので儲けも下方修正となった。
減った儲けから、さらに一千貫文が消える。
足りない分は造船への投資を減らすか、農地や河川の開発費を減らす事で調整せねばならなくなった。
最初に調整されるのは、俺の小遣いだ。
俺が自由に使える予定だった三百貫文が消される。
売り上げを増やしても、儲けを増やしても、消えてゆくお小遣い。
まるで賽の河原だよ。
風の噂で相模の北条-氏康が新造船を造らせているという話が聞こえてきたが、織田家が新造船を造らせていると今川や北条の耳に届いているのだろうな?
いつの時代でも開発競争は続く。
一番である必要はないが、一番を目指さないと二番も取れない。
採算ばかりに目を取られると、足元を掬われる。
必要な投資は、教育と開発費だ。
どちらが欠けても技術革新(イノベーション)は起こらない。
効率化なしに経済発展もあり得ない。
経済の基本など単純であり、いつの時代も変わらない。
今朝、北条で新造船を開発していると聞いた加藤順盛がやってきて、「我らも負けてられません」と宣言して、一刻も早く船の設計図を完成させてくれと願って帰っていった。
フットワークが軽いおっさんだ。
設計図が完成しても、肝心の造船所がまだ完成していない。
四本の脚で船を跨ぐクレーンや、船を乗せるレール付きの台座、手動式の大型排水手押しポンプとか、俺が厄介な注文を出したので造船所を建てるのも苦労していた。
船の設計図は丸投げ中だ。
忙しいので遊び行かせてくれない。
だが、納品で使われた支払書に署名もやっと終りが見えてきた。
もう少しだ、頑張ろう。
そう持っていると、表屋敷の家臣がやってきて廊下で跪いた。
「魯坊丸様。津島の堀田-正貞殿が挨拶に参られました。客間に通して宜しいでしょうか」
「津島の堀田正貞?」
「おそらく、平手-政秀殿の名代でしょう」
「政秀とは、あの政秀か」
「織田家の張良と呼ばれる政秀です」
張良とは、紀元前に漢を建国した劉邦の軍師だ。
張良がいなければ劉邦は天下人になれなかったと言われる知恵者であり、親父は平手政秀を『我が張良』と呼ぶ。
茶道や和歌に通じた文化人であり、織田家の外交を一手に引き受けていた。
信長兄ぃの傅役でもある。
客間に移動すると、堀田正貞が控えていた。
「この度、美濃斉藤家の取次役代に銘じられました堀田-右馬太夫と申します。京に上がられることになった平手政秀に代わって、斉藤家の交渉を引き受けられた魯坊丸様の名代として、交渉に当たることとなりました」
「斉藤家との交渉?」
「はい。権限はすべて某が預かっておりますが、決定はすべて魯坊丸様の命に従えと、豊前守様より命じられました」
「信光叔父上から」
「こちらが豊前守様よりの命令書と平手様から預かってきた約定の覚え書きです。平手様は明日の朝に出発されますので、間違いがあれば、早急に手直しする必要がございます。見聞をお願いします」
俺は二通の書状を受け取った。
信光叔父上の書状は正貞への命令書であり、独自判断を禁じ、斉藤家との交渉を俺の命令に従うように厳しい言葉が陳列していた。
つまり、俺に相談なく決めれば切腹だ。
平手からの約定には、裏書きがびっしりと書かれており、京に上がってからする予定が書かれていた。
公家を仲介役として『桶売り』を寺院と境衆にお願いすると書かれている。
俺はさらっと目を通すと定季に渡した。
定季が目を通すのを待って、知っている事を吐けという感じで問うた。
「定季、朝廷にそんな権力があるのか?」
「権力はございませんが、その権威を侮ることはできません。まず、比叡山延暦寺座主の応胤法親王は伏見宮-貞敦親王の第五王子であり、帝の猶子となっております。また、次期座主の北野天満宮別当の覚恕様は、帝の実子でございます」
「比叡山は朝廷との結び付きが強いのか」
「強うございますな。また、興福寺に関連する寺の大僧正は近衛家から輩出しております」
「興福寺は近衛家か」
「また、摂津の石山御坊の宗主である証如様は九条-尚経様の猶子であります。しかも青蓮院で帝の弟君であられる尊鎮法親王を師として得度しております」
「得度とは、何だ」
「仏界に入る為の儀式であり、得度を行った師は親同然とお考えください」
「それぞれの頂点が朝廷と深い関わりを持っているのか」
「大殿は酒をすべて献上するとお決めになりましたが、平手様は献金の額が少々過ぎていると考えておられました。酒の販路を見返りと考えられたようですな」
