アベレーション・ライフ

あきしつ

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六月:修学旅行

第30話:No.1

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「んーとね、まず君がここにいること自体が大問題なんだよね。僕はなんて言い訳すればいいかなぁ…」
「そんなことは百も承知ですよ。ここじゃマズイから場所を変えません?」
消灯時間を大幅に過ぎた今、快がここにいるのは校則違反で鳥束も教師としては無視出来ない現状だ。しかし、鳥束は胸ポケットに入れた端末の電源を切り、一瞬迷うも快を手招きし引導した。連れてこられたのは、鳥束の部屋だった。
「ここには監視カメラはない。安心していいよ。それに僕の部屋も寮の一部な訳で、君はちゃ~んと校則を守っていることになるね。で、僕に用ってなんだい?」
何故か2つある椅子を快に差し出し、もう1つに座る。試すような目つきで鳥束は快を見上げた。明らかに会話の主導権を握られている。これは鳥束と対話する上で最も注意すべき点──そう冬真は言っていた。ジョークや様々な話術を盛り込み、会話という人間として当たり前のものを上手く操作する。言葉の二手三手先を読む鳥束は、相手に利益を与えず保身をする、そういう天才的な話術を操るスキルにも富んでいる。故に、鳥束が主導権を握っている現状は決して良くない。だが、快に鳥束程の会話力はない。ならば結論は、敢えて相手のペースに合わせることだ。
「単刀直入に聞きます。…ずっと気になってた。気色悪かった。今日の体育大会で先生がアイテールの攻撃を受けた時、疑念は確信に変わった。先生──」
「うん、なんだい?」
「足の月のマーク、見えてました。先生は月陽連…なんですか?」
「─────」
鳥束は沈黙する。その瞳に陰りが生まれたのを快は見逃さなかった。
快は会話力は無いが、人の本音を現れる瞬間を見極めることは苦手ではない。いかなポーカーフェイス、鳥束のような真意を隠すのが超人的に上手い人間にも必ずその瞬間はある。快は少し身体を前へ傾けた。
「……だったら、どうする?」
「場合によります」
椅子に背凭れに体重をかけ、蛍光灯を眺める鳥束は前髪の隙間から快を一瞥した。
「ふぅん。こうすると、断言しないか。慎重だね。いい判断だよ。断定が裏手にとられることもあるからね。じゃ、質問に答えようか。そうだよ。僕は月陽連の構成員だ。昔はね?だから今は違う」
鳥束はなんら表情を変えることなく続けた。表情からはやはり真意には気づきにくい。快は深掘りする為にさらに質問を重ねる。
「じゃあ…足の紋様は…」
「ああ、これのことかい?消える訳がないよ。入ったら現れて、出たら消えるなんてファンタジーめいた物ではないからね。ただの刺青さ。まあ、入連の証かな?過去形でも、現在進行形でもね」
鳥束はズボンの裾を捲り、妙に奇妙でドス黒い三日月形の刺青を見せた。しかし、快の目にはそうは見えなかった。刺青というにはあまりにもお粗末で、焼き印の様に深く刻み込まれている。針で形づけるそれとは違い、まるで肉をその形に削ぎ落として肉面に直で紫がかった黒を塗っているだけのようだ。
「じゃあ…もう関係はないってことですか?」
「いーや、それもどうだろうね。何せ刺青だよ?そう簡単には消えないかな。月陽連に属したのなら、一生その業を背負わなければならない。そういうことじゃないかな?」
あくまでも月陽連──国家転覆を図ったという組織との繋がりは今はないと主張している。これ以上の詮索は余計に場を狂わせる。そう判断した快は、言葉を選んで口を開いた。
「じゃあ…先生は…月陽連はメディアが報じている程の悪だと思いますか?仮にも先生が今言ったことが嘘で、月陽連とまだ繋がっているのなら、そんで…報道の通りの有り様だったら…あんたは俺達の敵になる。でも、今日のことであんたを信じなくちゃいけねぇって思った。信頼出来ない信用なんて…俺は嫌だ…」
「────」
鳥束は口をつぐんで沈黙する。我ながら際どいところを聞いたと思った。信頼出来ない信用、つまりは信じられない者を信用するという圧倒的矛盾。これからのことを考えてもそんなジレンマは撤廃しておきたい。
「桧山君、最初に聞いておくよ。もしも僕が『そうだ』と言ったらどうする?」
「信じます。それ以外に道はないので」
快は固い表情で変わらぬ信仰を伝える。鳥束は少し考え込んで微笑を浮かべる。
「ふ、面白いね君。いや、それはないよ。メディアが少し大袈裟なだけさ。確かに月陽連はアンモラルな、違法捜査が多い。ファイターと流儀と理念が違うからだ。ファイターは悪を挫き、市民を助ける。月陽連はその後者を切り捨てる。いや、この言い方には語弊があるな。犯人の検挙を第一目標としているから、その為ならなんでもやるってことだよ。実際、月陽連が善良な一般人を殺した、殺そうとした例は一度もない。ただ、日本政府との確執をあった。メディアに圧力をかけて、わざと大袈裟な報道をしたのだろうね」
「じゃあ俺は…先生を信じます。自分と、この世界の為に」
信じるという感情は必ずデメリットを伴う。それは信じた対象が裏切った場合だ。喪失感だけではなく、自分がその人物を信じてしまったばかりに起きる不祥事に対する責任感だ。鳥束からはそこはかとない魔性のようなものを感じる。だが、それは邪悪や醜悪の類ではない。
「じゃあ、俺はこれで。夜遅くにすいませんでした」
「いいや、いいんだよ。僕も久々にこんな話が出来て良かった。肩の荷が降りたような気がする。じゃ、また何かあったいつでも来なよ。大歓迎だからさ」
「───はい」
一礼して快は鳥束の部屋の扉に手をかけた。何か少し、心残りがある。何か1つ、聞かなければいけないことがある。呪縛のように快の手を拘束した。
「失礼しました」
快はその心残りをほどいた。鳥束と快の背中を目で追った。パタンと、小さな音を最後に快が部屋を出る。
「……フフ…ククク……ハーハッハッハッハ……」
気配が完全に消えたことを確認した鳥束は、椅子から転げ落ちながら高笑いをする。腹を抑えながら、逆の手で机に手をかける。
「桧山君…君は本当に面白いやつだよ…わざと紋様を見せて正解だった!!結果はどうでも良かったが…単純過ぎてホント助かるよ!!月陽連は悪ではない。これは事実だ。これからは僕の一言一句に気をつけたまえよ皆。僕は─────」



