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第4章 犬の故郷へ
02 スケールの違い
しおりを挟む部屋はたくさんあれど、不慣れなところで一人で寝かせておく訳にもいかないと、田口の部屋に布団が一式、準備されていると田口の母親は言った。
「すみません。他の部屋も準備できるのですが。狭いですよね」
そう言いつつ案内された田口の部屋に入って、保住は驚く。
「お前の部屋は多目的ホールか」
「え、すみません。変ですか?」
田口の自宅は、昔ながらの農家の造りだ。雨樋があって、縁側があって、部屋の仕切りは障子だ。田口の部屋も然り。普通の住宅にしか住んだことのない保住からしたら、こんな広い部屋は宴会場か旅館でしか見たことがない。
「何畳あるんだ?」
「えっと。十五畳です」
保住は笑いだす。
「通りで」
「え?」
「いや。きっちりしている割に、たまにスケールのでかいことを言い出すのは、こういう環境で育ったからだな」
「そうでしょうか」
「こんな広い部屋で、悠々と過ごせるなんて羨ましい」
田口は自分の常識は常識ではないと理解したのか、なんだか気恥ずかしそうにうつむいた。そして黙々と布団を敷くと、保住を促した。
「どうぞ、ここで」
「すまない」
「おれ、ちょっと用足しをしてきますから、着替えをして横になっていてください。夕飯は別に一緒にしなくていいんで。ここにいてもらって大丈夫です。後、トイレはここ出て右の突き当りなんで。古いので驚かないでくださいね」
「ありがとう」
「では、また来ます」
田口は頭を下げると廊下に姿を消した。
***
なんだか気恥ずかしい。仕事のことなら、いくらでも話せるのに、プライベートになると、共通点があるわけでもないし、話しをするネタもなかった。田口はドキドキとする気持ちを抑え込みながら、居間に向かった。
長い長い廊下は古びていて、田口が歩くたびに鈍い音を立てる。久しぶりに感じた埃臭い匂いは懐かしい。
——帰ってきたんだ。係長と。しかし不安だ。
田口の家族が大人しく保住を放っておくはずがないと思ったからだ。それに保住に家族の恥をさらすようで気が重かった。嬉しい反面、これからのことを考えると頭が痛んだ。
***
午後七時を過ぎて、やっと日が落ちてきたようだ。田舎の夕暮れは寂しいものだ。人の通りのない外を眺めていると、兄の金臣たちが帰ってきた。
「銀太。帰ってきたのが」
「おかえり」
「で? お客さんは?」
彼も母親同様に興味津々の様子だった。金臣は、母親に似ている。大柄な割に、少し太っていて人柄の良さそうな笑顔。彼は地元の農業協同組合に務めている、今年三十八歳。年が離れている一番上の兄だ。どんな部署にいるのか詳しいことは聞いていないが、課長の席に座っているとのことだ。
彼の本業は農協だが、稼業を手伝ったり、父親の政治活動の手伝いもしている。活発で社交的、面倒見もよく、田口のことを心配してマメに電話をくれる兄だ。
その大柄な兄の後ろから、茶髪のボブヘアの痩せている女性が顔を出した。妻の真樹だ。
金臣とは、大学時代に知り合ったようだ。結婚をして、地元にある農業試験場に勤務していた。彼女もまた、面倒見がいいのは確かだが、金臣とはまた違ったタイプで、さばさばしている女性だった。
「銀ちゃん、で? 都会のおじさんは?」
台所から料理を運んできた母親が口を挟む。
「それが、おじさんじゃながったのよ」
「え?」
「銀太とそう年の変わらない、可愛い男の子」
男の子って年でもないのだが……。
「ええ!? 剥げてるおじさんじゃないの? やだ。どうしよう。おじさんでも緊張しちゃうのに、そんな若い人だったなんて」
こんな調子だから、母親の咲良とは気が合わない。いや同じようなタイプだからこそ、ぶつかるのだ、と田口は見ている。
嫁姑問題は、田口家でも当然に起こっていることだ。母親と嫁のやりとりを眺めていると、大騒ぎになっている大人たちを冷ややかな目で見ながら、年頃の女の子がすっと自宅に入って来た。
田口は、はっとして彼女に声をかける。
「おかえり、芽依ちゃん」
ジャージ姿に、黒髪を二つに縛っている彼女は、くりんとした瞳を細めて、田口を見た。
「おかえり。銀ちゃん」
「部活?」
「うん」
それだけ言うと、彼女はさっさと自室に消えていった。
「なんだか芽依ちゃん、大人びた?」
田口が首を傾げると、母親は笑った。
「芽依《めい》も思春期でしょう。最近は、ちっとも口きかないのよ」
「へ~……」
そんな年頃か。芽依は金臣の長女。今年、中学二年生の十四歳だ。部活は水泳部。田口が自宅にいる頃は、一緒に遊びに行ったものだが、年頃なだということか。
しばらく実家を離れただけだが、子供の成長とは早いものだと思った。
芽依が姿を消した廊下に視線を向けていると、泥だらけの小学生が二人、姿を表した。
「銀太~! おかえり」
「銀太だ!」
「こら! おじさんを呼び捨てするな!」
真樹に怒られても、二人は平気。長男の陽人は十一歳。小学五年生。次男の陽太は八歳。小学三年生。二人とも、やんちゃで活発な男の子だ。金臣の指導の下、剣道をしている。夏休みだが、日中はほぼ外に遊びに行っているようだ。
「大きくなったな。二人とも」
田口にタックルをしたり、背中をバンバン叩いたり、二人は嬉しくて大騒ぎだ。
「もう! ごはんにするから。さっさと手洗ってきなさい」
母親の声に、二人はわいわいと廊下を入っていく。このうるさい様子は健在だ。
これでは保住を落ち着いて休ませられないようだ。
「そろそろご飯だけど。どうする? 係長さん、じゃなくて、えっと」
「保住さん」
「そうそう」
「わ~、早く会いたいわ」
「お前ねえ」
妻が目をキラキラさせているのが面白くないのか、金臣はブウブウと頬を膨らませた。
「様子を見てくる」
うるさいのはいつものことだが、こういう中で育ったので田口にとったら、気持ちが和らぐものだ。実家に帰ってきたと言う感じがした。ほっこりした気持ちのまま、廊下を歩いて自室に顔を出す。
「係長、入りますよ」
そっと障子を開けると、保住は眠り込んでいた。それはそうだろう。疲れているのだ。まだ休息が必要だ。うつぶせになって、すやすやと寝息を立てている保住を、とても起こす気にはなれない。
後でなにか持ってくればいいだろう。早めに夕食を終えて帰ってこよう。そう思いつつ、田口は久しぶりの我が家の晩餐に向かった。
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