一升百文を売価と公言しており、見かけで五千貫文の献上となる。
さらに、山科言継は五千貫文分の酒を周辺の武将や商人に売る予定であり、儲けの半分を親父が受ける事になっているが、それも献金として朝廷に差し出すつもりだ。
俺から親父に請求する額は四千貫文だが、俺に三千貫文を貸して出しているので、残り一千貫文の負担でしかない。
親父は朝廷に一千貫文を献金した感覚なのだが、見かけの額は一万貫文となる。
これだけの献金をしながら見返りを求めていない。
政秀曰く、その謙虚さに公家が不安がるそうだ。
政秀は向こうを安心させる為の口実を探しており、信光叔父上の相談は渡りに船だったらしい。
俺の知らない所でそういう話が進んでいた。
政秀は三宗派の他に、法華衆と禅宗を加えていた。
つまり、比叡山の延暦寺、大和の興福寺、摂津の石山御坊、京の法華衆十五ヵ寺、禅宗の各寺などに大きく分類して六つであった。
もしも俺が堺衆との交渉を成功させた場合は、公家の口添えのみで留め、失敗した場合は、毎年のように朝廷に手間費として献金を行うという事項が増えていた。
政秀の案では、各宗派に十斗樽三百個(大桶十樽、酒蔵一ツ分)を割り当てとしている。
価格は酒一升当たり六十文で寺に卸し、織田家は売り上げの内の六文を朝廷へ献金として毎年納める。
十斗樽(180リットル) × 三百個 = 五万四千リットル。
五万四千リットル ÷ 1.8リットル = 三万万本
(三万万本 × 60文 = 1,800貫文)
各宗派で六箇所 × 三万万本 × 献金分6文 = 百八万文 (一千八十貫文)
朝廷へ毎年一千貫文の献金を保証する案である。
これを聞けば、財政難の朝廷は諸手を挙げて喜ぶだろう。
献金を集める為に全国を回っている山科言継が味方になるのは間違いないらしい。
各宗派に五万四千リットル、そんな一気に買わせる気か?
一瞬、俺は無茶だと考えたが、裏書きの続きに根拠も書かれていた。
各宗派の負担は1800貫文だが、十二ヵ月に分割し、末寺十五ヶ所程度に分割すると、末寺の月々の負担は十貫文となる。
買った酒を七十文で売れば、一升当たり十文の儲けだ。
つまり、年三百貫文の儲けが出る。
末寺に負担を押し付けて、本社は上納金だけをせしめると唆すのか。
これなら納得するかも。
小さな寺でも月々十貫文分の酒を売るのは大きな負担ではないだろう。
土蔵を持っていない寺などが喜んで参戦するかもしれない。
酒の取り合いとなり、配分する寺の数が増えれば、一寺当たりの負担は小さくなる。
そう説得すれば、問題なくまとまると書かれていた。
「流石、張良殿が考える策は違いますな」
「まったくだ。俺には思い付かない」
「経験の差でございましょう」
大きく変更された点は輸送だ。
輸送はすべて堺商人を通じて行う。
三百石船なら四十五トンの積載量があり、十斗樽(百八十リットル)で二百五十樽が一度に運べ、最低二艘も用意すれば、ノルマが達成となる。
難破などのリスク管理の面で言えば、十艘や二十艘に分散して運ぶのが普通だ。
一方、馬で陸路を運べば、馬が百二十五頭、世話役と護衛を会わせた三百人以上を雇うことになり、馬の礼金に一頭二百文、人件費は平均で一人当り五十文と十日となる。
百二十五頭 × 二百文 = 二十五貫文
三百人 × 五十文 × 十日 = 百五十貫文
その他、貸し手の家への謝礼やお土産、食事代と宿代、飼い葉代などが加わる。
加えて、熱田から安濃津への船代と倉代が必要となる。
一方、熱田から堺まで五日の航海であり、船員は多くとも二十人のみだ。
そこから京や大和に運ぶ川船である。
川船は三十石で十分の一になるが、それでも二十五個が一度に運べる。
それらを合わせても舟賃が五十貫文を越えることはないので、堺の商人は百貫文以上も丸儲けだ。
しかし、平手が荷の補填を堺衆に丸投げしたので、難破とかで十斗樽を一つ失う毎に三貫文を支払うことになる。
もし五十樽を積んだ船を失ったなら百五十貫文の損失となり、儲けが吹っ飛ぶ。
普通、船が嵐などで座礁した場合の損失は、荷の責任は持ち主の責任となり、織田家の損失となるが、この約定ではすべて堺商人の責任となると示されていた。
この損失補償は堺商人にとって痛手となりかねない。
堺商人が約定を拒絶した場合は、京・大和・摂津の商人で福原に新たな交易湊を開き、福原商人として保障させると書かれている。