「────嘘つきだからね」



「はよ~」
昨晩、夜中まで話し込んでいたせいか、快は重たい瞼を押し上げようとするぎこちない顔つきで教室へ入った。見ていた映画の話を電樹としていたら、思いの外会話が弾んでしまった始末だ。が、それだけではない。休校期間前日に快は鳥束に肉薄した。結果、鳥束は月陽連とは今は関わりがないという結論に落ち着いた。
しかし、快にとっては不完全燃焼極まりない状態だった。少なくとも、あの時は。何かを聞きそびれたような正体不明の遺憾に刈られ、一度は鳥束の部屋に戻ろうとした。が、さすがに眠気が勝ってしまい、自室に戻った。その時、遺憾は消え去った。机の中央に置かれたメモ帳の切れ端。そこに、全ての答えが詰まっていた。


『君の両親は事故死じゃない。殺人だよ』


と、簡潔に、ただそれだけ。差出人の名は記されていないが、おおよそ見通しがつく。火を見るより明らかなことである。鳥束だ。それ以外はあり得ない。衝撃からか、眠気は吹き飛んでいた。快はすぐに鳥束の部屋に戻った。鳥束はまるで予期していたかのように、快を出迎えた。そこで見通し──予見は確信に変わる。
鳥束は多くを語らなかった。ごく短い10分程度の会話である。その中で快は新たに2つ、新情報を得た。1つ、鳥束は両親と顔見知りであるということ。仮にも月陽連に属していた男だ。桧山炎太郎と桧山水乃を知らないはずがない。何せ両親は日本を代表するファイターだったのだから。だが、知りすぎていた。まるで会って話したことがあるかのように、鳥束の言う炎太郎と水乃は快の中の彼らと一致していた。しかし、これは至って悲報ではない。肝心なのはもう1つだ。それは事実の隠蔽である。快は始め、なぜ両親を知っているのかと問い質した。その答えは前述同様だが、それでも快に充分過ぎる衝撃を与えた。次に快は両親の死について質問した。鳥束の答えは単純明快、つまりは異様な程にシンプルだった。


─────それについては知らない方がいい。悪魔が目覚める


背筋にゾッと悪寒が走った。今まで朗々としていた鳥束の声色が急に冷ややかになったからだ。勿論、理由はそれだけではないが。それ以上、鳥束は核心に迫るようなことは言わなかった。納得のいかなかった快は、鳥束の胸ぐらを掴み、より掘り下げた情報を聞き出そうとした。希望は無かった。鳥束と会話をするうちに、立場上なのか、そういうさがなのか、秘密の多い男だと分かった。そして同時に、それを保有して隠し通すことが上手い人物だとも。鳥束の発言は重要なようで、それでいて真実には辿り着かせてくれないものが多い。しかし、彼は快の最後の問い掛けに若干躊躇って、仕方なさそうに答えた。

