田舎の犬と都会の猫ー振興係編ー

雪うさこ

文字の大きさ
101 / 231
第12章 家政夫と嫉妬

08 猫の過誤

しおりを挟む



 庁舎を出て、車を止めている駐車場に向かおうとすると声をかけられた。

「——相談に乗ってやろうか」

 出入口の外。街灯のない暗い場所に人影を認める。

「結構です」

 相手の姿を確認しなくても、声だけで認識できた。

「いろいろ一人で考えたいんです」

「一人で考えて答えが出るものか」

 澤井は愉快そうにしている。それが腹立たしいし、ここのところなにかと絡んでくるのが嫌だった。彼が絡むと心が穏やかではいられない。一度の関係性がこんなに尾を引いているとは。

「何度もあなたとは、話をしてきましたよ」

「じっくりはしていまい」

「そうですね。しかし、いつも別な方向に行きます。今回もそんな気がするので遠慮させてください」

「そうか? おれはそのつもりだが」

 保住はむっとして、乱暴に言葉を吐く。

「何度も言っているではないですか。あなたとは、そういうつもりはないんです」

「そうか。では、おれも何度でも言おう。お前は田口とそういう関係になりたいのか」

「それは……」

 ——わからない。それは、わからない。

 複雑で理解できないもの。それは田口に対する思いだ。
 澤井に「お前は田口が好きだろう」と言われた。好きは好きなのだ。なんとも思わない相手ではないことは確かだ。

 「友達です」と田口に言われた。

 ——そう、おれたちは友達なのだ……。友達なはずだ。

 友達というものが、いなかったおかげで「友情」と言う気持ちがよくわからない。それが、田口への思いを不明瞭にさせている要因の一つでもある。友情の気持ちがどんなものなのか、わかれば今の気持ちがそれとは同じなのか、違うのかが明らかになるからだ。 

 ——しかし、もし友情ではないと言う結論に至ったら?

 人間的には好ましくない澤井だが、保住よりは人の思いを持っている男である。その彼が指摘するのだ。

『恋心』

 ——恋?

『男と女の間に存在する情愛』

 ——それが本当なら、大変なことになる。

 澤井との関係を知っても、なにも変わることなく接してくれている田口だが。さすがに保住がそんな想いを持っていると知ったら……。

 ——軽蔑される。気味悪がられるだろう。 

「おれの気持ちが、果たしてそこまでなのかどうかは自分でも理解しかねます。けれど、もし、それが本当のことだとしたら……」

「軽蔑されるか?」

 澤井は笑う。おかしな話だ。人にどう思われようが関係ない。そんなスタンスで生きてきたのに。生まれて初めて怖いと思った。

 ——それが、友達?

 一度、親しい関係が出来てしまうと失われるのは恐怖なのだと知る。

「面倒なものですね。誰かと親密になることは。嫌われるというのが怖いのですね」

 ——煩わしことばかり。そうだろうか? 楽しく思えることもある。

 田口と過ごした時間は悪くはない。温かくて安心できて、それでいて充実していて。

「面倒だと思うなら、止めてしまえ」

「——え?」

 澤井は壁にもたれかかっていた体を起こし、保住の目の前にやって来る。

「面倒なのだろう? 煩わしいだろう?」

「それは……正直。そうです」

「では止めればいいのだ。もうこれ以上、田口を好きになるのを止めてしまうことが一番だ」

「好きになるのを止める——?」

 澤井とは話をしたくないと思っていたが、こうして、悩んでいるところを掘り返されると、つい言葉に乗ってしまう。

 ——聞かないほうがいい。澤井の話は聞かないほうがいい。

 頭のどこかで警告する声が響いているのに。身体は素直。苦しさや辛さから逃れたいのだ。

「そんなこと。できるものでしょうか。嫌いになれということですか? 嫌われろということでしょうか?」

「違うな」

「では……」

「田口以外の人間に心を移せばいいのだ」 

「——っ」

 そこで理解する。澤井の言いたい事。保住は顔を背けた。

「だからといって、あなたとは……」

「そうだろうか」

 澤井は保住の顔を覗き込む。

「お前のことを本質から理解しているのはおれだけだ。田口への気持ちも手に取るように分かるぞ。悩んでいる理由も理解できる。こんなにお前を理解してやれるのはおれだけだと思うが」

「……」

 ——そうなのだろう。そう。きっとそう。

 それを認知してしまっているからこそ、黙り込む。この人は多分、保住自身よりも自分のことを理解しているのかもしれない。

「違うか? 面倒ではないはずだ。お前も楽だろう? おれは、お前をよく知っている。お前が好き勝手に振舞っても理解してやれる。しかし、田口は違うだろう。お前の振る舞いに、いちいち傷付いたり、塞ぎ込んだり。田口の考えを知りたいのだろう? わからなくて、苦しむのだ。違うか」

「澤井さん……」

「止めておけ。田口は、《だ」

って……ああ、おれがおかしいのか」

 疲労が色濃くなると、思考も堂々巡りだ。ぼんやりしていて、霧がかかっているみたいに。

「これ以上、田口を好きになったら後戻り出来ないぞ」

「……」

「来い。保住」

 眩暈めまいがした。
 良い理由もないが、悪い理由もない。

 ——面倒だ。どうでもいい。

 まただ。

 ——逃げたい。

 面倒な事からは逃げたい。

 また振り出しに戻るだけだ。田口と知り合う前の自分に戻るだけ。一人で、誰の支えも得ずに、実力だけでやってきたのだ。それに戻るだけ。

 ——怖くない。不安はないはず。

 澤井の差し出す手を、そっと握り返す。

「いい子だ」

「澤井さん」

「おれは面倒見がいい。安心しろ」

 ——これでいいのか? きっといい。

 田口には、迷惑はかけられない。終わりにしておこう。ただの部下と上司に戻るのだ。それが一番いい。田口を傷付けることもないし、自分も然りだ。そう自分に言い利かせた。
 いや、そうするしかないのだ。もう後戻りはできない。
 
 ——田口にはこれ以上、迷惑をかけることはできない。

 保住は澤井に手を引かれて、歩き出した。自分が選択したことであるというのに、心が落ち込むのはなぜだろうか。自力では這い上がれない沼に落ち込むかのような感覚に、わけのわからない涙が湧いてくる気がした。夜空に瞬く星が、妙に明るく輝いているように見えたのは気のせいではなかった。









しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる

水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。 「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」 過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。 ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。 孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

借金のカタに同居したら、毎日甘く溺愛されてます

なの
BL
父親の残した借金を背負い、掛け持ちバイトで食いつなぐ毎日。 そんな俺の前に現れたのは──御曹司の男。 「借金は俺が肩代わりする。その代わり、今日からお前は俺のものだ」 脅すように言ってきたくせに、実際はやたらと優しいし、甘すぎる……! 高級スイーツを買ってきたり、風邪をひけば看病してくれたり、これって本当に借金返済のはずだったよな!? 借金から始まる強制同居は、いつしか恋へと変わっていく──。 冷酷な御曹司 × 借金持ち庶民の同居生活は、溺愛だらけで逃げ場なし!? 短編小説です。サクッと読んでいただけると嬉しいです。

野球部のマネージャーの僕

守 秀斗
BL
僕は高校の野球部のマネージャーをしている。そして、お目当ては島谷先輩。でも、告白しようか迷っていたところ、ある日、他の部員の石川先輩に押し倒されてしまったんだけど……。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

処理中です...