福原とは平清盛が遷都したことがある神戸付近の旧都だ。
堺と目と鼻の先に朝廷公認の交易湊が生まれるなど悪夢だろう。
完全に退路を塞いでいる。
「えげつない」
「献金分を差し引くと、こちらも余裕がございません。妥当ではないですか」
「堺まで輸送をこちらでみるつもりだったが、献金分を引くと難しいな」
「事故が起こらなければ、堺の商人は大儲けです」
「そうだな」
一升の売り値を最低九十文として、熱田三十文、堺三十文、僧三十文で割っているが、堺三十文には交渉の手間賃を踏んでいたが、手間賃が消えたので、運賃が一升当り三十文(3,600円)だ。
宅配 (2kg以下1,060円)と比較にならないほど高い。
しかし、馬借を使うと馬代や護衛代などが掛かって一升当り30文で済まないが、船を使えばコストは十分の一以下と大幅に安くなる。
しかも京や奈良には淀川と木津川を利用できる。
普通に考えると、大儲けだ。
但し、盗賊や政情は予想できないから、不確定要素のリスクをすべて堺商人に持たせたのか。
「彼らの腕を信じましょう」
「定季も人が悪いな」
「魯坊丸様の優しさに漬け込んで悪巧みをした罰です。次から魯坊丸様の優しい折衷案を断ると、どんな報復があるのかと冷や汗を掻く事になるでしょう。ふふふ」
定季が楽しそうに、静かに笑った。
実際、毎年のように難破船はでるが、その数はそう多くはない。
そこで大損することはほとんどないと思う。
天災より怖いのは人災だ。
争いはどこでもあり、寺の内部でも抗争がある。
敵対勢力の力を削ぐ為に輸送を邪魔立てする輩は出てくる。
堺衆は輸送の安全の為に様々な輩と交渉して、輸送の安全を堺衆で確保することとなった。
最初の案なら、堺までは織田家が見て、堺から先を堺衆は面倒を見る予定だった。
もしかすると高く付いたかも知れない。
定季が優しいと言うのも無理はない。
俺が出した案は三者一両得の折衷案だったからな。
平和ボケした優しい折衷案だった。
魚屋が付け上がって高飛車な態度に出た。
だが、緩んだ顔に朝廷からの呼び出しが掛かり、織田家にマウント(優位な姿勢)を取られる。
堺衆から騙された。
そんな感じに見えるかも知れない。
堺衆が憐れに思う。
張良は敵に回さないようにしよう。
さて、毎年一千貫文の負担は大きい。
材料費、手間賃、工具代、忍びなどを雇って警備させている人件費、防備の為に総堀を建設している建設費、それら維持する維持費と経費は大きい。
「一千貫文も献金をすると儲けが無くなるな」
「良いではございませんか。特選酒だけでも十分に儲かります。他の酒を売った儲けで、造船の開発費、各城に納める保管用の蒸留酒の立て替えと、農地や河川の開発費の立て替えも可能でしょう」
「俺の小遣いが残らん」
「あははは、確かに残りませんな」
定季が抑えていた笑いを解放して大声で笑った。
最上級の『特選酒』は一升百文だ。
納価は、一切のディスカントを受け付けずに高値で売り付ける。
酒の生産量を減らす事になったので儲けも下方修正となった。
減った儲けから、さらに一千貫文が消える。
足りない分は造船への投資を減らすか、農地や河川の開発費を減らす事で調整せねばならなくなった。
最初に調整されるのは、俺の小遣いだ。
俺が自由に使える予定だった三百貫文が消される。
売り上げを増やしても、儲けを増やしても、消えてゆくお小遣い。
まるで賽の河原だよ。
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Flight_kj
SF
日本海軍のエンジンを中心とする航空技術開発のやり直し
未来の知識を有する主人公が、海軍機の開発のメッカ、空技廠でエンジンを中心として、武装や防弾にも口出しして航空機の開発をやり直す。性能の良いエンジンができれば、必然的に航空機も優れた機体となる。加えて、日本が遅れていた電子機器も知識を生かして開発を加速してゆく。それらを利用して如何に海軍は戦ってゆくのか?未来の知識を基にして、どのような戦いが可能になるのか?航空機に関連する開発を中心とした物語。カクヨムにも投稿しています。
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
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