「君の両親は地獄の扉を開けた。だから消されたんだよ」

悪寒は───走らなかった。だが、気持ち悪さがこみ上げる。"消された"という言葉が何故か脳をぐちゃぐちゃに掻き混ぜる。理解し難い負の感情が肉と骨を焦がすように高ぶる。熱で頭が乱れ、視界が霞み、微睡んで、思考が停止する。親、死、地獄の扉、悪魔が目覚め、消される───気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い───────────────


気づけば快は部屋もベッドに横たわっていた。スマホで時間を確認して、あれからさほど時間が経過していないことに気づいた。鳥束が言っていた謎めいた発言を整理するまで時間はかからず、しかし、これ以上は無意味だと割りきって床についた。
次の日、快は妹・桧山冷にこのことを打ち明けようと帰郷を提案した。話を聞かせると妹はやはり驚愕していた。冷は「信じたくない」と言った。きっと両親が他殺と聞いて、嫌気が指したのだろう。それでも快は調べなくてはならないと思った。『地獄の扉』、恐らく両親は知ってはいけないことを知ってしまったのだろう。存在が消されなければならない程の、伝説的とも比喩出来るこの世界の秘密。親の仇は、子供がとる。だから、その為にも。
(アイテールは確実に倒さなきゃならねぇ)
快は改めて気合いを入れる。恐らく今のままではアイテールの足下にも及ばないだろう。奴の言った約1年後までに、対等に戦えて、勝てるだけの力を手に入れなければならない。
「おはよ、浮かない顔色してどしたの?」
机に座って頬杖をついて考え事をしていると、隣から覗き込むように怜奈が顔を出してくる。
「信じられないくらい色々あったんだよ…けど、今は考えないようにしておく」
「ふーん。あ、そうそう。暗い顔してる快のいや~な気持ちが晴れるよう、面白い本貸してあげる!」
「え?」
思いついたように、掌を拳で叩き鞄から手持ちサイズの小説を取り出す。
「じゃーん!『そして死人は笑った』!!」
「え…余計嫌気さしそうなんだけど」
「推理小説だよ。去年映画化した『アーモンド・コーラス』の作者の!えーと、花宮卯月さん!めっちゃ面白いから!」
「ああ、まあ借りとくよ」
その小さな冊子を受け取り、机の中に仕舞う。すると、意外なヤジが横から飛んで来た。
「怜奈、君は分かってないな。これだから平和思想の脳内お花畑は。花宮卯月といえば、『正午零時』じゃないかい?」
「残酷だったら良いってもんじゃないの!」
「馬鹿か君は。花宮卯月の売りは表現のグロさと世の中への皮肉だろ?『そし笑』なんてあの人の中じゃ駄作・オブ・駄作だろ」
「違うもん!確かに売りはそうかもしれないけど、だからこそ『そし笑』の平和表現が映えるってもんじゃない!」
互いに何かと推しの小説を語り合っている。正直どちらにも興味のない快は、呆れ顔で2人の肩を押さえた。
「ああもう、うるせぇな!どっちだっていいだろ!」
「む、それもそうだね」
「そうだね。駄作は言いすぎたよ。ごめん」
「ううん、良いんだよ。色んな趣味の人がいるから」
「ったく…」
快に『そし笑』を渡した怜奈は下手くそなスキップで自分の机へ戻る。とても見れたものじゃない。
10分程周りのクラスメートと談笑して、8時30分。チャイムが学校へ鳴り響く。定刻ぴったりに、教室の無駄に大きい扉が開いた。
「おはよう、皆」
大股で闊歩しながら鳥束が教卓の前に立つ。
「さて、休校期間はどうだったかな?」
「色々ありすぎて死にそうです」
思わず快は反射的に口を開いてしまった。マズイことを言ったと思ったが、鳥束はなんら反応を示すことなくいつも通りに受け流した。
「そうだね。同情するよ。この日の為に色々やってたんだ。……それにしても『AGNAS』凄いね。修復どころか進化してる」
触り心地が良いのか、綺麗になった教卓を鳥束は撫でる。教卓だけではない。どれだけ時代が変化し、発展しても消えない机のガタガタ問題も、『AGNAS』の登場以降、綺麗さっぱり消え失せている。
「この日の為にってどうゆうこと?」
明らかに教師への態度じゃないといった口調で薔薇解華が手を挙げた。
「君達全員が感じてるだろうが、恐らく今のままではアイテールには勝てない。その為にもいくつかやらなきゃいけないことがある。それは追い追い話すとして…今日はどうしても君達に話が聞きたいと言っているスペシャルゲストを呼んでいます!」
「スペシャルゲストォ?」
テレビ番組のようなノリの鳥束に柔也が顔をしかめる。
その鳥束の台詞に応対するように、教室の扉がゆっくりと開いた。
ここにいる誰もが、ファイターになりたい一心でここにいる。辛い訓練も乗り越えて、それでもここに残っている。だからこそ────

「はじめまして。No.1ファイターの、黒野燐太郎です」

その男の登場に、時を忘れて呆然とするしかなかった。
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