2 / 2
家が無くなってました
しおりを挟む
王都からてくてくと歩いて半日。
朝方にはチコリスに着くだろう。
まん丸の月の下、私の胸はのんびり釣りライフへの期待で胸いっぱいだった。
王都から出る前に、剣を1本なけなしの給料で購入した。
まだまだ戦争が終わって情勢が落ち着いてるとは言えないし、それに腰に何も無いのは、いつもあっただけに、なんとなく落ち着かない。
護身用にも持っておこうと思ったのだ。
思えば戦地ではこんなゆったりと道を歩く事なんてなかったなぁ。
作戦によっては一晩どころか三日三晩寝ずで移動とかもあった…
前線に送られた時なんて特にそうだ、気が休まる暇など無い。
一瞬気が逸れただけで殺される。
がむしゃらに戦い続けた結果、いつの間にかその私の行動が色んな方面で過分に評価されてしまったが、正直どうでもいい。
戦争など、まっぴらだ。
これからは、
のんびり釣りライフがしたい。
それに限る!
のんびり釣りをして一日過ごし、腹が減ったら街の賑やかなマルシェでパンでも買って食べる。素晴らしい。
これからは自分の為に自分の時間を使うんだ。
なんて、ほくほくとこれからの期待に胸を膨らませていると、久しぶり見る街の風景が見えてきた。
チコリスの街だ。
嬉しさからつい心が踊って、私は少し早足で街へと入った。
6年ぶりに帰る懐かしい街。
私が戦士になることを目指してずっとずっとずーっと昔に越してきた、いわば第2の故郷だ。
いつも賑やかな声がして、笑顔いっぱいの住民達、マルシェからは美味しそうな匂いの漂う素敵な…
素敵な…
どうしたことだろう。
賑やか、と言うには静かすぎる。
ふと民家の前にある花壇に目をやると、長いこと世話をしていないのか、枯れたまま放置され腐った、花だったらしきものが花壇の中でぐちゃぐちゃになっている。
以前はこんな事にはなっていなかったはずだ。
住民達は家の前を箒で掃き掃除をしたりしているのだが、その表情はどこか影があり、ため息ばかりして、目には疲れが見えた。
というより、6年前より確実に住民が少ない…
はっきり言って、寂れている。
戦争で、色々と物価が上がったり、戦争ら逃げた魔族の残党による被害があったりと各地で何かと大きく影響があったのは知っているが、そのせいだろうか?
私は街の異様な変わりように強い不安を感じながらも、6年ぶりの自宅へ向かった。
私の自宅は、マルシェの店主や、マルシェで短期間商売をしに来た旅商人とかとか、マルシェの事全般を管理している「管理人」と呼ばれていた老紳士が貸してくれている、いわば賃貸だ。
とても親切な人で、自宅の2階の部屋が長い事誰も住んでないからと、格安家賃で貸してくれたのだ。
私が戦争に行くため、長く空けることを伝えた時も、帰るまで家賃の支払いは気にせず頑張りなさいと言ってくれた。
だからこそ、是非とも管理人にはご挨拶をしておきたいなぁ。
訓練兵になったときも、戦士になったときも、休日にしか帰らない家ではあったが、老紳士のおかげもあり、とても愛着がある家なのだ。
街の寂れようが気になる所ではあるが…とりあえず荷物を置いて、落ち着いて待の様子を見ることにしよう。
住宅街を抜け、角を曲がり、マルシェのある大通りを通り過ぎた先。
1階は管理人の家、2階が私の借り部屋。
管理人に挨拶をしようと、ドアをコンコン、と軽くノックしてみた…
が、返事もなく、静かな街に私のノックした音が吸い込まれて行った。
…留守なのだろうか。
どこか出かけているのかもしれないな。
また後で来るとしよう。
私は仕方なく、建物の外階段を上がり、自宅へと向かった。
木製のしっかりした階段をリズムよく、トントン…と上がっていくと、目の前に自宅のドアが見えた。
私の家だ!!
…
が、その感動は感じることは無かった。
私は、ドアに雑に貼られている板キレに書かれた文字を見た途端、あまりの出来事に手から荷物をすべり落とした。
【家賃未払いの為 退去処分】
「…ぅえ?」
間抜けな声が出てしまった。
大丈夫、私、大丈夫だ…!
きっと疲れているんだ。戦争で嫌という程仲間の死に様を見たし、魔族を斬ってきたからな、悪い夢でも見てるんだよ…大丈夫、大丈夫、深呼吸するんだアイネ……目覚めるんだアイネ……
さあもう一度、落ち着いて。
【家賃未払いの為 退去処分】
何度深呼吸しても、何度目を擦っても、そこには同じ事が書いてあった。
「…な…え?!どういう事だ?」
あの老紳士が書いたのか?!にして雑だが…
いやいやあの老紳士には事情を話していたし、こんなことする訳がない…!!
…よな?!
私は現実が受け入れられず、ドアノブを掴み、家の鍵を6年ぶりにカバンから取り出し、鍵を開けた。
が、その努力も虚しく、ドアは開くことは無かった。
よく見ると、これまた雑に、しかしがっちりと適当な釘の打ち方でドアに何枚もの板を打ち付け、簡単に開かないようになっていた。
私は顔が青ざめるのを感じた。
のんびり釣りライフ…どころじゃないぞ?!
無職家無し崖っぷち…
さすがに笑えない!!
「なんでこうなったぁああ!?」
思わず声が出た。
あまりの出来事に私はへなへなと座り込んでしまった。
ちらほらと見えていた住民達が、私の姿をみてざわざわとしている。
私はふと顔をあげると、立ちあがり、荷物もそのままに階段を駆け下りた。
そうだ、管理人…!
