田舎の犬と都会の猫ー振興係編ー

雪うさこ

文字の大きさ
225 / 231
第26章 さらば、振興係

03 そわそわ、どきどき

しおりを挟む



 二月の議会は無事に終わり、三月になるとオペラの上演で忙しい。振興係は人の異動だけでなく、ともかく忙しい時期にかかっていた。

「あわわ」

 そわそわとしている十文字の隣で、急に田口がコーヒーをこぼす。

「おいおい。お前までそわそわしているな」

 保住は苦笑した。

「すみません。集中しているつもりなんですけど……」

 そんなことを言っている段階で集中できていない証拠だろう。パソコンから手を離し、保住は頭の後ろで腕を組む。

「三月はそわそわの時期だな~」

 渡辺も頷く。

「本当です。そろそろ異動の肩たたき、始まりますか」

「ですね」

 谷口もボールペンをくるくるさせて表情を厳しくする。

「今年の異動は見えませんよね」

「そうですね」

「係長も異動対象だし、そういう渡辺さんやおれだって」

「三人も異動したらどうなるんだろう?」

 田口と十文字は顔を見合わせる。

「おれたち二人ではな」

「自信ないですけど」

「でも、その可能性は大?」

 谷口の言葉に田口も頷いた。

「そうですね。渡辺さんは、五年だし。谷口さんは四年。係長は四年。おれは三年」

「係長クラスは早くて二年だから、長いですもんね」

 渡辺の言葉に保住も頷く。

「初めての係長職だし。少し長めにおいてくれたようですね」

「そうは言っても限界ですよね」

「さて、どうなることやらだな。田口や十文字に任せられるように仕事引き継いでおくか」

「そんなこと、言わないでくださいよ~」

 十文字は気が気ではない。そんな様子を眺めながら、田口は大きくため息を吐いた。同じ家に住んでいるとはいえ。職場が別になるのかと思うと不安なのだ。

 ——それに。一大事。三月といえば……。

 定時を知らせる鐘が鳴った瞬間。田口はパソコンを閉じた。

「すみません。お先に失礼いたします」

 今日は早く帰るなんて聞いていない保住は目を瞬かせる。

「そうか」

「お疲れ」

「なんだよ~、そんなに急いじゃって。飲み会? 彼女?」

「失礼します」

 谷口の問いになんか答える暇もなく田口は鞄を抱えて、さっさと事務所を後にした。

「なんだ、あれ?」

 残されたメンバーは顔を見合わせてから苦笑した。


***


 田口が早々に帰宅した理由はわからない。彼が事務所を出てからすぐに入ったメールには『今日は少し寄るところがあります。先に帰っていてください』と書いてある。先に帰れと言われても仕事が終わらない。特に面倒なので『了解』とだけ返答した。

 ただ田口がいつもと違った行動をしていることに不審感は出てくる。どういうつもりなのか。気にすることでもないのだろうが。そんなことを考えていると、ふと残っているのが十文字だけという状況に気が付いた。

 心ここにあらずか。集中できないのだろう。仕事の効率が上がっていないのは見ていて分かる。

「大丈夫か。帰れないか」

 保住の声に彼は弾かれたように顔を上げた。

「いえ。えっと。すみません」

「効率が悪いなら今日はやめたほうがいい。明日までに仕上げなくてはいけないものがあるのか」

「そういうわけでは……」

「じゃあ、帰れ」

「……でも」

「うだうだされていたのでは目障りだ」

 言葉尻はきついが保住の優しさだ。十文字は諦めたのかパソコンを閉じた。

「係長」

「なんだ」

「異動してしまうんでしょうか」

「おれか? そうだな。異動だろうな」

 彼は黙って保住を見る。

「この職だ。仕方なかろう」

「そうですよね。でも。すごく、この今のメンバーで仕事ができて良かったです」

「そう思ってもらえるなら嬉しいな」

「はい」

 彼は荷物を抱えあげると頭を下げて帰っていった。

 不穏な彼をここに残すのは心配になる。田口もいなくなるのだ。多分、残されるのは谷口と十文字だろうな。そんなことを考えてから手を止めると野原がやってきた。

「保住」

「お疲れ様です。なにか」

「残業が増えている。不都合ある?」

 彼は田口の席に座ると保住を見据えた。

 ——心配しているのか。この人が? まさか。

「すみません。異動があるのかと思うとやりたい事が山積みです。自分の自己満足なんですがね」

 野原は保住の手元にあるマニュアル集を見下ろす。

「案外、残されたものはそれなりにやるものだ」

「そうなんですけどね。それはわかっているのですが……」

「さすがのお前もこんな膨大なマニュアル作るのは時間が掛かるってこと」

「そうみたいですね」

 彼はじっと保住を見つめたまま呟く。

「市制100周年記念事業推進室の創設。若手の先鋭を集めたスペシャリスト部署」

「なんです? その恥ずかしい文句は」

 保住は笑うが野原はふと口元を緩めた。

「全く馬鹿げた謳い文句だけど、議会ではそのように説明された」

「興味もないので。すみません。把握しておりませんでした」

「お前らしくもない」

 保住はため息を吐く。

「正直言うとワクワク半分。気が重いのが半分です」

「お前が?」

 野原は意外そうに目を瞬かせた。

「おれの決めたメンバーでやれることは光栄ですよ。ただしもう一人は」

「そんなこと?  澤井が貰い受けると聞いている。ああ、ヤキモチ?お前以外の職員を欲しがっている澤井への嫉妬」

「そう見えますか」

「そう見えなくもない。けれど、それだけでもない気もする」

 さすが野原。思慮の深い男だ。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる

水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。 「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」 過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。 ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。 孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

借金のカタに同居したら、毎日甘く溺愛されてます

なの
BL
父親の残した借金を背負い、掛け持ちバイトで食いつなぐ毎日。 そんな俺の前に現れたのは──御曹司の男。 「借金は俺が肩代わりする。その代わり、今日からお前は俺のものだ」 脅すように言ってきたくせに、実際はやたらと優しいし、甘すぎる……! 高級スイーツを買ってきたり、風邪をひけば看病してくれたり、これって本当に借金返済のはずだったよな!? 借金から始まる強制同居は、いつしか恋へと変わっていく──。 冷酷な御曹司 × 借金持ち庶民の同居生活は、溺愛だらけで逃げ場なし!? 短編小説です。サクッと読んでいただけると嬉しいです。

野球部のマネージャーの僕

守 秀斗
BL
僕は高校の野球部のマネージャーをしている。そして、お目当ては島谷先輩。でも、告白しようか迷っていたところ、ある日、他の部員の石川先輩に押し倒されてしまったんだけど……。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

男の娘と暮らす

守 秀斗
BL
ある日、会社から帰ると男の娘がアパートの前に寝てた。そして、そのまま、一緒に暮らすことになってしまう。でも、俺はその趣味はないし、あっても関係ないんだよなあ。

処理中です...