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第7章 自覚する恋心
04 保住家の人間
しおりを挟む木曜日。週も後半に入って来ると、職場内の雰囲気は明るいものだ。身体的には疲労の色が濃いが、なにせ休日が待っているのかと思うと、気持ちは軽くなる。
イベントの取り扱いをする振興係に、週末はあってないようなものだが、業務と休日出勤とではやはり気持ちは違うものだった。
オペラの見積書を計算し直していると外線が鳴った。電話を受けるのは下っ端の田口の役割だったので、すぐに受話器を持ち上げた。
「はい、梅沢市役所文化課振興係の田口です」
『あの、保住と申しますが、保住尚貴くんはいらっしゃいますか』
——保住……?
中年の男性の太い声。保住の身内で、田口が知るのは、母親とみのりだけだ。一瞬戸惑うが、相手も少し緊張しているのだろうか。そんな間延びした田口の対応に違和感を覚えることはないようだった。
「あ、あの。失礼いたしました。おります。少々お待ちください」
保留ボタンを押して保住を見ると、彼はパソコンに何かを打ち込んでいるようだった。
「係長、あの。外線が……」
彼はパソコンから目を離すことなく返答する。
「誰?」
「あの。保住さん、という方です」
言いにくそうに答えると、保住は目を見開いて顔を上げた。眠そうな顔が一気に不機嫌そうになる。そして黙って受話器を取り上げた。
「保住ですが。……どうも。ご無沙汰しております」
彼の顔色は暗い。
——親族だ。祖父のことだろうか?
気になる気持ちを抑えて田口は仕事をしているフリに努めた。
***
『尚くん? お久しぶりだね。元気?』
久しぶりに聞く叔父、保住征貴の声に、保住は顔色を悪くした。
「どうも。ご無沙汰しております」
『そんなかしこまらないでよ。兄さんの葬式以来だね』
「そうですね」
『市役所の係長になったって聞いてはいたけど、凄いね。頑張っているじゃない』
人好きのする愛嬌のある男。父親の弟だ。
「いえ。やれることをやっているだけです」
『またまた。兄さんみたいなこと言っちゃって。尚くんは、本当に兄さんに似てきたね』
「一番、言われても嬉しくない言葉だ」と、思いつつ保住は黙る。
『ごめん、ごめん。仕事中に。プライベートな連絡先を知らないものだから。おじいさんの件は聞いているでしょう?』
「勿論です。ですが、おれがどうこうする問題ではありませんよね?」
『そんな冷たいこと言わないで。確かに、兄さんのことは勘当していたからね。葬式にも来なかったけど。それはそれで、あの人の意地だったんだよ。兄さんを亡くした後は、覇気がなくなったしね』
正直そんなことは関係ない。我が子が好きな道を歩む事を反対する親など、身勝手。しかも、我が子の葬式に参列しない親がどこにいる——そう思ってしまうからだ。
『おじいさん、君に会いたがってるんだよね。どうだろうか。兄さんは、近すぎて無理だったけど、君はどうだろうか』
——会いたがる? 自分に?
『急に言われても困るね。一応、おじいさんの入院先を教えるので、考えてくれないかな? 悪いね。あんな父親でも僕にとったら父親でね。兄さんにとってもそうだったし。君にとったら祖父だ。よろしくお願いします』
叔父はそう言うと、保住に病院の名前を告げて電話を切った。
『今度、家にも遊びに来て欲しいな』
彼は確か——、梅沢銀行のどこかの支店長だと聞いた気がする。
みのりは、祖父や叔父のいる梅沢銀行への道を歩んだ。それは祖父が望んだ道筋なのだ。
——それから外れた父親や自分は、彼にとったらどんな人間なのだろう? わからない。
祖父とは物心ついた時から面識がないから、どんな人と成りだったかも覚えていないのだ。父親が死んだ時、彼は姿を見せなかった。きっとすごく憎んでいただろうし、許せなかったのだろうと思う。
その反面、父親の意思を受け継いで歩んできた弟の征貴。彼は保住の父とは真逆なタイプだった。人当たりがよく、温和で立ち回りも上手くて、不快な気分にさせずに人を動かすことに長けている。
祖母似なのかもしれないと、母親が言っていた事を思い出した。体型も真逆。恰幅の良いぽっちゃりタイプだったような記憶がある。
受話器を置いてから、そのまま腕組みをすると、またドロんとした黒いなにかが、心に入り込んでくる。
——飲み込まれそう。
そんな錯覚に陥った時。
「係長」
随分と大きく聞こえた、自分を呼ぶ声に顔を上げる。田口が自分の肩を掴んでこちらを見ていた。
「田口」
「書類の確認をしていただきたいのですが」
「あ、ああ——」
目を瞬かせてから書類を受け取る。さっき添削したものから、大した代わり映えのしない書類だ。
「田口、直っていない」
「え、そうですか。すみません、早合点です。もう一度やり直します」
彼は頭をかきながら席に戻る。その後ろ姿を見送って、動悸がしていた心臓が落ち着くのがわかる。保住の異変に気がついてくれたのだ。現実に引き戻してくれたのか。
——また助けられた。
甘えすぎだ。
なにもかも甘えすぎ。
自分らしくもない。
人に寄りかかるなんて。
少し距離を近づけすぎている気がするのだ。
——怖い。
人との付き合いは当たり障りないものが多かったから、ここまで踏み込んで付き合った人間は皆無。
怖かった。
祖父のこともあって、普通ではないことはわかっている。
余計なことを考えているのだということも理解している。
だけど、なんだか足元が覚束ない感じがして、少し怖い気持ちになった。
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