家賃未払いでっ…て事は、管理人が何か知ってるはずだ。どういう訳か話を聞くとしよう!!
事情はきちんと話してあったし、あの老紳士がこんなことするようには…
私は階段を駆け下りると、管理人の家のドアを叩いた。
「管理人!留守なのか?!話があるんだが!管理人ーー!!」
めいっぱい大きな声で呼び掛けながら、めいっぱいノックすると、ドアはドカドカドカ!と凄い音で揺れた。
留守とか勘弁してくれ…
とにかく板キレの事を確認しないと!
無職家無しはさすがにやばい!!
「あ…あのっ」
背後から、か細い若い女の声がした。
私はノックするのを辞め、後ろを振り向く。
「あの…どうしましたか?」
そこには、
手に何が入ってるのかは分からないが布をかけた籠を持った、
いかにも街娘…というには少しダサ…
田舎風な服を着て、
毛先がふわふわした、明るめの茶色の髪色をしている、
背の低くて若い女が居た。
ふと管理人の家のドアを見ると、ちょっと、だけ、ほーんのちょっとだけヒビが入っていた。
自分の拳を見ると真っ黒に汚れている。
私は慌てて自分の拳を背中の後ろに隠し、女の方へと向かった。
女はおどおどしていて、怯えているように私を見つめる。
「あー…あの…
この家の2階の住民なんだが、家賃の件で管理人に話を伺いたのだが…」
女は、ふと目を2階のドアにあるあの板キレに向けた。
…絶対私、今目がめっちゃ泳いでたな。
だってドアにヒビ入れたのバレたら色々と面倒そうだからな。
どうかバレてませんように。
だが私の余計な心配など関係なく、女は悲しそうな目をすると、ぽつりと言った。
「あんなの…あんなの、あの優しい管理人さんは、書きません…」
泣きそうな声で女は言った。
籠を持つ手がふるふると震えている。
私はその姿をみて、ただならない事があることを感じた。
管理人が書いたのではない?
ではあれは一体なんだ?
私は今にも泣きそうな女に尋ねた。
「管理人は何処に?訳あって長くこの家を空けていたんだが、帰ってきたらアレがあって…管理人には話をつけていたんだが」
「そうだったんですか、久しぶりに帰ってこられたんですね。
実は管理人さんは…
半年前に、急病で亡くなりました…
アレは、新しくきた管理人さんが勝手に書いたんです…」
「…え?!亡くなった?!」
なんという事だ…!
あの優しかった老紳士が亡くなったなんて。
だから家に人の気配がないのか。
是非ご挨拶をと思っていただけに、とてもショックだ…
…となると、その新しい管理人とやらが気になる所だ。私を勝手に退去処分にした奴がな。
「その、新しい管理人…とは?」
私がその質問をした途端、女の籠を持つ手が、ぎゅっと握りしめられたのが見えた。顔は怖ばり、怯えているように見える。
新しい管理人…一体どんな人物だ。
「新しい管理人さんは…亡くなった管理人さんの古いご友人だと言う方です。
以前から管理人さんから何かあったら後を頼まれていたらしくて…
私達も新しい管理人さんを決めなきゃって時だったんで、そう言う事ならお願いしようって、その人に管理人さんになってもらったんです。
もらったんです…けど…」
女の目が沈んだ。
表情もとても暗い。
新しい管理人と何かあったんだろうか。
「新しい管理人さんは…
マルシェの店主達に次々とんでもない請求を毎月しだしたんです。出店料に管理費に土地使用料にマルシェ維持費だとか…旅商人にまで請求しだしたんですよ!
今までそんなこと無かったのに…
文句を言ったり、払わないと、嫌がらせされたり、店の物を壊されたりして。だから皆怖くて何も言えないんです。
おかげでお店がどんどん潰れていっちゃって…今や数える程しかお店もなくて…」
新しい管理人、なかなか酷い奴じゃないか…
おそらく街が寂れてしまっているのは、この管理人のせいだろう。
旅商人なんかは特に口が軽くて噂が早いからな、チコリスの街は色々とやばいぞってなれば、自分の商売優先の旅商人の事だ、街には寄り付かなくなる。
そうなればマルシェに店を構える者達は仕入れなんかが出来なくなる、結果潰れるのは必然な状況に追い込まれたんだろう。じわじわと街が死んでいく、住民達にとってはたまらないものだったに違いない。
私の帰られなかったこの6年、知らぬ間にチコリスの街が大変な事になっていたなんて。
「…で、私の家に管理人は何を?」
「何処から聞いたのか、前の管理人さんの貸部屋だと知った途端、
今の管理人は私だ!つまり私の貸している部屋と言う事だから家賃は私が貰う権利がある!どんな理由でも支払いの遅れは認められない!
…って言い出したんです。
で、あんな物をドアに」
なんというとんでもない自論を吐くんだ…!頭大丈夫か…!
