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第二十六話・サーパス宰相2
「なるほど、それは確かに大切なことですな」
「ええ、許可をいただき一度くらいは両親へ顔を見せに帰ることができたらと……」
愁傷な表情で故郷を偲んでみせると、宰相様は深く頷きながら同情してくれているようだった。彼だって娘が自分の知らないところで婚約して、一切帰って来れなくなったら辛いに決まっている。ロックウェル領にいる両親のことを思っている気持ちは本当だったから、私の瞳から自然と涙が伝い落ちる。泣くつもりなんて本当は無かったけれど、実際にも私はもう限界だったのかもしれない。一度流れ出すと止まらなくなった涙を、駆け寄って来た侍女から受け取ったハンカチで拭う。
「お見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳ございません……」
涙ながらに謝罪の言葉を口にすると、宰相様も司教様も私から目を逸らしていた。乙女の涙を前にして、反応に困って言葉を失っているのだろうか。宰相様はもう私と目を合わせるのは気まずいと思ったのか、司教様へと会話の相手を切り替えたようだった。
「神殿が若いお嬢さんを親から無理に引き離したという噂でも流れたら大変でしょう。一度くらいご実家へ帰してあげるべきでは?」
「……確かに、聖女様にお辛い思いをさせるのは、私共も本意ではございませんからねぇ」
話の流れが急展開。涙に勝る武器はなしと言ったところか。私は心の中でガッツポーズしながらも、目にハンカチを当て続けた。さすがにもう、とっくに涙は止まっていたけれど。
一体何をしに来たのかと思うほど意見を翻した宰相様を、私達は神殿の入り口まで見送った。帰り際には握手まで求められて、あの方が敵なのか味方なのか混乱しそうになる。とにかく目の前に現れた障壁を一つクリアしたことに、司教様と並んで安堵の溜め息を漏らした。
「サーパス卿のおっしゃっていた通り、一度ご実家へお戻りになられるのも良いかもしれませんな」
「よろしいんでしょうか?」
「ええ、事が好転するのを待つ時間稼ぎには最適でしょう。王家も里帰りくらいではうるさく言っては来ないでしょうし」
宰相様の馬車が通りの向こうへ消えていくのを眺めながら、司教様が告げてくる。パトリック様の疑惑が私にとっては追い風となったようで、思いがけずロックウェル領へ戻る許可が下りた。私は部屋へ戻ると両親へ帰郷するという報告の手紙を書いてから、侍女と一緒に荷造りを始めた。司教様の気が変わらない内にさっさと神殿を出るべく。
手紙とは二日遅れで神殿を出ることになった私達は、宿を変えつつ無事にロックウェル領へと帰ってくることができた。気付けばひと月近くを神殿で過ごしていたから、馬車の窓の外の見慣れた景色に一気に気が抜ける。
「やっぱり王都と比べると大したものは無いですよねー」
「でも私は好きよ、こののんびりしたところが」
私がユーベル様から王子妃教育を受けている時に、ナナが仲良くなった侍女の一人に案内してもらって街へ遊びに出掛けているのを知っている。下手したら私よりも王都生活を満喫していると言えるが、神殿には専属の侍女を二人も付けてもらっているから次に戻る際にナナに付いて来てもらう理由がなくなってしまっている。
——次に王都へ行く時は一人ぼっちになるのね……
生まれた時からずっと一緒にいる乳姉妹のナナ。さすがにパトリック様に嫁いだ後には王宮まで付いてきてもらえるなんて期待はしていない。あそこで働こうと思ったらある程度の家柄と、それなりの試験を突破しなくてはいけないみたいだから。
せっかく故郷に帰ってこれたのに、私は王都での生活のことばかり考えてしまっていた。だって、向こうでは本当にいろんなことがありすぎて、ロックウェル領で過ごした思い出がすっかり霞んでしまっていたから。
街の中心に立つ領主の屋敷には横庭に広い馬場を構えている。私達を乗せていた馬車も再び王都へ向かうことになるまでの間はそちらで待機することになる。すっかり顔馴染みになった雌馬の顔に手を伸ばして、私は長旅のお礼を伝える。
「お疲れ様。うちの馬場はとても走り易いはずだから、楽しんでくれるといいのだけれど」
ぶるるん、と雌馬は返事するように啼いて返してくる。この子には王都観光の時にも乗せてもらったけれど、とても人懐っこい性格をしているのだ。しばらくは私の手に甘えるようにスリスリしていた馬が、突如ふいとそっぽを向き始める。
「どうしたの?」
そう問いかけた時、私の足下にふんわりとした柔らかな物が触れてきた。下を覗くとスカートの裾に纏わりつくようにヴァルツが擦り寄ってくる。黒猫専用にしている篭の中でずっと眠っていたと思っていたが、ようやく起きて出てきたらしい。私は屈みこんで黒猫を両腕で抱き抱え、生まれ育った屋敷の中へと向かった。
