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第2話
しおりを挟む第2話 覚醒者の森
森の夜は、想像よりずっと静かだった。
風が木々を揺らす音だけが、異様に耳に残る。
その中で、天城蓮は一人、倒れた魔喰熊の死体の前に立っていた。
あれから十五分ほど経った。
まだ心臓が早鐘を打っている。
けれど、恐怖よりも強いものが胸にある。――実感だ。
自分は確かに、異世界で“生き延びた”。
「……生きてる。マジで」
乾いた笑いが漏れた。
冷たい夜気の中で吐く息が白い。
さっきまで死にかけていたとは思えないほど、頭が妙に冴えている。
ふと、視界に半透明のウィンドウが浮かんでいた。
まるでゲームUIのように、整理された情報が表示されている。
⸻
《ステータス》
名前:天城 蓮
種族:人間(転生者)
レベル:1
職業:なし
HP:42/100
MP:27/50
スキル:「模倣(コピー)」進化待機中
称号:「異世界召喚候補者」
⸻
スキルの下に、小さな文字が追加されていた。
《進化条件:①生存 ②他スキルの完全模倣 ③覚醒媒体の獲得》
「覚醒媒体……?」
なんだそれ。宝石か、アイテム的な何かか。
だがそんな都合のいいものが、いきなり落ちているわけもない。
とはいえ、何もしなければ飢え死にするのが現実だった。
「……食料、だよな、まず」
倒した熊――魔喰熊の死体に目をやる。
血がまだ温かい。
見た目はグロいが、肉は食えるかもしれない。
どうせこのままじゃ餓死する。
蓮は枝を拾い、火打ち石代わりに石を打ちつけた。
何度か試すうち、運良く火花が散り、枯葉が燃えた。
焚き火の明かりが夜の森をぼんやり照らす。
炎の明かりを見ていると、現実感が戻ってくる。
ほんの数時間前までは体育館で悠斗とバカ話をしていた。
今は異世界で、知らない生き物を殺して、火を焚いている。
世界が変わるって、こんな唐突なんだな、と蓮は呟いた。
――そのとき。
「……ん?」
耳に、かすかな音が届いた。
木々の奥。足音。
ゆっくりと、慎重に近づいてくる。
敵か? また魔物か?
焚き火の炎に手をかざし、蓮は息を殺す。
足音は二つ。軽い。リズムが一定。――人間だ。
やがて、茂みをかき分けて二人の影が現れた。
先頭の人物は、銀色の髪を夜光に反射させる少女。
十六、七歳ほど。白いローブの裾が土に触れ、青い魔法陣のような紋が淡く光っている。
その後ろには、黒い鎧を纏った青年がついていた。
腰の剣からして護衛だろう。
少女が蓮を見つめる。驚いたように、そして警戒を緩めずに言った。
「……あなた、人間? しかも……転移者?」
「え、転移者って、俺みたいな?」
「やっぱり。異界からの召喚反応が、この森で確認されたの。
まさか一人で魔喰熊を倒したの?」
「倒したっていうか……なんか、気づいたら」
少女は目を見開いた。
焚き火の光がその瞳に映る。蒼い。冷たくて、でも澄んでいた。
「私はエリス・ヴァンデル。王都アステルの魔導士です。
あなたのような“覚醒者”が現れたという報告を受けて、捜索していました」
「覚醒者?」
「はい。スキルの枠を超えた、例外的存在。
本来、私たちの世界に“外部の魂”は入れないはずなんですが……最近、あなたのような者が何人か確認されているの」
「他にもいるのか」
「ええ。でも多くは……ここで死にます。
スキルが使いこなせず、魔物に襲われて」
エリスの言葉に、蓮は息をのむ。
つまり今、生き残ってる時点で“奇跡”ってことか。
「あなたのスキルは?」
「……模倣。コピーするやつ」
言った瞬間、エリスの表情が一瞬だけ固まった。