前の管理人が無事帰るまで家賃は構わないから、と優しく送ってくれたというのに、それを無下にするなんて。
私はあまりの新しい管理人の話に開いた口が閉じられなかった。
「あの…」
唖然としている私に、女が顔を覗き込みながら声を掛けてきた。
「私、ロレーナと言います。
マルシェでパン屋してます。
色々あって、潰れかけだけど…
おうち、入れないですし…
貴方が良かったら、私の家に来ませんか?」
ロレーナ、と言う女は、大きな目で私を見つめながら優しく微笑んだ。
手に持っていた籠からふんわりと、小麦の匂いがした。かけてある布の隙間から小さなパンが見えた。
「…私は助かるが…知らない人間を君は構わないのか?」
今日初めてあった人間同士だ。警戒心はないのだろうか。
が、そんな心配は無用だったらしく、ロレーナは可愛らしく微笑んだ。
「困った時はお互い様です!」
明るい、邪気のない澄んだ笑顔だ。
私の警戒心もその笑顔の前で解けて、肩の力が抜けた気がした。
「…ありがとう。私はアイネ、宜しく」
「はい!アイネさん!」
なんて優しい子なんだろうか。
とりあえず、家の事はこれからなんとかするとして、落ち着くまで世話になろう。
コツ、コツ、コツ…
嫌に軽快な、靴の音がロレーナの背後から響いてきた。
街の住民達が、その足音の主を見るやいなや、顔を引きつらせながらそそくさと道を開けているのが見える。
「こちらにおられましたか!」
足音がロレーナのすぐ後ろで止まったかと思うと、耳に障る大きな声で、細く背の高い、身なりのいい男がどっかりと立っていた。
ロレーナが、後ろを振り返る。
途端に、怯えた表情を見せた。
「ひっ…!あ…!ぅ、管理人…さん…」
「探しましたよロレーナさん!
そろそろマルシェの管理費諸々、支払いをして頂きたいのですが?!」
管理人と呼ばれたその男は、怯えるロレーナを、異様で気味悪さすら感じる視線で捕らえると、そのそばにいる私の事など関せずに、大きな態度で詰め寄った。
あまりの管理人の強引さに、ロレーナは恐れからか後ずさりをした。
「あ…の、お金、あの、まだ無くて」
「それは困るんですよ、そろそろ払うものは払って頂かないと!
…払えないのであれば、お店を畳んで頂くしかないですねぇ」
「…!!それは、私それだけは」
管理人は、ニタニタとした、不快感のある笑顔をロレーナに向けた。
ロレーナはおどおどとしてすっかり目に涙をためて固まってしまっている。
不気味で、粘っこい笑顔が不快感しかないマルシェの管理人。
私の家はこんな奴にあんな扱いをされたのかと思うと、じわじわと腹に沸いてくる感情があった。
「不当な請求をしておいて、偉そうによく言えたもんだな」
私は肩を震わせるロレーナより一歩前に出た。
この管理人とやらに、ガツンと一言言わないと正直今の私は気が済まないのだ。
管理人は突然出てきた私を睨みつけた。
「紅色の髪…?
この街の者ではないですね…貴方は誰です?管理人に向かって、突然失礼ですよ」
「失礼はどっちだ、私を勝手に退去処分なんて事にしておいて。」
私も管理人に負けじと睨みつけながら、フラリとと私の借りていた部屋の方を指さした。
それを見て理解したのか、管理人は私を馬鹿にするかのように鼻で笑った。
「あぁ、貴方あの家の方でしたか。いつまでも家賃が払われないので強制措置ですよ、当たり前でしょう」
呆れたかのようにため息混じりで話すその態度に、私は更に腹が立ってきた。
が、そんな私とそばで怯えるロレーナをよそに、捲し立てるように管理人は話を続けた。
「長い戦争もやっと終わったとはいえ、戦争から逃れた魔族もウロウロしているような、不安定で荒れたこの世界情勢の中で、物価やら経済が急激に変化して行くのは当たり前ではないですか?
私はその荒れた情勢から、この街が、マルシェが潰れてしまわないようにキチンと管理させて頂いてるのですよ!不当と言われる筋合いも何もありません!」
目をかっ開き、嫌に通る耳障りな声で管理人は私に言い放った。
私はあまりのその態度に、開いた口が塞がらなかった。
呆れて何も言わない私を見て、管理人はまた馬鹿にしたかのように鼻で笑い、そしてコツ、と一度靴を鳴らすと、
「ロレーナさん、明日には覚悟を決めてくださいねぇ…!!ヒヒヒ…」
と、ロレーナにニタニタと気味悪い笑顔
を向けながら、その場を嫌に軽快に去っていった。
…去り際、かなり鋭い目付きを私に向けた事は見逃さなかったが。
「あれが管理人か…とんでもない奴だ」
負けじと私も、去っていく奴の後ろ姿を睨みつけた。
振り返ると、ロレーナが青ざめた表情で、パンの入っている籠を抱え、震えていた。
「お店…私の大事なお店…畳むなんて、そんなの…」
「ロレーナ、大丈夫か?」
私がロレーナの肩にそっと手を添えた途端、ぽろり、と大粒の涙がロレーナの目から零れた。
そして、それに続くように、ぼろぼろと止めどなく涙が溢れ出した。
「戦争で、材料の仕入れも難しくなって…でもお店がそれでも出来るだけでもありがたい事だよねって…マルシェの皆で管理人さんに従って、頑張って…こんな事、なるなんて…ひくっ…
私の大事な、大好きな私のお店…失くしたくないよぉ…」
「ロレーナ…」
ただでさえ大きい目から溢れ出る大粒の涙が、籠をぎゅっと抱えているロレーナの手にぼたぼたと雨のように降っていた。
「この籠のパンも、お店を失くして、お金も無くなって…困ってる街の人に、私…分けてあげようと思って作ったパンなんです…
小麦粉はもうこれで無くなっちゃったけど、また仕入れて、また皆に食べて貰いたいなぁ…
でも…でも、お店…う…うわぁぁぁん!」
ついに堪えられなくなったロレーナが、街中に響くんじゃないかと言うほど大きな声で泣き出した。
「困っている住民の為に、パンを…」
ロレーナ自身だって、あんな管理人が居たりして生活はかなり厳しい状況だろう。
それにも関わらず、管理人のおかげで途方にくれている住民の為に、自分の店の残りわずかな材料を使ってまで、そんな事…なかなか出来る事じゃない。
そんなロレーナが、今目の前であの管理人から、明らかに不当な扱いを受けている。
こんなの、黙って見ていていいはずが無い。
「ロレーナ、ほら、落ち着いて」
私は涙で潤んでいるロレーナの目をそっと撫でる。
ロレーナの大きな目が私を見つめた。
まだ泣きじゃくってはいるが、少し落ち着いてきたようだ。
「ひぐ、すびまぜん…アイネざん」
「あーあ…なんて顔だ…
それよりロレーナ、管理人はやたら強く不当でない事を主張していたが、ロレーナはどう思う?