「まずはお父様達に、あなたとの素敵な出会いから説明しないといけないものね」
私の運命が大きく変わってしまったのは、この聖獣との出会いが原因だ。両親の驚く顔を想像しながら、私は少し駆け足になる。
「ええ、許可をいただき一度くらいは両親へ顔を見せに帰ることができたらと……」
愁傷な表情で故郷を偲んでみせると、宰相様は深く頷きながら同情してくれているようだった。彼だって娘が自分の知らないところで婚約して、一切帰って来れなくなったら辛いに決まっている。ロックウェル領にいる両親のことを思っている気持ちは本当だったから、私の瞳から自然と涙が伝い落ちる。泣くつもりなんて本当は無かったけれど、実際にも私はもう限界だったのかもしれない。一度流れ出すと止まらなくなった涙を、駆け寄って来た侍女から受け取ったハンカチで拭う。
「お見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳ございません……」
涙ながらに謝罪の言葉を口にすると、宰相様も司教様も私から目を逸らしていた。乙女の涙を前にして、反応に困って言葉を失っているのだろうか。宰相様はもう私と目を合わせるのは気まずいと思ったのか、司教様へと会話の相手を切り替えたようだった。
「神殿が若いお嬢さんを親から無理に引き離したという噂でも流れたら大変でしょう。一度くらいご実家へ帰してあげるべきでは?」
「……確かに、聖女様にお辛い思いをさせるのは、私共も本意ではございませんからねぇ」
話の流れが急展開。涙に勝る武器はなしと言ったところか。私は心の中でガッツポーズしながらも、目にハンカチを当て続けた。さすがにもう、とっくに涙は止まっていたけれど。
一体何をしに来たのかと思うほど意見を翻した宰相様を、私達は神殿の入り口まで見送った。帰り際には握手まで求められて、あの方が敵なのか味方なのか混乱しそうになる。とにかく目の前に現れた障壁を一つクリアしたことに、司教様と並んで安堵の溜め息を漏らした。
「サーパス卿のおっしゃっていた通り、一度ご実家へお戻りになられるのも良いかもしれませんな」
「よろしいんでしょうか?」
「ええ、事が好転するのを待つ時間稼ぎには最適でしょう。王家も里帰りくらいではうるさく言っては来ないでしょうし」
宰相様の馬車が通りの向こうへ消えていくのを眺めながら、司教様が告げてくる。パトリック様の疑惑が私にとっては追い風となったようで、思いがけずロックウェル領へ戻る許可が下りた。私は部屋へ戻ると両親へ帰郷するという報告の手紙を書いてから、侍女と一緒に荷造りを始めた。司教様の気が変わらない内にさっさと神殿を出るべく。
手紙とは二日遅れで神殿を出ることになった私達は、宿を変えつつ無事にロックウェル領へと帰ってくることができた。気付けばひと月近くを神殿で過ごしていたから、馬車の窓の外の見慣れた景色に一気に気が抜ける。
「やっぱり王都と比べると大したものは無いですよねー」
「でも私は好きよ、こののんびりしたところが」
私がユーベル様から王子妃教育を受けている時に、ナナが仲良くなった侍女の一人に案内してもらって街へ遊びに出掛けているのを知っている。下手したら私よりも王都生活を満喫していると言えるが、神殿には専属の侍女を二人も付けてもらっているから次に戻る際にナナに付いて来てもらう理由がなくなってしまっている。
——次に王都へ行く時は一人ぼっちになるのね……
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せっかく故郷に帰ってこれたのに、私は王都での生活のことばかり考えてしまっていた。だって、向こうでは本当にいろんなことがありすぎて、ロックウェル領で過ごした思い出がすっかり霞んでしまっていたから。
街の中心に立つ領主の屋敷には横庭に広い馬場を構えている。私達を乗せていた馬車も再び王都へ向かうことになるまでの間はそちらで待機することになる。すっかり顔馴染みになった雌馬の顔に手を伸ばして、私は長旅のお礼を伝える。
「お疲れ様。うちの馬場はとても走り易いはずだから、楽しんでくれるといいのだけれど」
ぶるるん、と雌馬は返事するように啼いて返してくる。この子には王都観光の時にも乗せてもらったけれど、とても人懐っこい性格をしているのだ。しばらくは私の手に甘えるようにスリスリしていた馬が、突如ふいとそっぽを向き始める。
「どうしたの?」
そう問いかけた時、私の足下にふんわりとした柔らかな物が触れてきた。下を覗くとスカートの裾に纏わりつくようにヴァルツが擦り寄ってくる。黒猫専用にしている篭の中でずっと眠っていたと思っていたが、ようやく起きて出てきたらしい。私は屈みこんで黒猫を両腕で抱き抱え、生まれ育った屋敷の中へと向かった。
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