地方公務員になってみたら、配属されたのは流刑地と呼ばれる音楽ホールでした。

雪うさこ

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交響曲第一番変イ長調 Op.55

第3話 転校生と愉快な仲間たち

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 水野谷の後ろをあおは、カルガモの子供のように忠実に着いて歩く。彼は慣れた足取りで、駐車場から石造りの敷地内を歩いた。

 ところどころに雨が流れたような跡があるのを見ると、遠くで見るよりも古い建物であるということが理解できた。

「梅沢市の中核を成す音楽ホールだよ。市内にはね、ほかにもこういった施設があるけれども、音楽を扱うことに特化しているホールはここが唯一無二だ」

「そうなんですね」

 蒼も少しは事前知識を仕入れてきたつもりだったが、やはりこの施設を統括している彼からの説明は重みを感じるものだった。

「昭和六十二年に開館。千人を収容できるパイプオルガンを併設した大ホール。二百人を収容できる小ホールを筆頭に、六つの練習施設があるんだよ。僕たちは、そのホールを一元的に管理することが職務となるわけだ」

「はい」

 木漏れ日がキラキラとまぶしい。ここに植えられている木はなんというのだろうと考えながら歩いていくと、前に黒い人影を確認した。

「へ?」

 蒼はきょとんとして水野谷を見つめる。彼は愉快そうな笑みを浮かべていた。

「また、。小学校に転校生が来るのとはわけが違うんだけど。呆れるよな。蒼。うちの職員は、ちょっと変わっている。まあ驚かないで仲良くしてやってね」

「は、はあ……」

 ——今の人影は職員? 小学校の転校生ってなに?

 蒼は小首を傾げた。

 水野谷に続いて、自動ドアを潜ってから建物の中に入る。
 そこはひんやりとした薄暗い場所だった。

 一瞬——日中だったのか、夜だったのか失念するくらい別世界に誘われたような気分に陥り、それから我にかえった。

 蒼の身長よりも高く、横幅は四メートルくらいあるガラス張りの窓が視界に飛び込んできたからだ。

 事務所前の廊下は、壁面がはめ込み式のガラス窓になっており、灰色の壁に囲まれた中庭が見えた——。

 そこには屋外と同様に一本の木が植えられており、その下に少女と鳩のブロンズ像が静かに座していた。

 息を飲み、それを眺めていると、ふと水野谷が振り返った。

「いい眺めでしょう? ここを見ながら仕事できるのって最高だよねっ」

 なんとも軽い口調に、蒼は思わず笑ってしまった。

「そんなに笑わなくてもいいと思うんだがな」と水野谷は少し気恥ずかしそうに視線を逸らしてから、蒼を事務室に招き入れた。

 そこには五名の男性職員がいた。水野谷の登場に、一斉に視線を寄越す。蒼はドキドキと心臓が高鳴るのを覚えた。

「おい。誰だ。覗いていた奴は。結構だったな。シルエットが」

 水野谷の言葉に、その中で一番太っている男がぺろりと舌を出した。

「ちぇ、見られてましたか」

「お前さ。吉田の時もそうだったけど、一番隠しきれないんだからやるなよな」

「はーい」

 挨拶をしなくちゃ。挨拶をしなくちゃ……。蒼はそう心に念じながら、そして、思わず頭を下げてしまった。

熊谷くまがい蒼ですっ!」

 目の前にいた水野谷はきょとんとした顔をしてから笑いだす。

「おいおい。僕が紹介してからだ。蒼」

「はっ! す、すみません……」

 最初からの失態——。

 耳まで真っ赤にしてみんなに視線を戻すと、それぞれが面白そうに笑みを浮かべていた。

「それじゃ仕切り直し。——本日付けで配属になった熊谷蒼だ。だ。みんな優しくしてやれよ」

「熊谷蒼? 変な名前」

 無精ひげの男が顎を撫でながら蒼をじろじろと見つめた。その隣にいた若いひょろりとしたやせ型の男は「星野ほしのさん」と嗜めた。

「失礼ですよ。初対面から」

「ああ? お前さ。おれに文句つける訳? 生意気になったんじゃねーか? よ、し、だぁ」

「違いますよ。そういうんじゃ」

「先輩面してよぉ~」

 随分と柄の悪い人だと蒼は思う。
 水野谷は二人のやり取りを遮って、職員紹介を始めた。

「僕の席に一番近いところにいる人が氏家うじいえさん。課長補佐だ。僕がいないときは、氏家さんの指示に従うこと」

 氏家は水野谷よりも年配に見えた。だから、水野谷は彼には敬語を使うらしい。

 黒いスーツに藤色のネクタイ。白髪と皺の目立つ風貌は、退職が近い様子がうかがえた。

「よろしくね。熊谷くん~。中年で

 蒼はぺこっと頭を下げたが、「へ?」と目を瞬かせて氏家を見る。彼は「テヘヘ」と笑っていた。

「ちょっと。氏家さん。蒼、わかってないよ? 氏家さんの渾身の親父ギャグ。しかもそれ、ギャグじゃないし。強いて言うなら『中年だっちゅうねん』でしょ?」

 水野谷の突っ込みに他の職員たちは肩を震わせて笑っているが、蒼には意味がわからない。きょとんとして瞬きをしていると、水野谷は次の職員を紹介してくれた。

「氏家さんの目の前に座っているのは、主任の高田たかたさん。僕と氏家さんがいない場合は高田さんの指示に従うこと」

「よう。高田だ。よろしくな」

 彼は氏家とは対照的に、少し猫背で顔色が悪い。痩せているというわけではないが、どこか鋭い眼光は彼を狡猾に見せている。蒼は再び頭を下げた。

「高田さんの隣——つまりお前の隣に座っているのが星野だ。彼は副主任。見てくれはだらしがないが、仕事は出来るから、わからないことがあったら聞いてみるといい。音楽のことも詳しい」

 先ほどの無精ひげの男は、意地悪な瞳の色で蒼を物色している様子だ。頭のてっぺんから足先まで視線を往復させて「ふん」と口元を歪ませた。

 なんだか意地悪そうな人だと思ったが、蒼は星野に対しても頭を下げた。



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