今の、ロレーナの…マルシェや、街に対する管理人のやり方を」
私はロレーナの肩にまたそっと手を添えると、静かにそう話した。
泣き腫らしている目で、しかし落ち着いた態度で、ロレーナは私の声を静かに、真剣に聞いていた。
そして少し悲しそうな顔をして、考え込むように黙って俯いたかと思うと、
「私…私はっ…」
すっと顔を上げた。
その目はもう泣いて赤くなっていたが、悲しみの目ではなく、力強い目になっていた。
「こんなの…おかしいです…こんなの!
私は、私のお店を、あの賑やかなマルシェを、街をまた、取り戻したい…!
あんな管理人さん、要らない!」
さっきまで泣き叫んでいた表情ではなく、決意のこもった力強い表情。
ロレーナの、この街への愛情がいかに強いものかが伝わる表情だ。
いい顔をしている!
私はロレーナのその表情をみて思わず微笑んだ。
「よく言った!
こんなの明らかに不当だ…!従う必要なんてない!むしろ元通りにしてもらったっていいくらいだ。
然るべき所に訴えてしまえば、あんな管理人、一発退場だぞ」
その言葉を聞いたロレーナがキョトンとした。
「然るべき所って…?この街にも小さいけど衛兵さんの詰所はありますけど、戦争が始まってからは空っぽになっちゃってますし…」
なるほど、衛兵ね。
…あの戦争にでも連れていかれたんだろうな。この街は比較的王都からも近いし。
ハッキリ言って慢性的に人手不足だったからな。
なんで人手不足かと言うと…まぁ、戦場だからとしか言えないが。
と言っても衛兵がいた所でなんとかなるような管理人ではないと思う。
「不当だという証拠をかき集めて、王都裁判所に直接提出してしまうんだ。
あそこは仕事が早いぞー、しかも権限もしっかり持ってる!」
「王都裁判所?!それも直接?!
アイネさん何言ってるんですか、しかも直接行く?!私達みたいな一般平民、そんな立派な所、入る事すら許されないですよ…!」
「その辺は大丈夫だよロレーナ」
「…はい?!」
ロレーナが大きな目をいまにも飛び出すんじゃないかと思うくらいキョロキョロさせている。
王都裁判所、確かに普通なら余程でない限り入れないが、あそこで働いている裁判官数名と、裁判所の衛兵たちとは私は知り合いだからな。
つまりは顔パスだ。
これに関しては自分の「戦士」の立場に感謝だ…!
まぁ今となっては「元」だが。
とは言え、こんな不当な状況を見過ごす訳には行かない。
ここは無職となってしまったが、元の立場を少しだけ利用させてもらって、この街を、ロレーナを、そしてなにより私の家を…!
あの管理人から取り戻す。
のんびり釣りライフを送るために。
「よし!とりあえず、証拠集めるか。
ロレーナ、手伝ってくれないか」
私はロレーナに手を差し出した。
まだ驚きが隠せてないのか、状況が分かってないのか、あわあわしている。
全く…泣いたり青ざめたりあわあわしたり、ころころと表情がよく変わる子だなぁ。
だが、私の差し出した手をみて、決意を決めたのか、そっと私の手に触れたかと思うと、優しく両手で包み込んだ。
そして、大きく、力強い目で私を見つめた。
「…勿論です!アイネさんっ!」
決意のこもる目を、私も見つめ返した。
待ってろ管理人…お前のこの街に対するとんでもない態度、目にものを見せてやる。
私ののんびり釣りライフを邪魔するなんっ…いや、ロレーナの気持ちを踏みにじるなんて。
「ところでアイネさん、証拠集めって…一体どう集めるんです?」
「あー大丈夫だよ、いい案があるんだ。
とりあえず今晩、動き出すとしよう」
朝方にはチコリスに着くだろう。
まん丸の月の下、私の胸はのんびり釣りライフへの期待で胸いっぱいだった。
王都から出る前に、剣を1本なけなしの給料で購入した。
まだまだ戦争が終わって情勢が落ち着いてるとは言えないし、それに腰に何も無いのは、いつもあっただけに、なんとなく落ち着かない。
護身用にも持っておこうと思ったのだ。
思えば戦地ではこんなゆったりと道を歩く事なんてなかったなぁ。
作戦によっては一晩どころか三日三晩寝ずで移動とかもあった…
前線に送られた時なんて特にそうだ、気が休まる暇など無い。
一瞬気が逸れただけで殺される。
がむしゃらに戦い続けた結果、いつの間にかその私の行動が色んな方面で過分に評価されてしまったが、正直どうでもいい。
戦争など、まっぴらだ。
これからは、
のんびり釣りライフがしたい。
それに限る!
