田舎の犬と都会の猫ー振興係編ー

第８章 保住家のこと

０１ 休日朝の電話

　耳に馴染まない音がして、現実に引き戻された。

　——眠っていたのか。

　目を開けると、閉じているカーテンの隙間から、明るい光が差し込んでいる。朝であるということが認識できた。躰を起こそうとして腰が痛んだ。

　顔を上げると、自分はリビングで眠っていたことに気が付いた。周囲は飲み終えたビールの缶が散乱していて、酒の匂いがした。

　——この音はなんだ？

　鳴り止まない電子音に視線を巡らせると、目の前のソファに保住が眠り込んでいるのを見つけた。

　——そうか。昨晩は飲み明かしてしまったんだ。

　自分は床に寝ていたせいで、背中が痛んだ。背中をさすりながら、音の出所を探して立ち上がる。聞きなれない音は、保住のところにある携帯電話のようだった。

「保住さん、携帯鳴っていますよ」

　毛布にくるまって眠り込んでいた、保住の肩を揺らす。彼はぐっすりと眠り込んでいるようだ。長い睫毛が震える。

　それを目撃しただけて、田口は愛おしくて堪らなくなった。酔いはすっかりと抜けているとはいえ、昨晩の二人きりでの酒盛りを思い出すだけて、躰が火照った。

「もう少し寝かせろ」

「そんなこと言わないで。携帯ですよ」

　保住の携帯は、留守電にもならない設定なのだろう。それは、しつこく鳴り続けている。かなり早急な案件なのではないかと予測した田口は、携帯を持ち上げて、保住に押し付けた。

「保住さん」

「面倒だな……」

　寝返りを打ち、毛布から腕だけを出した保住は、田口の手から携帯を受け取った。ふと触れ合う指先の熱に、心臓が跳ね上がる。

　しかし、保住がそんな田口の気持ちを知る由もない。寝ぐせいっぱいの頭をもしゃもしゃとかき上げながら、携帯の通話ボタンを押した。

「はい、保住……。なんです。こんな朝から」

　——家族だろうか。

　そう予測したが、保住の声は低くなり、なにやら深刻そうに話し始めた。聞き耳を立てるのも失礼だと思い、ゴミ袋を持ってきて、ビールの缶を押し込める。

　結局、自宅に置いてあったのも出してきて、かなり飲んだようだ。係として飲みに行くことは多々あるものの、こうして二人きりで酒を堪能する時間はそうそうない。
　
　昨晩は、本当に楽しい時間であった。そんな幸せな気持ちに浸っていると、電話を終えた保住が体を起こした。

　彼は寝ぐせいっぱいで、ひどい有様。いつもこんな調子で、このまま仕事に来るのかと思うと笑ってしまったが、彼はしばしそのまま、しばらくぼんやりとしていた。

「大丈夫ですか？　電話……」

「田口。悪いが、風呂貸してくれ」

「どうぞ。お好きにお使いください」

　保住は立ち上がって風呂場に向かうが、途中ふと足を止めて振り返った。

「すまないが。連れて行ってもらいたいところがある。昨日の今日で悪いが甘えてもいいだろうか」

　突然の申し出に面食らうが、田口は微笑を浮かべた。

「なんなりとお申し付けください」

「すまない」

　ただ事ではないということが理解できた。いつまでも幸せに浸っている場合ではないとは思いつつも、こうして頼ってくれる保住が嬉しい。田口は口元が緩みそうになるのを引き締めて、出かける準備を始めた。