田舎の犬と都会の猫ー振興係編ー

雪うさこ

文字の大きさ
72 / 231
第8章 保住家のこと

02 祖父

しおりを挟む




 保住に指定されてやって来たのは、梅沢市立総合病院だった。

「ここでしょうか?」

 車を止めて保住を見る。

「すまなかった」

 祖父の件だということは予測できた。深刻そうに声を潜めている様子を見ると、体調でも悪いのだろう。ここへの道すがら、保住は言葉数少なかった。そういう時は黙っているのが一番ということもわかっているので、田口はじっと黙ってハンドルを握っていたのだった。

「帰りも送ります。おれ車で待っていますから」

 田口はそう言うと頭を下げた。しかし、保住は車を降りる素振りはない。むしろ、軽くため息を吐いたかと思うと、田口の名を呼んだ。

「田口。もう一つ甘えもいいか」

「はい。どうぞ」

「一緒に来てくれ」

 保住の願いは田口にとったら驚きの内容であった。赤の他人である自分が同席をする理由は見当たらない。しかも友人とも言い難い。親友でもない。ただの職場の上司と部下である。部外者の自分が同席してもいいものか惑った。

「あの。おれでいいのでしょうか」

「いいから、お前に来て欲しいと言っているのだ」

「しかし……こんな大事な局面に自分が。いいのでしょうか」

「願いを聞いてはくれないのか?」

 彼のその言葉にドッキリとした。保住は真剣な眼差しで自分をまっすぐに見据えてくるからだ。迷っている場合ではないと思った。自分は保住の要望に答えなくてはいけないのだ。
 田口は大きく頷く。

「わかりました。おれでよければ」

 田口の返答に、ほっとしたかのように保住は表情を緩めた。

「叔父からの電話でな。祖父の容態が悪いと言うのだ。やはり一目も会わずにあの世に行かれたのでは、おれの心が戸惑う」

「それはそうですね」

「気持ちは乗らないが、仕方がない」

「はい」

 いつもだったら颯爽と歩く保住だが、気が乗らない気持ちが全面に出てきるのだろう。いつもよりもスローペースで歩く保住の斜め後ろを、田口はゆっくりと歩いて着いて歩いた。

 向かった先は七階の個室病室だった。明らかに他の病室とは違う素材で作られている扉を眺めると、ここは「特別室なのだろうな」ということが予測された。

 なんとなくではない、確実に気が重い。隣に立つ保住が一番そう思っているはずだということも理解しているのに、関係のない自分まで緊張してしているのだった。

 梅沢市では、地方銀行である梅沢銀行が幅をきかせていた。保住の祖父は金融世界のドンである。

 ——恐ろしい。どんな強面の御仁ごじんがいるのだろうか。

 しかし静かだと思った。保住は危篤と言っていたはずだが、こんなに穏やかなものなのだろうか。まだ午前中ということもあって看護師たちは、患者の療養の世話に追われている。

 危篤だったら、この部屋にたくさんのスタッフがいてもよさそうな話だ。しかも、保住家の他のメンバーはいないのだろうか。様々な疑念が脳裏をかすめるが、隣の保住は相変わらず強張った表情を浮かべていた。それに気がついて、田口はそっと彼の肩に手を添えた。

「大丈夫ですよ」

 自分の不安な気持ちを抑え込んで声をかけると、珍しく顔色の悪い彼は、そっと田口を見た。

「田口」

「一緒におります。大丈夫です」

 彼の言葉に観念した様子で、保住は一呼吸おいてからドアをノックした。


***


「はい」

 中から明るい男の声が聞こえる。叔父の征貴まさたかの声だった。今朝、電話をくれた張本人でもある。

「おはようございます。尚貴なおたかですが」

「どうぞ。待ってました。なおくん」

 がらっと扉が開くと、恰幅のいい人当たりの良さそうな男性が顔を出した。

「やあ、待っていたよ。悪いね。朝から」

 ほんわかした笑顔の叔父、征貴まさたかの表情を見た瞬間、騙されたと理解したのか、保住は後ろに下がった。

 ——危篤などではないということだ。

「帰ります」

 そう言った保住の腕をいち早く捕まえた征貴まさたかは、「そう言わないでよ」と苦笑いだ。

 体格で言うと、征貴に敵うわけもない。腕を振り払おうとしても、ぎっちりと掴まれていて、逃れることは出来なそうだった。

 征貴はそこで田口に気がついたようだ。ふと視線を彼に止めた。保住は田口を紹介した。

「知人です。足がなかったので送ってもらったのです」

「なおくんが友達を連れてくるなんて、——いや。初めてかな」

「そう言うわけでもないと思いますけど」

 田口は礼儀正しく頭を下げる。よくできた部下だと思った。

「田口です。申し訳ありません。このような大事な場面に、部外者の自分が同席させてもらってしまって……」

 田口の挨拶に征貴は笑った。

「随分、お堅いお友達だね」

「田口は根が真面目で」

「そのようだね」

「しかし、それとこれとは別です。申し訳ないですが、おれは……」

「そんなこと言わずに」

 征貴は、強引に保住の腕を引いた。保住は軽々と病室に入れられた。中は普通の病室の何倍の広さがあるのだろうか。ホテルのような作りだ。思わず周囲を見渡す。

 窓辺に木目調のベッドが置いてあり、そこに新聞を広げている老人がいた。線の細い、柔らかい瞳の男。白髪はだいぶ薄くなっているが、自分に似ていた。二人が血縁であることは誰の目から見ても、一目瞭然であろう。田口はきょとんとしていた。た。