その横で、護衛の男が舌打ちをする。
「コピー? 劣化模倣の下位スキルか。
そんなもんじゃ、長くはもたねえな」
「レイン、口を慎んで」
エリスが静かに諫める。
護衛のレインは鼻を鳴らしたが、蓮は怒る気にもなれなかった。
正直、彼の言葉は正しい。
“劣化コピー”――それがこのスキルの初期性能だった。
でも、違う。
俺はもう、進化の“待機”まで来てる。
蓮は焚き火の光を見つめながら言った。
「……このスキル、進化するかもしれない」
「え?」
「さっき、死にかけたときに……画面に出た。
“進化待機中”って」
エリスの眉がぴくりと動いた。
「進化待機? そんな現象、聞いたことが……。
まさか……あなた、本当に“覚醒者”かもしれない」
少女の声には、驚きと同時に、どこか畏怖が混じっていた。
そのときだった。
森の奥から、重い地響きが近づいてくる。
空気が一瞬で凍りつく。
木々の隙間から、橙色の光がいくつも揺れていた。
焚き火の明かりに照らされたエリスの顔が、緊張で強張る。
「……まずい。奴ら、もう来た」
「奴ら?」
「魔族の追跡部隊よ!」
次の瞬間、森の奥から三つの影が飛び出した。
漆黒の鎧を纏った人型の魔物たち。
赤い双眸が月光を反射し、腕から刃のような骨が伸びている。
「転移者を回収せよ――!」
その声は人間の言葉だった。
でも響き方が違う。まるで金属を擦ったような不協和音。
レインが前に出る。「エリス、下がれ!」
彼が剣を抜くと同時に、魔族が突進してきた。
鋭い爪と刃が交差し、火花が散る。
衝撃音が森に響く。
蓮は一歩も動けなかった。
人間同士の喧嘩じゃない。斬撃一発で死ぬ。
でも――また、見えた。
《対象:“魔族兵C”
スキル:“闘気刃E” “夜目F”》
コピーできる。
低ランクだ。ギリいける。
「模倣――発動!」
《“闘気刃E”模倣開始 出力:18% 残り時間:00:29》
右手が青白く光った。
手のひらから薄い刃のような光線が伸びる。
――これが、闘気刃。
体が勝手に動いた。
飛び込んできた魔族の腕を、咄嗟に横薙ぎに払う。
手応え。
腕が、飛んだ。
刹那、黒い血が噴き出した。
魔族が悲鳴を上げる。レインが驚いて目を見開いた。
「お前、今の……!」
「コピーしただけだよ!」
叫びながら、蓮はもう一歩踏み込む。
闘気刃を振り抜き、魔族の首を断ち切る。
その瞬間、時間が切れるように右手の光が消えた。
《効果終了》
呼吸が荒い。
でも、心は奇妙なほど落ち着いていた。
「……やるじゃない」
エリスが小さく呟いた。
その声は、初めてほんの少しだけ笑っていた。
残る二体の魔族も、レインと彼女の魔法で倒された。
森の夜に静けさが戻る。
戦いが終わると同時に、蓮は膝をついた。
体が重い。疲労と緊張で指が震える。
けれど、どこかで確信していた。
“これ”が始まりなんだと。
焚き火が小さく爆ぜる。
エリスが歩み寄り、そっと言った。
「天城蓮。あなた、本当に面白い人ね。
……もしよければ、私たちと来て。王都へ」
「王都?」
「ええ。きっと、あなたの力を研究できる場所がある。
そして――あなた自身の“真の覚醒”を導く者も」
その瞳に、揺れる光。
蓮はしばらく考えて、笑った。
「悪くない。行く理由、できたしな」
「理由?」
「成り上がるために」
エリスは一瞬きょとんとして、それから微笑んだ。
「じゃあ、覚悟して。
この世界、甘くないわよ」
「俺、甘い世界にいたことないから」
そのやり取りに、夜風が静かに吹き抜けた。
二つの月が、空で重なって輝いていた。
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