田舎の犬と都会の猫ー振興係編ー

雪うさこ

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第7章 自覚する恋心

03 八つ当たりの理由と理解者

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「また。そんなこと言って」

 彼はそう言うと、袋からサンドイッチとおにぎりを出した。

「お好きなのをどうぞ。……足りないと思いますけど」

「部下におごってもらうつもりはない」

 意地を張る必要もないのに、心のドロドロが、心を荒立てる。口から出てくる言葉は素直ではない。田口は軽くため息を吐いてから、保住の手にサンドイッチを持たせた。

「どうぞ。——おれもいただいたんです。おばちゃに。おにぎりを食べる予定だったので、こちらはどうぞ。係長が食べないなら捨てます」

 手に乗せられたサンドイッチに視線を落とす。

「さあ、食べましょうよ」

 ——余計なことは言わないのか。恨み言でも言われてもいいくらいなのだが。

 袋を破っておにぎりを食べ始める彼を見て、保住も習ってサンドイッチを食べ始めた。

 ——腹が減っていたようだ。

 そういえば、昨晩からなにも食べていなかったことを思い出す。糖分が足りないと、頭も回らない。むしゃむしゃと食べてみると、久しぶりの食べ物は美味しく感じられた。

「うまい」

「そうですか。普通のサンドイッチですけど」

「……田口」

「はい」

「——すまないな。八つ当たりした」

 保住は少し和らいだ気持ちに乗り、田口に謝罪する。

「謝られるようなことはしてませんけど」

「いや。完全なる八つ当たりだ。しかも昨晩は自宅で遅くまで仕事をさせた。お前の予算書が切り札になった。ありがとう」

 頭を下げられた田口は、顔を赤くしていた。

「そんなことやめてくださいよ。部下として当然の役割をしただけです。それに、八つ当たりなんかには入りませんよ。あんなの」

「そうだろうか」

 どうしてなのだろうか。今まで、人に甘えるなんてことはなかなかできないタイプなのに。

「お前にはつい甘えてしまうようだ」

「いいんです。別に。どうぞ甘えてください。いつも一人で気を張ってやっているじゃないですか。一人で踏ん張ることはないです」

 ——そうか。田口は、自分のことをよく理解してくれているからなのだろうか。

飄々ひょうひょうとこなすね、涼しい顔で』

 みんなから言われる言葉は、誤りが多い。本当は苦労ばかりしている人生だと思っている。悩みに悩み抜いた結果を出している。仕事だって、寝る間も惜しんでいるのだ。そういった保住の本当の一面を理解している人間は少ない。

 もしかしたら、妹のみのりですら気が付いていないことかも知れないのに、田口は理解してくれているというのか——。

「おれ、家族多いし。いろいろなこと言われることも多いんですよ。どんと受け止めますから。どうぞ、八つ当たりしてください」

 八つ当たりウェルカム、なんて言われたことは初めてだ。保住は苦笑した。

「本当。お前には参るな」

「そうでしょうか。おれなんて、なんの取り柄もありませんから。係長に使い道見つけてもらって、本当に嬉しいです」

「そうか」

「そうですよ。自分の特技も特性も分からないし。自分でもどういう立ち位置がいいのかよくわかっていない。だけど、この部署に来て、自分のやるべきことが見えてくるし、自分ができることも見えてきた。楽しいです。仕事」

 田口はそう言うと笑顔を見せた。
 田口の笑顔はなかなか拝めないものだ。いつも無表情だからだ。だが時々ひょっこり出てくる。たまに目撃すると、心がほっこりする気がした。心に引っかかっているドロドロが少し落ちていった。

「祖父が——」

「え?」

 保住は、サンドイッチを一切れ食べ終えてから、ふと呟く。

「祖父が入院したと、母から連絡があってな」

「……それは。いいのですか。行かなくて」

「病状も病院もわからん。聞いてもいない」

「どうして?」

 どうして、田口に話す気になるのだろうか。よくわからないが、口から自然に言葉が出てくるのだった。

「祖父は銀行員で、長男である父親を同じ銀行員にするのが夢だった。だが、父は市役所を選び、落胆した祖父とは喧嘩別れ。結局、父が死んでも葬式にも顔を出さない人だったから、おれは彼とほとんど面識がないのだ」

「そんなことってあるんですね」

「親子の憎しみは、他人には計り知れないものがあるようだ。おれたちは祖父や祖母の形を知らない」

「そうですか……しかし、連絡は来るんですね」

「母がどうしたものかと相談をしてくる。おれは知らない。父や母が、祖父たちとどういう付き合いをしていたのか、していなかったのかも含めてだ。おれに相談されても困るのだが、あの人も一人だからな。相談できる相手がいないようだ」

「しかし、困りますね」

「そうだ。行くつもりはないのだろうが。自分の不安をこうしておれに押し付けてくる。おれも引き受けるつもりもないが、こうして心にとどまってしまうと、どうにも処理できないようだ」

 田口はそっと保住の横顔を見る。

「家族の問題は、ちょっとしたことでも大問題です。心にとどまって、全てに影響を与えてきますよね」

「そうなのだな」

「係長はお見舞いに行きたいんですか?」

 尋ねられてはっと顔を上げる。考えもしなかった。

 ——見舞いに行くのか? おれが? 会ったこともない人に? 祖父は、どう思うのだろうか。

「まさか。会いに行ったら『帰れ』と一喝されて終わりだろう」

「そんな怖い人なんですか?」

「梅沢銀行の頭取とうどりまでやった御仁ごじんだ」

「それはそれは……」

 保住は笑う。

「銀行員なんてスーツを着たやくざと一緒だ」

「それは言い過ぎですよ」

「そうか? おれはそう思っている」

 ——柄の悪い悪質な金貸しじゃないか。そんなことを言っても、市役所の税金関係も似たようなものだが……。税金の延滞金なんて、高額利息だ。

「でも、係長の顔には、そんな迷いが書いてありますけどね。係長のおじいさんだったら、結構な御年ですよね?心配な部分があるのではないですか」

 ——それはそうだ。死んだら死んだで構わないはずなのに、なぜ気になるのだろうか。

「亡くなる前に、一度は顔を合わせたい。そう書いてありますけど」

「田口……」

「すみません。調子に乗りました」

「いや。いいんだ。すまない。こんな話をするおれが悪い」

 ため息が出た。田口に指摘されたことは、あながち違っていないからだ。

「そうだな。考えてみよう」

「それがいいです。係長は思量深い人だ。きっといい答えが出ます」

「褒めているのか?」

「おれは、いつでも褒めています」

 ——田口との会話は気兼ねがなくていい。救われる。仕事のことも。こうしたプライベートなことも。

「本当に、育ちのいい奴だな」

「そうでしょうか? あんな田舎育ちですよ」

「だからいいんじゃないか」

 二人は、並んで昼食を摂った。




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