のんびり釣りをして一日過ごし、腹が減ったら街の賑やかなマルシェでパンでも買って食べる。素晴らしい。
これからは自分の為に自分の時間を使うんだ。
なんて、ほくほくとこれからの期待に胸を膨らませていると、久しぶり見る街の風景が見えてきた。
チコリスの街だ。
嬉しさからつい心が踊って、私は少し早足で街へと入った。
6年ぶりに帰る懐かしい街。
私が戦士になることを目指してずっとずっとずーっと昔に越してきた、いわば第2の故郷だ。
いつも賑やかな声がして、笑顔いっぱいの住民達、マルシェからは美味しそうな匂いの漂う素敵な…
素敵な…
どうしたことだろう。
賑やか、と言うには静かすぎる。
ふと民家の前にある花壇に目をやると、長いこと世話をしていないのか、枯れたまま放置され腐った、花だったらしきものが花壇の中でぐちゃぐちゃになっている。
以前はこんな事にはなっていなかったはずだ。
住民達は家の前を箒で掃き掃除をしたりしているのだが、その表情はどこか影があり、ため息ばかりして、目には疲れが見えた。
というより、6年前より確実に住民が少ない…
はっきり言って、寂れている。
戦争で、色々と物価が上がったり、戦争ら逃げた魔族の残党による被害があったりと各地で何かと大きく影響があったのは知っているが、そのせいだろうか?
私は街の異様な変わりように強い不安を感じながらも、6年ぶりの自宅へ向かった。
私の自宅は、マルシェの店主や、マルシェで短期間商売をしに来た旅商人とかとか、マルシェの事全般を管理している「管理人」と呼ばれていた老紳士が貸してくれている、いわば賃貸だ。
とても親切な人で、自宅の2階の部屋が長い事誰も住んでないからと、格安家賃で貸してくれたのだ。
私が戦争に行くため、長く空けることを伝えた時も、帰るまで家賃の支払いは気にせず頑張りなさいと言ってくれた。
だからこそ、是非とも管理人にはご挨拶をしておきたいなぁ。
訓練兵になったときも、戦士になったときも、休日にしか帰らない家ではあったが、老紳士のおかげもあり、とても愛着がある家なのだ。
街の寂れようが気になる所ではあるが…とりあえず荷物を置いて、落ち着いて待の様子を見ることにしよう。
住宅街を抜け、角を曲がり、マルシェのある大通りを通り過ぎた先。
1階は管理人の家、2階が私の借り部屋。
管理人に挨拶をしようと、ドアをコンコン、と軽くノックしてみた…
が、返事もなく、静かな街に私のノックした音が吸い込まれて行った。
…留守なのだろうか。
どこか出かけているのかもしれないな。
また後で来るとしよう。
私は仕方なく、建物の外階段を上がり、自宅へと向かった。
木製のしっかりした階段をリズムよく、トントン…と上がっていくと、目の前に自宅のドアが見えた。
私の家だ!!
…
が、その感動は感じることは無かった。
私は、ドアに雑に貼られている板キレに書かれた文字を見た途端、あまりの出来事に手から荷物をすべり落とした。
【家賃未払いの為 退去処分】
「…ぅえ?」
間抜けな声が出てしまった。
大丈夫、私、大丈夫だ…!
きっと疲れているんだ。戦争で嫌という程仲間の死に様を見たし、魔族を斬ってきたからな、悪い夢でも見てるんだよ…大丈夫、大丈夫、深呼吸するんだアイネ……目覚めるんだアイネ……
さあもう一度、落ち着いて。
【家賃未払いの為 退去処分】
何度深呼吸しても、何度目を擦っても、そこには同じ事が書いてあった。
「…な…え?!どういう事だ?」
あの老紳士が書いたのか?!にして雑だが…
いやいやあの老紳士には事情を話していたし、こんなことする訳がない…!!
…よな?!
私は現実が受け入れられず、ドアノブを掴み、家の鍵を6年ぶりにカバンから取り出し、鍵を開けた。
が、その努力も虚しく、ドアは開くことは無かった。
よく見ると、これまた雑に、しかしがっちりと適当な釘の打ち方でドアに何枚もの板を打ち付け、簡単に開かないようになっていた。
私は顔が青ざめるのを感じた。
のんびり釣りライフ…どころじゃないぞ?!
無職家無し崖っぷち…
さすがに笑えない!!
「なんでこうなったぁああ!?」
思わず声が出た。
あまりの出来事に私はへなへなと座り込んでしまった。
ちらほらと見えていた住民達が、私の姿をみてざわざわとしている。
私はふと顔をあげると、立ちあがり、荷物もそのままに階段を駆け下りた。
そうだ、管理人…!
家賃未払いでっ…て事は、管理人が何か知ってるはずだ。どういう訳か話を聞くとしよう!!
事情はきちんと話してあったし、あの老紳士がこんなことするようには…
私は階段を駆け下りると、管理人の家のドアを叩いた。
「管理人!留守なのか?!話があるんだが!管理人ーー!!」
めいっぱい大きな声で呼び掛けながら、めいっぱいノックすると、ドアはドカドカドカ!と凄い音で揺れた。
留守とか勘弁してくれ…
とにかく板キレの事を確認しないと!
無職家無しはさすがにやばい!!
「あ…あのっ」
背後から、か細い若い女の声がした。
私はノックするのを辞め、後ろを振り向く。
「あの…どうしましたか?」
そこには、
手に何が入ってるのかは分からないが布をかけた籠を持った、
いかにも街娘…というには少しダサ…
田舎風な服を着て、
毛先がふわふわした、明るめの茶色の髪色をしている、
背の低くて若い女が居た。
ふと管理人の家のドアを見ると、ちょっと、だけ、ほーんのちょっとだけヒビが入っていた。
自分の拳を見ると真っ黒に汚れている。
私は慌てて自分の拳を背中の後ろに隠し、女の方へと向かった。
女はおどおどしていて、怯えているように私を見つめる。
「あー…あの…
この家の2階の住民なんだが、家賃の件で管理人に話を伺いたのだが…」
女は、ふと目を2階のドアにあるあの板キレに向けた。
…絶対私、今目がめっちゃ泳いでたな。
だってドアにヒビ入れたのバレたら色々と面倒そうだからな。
どうかバレてませんように。
だが私の余計な心配など関係なく、女は悲しそうな目をすると、ぽつりと言った。
「あんなの…あんなの、あの優しい管理人さんは、書きません…」
泣きそうな声で女は言った。
籠を持つ手がふるふると震えている。
私はその姿をみて、ただならない事があることを感じた。
管理人が書いたのではない?
