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第十九話・出張2
「いやー、今日は及川社長の貴重なお話をたくさん聞けて有意義な時間でした。末永くお付き合いのほど、どうぞよろしくお願いします」
二代目経営者だというオーナー店長は愛想のよい笑顔を浮かべながら、及川社長と私へフレンドリーに握手を求めてくる。かなり上機嫌なオーナーの手はお酒が回っているせいかちょっと熱かった。一緒にいた副店長だという女性スタッフもあきれた顔をしていただけだったので、いつもこんな感じなんだろうか。楽しそうな職場だ。
食事会は地元でも有名な海鮮料理を出すお店だったらしく、社長の言葉に従い私は最初から遠慮なく食べて飲んで大満足だった。でも、これもまた野上さんにバレたらお小言コース間違いなしだろう……
お店の前で拾ってもらったタクシーに乗り込み、宿泊予定のホテルへと向かう。直前までずっと野上さんが出張のお伴は自分がと主張していて、それは私が頼りないから言っているのだと思っていたのだけど、多分そうじゃない。ベテラン秘書が予約してくれていたのは真新しい白い外壁のシティーホテル。出張というから萎びたビジネスホテルを想像していたのに、さすがに社長が一緒だと宿泊先も豪華だ。そういえば平社員なのに新幹線も当然のようにグリーン車だった。
車を降り、スタスタと慣れたようにフロントへ向かい受付する及川社長の後ろ姿を私はぼーっと眺める。多分これも本来なら秘書がやらなきゃいけないことなのに、付いてきたのが私だったから社長の手を煩わせることになったのだろう。申し訳ないとは思いつつ、私はホテルの広々としたエントランスを見回していた。もう遅い時間帯ということもあり、宿泊客の姿はまばらでフロア内にかすかに流れているオルゴールのような音色が非日常的な雰囲気を醸し出している。
「五階で、隣同士の二部屋だ」
フロントで受け取ったカードキーの一枚を私へと差し出して、及川社長はエレベーターの場所を確認してから歩き出す。私も慌ててその後を追う。エレベーターホールで階数表示を見ながら、社長がハァと小さく溜め息をついたのに気付き、私はハッとする。
「社長、さっきはほとんど口にしておられなかったから、お腹空いてるんじゃないですか? 前のコンビニで何か買ってきましょうか?」
接待慣れしていない私の代わりにずっとオーナーの相手をしてくれていたから、及川社長は料理もお酒もあまり手を付けていなかった。多分この時間だとルームサービスもやっていないだろうしと私が提案すると、社長は少し考えた後にエレベーター横の施設案内を見てから言った。
「なら、荷物を置いた後にちょっと付き合ってくれるか?」
社長の視線は二十階にあるというバーラウンジのワインフェアのポスターへ向けられている。もしかして食べるよりは飲みたい気分なのだろうか? 翌日の視察先は一か所だけだし多少の夜更かしくらいならと、私はあまり深く考えずに黙ってうなずき返す。
スーツそのままではとジャケットをカーディガンに羽織り直し、私は最上階にあるラウンジへ少し緊張しながら向かう。冷静になったら及川社長とこれから二人で飲むんだと気付き、とりあえずメイク直しはしたもののどんな顔をすればと迷い始める。
――こ、これはただの仕事の打ち上げ。そう、これも仕事。デートとかそんなんじゃないし……
必死で自己暗示して冷静を装ってはみたものの、エレベーターを降りた途端に目に飛び込んできたのは天井までガラス張りの窓と、その向こうに広がるきらびやかな夜景。地方都市の夜の景色は思ったよりも眩くて、まるで夢の世界を見ているようなふわふわと浮足立った気分になる。ポーッとしながら店に入ると窓際のソファー席に及川社長の姿はあった。社長は上着を脱いだベストスーツ姿で、さっきまで掛けていたはずの眼鏡はなかった。裸眼でも平気なら、そこまで視力が悪いというわけでもないのだろうか?
