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第二十八話
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過去のことを含めた全てに、証拠は何一つ残っていない。八神康之に対し、正面切って抗議したところで、シラを切り通されるのは目に見えている。何もできないことへの苛立ちだろうか、台所から響く玉ねぎを切る音がかつてないほど激しい。学生達から何度もリクエストされるという牛肉しぐれ。甘辛いタレに牛肉と一緒に煮込まれる予定の玉ねぎスライスは、真知子の怒りを静かに受け止めていた。
「そう言えば、鴨川さんはまだ離れにいるの?」
朝から紙人形やら、誘拐未遂やらと慌ただしくてすっかり忘れていたが、離れで泊まっていたはずの鴨川桔梗はどうしたんだろうか? また今夜からネットカフェの住人に戻るのはあまりに可哀そうに思えた。布団で寝るなんて久しぶりです、と涙ぐみながら感謝していた姿からも、狭いブースでの寝泊まりがあまり快適ではなかったことが伺えたから。彼がどうしてあの生活になったのか、機会があればいつか詳しく聞いてみたい。
真知子が朝一で分家のどこかへ電話を掛けて、彼のことを頼んでいたのは知っている。祓いに関する道具作りが得意な家へ、面倒を見てやってくれないか、と。遠縁とは言え、身内を再びホームレス生活へと放り出すほど冷酷ではない。
「あの子なら、孝也が住み込みでしごいてくれるらしい。丁度、弟子の一人が逃げ出したところで、人手が欲しかったんだそうだ」
「孝也おじさん、厳しそうだからね……鴨川さん、大丈夫かなぁ」
真知子の従兄弟の子に当たる八神孝也は祓い道具の専門家だ。圭吾とは真逆に、視えないけれど力はあるため、裏方として一族の稼業を支えている。物を創造する者にありがちなのか、いわゆる職人気質。仕事に関しては超がつくほどの完璧主義者だ。これまでも何人か預かってきたみたいだけれど、みんな途中で根を上げて出て行ってしまうとか何とか。まともに社会で働いたことが無さそうな桔梗に上手くやっていけるか心配だ。
「……まあ、ダメだったらその時さ。大人なんだから、自分で何とかするだろう」
さすがにもう、詐欺まがいのことに手出しはしないだろうし、と真知子は苦笑いする。
「それに、孝也がそうやすやすと鴨川の技術を手放す訳がない。電話でもかなり興味を示していたからね」
「あー、鴨川さんなだけに、カモがネギしょってきたってやつだね!」
「……」
美琴の渾身のダジャレは呆気なくスルーされた。
今は廃れているが道具使いに長けていた鴨川家。桔梗は先祖が残したという文献を持っている。彼にはまだ使いこなせはしないし半分も理解できていないだろうが、専門家である孝也にはそれは喉から手がでるほど魅惑的に映るはずだ。だから運が良ければ、他の弟子達よりは優しく扱ってもらえるかもしれない。
桔梗がちゃんと生活を落ち着けることができたなら、タヌキのマリーも安心するだろう。あれから陽菜達はすっかりマリーの占いに嵌っているようでまた占って貰いに行きたいと言っていたけれど、美琴はもう懲り懲りだ。だって、マリーのオーラ占いの真実を知ってしまったのだから。こっそり匂いを嗅がれてお金を払わされるなんて嫌すぎる。
それから数日、人通りの多い駅前までの通学路には帰りだけじゃなく行きまでゴンタが付き添ってくれるようになった。人の眼がある場所では康之も強行には出られないだろうと、駅に着いて電車を乗り継いでいる間に完全に油断してしまっていたのは否定できない。高校の門の手前で、見たことがある黒色のセダン車が停まっているのに、すぐ気付けなかったのだから。こんな学校の目と鼻の先で待ち伏せされているとは思ってもみない。
車の真横を通り過ぎようとした時、名前を呼ばれて思わず立ち止まってしまった。
「八神美琴ちゃん?」
後部座席のドアが開き、車から降りて来た男はひょろりと背が高く、見た目の年齢の割に白髪の多い髪。薄っすらと隈のある目を細めて、美琴の方へ笑い掛けてくる。
「ああ、やっぱり近くで見ると圭吾さんによく似てるね。君のお父さんには、子供の頃に何度か会ったことがあるんだよ」
「……あの?」
「お婆さんに引き取られた時は、あんなに小さかったのに」
笑っているように見える目がどこか冷たい光を放っていて、美琴は全身で警戒する。初対面なはずなのに、相手はまるで自分のことをよく知っているような口ぶりなのが逆に怖い。
「そうそう、俺ね、君のお婆さんに頼まれて迎えに来たんだよ」
ゆっくりと近づいてくる男。美琴は校門の前で生徒達に声を掛けている生徒指導の教師へ助けを求めるように見る。けれど、門側からはちょうど車体の陰に隠れる位置にいるのか、こちらの様子には一切気付いていないようだった。
登校時間ギリギリだったせいで、後からやって来る生徒の姿もない。
「それ、子供を誘拐する人が言う台詞ですよね」
「本当なんだけどな。真知子さんから孫を急いで連れて帰って来てくれって言われてたんだよ。大人しく車に乗りなよ」
「……私、スマホ持ってるんで、用があるなら直接連絡くるんですけど」
この怪しさ抜群の男は、きっと八神康之だ。前回は顔を見せないようにしていたみたいだけど、堂々と表立って近づいてきているのは開き直ってしまったのか。顔に張り付いた嘘っぽい笑顔が、遠慮なく傍へと寄ってくる。車の停まっている場所を考えると、学校に逃げ込むのは難しい。きっと、車の中にもまだ誰かが潜んでいるはずだ。
