代償

零壱

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再起

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「もったいない」

 シャツや床に飛び散った血液を見て、弟が呟く。
 何度か息を吸って吐き、跡形もなくその唇に吸い込んだ。まるで最初からそうすることを知っていたかのようだ。黒目が血のように赤く染まる様が神秘的で、綺麗で、涙が溢れた。
 何も見ていない空洞じゃない。
 目を合わせて、涙を指の腹で拭われて、首をまた舐められる。
 あ、あ、と意味のない声が出た。啜られる度に背から腰に走るのは、頭が麻痺するような快感だった。他人との接触なんて考えるだけでも気持ち悪いと、ストイックという皮で性的なものは全部遠ざけていたのに。
 生き返った弟に喰われている。
 その事実にどうしようもなく昂揚した。
 肌をなぞる吐息の熱さと昂った身に力が抜け、俺をしっかりと受け止めた千秋ちあきが笑い、塞がった、と囁く。
 触れてみた場所に凹凸はない。
 見下ろした指にも血はつかなかった。

「子どもを助けた俺に、神様からのご褒美かも」

 神様と言うには、あの光も声も随分と禍々しかったように思う。
 思って、声に出して笑った。
 だったらなんだって言うんだ。
 神でも悪魔でもなんでもいい。
 目の前に弟がいる。
 生きて、動いている。
 それだけがすべて。

春人はると?」
「ああ。千秋」

 俺は確かな温もりに縋り、応えた。
 二人きりの静かな世界。
 いつもの安穏。
 でも長くは続かない。
 俺を迎えに戻って来た両親により、崩れた。

「なんか生き返った」

 俺を迎えに来た両親に、千秋はいつもと変わらない顔で笑った。
 悲鳴を上げる母。
 叫ぶように千秋を呼び、掻き抱いた父。
 続々とやって来た人々に俺達は引き離され、千秋は大学病院に運ばれた。腰を抜かしたり気を失った何人かも、搬送された。警察や行政の人間が駆けつけ、斎場から着いて来た親戚や千秋の友人達の存在もあり、院内は騒然としていた。死んだ人間が甦ったのだから当然だ。

「奇跡だ」

 千秋が検査を受けている間、母を抱き締め泣く父が繰り返し呟いた。隣に立っていた俺は、気が気じゃなかった。
 今の千秋は元の千秋とは少し違う。
 弟は血なんか飲まなかった。
 検査をどう乗り切るのか。もし異常が見つかったら?弟はまた、取り上げられてしまうんじゃないか。せっかくかえって来てくれたのに。
 俺は窓に寄り掛かり、親指の爪をガリガリと噛んだ。
 棺を引っ掻いて割れた爪だ。目敏く目を止めて手当てをしようと寄って来た人間はすべて追い払った。看護師も、従姉妹も、千秋の友人面した奴らも。
 昔から俺に触っていいのは弟だけだ。両親の手すら極力拒んだ。親の真っ当な愛情だとわかっているのに、どうしようもなく気持ち悪かった。

「健康そのもの。でも三日も死んでたから入院して色々検査だって」

 取り急ぎの検査を済ませ、戻って来た千秋が俺の手を取り、不恰好になった爪先を撫でる。わかりやすく安堵の息を吐いた両親は、すぐに看護師に呼ばれて行った。
 改めて見上げたその姿は生前と何ら変わらず、スーツから検査服に着替えた体躯は惚れ惚れするほど男らしい。

「良かったなあ、千秋」

 何が良かったんだ?
 漏れた自分の声に違和感を覚えた。
 よろこびに水を差す、邪魔なもの。
 弔問客はまだしも両親は弟の姿を見ている。斎場で怯えなかったのはどうしてだ?
 最愛の息子だ、当たり前だ。
 違う。そういうことじゃない。
 目まぐるしく回転する思考。
 邪魔だ、いらない。こんな違和感や疑問はいらないと思うのに、止まらない。
 普通なら嫌悪や恐怖を抱くものじゃないか。
 千秋は棺の中にいた。
 ひしゃげた背骨、潰れた足に、半分崩れた顔。
 死化粧では誤魔化せないから、本来ならある小窓にすら蓋をされた。それなのに棺から出てきた弟は俺の記憶のまま、誰からも好かれた凛々しい姿のまま。
 両親は──少なくとも父は、死亡診断された直後の千秋を見ている。斎場の人間とも打ち合わせをしていた。それなのにどうして、あっさり受け入れたんだ?まるで何もなかったかのようじゃないか。

「兄貴、聞いてる?」

 不満げな声に意識を戻された。
 遅れてやってきた冷静さに沈んでいた視界は、目許をなぞった指に引き上げられる。
 千秋が得意げに笑った。

「俺チートかも」
「チート?」
「採血されたくなくて、避けられないかなってじっと目見てみたんだ。そしたら、先生達がみんなして結果弄り始めた」

 すごくない?
 耳打ちし、囁く姿は悪戯に成功した子どもそのものだ。
 血を飲むくらいだから抜かれたくなかったんだろうか。昔から順応性が高かった。でもこれは話が違うだろ。
 一気に考えて、ああと腑に落ちた。
 なんのことはない。千秋はその力を、斎場でも使っていたんだ。
 意識してかどうかは知らないし、どうでもいい。本当の意味で今の千秋を受け入れられるのは俺だけだとわかっていて、両親も周りも洗脳した。弟は昔から要領がいい。

「兄貴」

 両親が対応に奔走している。
 本人達も混乱しているだろうに、何度も何度も千秋を振り返り、手を振る弟に安堵して、また対応に戻る。

「なぁ、春人」
「何?」
「兄貴って呼んだ時も返事してよ」

 俺の手を引いて入ったのは、豪華な個室だ。死亡診断が誤診だったかもしれないと、病院側が無償で差し出した部屋だ。院内には緘口令が敷かれたそうだが、きっと無意味だ。
 夕陽が窓から差し込む。
 明るくて清潔で、ホテルのような部屋。
 背中から包み込まれる。
 千秋が丁寧に舐めて塞いだ穴に、すり、と鼻先を寄せられて喉が鳴った。

「千秋。父さんと母さんが落ち着いたら、二人で暮らそう」

 検査の間、不安を払うように考えていた。
 千秋は俺の血を飲んだ。これからも必要なら、実家暮らしのままでは都合が悪い。他にも何か普通じゃなくなっているかもしれない。またうしなったりしないように、色々と確認しなきゃならない。あんな思いはたくさんだ。
 シャツの裾から内側へ、体温のある手のひらが滑り込む。息を唇に乗せながら、後頭部を千秋の肩に乗せた。

「兄ちゃんが部屋を借りるから、二人で暮らそう」
「ずっと?」
「ああ」
「春人と、俺だけで?」

 うんと頷く前に、後ろから回った指に顎を掬われた。掠めるように唇同士が触れて、離れた先を指で追う。前はなかった牙が、俺の人差し指を甘くんだ。

「……それってちょっと、夫婦みたい」
「恋人って言わないか、普通」
「そんなんじゃ足りない」

 千秋が即座に否定する。
 覗き込むようにして改めて重なってきた唇。
 啄んでは離れまた触れる合間に、聞いていい?と問われた。

「何を?」

 聞き返しながら両手を持ち上げて、弟の頬を包み込む。
 俺達は間違いなくただの兄弟だった。
 理不尽な死が、わかつまでは。

「俺が起きる前、何かあった?」



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