尚征なおまさ……?」

 そう呟いた彼の言葉に、保住は表情を険しくした。

「父ではありません」

 また、その言葉を受けた老人は、はっと弾かれたように顔を上げて、首を横に振った。

「すまない。朦朧としているのだろうか。尚貴なおたかだな」

「そうです。初めまして、でしょうか?」

 保住は表情が硬い。田口はその後ろで大人しく様子を見ているようだった。

「初めてではない。お前は覚えていないと思うが、君が小さいときに一度だけ、抱かせてもらったことがある」

「そんなことがあったのでしょうか。初耳ですが」

「そうだろうな。加奈子さんに、こっそり叶えてもらった望みだ。彼女は口外しないでくれていたのだろう」

「母、——ですか」

 意外な話だった。母親からはそんな話は聞いたこともない。いや、確かに、父親が死んでから、彼女が祖父と連絡を取っているような気がしていた。

 だがしかし、実家を出ている身分で、母親が保住家とどのような付き合いをしてきたかなど、興味もないし、教えてもらうほどのことでもないと思っていたのだ。

 しかし、よくよく考えてみれば、みのりは祖父の息のかかった銀行に就職しているのだ。自分だけが蚊帳の外で、母親もみのりも、彼とは顔を合わせているのではないかという疑念がよぎった。

 ——別にそれはそれでいいのだ。

 祖父との確執は父親の問題だ。自分には関係がないはずなのだ。なのに、なぜか母親やみのりが裏切っていたような気持ちに陥るのはどういう了見なのだろうか。突然訪れた祖父との邂逅に、混乱しているに違いない。保住はそう確信した。

 なにせ保住の祖父である征司まさしは、齢八十を過ぎているというのに、この迫力だ。ただ、そこに座しているだけなはずなのに、人を威圧するようなその感覚。カリスマ的な、圧倒的力の前に、人間とは無力だ。ただ、恐怖を抱くしかない。
 
 澤井とは違う、もっと別次元のその威圧感に、保住は圧倒されていた。




しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

シスルの花束を

碧月 晶
BL
年下俺様モデル×年上訳あり青年 ~人物紹介~ ○氷室 三門(ひむろ みかど) ・攻め(主人公) ・23歳、身長178cm ・モデル ・俺様な性格、短気 ・訳あって、雨月の所に転がり込んだ ○寒河江 雨月(さがえ うげつ) ・受け ・26歳、身長170cm ・常に無表情で、人形のように顔が整っている ・童顔 ※作中に英会話が出てきますが、翻訳アプリで訳したため正しいとは限りません。 ※濡れ場があるシーンはタイトルに*マークが付きます。 ※基本、三門視点で進みます。 ※表紙絵は作者が生成AIで試しに作ってみたものです。

僕の部下がかわいくて仕方ない

まつも☆きらら
BL
ある日悠太は上司のPCに自分の画像が大量に保存されているのを見つける。上司の田代は悪びれることなく悠太のことが好きだと告白。突然のことに戸惑う悠太だったが、田代以外にも悠太に想いを寄せる男たちが現れ始め、さらに悠太を戸惑わせることに。悠太が選ぶのは果たして誰なのか?

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

夢の続きの話をしよう

木原あざみ
BL
歯止めのきかなくなる前に離れようと思った。 隣になんていたくないと思った。 ** サッカー選手×大学生。すれ違い過多の両方向片思いなお話です。他サイトにて完結済みの作品を転載しています。本編総文字数25万字強。 表紙は同人誌にした際に木久劇美和さまに描いていただいたものを使用しています(※こちらに載せている本文は同人誌用に改稿する前のものになります)。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

死ぬほど嫌いな上司と付き合いました【完結】

三宅スズ
BL
社会人3年目の皆川涼介(みながわりょうすけ)25歳。 皆川涼介の上司、瀧本樹(たきもといつき)28歳。 涼介はとにかく樹のことが苦手だし、嫌いだし、話すのも嫌だし、絶対に自分とは釣り合わないと思っていたが‥‥ 上司×部下BL

【R18+BL】sweet poison ~愛という毒に身を侵されて……~

hosimure
BL
「オレは…死にたくなかったんだよ。羽月」 主人公の茜(あかね)陽一(よういち)は、かつて恋人の智弥(ともや)羽月(はづき)に無理心中を強制させられた過去を持っていた。 恋人を失った五年間を過ごしていたが、ある日、働いている会社に一つの取り引きが持ちかけられる。 仕事をする為に、陽一は単身で相手の会社へ向かった。 するとそこにいたのは、五年前に亡くなったと聞かされた、最愛で最悪の恋人・羽月だった。

処理中です...