ではあれは一体なんだ?
私は今にも泣きそうな女に尋ねた。
「管理人は何処に?訳あって長くこの家を空けていたんだが、帰ってきたらアレがあって…管理人には話をつけていたんだが」
「そうだったんですか、久しぶりに帰ってこられたんですね。
実は管理人さんは…
半年前に、急病で亡くなりました…
アレは、新しくきた管理人さんが勝手に書いたんです…」
「…え?!亡くなった?!」
なんという事だ…!
あの優しかった老紳士が亡くなったなんて。
だから家に人の気配がないのか。
是非ご挨拶をと思っていただけに、とてもショックだ…
…となると、その新しい管理人とやらが気になる所だ。私を勝手に退去処分にした奴がな。
「その、新しい管理人…とは?」
私がその質問をした途端、女の籠を持つ手が、ぎゅっと握りしめられたのが見えた。顔は怖ばり、怯えているように見える。
新しい管理人…一体どんな人物だ。
「新しい管理人さんは…亡くなった管理人さんの古いご友人だと言う方です。
以前から管理人さんから何かあったら後を頼まれていたらしくて…
私達も新しい管理人さんを決めなきゃって時だったんで、そう言う事ならお願いしようって、その人に管理人さんになってもらったんです。
もらったんです…けど…」
女の目が沈んだ。
表情もとても暗い。
新しい管理人と何かあったんだろうか。
「新しい管理人さんは…
マルシェの店主達に次々とんでもない請求を毎月しだしたんです。出店料に管理費に土地使用料にマルシェ維持費だとか…旅商人にまで請求しだしたんですよ!
今までそんなこと無かったのに…
文句を言ったり、払わないと、嫌がらせされたり、店の物を壊されたりして。だから皆怖くて何も言えないんです。
おかげでお店がどんどん潰れていっちゃって…今や数える程しかお店もなくて…」
新しい管理人、なかなか酷い奴じゃないか…
おそらく街が寂れてしまっているのは、この管理人のせいだろう。
旅商人なんかは特に口が軽くて噂が早いからな、チコリスの街は色々とやばいぞってなれば、自分の商売優先の旅商人の事だ、街には寄り付かなくなる。
そうなればマルシェに店を構える者達は仕入れなんかが出来なくなる、結果潰れるのは必然な状況に追い込まれたんだろう。じわじわと街が死んでいく、住民達にとってはたまらないものだったに違いない。
私の帰られなかったこの6年、知らぬ間にチコリスの街が大変な事になっていたなんて。
「…で、私の家に管理人は何を?」
「何処から聞いたのか、前の管理人さんの貸部屋だと知った途端、
今の管理人は私だ!つまり私の貸している部屋と言う事だから家賃は私が貰う権利がある!どんな理由でも支払いの遅れは認められない!
…って言い出したんです。
で、あんな物をドアに」
なんというとんでもない自論を吐くんだ…!頭大丈夫か…!
前の管理人が無事帰るまで家賃は構わないから、と優しく送ってくれたというのに、それを無下にするなんて。
私はあまりの新しい管理人の話に開いた口が閉じられなかった。
「あの…」
唖然としている私に、女が顔を覗き込みながら声を掛けてきた。
「私、ロレーナと言います。
マルシェでパン屋してます。
色々あって、潰れかけだけど…
おうち、入れないですし…
貴方が良かったら、私の家に来ませんか?」
ロレーナ、と言う女は、大きな目で私を見つめながら優しく微笑んだ。
手に持っていた籠からふんわりと、小麦の匂いがした。かけてある布の隙間から小さなパンが見えた。
「…私は助かるが…知らない人間を君は構わないのか?」
今日初めてあった人間同士だ。警戒心はないのだろうか。
が、そんな心配は無用だったらしく、ロレーナは可愛らしく微笑んだ。
「困った時はお互い様です!」
明るい、邪気のない澄んだ笑顔だ。
私の警戒心もその笑顔の前で解けて、肩の力が抜けた気がした。
「…ありがとう。私はアイネ、宜しく」
「はい!アイネさん!」
なんて優しい子なんだろうか。
とりあえず、家の事はこれからなんとかするとして、落ち着くまで世話になろう。
コツ、コツ、コツ…
嫌に軽快な、靴の音がロレーナの背後から響いてきた。
街の住民達が、その足音の主を見るやいなや、顔を引きつらせながらそそくさと道を開けているのが見える。
「こちらにおられましたか!」
足音がロレーナのすぐ後ろで止まったかと思うと、耳に障る大きな声で、細く背の高い、身なりのいい男がどっかりと立っていた。
ロレーナが、後ろを振り返る。
途端に、怯えた表情を見せた。
「ひっ…!あ…!ぅ、管理人…さん…」
「探しましたよロレーナさん!
そろそろマルシェの管理費諸々、支払いをして頂きたいのですが?!」
管理人と呼ばれたその男は、怯えるロレーナを、異様で気味悪さすら感じる視線で捕らえると、そのそばにいる私の事など関せずに、大きな態度で詰め寄った。
あまりの管理人の強引さに、ロレーナは恐れからか後ずさりをした。
「あ…の、お金、あの、まだ無くて」
「それは困るんですよ、そろそろ払うものは払って頂かないと!