「すみません、お待たせしました」
席につくとメニューを持ってやってきたスタッフへ、私はカシスオレンジを注文しつつ軽食メニューにも目を通し確認するが、、ワイングラスを傾けながら社長は静かに首を横に振っていた。本当に飲むだけみたいだ。
薄っすら黄みがかった透明の液体を及川社長はゆっくりと喉に滑り込ませ、その喉仏が小さく動くのを私は向かいの席からこっそり観察する。夜景を横目にこんな時間に二人きり。傍目には私達はどんな関係に映っているのだろう。グラスを置き、夜景を眺める社長の横顔がいつもより何だか気弱な感じに思えたのは、今日訪れた先で当然のように星野専務の独立について詰問されたからだろうか。
いまだに専務がどうしてスターワイドを急に出て行くことになったのかは分からないけれど、社長はその話題になると少しつらそうに顔を歪めていた。
「お疲れでしたら、早めに部屋へ戻って休まれた方がいいのでは?」
飲み足りないのならいくらでも付き合う気だったけど、今彼に必要なのは休息だと思えてならない。でも彼は私の心配にはハッと小さく鼻で笑って返すと、逆に聞き返してくる。
「菊池こそ、慣れない場所で気疲れしているだろ。俺に合わせようとせず、適当に戻っていいからな」
「大丈夫です。私は今の仕事が楽しくてしょうがないんで、逆にテンションが上がってすぐ眠れる自信がありません」
私は正直に答えたつもりだったのだけれど、それのどこに笑える要素があったのかは分からないが、及川社長は口元を押さえて肩を震わせていた。
二代目経営者だというオーナー店長は愛想のよい笑顔を浮かべながら、及川社長と私へフレンドリーに握手を求めてくる。かなり上機嫌なオーナーの手はお酒が回っているせいかちょっと熱かった。一緒にいた副店長だという女性スタッフもあきれた顔をしていただけだったので、いつもこんな感じなんだろうか。楽しそうな職場だ。
食事会は地元でも有名な海鮮料理を出すお店だったらしく、社長の言葉に従い私は最初から遠慮なく食べて飲んで大満足だった。でも、これもまた野上さんにバレたらお小言コース間違いなしだろう……
お店の前で拾ってもらったタクシーに乗り込み、宿泊予定のホテルへと向かう。直前までずっと野上さんが出張のお伴は自分がと主張していて、それは私が頼りないから言っているのだと思っていたのだけど、多分そうじゃない。ベテラン秘書が予約してくれていたのは真新しい白い外壁のシティーホテル。出張というから萎びたビジネスホテルを想像していたのに、さすがに社長が一緒だと宿泊先も豪華だ。そういえば平社員なのに新幹線も当然のようにグリーン車だった。
車を降り、スタスタと慣れたようにフロントへ向かい受付する及川社長の後ろ姿を私はぼーっと眺める。多分これも本来なら秘書がやらなきゃいけないことなのに、付いてきたのが私だったから社長の手を煩わせることになったのだろう。申し訳ないとは思いつつ、私はホテルの広々としたエントランスを見回していた。もう遅い時間帯ということもあり、宿泊客の姿はまばらでフロア内にかすかに流れているオルゴールのような音色が非日常的な雰囲気を醸し出している。
「五階で、隣同士の二部屋だ」
フロントで受け取ったカードキーの一枚を私へと差し出して、及川社長はエレベーターの場所を確認してから歩き出す。私も慌ててその後を追う。エレベーターホールで階数表示を見ながら、社長がハァと小さく溜め息をついたのに気付き、私はハッとする。
「社長、さっきはほとんど口にしておられなかったから、お腹空いてるんじゃないですか? 前のコンビニで何か買ってきましょうか?」
接待慣れしていない私の代わりにずっとオーナーの相手をしてくれていたから、及川社長は料理もお酒もあまり手を付けていなかった。多分この時間だとルームサービスもやっていないだろうしと私が提案すると、社長は少し考えた後にエレベーター横の施設案内を見てから言った。
「なら、荷物を置いた後にちょっと付き合ってくれるか?」
社長の視線は二十階にあるというバーラウンジのワインフェアのポスターへ向けられている。もしかして食べるよりは飲みたい気分なのだろうか? 翌日の視察先は一か所だけだし多少の夜更かしくらいならと、私はあまり深く考えずに黙ってうなずき返す。
スーツそのままではとジャケットをカーディガンに羽織り直し、私は最上階にあるラウンジへ少し緊張しながら向かう。冷静になったら及川社長とこれから二人で飲むんだと気付き、とりあえずメイク直しはしたもののどんな顔をすればと迷い始める。
――こ、これはただの仕事の打ち上げ。そう、これも仕事。デートとかそんなんじゃないし……
必死で自己暗示して冷静を装ってはみたものの、エレベーターを降りた途端に目に飛び込んできたのは天井までガラス張りの窓と、その向こうに広がるきらびやかな夜景。地方都市の夜の景色は思ったよりも眩くて、まるで夢の世界を見ているようなふわふわと浮足立った気分になる。ポーッとしながら店に入ると窓際のソファー席に及川社長の姿はあった。社長は上着を脱いだベストスーツ姿で、さっきまで掛けていたはずの眼鏡はなかった。裸眼でも平気なら、そこまで視力が悪いというわけでもないのだろうか?
「すみません、お待たせしました」
席につくとメニューを持ってやってきたスタッフへ、私はカシスオレンジを注文しつつ軽食メニューにも目を通し確認するが、、ワイングラスを傾けながら社長は静かに首を横に振っていた。本当に飲むだけみたいだ。
薄っすら黄みがかった透明の液体を及川社長はゆっくりと喉に滑り込ませ、その喉仏が小さく動くのを私は向かいの席からこっそり観察する。夜景を横目にこんな時間に二人きり。傍目には私達はどんな関係に映っているのだろう。グラスを置き、夜景を眺める社長の横顔がいつもより何だか気弱な感じに思えたのは、今日訪れた先で当然のように星野専務の独立について詰問されたからだろうか。
いまだに専務がどうしてスターワイドを急に出て行くことになったのかは分からないけれど、社長はその話題になると少しつらそうに顔を歪めていた。
「お疲れでしたら、早めに部屋へ戻って休まれた方がいいのでは?」
飲み足りないのならいくらでも付き合う気だったけど、今彼に必要なのは休息だと思えてならない。でも彼は私の心配にはハッと小さく鼻で笑って返すと、逆に聞き返してくる。
「菊池こそ、慣れない場所で気疲れしているだろ。俺に合わせようとせず、適当に戻っていいからな」
「大丈夫です。私は今の仕事が楽しくてしょうがないんで、逆にテンションが上がってすぐ眠れる自信がありません」
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