地方公務員になってみたら、配属されたのは流刑地と呼ばれる音楽ホールでした。

雪うさこ

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蚤のうた(アウエルバッハの酒場でのメフィストフェレスの歌)

第2話 笑っていればそれでよし。

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 水野谷は苦笑してから話を続けた。

「まあ、いいですよ。高田さんのご指摘通り! そのデブくんがね。一発逆転の川ぽちゃホームランを打ったわけですよ。おれはね、本当感動したんです。なにせ、うちのでも、あんなに大活躍できて生き生きできる場所があるだなんて——と」 

「くーっ! 確かにいい話だぜぇ」 

 高田は目頭が熱くなったのか、そばのお手拭きタオルで顔を拭き出した。 

「尾形はよお、あんなんだけどさあ。仕事はちゃんとしているんだ。ただ、お菓子をたまに——いや、常に食べているのが玉にきずだよなぁ。そして、お菓子をこぼす。あれ、なんとかならないんですかね? あいつのところの床、本気で汚い」 

「本当だ。尾形は尾形の良さがあるんだがな。あおが来た時も、もう待ちきれなくて偵察に行ったけど、課長たちの姿を見たら一目散に戻ってきた。あの時の素早さったらなかった。おれは、機敏なデブを垣間見た」 

 氏家はしみじみとそう語った。それを聞いていた水野谷は、小籠包を一口で口に入れてから、はふはふとして笑う。 

「はちはち——はから、ほれが、ほれで——」 

「課長、食べてから言ってくださいよ」 

 そばにあった紹興酒のグラスを口にして、ホッと一息ついた水野谷は真面目な顔で二人を見た。 

「ですからね。その逆転ヒーローの彼——」 

「えー! 嘘だぁ、嘘」 

「いやいや。ほんと」 

「えー……」 

「いや。僕も驚きましたよ。まさかね。あの尾形が野球で大活躍だなんて」 

「やっぱり、栄養がいい奴は」 

「ぷっ」 

「もう! 氏家さんったら!」 

 三人は「あははは~」と笑い出した。もう箸が転がったって笑えるよ! 

「そう言えば、課長。あの噂、本当のところはどうなんです?」 

 ふと氏家が真面目な顔つきになってから水野谷を見た。彼は「ああ」と頷いた。 

星音堂せいおんどうの切り離しの件?」 

 二人は揃って首を縦に振った。それを見てから、水野谷は前屈みになって声を潜めた。 

「本当ですよ」 

「——え」 

「やっぱり——なんですね? 本庁の課長が言い出したって」 

 高田の言葉に水野谷は笑う。 

「いや。あの子が言い出さなくてもみんながいずれは……と思っていた案件ですよ。——正直、もう」 

「課長、冷たいよぉ」 

「なんか寂しいです。なんなんですか。その本庁の課長。今年来たばかりのまだ若い奴だっていうじゃないですか! 生意気ですよ。とっちめてやりましょう」 

 二人は口々に文句を言い出す。それを見て水野谷はしばらく黙っていたが、ふと口を開いた。 

「財政面から言ったら、正直、民間にお願いしたほうがこのホールのためです。パイプオルガンのパイプ一本ろくに直せないんだ。地方行政の財政状況は厳しい。人口も減っていて税収は右肩下がりです。まだまだ貰い手が着く間に、ちゃんと管理してくれるところにお任せしないと——。野原はそう考えてくれたみたい」 

「野原? 本庁の課長ですか。水野谷課長は野原課長と親しいんですか」 

「昔、彼の指導を任されたことがありましてね。真面目で心ある子だ。そうだ、今度お二人にも紹介いたしますよ」 

「やー、そんな優しそうな人なら大丈夫か」 

「そうそう。星音堂を売り飛ばそうとしているって聞いて、どんな冷徹な野郎だって戦々恐々していたんですよ」 

「野原はねえ。可愛いよ。生まれたてのヒナみたいな子でね。もう僕のこと『お父さん、お父さん』って慕ってくれるんですよ」 

 水野谷の言葉に、氏家と高田は「え?」と目を見開いて顔を見合わせた。 

「野原課長っておっさんですよね?」 

「ヒナってなんですか。ヒナって」 

「えー、そのまんまなんだけど。それにおじさんっていうか。まだ三十代ですよ。——ほら、改修予算案作成の時に来たじゃないですか。覚えていませんか?」 

「さてね」  

「本庁の人は良く来るけど……あのガタイのいい兄ちゃんしか覚えていないけど。あの兄ちゃん、最近見ないねえ」

 高田は自分が唯一思い出せる本庁職員のことを話しているようだ。水野谷は苦笑して答える。

「ああ、あの職員は安齋と一緒に市制100周年事業の推進室に異動になったみたいですよ」

「えー! 異動いいなー」

「ああ、もう少しで梅沢市制施行100周年の記念お祭りですもんね! 楽しみだな~。でも安齋の野郎と一緒はもう勘弁してもらいたいねぇ」

 苦笑いの高田を見て、水野谷は微笑を浮かべた。市制施行100周年と言ったら、市役所上げての大騒ぎになるに違いないのだ。もれなく星音堂だって、なにもしないわけにはいかない。きっと大忙しで戦争みたいな一年になるに違いなかった。まあ、それまで星音堂が市役所の管轄に居られればの話だが——。

 氏家は「あの兄ちゃん? 課長ってどんなんだっけ?」と考え込んでしまっている。お年頃の二人の記憶力ほど曖昧なものはない。水野谷はこれ以上話しをしても仕方がないと思いこの話題は打ち切った。 

「まあまあ、この話は追々。吉田たちが聞いたら泣いて怒ると思いますが……おれも管理職としては指定管理者制度導入が最善だと思いますよ」 

「あー、わかる! 吉田は泣くな。あいつ、号泣するぜ」 

「そうなったらおれたちは本庁に戻るんですよね?」 

「まあ、基本はそうですね」 

「本庁こえーな」 

 氏家の言葉に高田は笑う。 

「やだなぁ! その頃、氏家さんは退職でしょう?」 

「定年とか、なに言っ!」 

「あっはっはー! それ無理ありすぎ!」

「もー、あきらめましょう!」 

 結局はどんな話でも笑い飛ばすおじさん三人組はいつもこうして飲み会だ。日頃嫌なことがあっても、こうして愚痴を言い合える仲間がいることは心の支えなのだ。 

「カチョさんたち、お疲れ様!」 

 嫣然えんぜんとした笑みを浮かべたおかみさんの声に鼻の下を伸ばし、三人は上機嫌だ。 

「今度はお土産買ってくるさ~」 

「さいならっきょ!」 

「ごちそうさま!」 

 月夜は明るい。フラフラと千鳥足の三人は肩を組んで歌いながら帰途に就いた。 

 



— 第三曲 了 —
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