…払えないのであれば、お店を畳んで頂くしかないですねぇ」
「…!!それは、私それだけは」
管理人は、ニタニタとした、不快感のある笑顔をロレーナに向けた。
ロレーナはおどおどとしてすっかり目に涙をためて固まってしまっている。
不気味で、粘っこい笑顔が不快感しかないマルシェの管理人。
私の家はこんな奴にあんな扱いをされたのかと思うと、じわじわと腹に沸いてくる感情があった。
「不当な請求をしておいて、偉そうによく言えたもんだな」
私は肩を震わせるロレーナより一歩前に出た。
この管理人とやらに、ガツンと一言言わないと正直今の私は気が済まないのだ。
管理人は突然出てきた私を睨みつけた。
「紅色の髪…?
この街の者ではないですね…貴方は誰です?管理人に向かって、突然失礼ですよ」
「失礼はどっちだ、私を勝手に退去処分なんて事にしておいて。」
私も管理人に負けじと睨みつけながら、フラリとと私の借りていた部屋の方を指さした。
それを見て理解したのか、管理人は私を馬鹿にするかのように鼻で笑った。
「あぁ、貴方あの家の方でしたか。いつまでも家賃が払われないので強制措置ですよ、当たり前でしょう」
呆れたかのようにため息混じりで話すその態度に、私は更に腹が立ってきた。
が、そんな私とそばで怯えるロレーナをよそに、捲し立てるように管理人は話を続けた。
「長い戦争もやっと終わったとはいえ、戦争から逃れた魔族もウロウロしているような、不安定で荒れたこの世界情勢の中で、物価やら経済が急激に変化して行くのは当たり前ではないですか?
私はその荒れた情勢から、この街が、マルシェが潰れてしまわないようにキチンと管理させて頂いてるのですよ!不当と言われる筋合いも何もありません!」
目をかっ開き、嫌に通る耳障りな声で管理人は私に言い放った。
私はあまりのその態度に、開いた口が塞がらなかった。
呆れて何も言わない私を見て、管理人はまた馬鹿にしたかのように鼻で笑い、そしてコツ、と一度靴を鳴らすと、
「ロレーナさん、明日には覚悟を決めてくださいねぇ…!!ヒヒヒ…」
と、ロレーナにニタニタと気味悪い笑顔
を向けながら、その場を嫌に軽快に去っていった。
…去り際、かなり鋭い目付きを私に向けた事は見逃さなかったが。
「あれが管理人か…とんでもない奴だ」
負けじと私も、去っていく奴の後ろ姿を睨みつけた。
振り返ると、ロレーナが青ざめた表情で、パンの入っている籠を抱え、震えていた。
「お店…私の大事なお店…畳むなんて、そんなの…」
「ロレーナ、大丈夫か?」
私がロレーナの肩にそっと手を添えた途端、ぽろり、と大粒の涙がロレーナの目から零れた。
そして、それに続くように、ぼろぼろと止めどなく涙が溢れ出した。
「戦争で、材料の仕入れも難しくなって…でもお店がそれでも出来るだけでもありがたい事だよねって…マルシェの皆で管理人さんに従って、頑張って…こんな事、なるなんて…ひくっ…
私の大事な、大好きな私のお店…失くしたくないよぉ…」
「ロレーナ…」
ただでさえ大きい目から溢れ出る大粒の涙が、籠をぎゅっと抱えているロレーナの手にぼたぼたと雨のように降っていた。
「この籠のパンも、お店を失くして、お金も無くなって…困ってる街の人に、私…分けてあげようと思って作ったパンなんです…
小麦粉はもうこれで無くなっちゃったけど、また仕入れて、また皆に食べて貰いたいなぁ…
でも…でも、お店…う…うわぁぁぁん!」
ついに堪えられなくなったロレーナが、街中に響くんじゃないかと言うほど大きな声で泣き出した。
「困っている住民の為に、パンを…」
ロレーナ自身だって、あんな管理人が居たりして生活はかなり厳しい状況だろう。
それにも関わらず、管理人のおかげで途方にくれている住民の為に、自分の店の残りわずかな材料を使ってまで、そんな事…なかなか出来る事じゃない。
そんなロレーナが、今目の前であの管理人から、明らかに不当な扱いを受けている。
こんなの、黙って見ていていいはずが無い。
「ロレーナ、ほら、落ち着いて」
私は涙で潤んでいるロレーナの目をそっと撫でる。
ロレーナの大きな目が私を見つめた。
まだ泣きじゃくってはいるが、少し落ち着いてきたようだ。
「ひぐ、すびまぜん…アイネざん」
「あーあ…なんて顔だ…
それよりロレーナ、管理人はやたら強く不当でない事を主張していたが、ロレーナはどう思う?
今の、ロレーナの…マルシェや、街に対する管理人のやり方を」
私はロレーナの肩にまたそっと手を添えると、静かにそう話した。
泣き腫らしている目で、しかし落ち着いた態度で、ロレーナは私の声を静かに、真剣に聞いていた。
そして少し悲しそうな顔をして、考え込むように黙って俯いたかと思うと、
「私…私はっ…」
すっと顔を上げた。
その目はもう泣いて赤くなっていたが、悲しみの目ではなく、力強い目になっていた。
「こんなの…おかしいです…こんなの!
私は、私のお店を、あの賑やかなマルシェを、街をまた、取り戻したい…!
あんな管理人さん、要らない!」
さっきまで泣き叫んでいた表情ではなく、決意のこもった力強い表情。
ロレーナの、この街への愛情がいかに強いものかが伝わる表情だ。
いい顔をしている!