美琴は学校へ行くのは諦めて、反対の方向へ逃げるつもりで、身体の向きを変えた。けれど、真後ろにはいつの間にか立っていた壁のような大柄なあやかし。気付いた時には身体の動きを封じられ、車の後部座席へと放り込まれていた。
「そう言えば、鴨川さんはまだ離れにいるの?」
朝から紙人形やら、誘拐未遂やらと慌ただしくてすっかり忘れていたが、離れで泊まっていたはずの鴨川桔梗はどうしたんだろうか? また今夜からネットカフェの住人に戻るのはあまりに可哀そうに思えた。布団で寝るなんて久しぶりです、と涙ぐみながら感謝していた姿からも、狭いブースでの寝泊まりがあまり快適ではなかったことが伺えたから。彼がどうしてあの生活になったのか、機会があればいつか詳しく聞いてみたい。
真知子が朝一で分家のどこかへ電話を掛けて、彼のことを頼んでいたのは知っている。祓いに関する道具作りが得意な家へ、面倒を見てやってくれないか、と。遠縁とは言え、身内を再びホームレス生活へと放り出すほど冷酷ではない。
「あの子なら、孝也が住み込みでしごいてくれるらしい。丁度、弟子の一人が逃げ出したところで、人手が欲しかったんだそうだ」
「孝也おじさん、厳しそうだからね……鴨川さん、大丈夫かなぁ」
真知子の従兄弟の子に当たる八神孝也は祓い道具の専門家だ。圭吾とは真逆に、視えないけれど力はあるため、裏方として一族の稼業を支えている。物を創造する者にありがちなのか、いわゆる職人気質。仕事に関しては超がつくほどの完璧主義者だ。これまでも何人か預かってきたみたいだけれど、みんな途中で根を上げて出て行ってしまうとか何とか。まともに社会で働いたことが無さそうな桔梗に上手くやっていけるか心配だ。
「……まあ、ダメだったらその時さ。大人なんだから、自分で何とかするだろう」
さすがにもう、詐欺まがいのことに手出しはしないだろうし、と真知子は苦笑いする。
「それに、孝也がそうやすやすと鴨川の技術を手放す訳がない。電話でもかなり興味を示していたからね」
「あー、鴨川さんなだけに、カモがネギしょってきたってやつだね!」
「……」
美琴の渾身のダジャレは呆気なくスルーされた。
今は廃れているが道具使いに長けていた鴨川家。桔梗は先祖が残したという文献を持っている。彼にはまだ使いこなせはしないし半分も理解できていないだろうが、専門家である孝也にはそれは喉から手がでるほど魅惑的に映るはずだ。だから運が良ければ、他の弟子達よりは優しく扱ってもらえるかもしれない。
桔梗がちゃんと生活を落ち着けることができたなら、タヌキのマリーも安心するだろう。あれから陽菜達はすっかりマリーの占いに嵌っているようでまた占って貰いに行きたいと言っていたけれど、美琴はもう懲り懲りだ。だって、マリーのオーラ占いの真実を知ってしまったのだから。こっそり匂いを嗅がれてお金を払わされるなんて嫌すぎる。
それから数日、人通りの多い駅前までの通学路には帰りだけじゃなく行きまでゴンタが付き添ってくれるようになった。人の眼がある場所では康之も強行には出られないだろうと、駅に着いて電車を乗り継いでいる間に完全に油断してしまっていたのは否定できない。高校の門の手前で、見たことがある黒色のセダン車が停まっているのに、すぐ気付けなかったのだから。こんな学校の目と鼻の先で待ち伏せされているとは思ってもみない。
車の真横を通り過ぎようとした時、名前を呼ばれて思わず立ち止まってしまった。
「八神美琴ちゃん?」
後部座席のドアが開き、車から降りて来た男はひょろりと背が高く、見た目の年齢の割に白髪の多い髪。薄っすらと隈のある目を細めて、美琴の方へ笑い掛けてくる。
「ああ、やっぱり近くで見ると圭吾さんによく似てるね。君のお父さんには、子供の頃に何度か会ったことがあるんだよ」
「……あの?」
「お婆さんに引き取られた時は、あんなに小さかったのに」
笑っているように見える目がどこか冷たい光を放っていて、美琴は全身で警戒する。初対面なはずなのに、相手はまるで自分のことをよく知っているような口ぶりなのが逆に怖い。
「そうそう、俺ね、君のお婆さんに頼まれて迎えに来たんだよ」
ゆっくりと近づいてくる男。美琴は校門の前で生徒達に声を掛けている生徒指導の教師へ助けを求めるように見る。けれど、門側からはちょうど車体の陰に隠れる位置にいるのか、こちらの様子には一切気付いていないようだった。
登校時間ギリギリだったせいで、後からやって来る生徒の姿もない。
「それ、子供を誘拐する人が言う台詞ですよね」
「本当なんだけどな。真知子さんから孫を急いで連れて帰って来てくれって言われてたんだよ。大人しく車に乗りなよ」
「……私、スマホ持ってるんで、用があるなら直接連絡くるんですけど」
この怪しさ抜群の男は、きっと八神康之だ。前回は顔を見せないようにしていたみたいだけど、堂々と表立って近づいてきているのは開き直ってしまったのか。顔に張り付いた嘘っぽい笑顔が、遠慮なく傍へと寄ってくる。車の停まっている場所を考えると、学校に逃げ込むのは難しい。きっと、車の中にもまだ誰かが潜んでいるはずだ。
美琴は学校へ行くのは諦めて、反対の方向へ逃げるつもりで、身体の向きを変えた。けれど、真後ろにはいつの間にか立っていた壁のような大柄なあやかし。気付いた時には身体の動きを封じられ、車の後部座席へと放り込まれていた。
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