私はロレーナのその表情をみて思わず微笑んだ。
「よく言った!
こんなの明らかに不当だ…!従う必要なんてない!むしろ元通りにしてもらったっていいくらいだ。
然るべき所に訴えてしまえば、あんな管理人、一発退場だぞ」
その言葉を聞いたロレーナがキョトンとした。
「然るべき所って…?この街にも小さいけど衛兵さんの詰所はありますけど、戦争が始まってからは空っぽになっちゃってますし…」
なるほど、衛兵ね。
…あの戦争にでも連れていかれたんだろうな。この街は比較的王都からも近いし。
ハッキリ言って慢性的に人手不足だったからな。
なんで人手不足かと言うと…まぁ、戦場だからとしか言えないが。
と言っても衛兵がいた所でなんとかなるような管理人ではないと思う。
「不当だという証拠をかき集めて、王都裁判所に直接提出してしまうんだ。
あそこは仕事が早いぞー、しかも権限もしっかり持ってる!」
「王都裁判所?!それも直接?!
アイネさん何言ってるんですか、しかも直接行く?!私達みたいな一般平民、そんな立派な所、入る事すら許されないですよ…!」
「その辺は大丈夫だよロレーナ」
「…はい?!」
ロレーナが大きな目をいまにも飛び出すんじゃないかと思うくらいキョロキョロさせている。
王都裁判所、確かに普通なら余程でない限り入れないが、あそこで働いている裁判官数名と、裁判所の衛兵たちとは私は知り合いだからな。
つまりは顔パスだ。
これに関しては自分の「戦士」の立場に感謝だ…!
まぁ今となっては「元」だが。
とは言え、こんな不当な状況を見過ごす訳には行かない。
ここは無職となってしまったが、元の立場を少しだけ利用させてもらって、この街を、ロレーナを、そしてなにより私の家を…!
あの管理人から取り戻す。
のんびり釣りライフを送るために。
「よし!とりあえず、証拠集めるか。
ロレーナ、手伝ってくれないか」
私はロレーナに手を差し出した。
まだ驚きが隠せてないのか、状況が分かってないのか、あわあわしている。
全く…泣いたり青ざめたりあわあわしたり、ころころと表情がよく変わる子だなぁ。
だが、私の差し出した手をみて、決意を決めたのか、そっと私の手に触れたかと思うと、優しく両手で包み込んだ。
そして、大きく、力強い目で私を見つめた。
「…勿論です!アイネさんっ!」
決意のこもる目を、私も見つめ返した。
待ってろ管理人…お前のこの街に対するとんでもない態度、目にものを見せてやる。
私ののんびり釣りライフを邪魔するなんっ…いや、ロレーナの気持ちを踏みにじるなんて。
「ところでアイネさん、証拠集めって…一体どう集めるんです?」
「あー大丈夫だよ、いい案があるんだ。
とりあえず今晩、動き出すとしよう」
0
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
短編)どうぞ、勝手に滅んでください。
黑野羊
恋愛
二度も捨てられた聖女です。真実の愛を見つけたので、国は救いません。
あらすじ)
大陸中央にあるルオーゴ王国で、国を守る結界を維持してきた聖女ロザリア。
政略のため王太子と婚約していた彼女は、突如『真の聖女』が現れたとして婚約を破棄され、聖女の座を追われてしまう。さらに、代わりに婚姻しろと命じられた聖騎士からも拒絶され、実家にも見捨てられたロザリアは、『最果ての修道院』へと追放された。
けれど彼女はそこで、地位や栄光、贅沢などとはほど遠い、無条件に寄り添ってくれる『真実の愛』と穏やかな日々を手にいれる。
やがて聖女を失った王国は、崩壊へ向かっていき――。
ーーー
※カクヨム、なろうにも掲載しています
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
「婚約破棄された転生令嬢ですが、王城のメイド五百人に慕われるメイド長になりました。なお元婚約者は私のメイドに土下座中です」
まさき
恋愛
社畜OLとして過労死した私は、異世界の令嬢・アリア・ヴェルナーに転生した。
目が覚めたら、婚約破棄されていた。
理由は「地味で面白みがない」から。
泣く暇もなかった。翌朝、王城のメイド採用面接に向かった。
最初は鼻で笑われた。雑用係からのスタートだった。
でも——前世で叩き込まれた仕事術と、一人ひとりの話を聞く姿勢で、少しずつメイドたちが集まってきた。
厨房が変わった。リネンが変わった。王城全体が変わっていった。
そして就任スピーチで宣言した。
「500人全員の名前を、覚えます」
冷酷と噂される王太子は、静かに見ていた。
悪役令嬢は妨害を仕掛けてきた。
元婚約者は——後悔し始めていた。
婚約破棄された令嬢が、500人に慕われるメイド長になるまでの物語。
なお元婚約者は、私のメイドたちの前で土下座中です。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件
水月
恋愛
「君を愛するつもりはない」
結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。
出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。
愛を期待されないのなら、失望させることもない。
契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。
ただ「役に立ちたい」という一心だった。
――その瞬間。
冷酷騎士の情緒が崩壊した。
「君は、自分の価値を分かっていない」
開始一分で愛さない宣言は撤回。
無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。
以後、
寝室は強制統合
常時抱っこ移動
一秒ごとに更新される溺愛
妻を傷つける者には容赦なし宣言
甘さ過多、独占欲過剰、愛情暴走中。
さらにはリーリアを取り戻そうとする実家の横槍まで入り――?
自己評価ゼロの健気令嬢と愛が一分も我慢できなかった最強騎士。
溺愛が止まらない、契約結婚から始まる甘すぎる逆転ラブコメ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる